紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第4章 絡まる糸

第43話 刑部にて

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 ――刑部けいぶの件、目処が立ちました。
 
 姚人ヤオレン経由で連絡が来たのは、四華スーファの儀、三日前のことだった。
 
 曄琳イェリンは指定された宮門へと向かう。仕事であれば上から配布される通行証の木簡を提示して門を行き来するのだが、今回は仕事でないため、外へと出るには官人の付き添いがいる。迎えは姚人だろうかと思っていたが――やはり彼だった。こちらに気づくとぺこりと頭を下げてくる。
 
「宮妓さん、こんにちは。行きましょうか」

 おや、いつもの元気がない。なんならげっそりとやつれている。

「元気がないですけど、何かありましたか?」
「あはは、ちょっと兄にこってり絞られまして……」

 兄というのは刑部勤めのお兄さんのことか。聞いた話では、話にのぼった姚人の兄経由で物品保管庫を開けてもらうことになったらしい。無理をさせた皺寄せが姚人にいったのだと曄琳は推察した。

「姚人さんも色々とありがとうございます」
「いいんですよ。ソン少監の頼みは兄も断りませんから、」

 案内されるまま、立ち入ったことのない区画へと入っていくと、書類を抱えた気難しそうな官人の往来が増えてきた。女官の影がなくなり、小間使いの宦官があちこちを走り回る。

「いつ来ても刑部は忙しないですねぇ」

 姚人の呟きに、曄琳はそういうものなんだとぼんやり思うのと同時に、ここでは女は目立つということを理解した。道理ですれ違う官吏が胡散臭そうな目を向けてくるわけだ。
 人目につきすぎるのもよくない。曄琳は俯きがちに姚人の陰に隠れて歩みを進めた。

 ようやくたどり着いたのは、厚い木扉の物々しい建物だった。木の陰にあるせいか薄暗い。

「お疲れ様です、少監。連れてきました」

 姚人が木陰に声を掛けると、暁明シャオメイと見知らぬ宦官が立っていた。顔立ちがどことなく姚人と似ているので、おそらく彼が兄なのだろう。曄琳が頭を下げると、彼も無言で頭を下げた。

「入りましょうか」

 暁明が促すと、男が保管庫の鍵を開けた。中は薄暗く、湿っぽかった。





「当時の押収物はこちらになります」

 姚人の兄は、宇人ユーレンと名乗った。
 宇人は無数に立ち並ぶ書架の間を無駄のない動きで縫っていき、しばらくすると小さな箱を持ってきた。
 この萎びた紺紐で蓋がされた木箱に曄琳にとって重要な書簡が入っている。緊張で手が冷える。
 宇人は暁明に箱を渡すと、一歩後ろに引いた。

「僕は席を外しましょうか?」
「そうですね。可能であればお願いします」

 宇人は生真面目に頷くと、かっちりと着込んだ官服を翻して扉の方へ戻っていった。
 曄琳はその後ろ姿を目で追い、思わず呟く。

「お兄さんは姚人さんとは随分雰囲気が違いますね」
「宮妓さんそれどういう意味です?」

 むくれた姚人が曄琳の肩を小突く。曄琳としては思ったことをそのまま口に出しただけで他意はないのだが。
 暁明が紐を解きながら姚人を一瞥する。

「姚人、あなたも外で待っていていください」
「うぅ、了解ですぅ……」

 口調とは裏腹に軽やかに扉へと駆けていく姚人を見送り、曄琳と暁明は箱に向き直った。蓋を取ると、中には四つ折りに畳まれた紙片が入っていた。時間の経過で黄ばみ、ところどころ茶けている。
 破かないようゆっくりと開くと、中にはすらりと流れるような文字で恋心を綴った文章が羅列されていた。曄琳らは頭を突き合わせて手紙を覗き込む。

「本当に恋文だ……」
「そのようですね。差出人は書かれていませんね」
「男性、ですよね?」
「後宮なら女性から女性へ送ることもあるのでしょうか……しかしこれは手蹟しゅせきからして男でしょうね」

 沅君ユェンジュンは、噂では殿中省の官人に送り主の疑惑がかかっていたと言っていた。それを暁明に伝えると、難しい顔で顎を撫でる。

「当時の人間は省内にほとんど残っていません。いても他部署に移っているので、目星をつけようにも難しい」

 そうだろうと思う。そもそも、退官してしまった人間の中に送り主がいた場合、もう探しようがない。今回は恋文はあったという事実だけで、楚蘭チュランが不貞を行ったかどうかまではわからないということか。ひとつ情報が増えただけで進展はなく、また手詰まりだ。

(殿中省……ああ、殿中省といえば)
 
 ふと、曄琳は先だって話した内容を思い出す。

「そういえばツァイ掖庭令が昔、殿中省で働かれていたことがあるって言ってました」
「掖庭令が……いつ聞いたのですか?」
「先日内侍省に報告に行ったときです」

 あのときは深く考える余裕がなかったので流してしまっていた。あの場でもっと聞けばよかったのかもしれない。後悔している曄琳の横で、暁明がその柳眉を顰める。

「私は初耳です」
「そうなんですか。掖庭令の口ぶりからしてご存知なんだとばかり」
「あの方はあまりご自身の話をされないのですよ。過去の経歴について聞くのも失礼にあたりますから、こちらから触れてこなかったのもありますが……」

 職場の繋がりなどそんなものだろう。曄琳はあのとき話した内容を思い出す。

「今三十五だから人生の半分以上は王城で過ごしてると仰ってたので……計算上では掖庭令はちょうど当時に働き始めたくらいでしょうか」
「…………ふむ」

 暁明は何か考えていたようだが、落ちてきた前髪を払うと手元の箱に視線を落とした。
 
「私の方で殿中省内の過去の記録を少し探ってみます。当時の記錄があると思いますから、何か繋がりがありそうなら次は掖庭令をあたってみましょう」

 暁明は箱を仕舞い、もとのように紐を戻す。

「私も殿中省で調べてみますが、あなたも掖庭令に会うことがあれば何か聞いてみてください」
「わかりました」
「あなたになら、何か話してくれるかもしれませんね」

 そんなことはないと思うのだが。首を傾げる曄琳の背を片付け終わった暁明が押す。

「さ、行きましょうか。そういえばリン家子女はその後いかがです」
碧鈴ビーリン様は前向きに頑張っておられますよ。四夫人は逃しましたが、これからのし上がると息巻いています」
「それはよかった」

 予定とは異なる形で落ち着いた碧鈴の一件だが、淳良チュンリャンの目に留まったことや本人のやる気がすこぶる高いおかげで、なんとか破綻せずにここまでこれている。今後に期待という形で、今しばらく見守るらしい。

「三日後は四華の儀ですか。気をつけてくださいね」

 暁明の顔はいつになく憂いを帯びている。曄琳は得心していると大きく頷く。

「大丈夫です。当日は裏方に徹しますから」
「そうしてください」
「少監はいつものように女官姿で参加ですか?」
「いえ、当日掖庭宮は特例で官人にも開かれるので、私もこのままの姿で参列します」

 とすると、当日はかなり大勢の出入りがあるのか。それほどの人数が一堂に会するのは壮観だろう。見てみたかったという気持ちもほんの少しだけある。

「曄琳」

 するりと横髪を払われた。憂愁を湛えた暁明の瞳がこちらを見下ろしている。

「四華の儀が終わりましたら、少しお時間をいただけませんか。話したいことがあります」
「……今ここで聞くのはいけませんか?」
「一段落した後の方がいいと思います」

 真摯な眼差しを前に頷くことしかできなかった。


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