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しおりを挟むアルマ・ダウデルトは両親に可愛がられた記憶がない。両親だけでなく、誰からも可愛がられたことはないかもしれない。
可愛がられないアルマは甘え方を知らずに育った。甘える相手もいなかった。
気づけばアルマは誰にも甘えない、愛嬌のない、可愛げのない少女となっていた。
両親は愛し合って結婚したわけではなく、けれど愛のない結婚なんて珍しくもなかったのだが、父はただ母を愛していなかったわけではなく、他に愛する女性がいたのだ。
父が愛するのはその女性ただ一人で、彼女を愛人として別荘に囲い、足繁く彼女のもとへ足を運んだ。
母も、母との間に産まれたアルマと兄も、父に愛されることはなかった。
そんな母は、兄にしか興味がなかった。父に愛されず、義務として兄を産み、けれど父から関心を向けられることはなく、そんな母の心の支えが兄だった。心の穴を埋めるように兄を溺愛した。
その数年後、母はもう一人子供をと父にせがんだ。子供が一人きりでは不安だったのだ。もし失うことになれば、母は心の拠り所がなくなってしまう。だからどうしてもと父に縋り、強引に二人目を産んだ。
弟が欲しかったのに、産まれたのは妹のアルマだった。
だから母はがっかりして、アルマを兄のように可愛がってはくれなかった。
もちろん父も、アルマには無関心だった。
アルマを育ててくれたのは乳母で、けれど乳母でしかない彼女も本当の娘のようにアルマを可愛がってくれることはない。
そんな環境で、アルマは甘えることを知らずに育った。
アルマが産まれてから更に数年後のことだった。
父と愛人の間に子供が産まれた。
あまり体が強くなかった愛人は、子供を産んで一年後に亡くなった。
愛する女性を亡くした父は嘆き悲しみ、彼女の残した彼女にそっくりな我が子を溺愛した。
そして、アルマが腹違いの妹になるその子にはじめて出会ったのは、アルマが十歳、彼女が五歳のときだった。
妹のリーゼロッテが、父に自分の兄姉に会ってみたいと頼んだのだ。彼女を心底可愛がっている父は彼女の頼みを叶えるため、アルマと兄を彼女が暮らす別荘へと連れていった。
愛人を囲っていた別荘で、そのままリーゼロッテは暮らしている。父が信用できる優秀な使用人だけを揃え、リーゼロッテの世話をさせていた。
アルマと兄は別荘の前で馬車を下り、そして外で待っていたリーゼロッテと対面した。
アルマはリーゼロッテを見て衝撃を受けた。
こんな可愛らしい生き物がいるなんて。この世のものとは思えないほど、彼女は可愛かった。
花が綻ぶような笑顔。鈴を転がしたような笑い声。
彼女の発する言葉、仕草の一つ一つがまるで妖精や天使のような愛らしさだ。
同じ妹であるアルマを可愛がってくれたことのない兄も、初対面のリーゼロッテは可愛がった。彼女の頭を撫で優しく笑いかける兄を見て驚いた。アルマは兄に頭を撫でてもらったことなどない。
けれど、それはアルマがうまく甘えられないせいでもある。アルマは兄に頭を撫でられたらどうしていいかわからずただ硬直するだけだろう。リーゼロッテのように、あんな嬉しそうな笑顔で声を立てて笑うなんて、そんな反応は絶対にできない。
だから兄はアルマを可愛がらないし、アルマも兄に甘えない。同じ屋敷で暮らしながらアルマと兄は殆ど関わることなどなかった。
リーゼロッテを可愛がる兄を見ても、アルマが怒りだとか悲しみだとかを感じることはなかった。
兄の気持ちはよくわかった。
リーゼロッテは可愛がりたいと人に思わせる魅力を持っている。愛らしくて、可愛がらずにはいられないのだ。
彼女は嫌がらず素直に甘えてくれるから、余計に甘やかし可愛がりたいという感情が湧いてくる。
それは彼女の才能だろう。
愛人との間に産まれた子供でありながら、周りから充分に愛され育ってきた。使用人もほんの数人だが、常にリーゼロッテを気遣い彼女によくよく気を配っているのがわかる。
リーゼロッテの周りは幸福で満ちていた。
アルマとは正反対だ。
リーゼロッテを妬ましいとか、憎らしいとは思わない。
ただただ、甘えられる彼女が、甘やかしてくれる存在のいる彼女が、羨ましかった。
リーゼロッテとの出会いはアルマの感情を激しく揺さぶりはしたが、それでアルマになんらかの変化があったわけではない。両親や兄のアルマに対する態度もなにも変わらないし、リーゼロッテを羨ましがるだけでアルマが変われるわけでもなく、可愛げというものが芽生えることなくアルマは成長した。
そんなアルマは、ある日エーベルヴァイン家の屋敷へと連れていかれた。
そこで紹介されたのが長男のヴェルナーだ。彼は父が決めたアルマの婚約者だった。
艶やかな黒髪に、綺麗な紫紺の瞳。甘い容姿に柔らかい雰囲気を持つ青年だ。
にこりと浮かべる屈託のない彼の笑顔を見ると、リーゼロッテを思い出した。
対してアルマは、ほんの僅かに口角を上げる、可愛らしさの感じられない笑みしか浮かべられない。
褒められてもリーゼロッテのように喜べない。話を振られても気の利いた言葉を返せない。
自分でもつまらない女だと思った。
ヴェルナーは尚更そう感じただろう。
つまらない女の相手をさせられ、そしてその女と結婚することになるのだ。
彼はさぞかしガッカリしたことだろう。
けれどそんなことはおくびにも出さず、ヴェルナーは決して笑顔を絶やさなかった。穏やかな態度を崩すことなく、アルマに庭を案内してくれた。
庭を歩いていたアルマは、痛みに耐えきれずくずおれそうになってしまう。傾くアルマの体を、隣にいたヴェルナーが素早く支えてくれた。
「す、すみません……」
慌てて彼から離れようとするが、足が痛くてできなかった。
アルマは顔を歪めてしまい、それに気づいたヴェルナーがアルマを近くのベンチに座らせた。
身を屈め、ヴェルナーはアルマの顔を覗き込む。
「どこが痛むの?」
「い、いえ、そんな……」
「正直に話して」
誤魔化しは許さないというような強い眼差しに見つめられ、アルマは躊躇いがちに口を開いた。
「右足が、靴擦れで……」
言った途端、ヴェルナーはアルマの足元に膝をついた。そしてそっと右足を持ち上げ、靴を脱がせる。
アルマはギョッとした。
「ヴェ、ヴェルナー様、いけません、そんな……」
彼にこんなことをさせてはいけないと足を引こうとするが、彼は離してくれない。触れる手付きは労りに満ちていて優しいが、がっちりと足首を掴んで傷を確認する。
「血が出てる……。こんな風になるまで我慢していたの? 痛いのなら、言ってくれればよかったのに」
「申し訳、ありません……」
アルマは目を伏せた。
庭を歩くくらいなら我慢できると思っていた。我慢しなければいけなかったのに、こうして迷惑をかけることになってしまった。
アルマは自分が我慢することでやり過ごせることならば、我慢することを選ぶ。靴擦れ程度ならば我慢して、帰ってから手当てをすればいいと考えた。
けれど結局、我慢できずこんなことになってしまった。
自分の判断ミスにアルマは落ち込んだ。
肩を落とすアルマに、ヴェルナーは緩く首を横に振る。
「いや、ごめん……。俺が気づいてあげられなかったせいだ。血が出るまで歩かせて、ごめん」
「いえ、ヴェルナー様のせいではありません」
辛そうに眉を寄せるヴェルナーは、本当にアルマを心配しているように見える。
心配してくれるのはありがたいことではあるのだが、そろそろ足を離してほしい。初対面の男性に素足に触れられるなんて、痛みよりも恥ずかしさが増していく。しかもスカートが捲れてふくらはぎまで露出してしまっている。
自分のはしたない格好を自覚し、一気に顔に血が上る。
アルマはそれ以上スカートが乱れないようぎゅうっと押さえてヴェルナーに訴えた。
「あ、あのっ、大丈夫ですから、もう、離してください……っ」
顔を真っ赤にして懇願するアルマを、ヴェルナーはじっと見つめた。
「……ダメだよ、ちゃんと手当てしないと」
そう言って彼は取り出したハンカチで傷口を押さえる。
「あっ、い、いけません、私のハンカチを使ってくださいっ」
「そんなこと気にしなくていいから。ほら、暴れないでじっとして」
ヴェルナーは先程までアルマを心から心配していた様子だったのに、今ではなんだか楽しげにアルマを見つめている。
「ごめんね、こんな綺麗な足に傷を作ることになってしまって」
「ひゃぁっ……」
するりと足の甲を指で撫でられ、思わずはしたない声を上げてしまった。
アルマは羞恥に瞳を潤ませ、慌てて口を塞ぐ。
そんなアルマを見て、ヴェルナーは怪しく微笑んだ。
「ああ、ごめん。擽ったかった?」
「ヴェ、ルナー、さま、もう、手を離し……っ」
「敏感なんだ。こっちも擽ったいかな?」
「ひゃうっ」
つう……っとふくらはぎを指で撫で上げられ、また変な声が出てしまう。
完全に遊ばれていると気づいたアルマは、耳まで赤くして、潤んだ瞳でヴェルナーを睨み付けた。
睨まれているヴェルナーは、悪びれもせずどこかうっとりと目を細めている。
「ヴェルナー様……!!」
「ごめんごめん、君の反応がとても可愛いものだから」
「っえ……」
「君はとっても可愛らしい人なんだね」
言われたことの意味をすぐに理解できなかった。
この人は今、自分に可愛いと言ったのだろうか。
そんなはずはない。
可愛げがないと言われるならわかるけれど、アルマのどこを見て、誰が可愛いと思うのだ。
「か、からかわないでくださいっ」
アルマはヴェルナーの言葉を本気にしない。冗談なんて言われても、それに乗っかることもできない。どう反応していいかわからない。
「からかってなんていないよ。本気で可愛いと思ったからそう言っただけだ」
「っ……」
「君は可愛いよ、アルマ。君みたいな可愛い子が俺の婚約者だなんて、本当に嬉しいよ」
まるで本気で言っているかのように、ヴェルナーの笑顔は輝いていた。
アルマはぐっと掌を握り締めた。
真に受けてはいけない。本気にしてはいけない。
自分に言い聞かせる。
この人はきっと、誰にでも簡単にこういうことを言うのだ。自然に甘い言葉を囁ける人なのだ。
自分に全く可愛げがないことは、自分が一番よくわかっている。
彼の言葉は本心ではない。ただの社交辞令に過ぎない。
こんな言葉を向けられるべきなのは、リーゼロッテのような少女だ。
アルマには到底似つかわしくない。
彼の微笑みは甘く、見惚れるほどに綺麗で、見れば見るほど自分は彼に相応しくないとアルマは思った。
彼に似合うのは、妹のように可愛らしい女性だ。
決して自分ではない。
激しく揺さぶられる心を落ち着けようと、アルマは躍起になって彼の甘い囁きを頭から追い払った。
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読んでくださってありがとうございます。
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