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しおりを挟むマルクスは馬車に乗り、セルマがいる場所へ急いだ。
屋敷には戻らず、このまま彼女を隣国へ連れていこう。マルクスはそう考えていた。
思いつきではなく、ずっと隣国で暮らすための準備を進めていたのだ。
行方不明だったセルマと再会したあの日。人前に姿を見せられなくなってしまった彼女が、気兼ねなく暮らせる環境を整えなくてはならないと、その時からマルクスは考えていた。
マルクスは学生時代、当時使えなくなっていたいくつかの古代魔法の術式を解明していた。その解明した術式を古代魔法の研究所に買い取ってもらった。
そうして得た金で、隣国の、人が近づくことのない森の中に家を建てる事にした。丁度その時、隣国の研究所から研究員を一人派遣してほしいという要請が届いていた。マルクスは自分に行かせてほしいとそれに立候補した。
仕事を理由にすれば、国を離れても不審に思われる事はない。夫婦になってしまえば、妻であるセルマを一緒に連れていく事も当然の事として受け入れられる。
隣国へ行けば、家族にも干渉される事はなくなる。今、屋敷で働いている使用人には新しい職場を提供し、新しい家ではマルクスとセルマの二人きりで生活するのだ。
そうすれば、人目を気にする必要もなくなる。それならセルマも傍にいてくれるはずだ。少なくとも、何が何でも離れなくてはならないとは思わなくなるだろう。
金を積んで優秀な人材を雇い、短期間で家を建ててもらった。家の壁には窓を付けないでほしいと頼んでいた。
あの姿になってから、セルマは自分で自分の姿を見るのを嫌がっている。窓ガラスに映る自分の姿を見てしまわないよう、魔法で調節可能な窓を屋根に付けた。
セルマが過ごしやすいように。彼女が心穏やかに楽しく暮らせるように。その為の家だ。
家が完成し、必要な家具も全て揃えた。その身一つでここへ来てもすぐに生活できるように整えておいた。もちろん鏡は一つもない。
引っ越し先の準備は既に終わっていた。後はこちらで諸々の手続きを済ませ屋敷の整理などを行うだけだった。
セルマが屋敷を抜け出したのは、そんな中で起きた事だった。
隣国への引っ越しの事をまだ伝えていない。彼女がもし嫌がったとしても、無理やりにでも連れていくつもりだった。
けれど、まさか記憶を失っているなんて予想外だった。だがそのお陰で、スムーズに事を運べた。
彼女は何の疑問も抱かずマルクスの言葉を信じ、マルクスとの生活を受け入れてくれた。
以前のように、屈託のない心からの笑顔を見せてくれるようになった。
二人きりの生活をはじめ、セルマの記憶が戻らないまま二ヶ月以上が過ぎた頃。
「それって……古代魔法について書かれているの?」
マルクスが家で仕事の資料を読んでいると、それを見たセルマが言った。
マルクスは僅かに驚いた。
「わかるの、セルマ?」
「え? ええ……」
記憶が戻ったわけではないようだ。古代魔法の事は思い出したわけではなく、元々記憶に残っていたのだろう。
「セルマも読む?」
「私が読んでもいいの? 仕事の資料でしょう?」
「構わないよ。セルマはね、学校で古代魔法の事を色々勉強していたんだ。放課後に図書室でたくさん古代魔法の本を読んでいたんだよ」
「そうだったの」
マルクスは懐かしむように目を細めた。
「うん。俺達も、古代魔法がきっかけで親しくなったんだ」
「え、本当?」
「本当だよ。セルマは古代魔法について調べて、知っていくのが好きだった。だからセルマが望むなら、古代魔法の本を持ってこようか」
「いいの?」
「もちろん」
「読みたいわ」
記憶は失っているが、古代魔法への興味は彼女の心に根強く残っているようだ。そう考えると古代魔法に嫉妬心が込み上げる。マルクスの事はすっかり忘れてしまったのに、古代魔法の事は覚えているのかと。
そんなどうしようもない事を考えながら、瞳を輝かせ資料を読み込むセルマを見つめる。
こうして古代魔法に触れる事で、もしかしたら彼女は記憶を取り戻すかもしれない。
正直なところ、セルマにとってどちらがいいのか判断がつかない。全てを思い出した方がいいのか、このまま全てを忘れたままの方がいいのか。
だから自然の成り行きに任せている。
マルクスは思い出しても思い出さなくてもどちらでもいいのだ。どちらにせよマルクスの彼女への思いは何も変わらないし、何が起きてももう絶対に彼女を離すつもりもない。
もしセルマが記憶を取り戻し、またマルクスから離れようとしても。
今度こそ、逃がさない。もう二度と離さない。
マルクスの視線に気づいたセルマが顔を上げる。何も知らない彼女は、ただ幸せそうに微笑んだ。
今日は、セルマとマルクスの結婚式だ。といっても形だけのもので、正式なものではない。
マルクスが言うには、セルマの両親に反対されたり、セルマが誘拐されたり、色々あって結婚式を挙げられなかったようだ。
形だけのものになってしまうけど俺と結婚式をしてほしいとマルクスに言われ、セルマはそれを快く受け入れた。
彼が用意してくれたウェディングドレスとベールは見惚れるほどに美しいものだった。身に付けるのも緊張する。彼に手伝ってもらいそれを身に纏う。
そしてマルクスの着替えをセルマが手伝う。タキシードは彼にとても似合っていた。ずっと見つめていたいくらい素敵で、でも見つめているとあまりにも素敵すぎてくらくらしてくる。
髪も整えて、綺麗に着飾った二人は外へ出る。
陽が降り注ぎ、緑がキラキラと輝いている。まるで祝福されているようだとセルマは思った。
美しい緑に囲まれた、二人だけの結婚式。他には誰もいない。祝いの声も、拍手もない。でもセルマはマルクスがいてくれるならそれでよかった。
二人は向かい合い、見つめ合う。ここにいるのは二人だけ。神ではなく互いが互いに愛を誓い合う。
「愛してるよ、セルマ。たとえ死んでも。どんな姿になっても。俺は君を愛し続けると誓うよ」
「私も誓うわ、マルクス。貴方を、貴方だけを、ずっとずっと愛してる」
セルマの顔を覆うベールが上げられる。
二人は誓いの口づけを交わした。
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