泡になれない人魚姫

円寺える

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第1話

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 時は経ち、一華は高校生になった。
 当時の髪型は今も維持しており、周囲からはおかっぱ頭だと揶揄われることが多いが、そこまで重たい髪をしているわけではない。美容院では梳いてもらっているので、お洒落なおかっぱと表す方が正しいと一華は思っている。

 高校に入学してから最初の秋は一瞬で終わり、教室では暖房を使用し始めている。
 室内は暑いくらいで、ブレザーを椅子に掛けて休憩時間を過ごしていた。

「一華、見ろよこのCM」

 幼馴染の翔真とはどういう縁か、隣の席だった。
 家が近所にあり毎朝一緒に登校している。そして更に席が隣であることには運命を感じる。

 翔真はセーターではなくパーカーを着ているが、校則違反であることは周囲も承知している。それでもパーカーを着る理由は、恰好いいから、モテたいから、それ以外になかった。
 教員は注意をするだけで、脱げとは言わない。進学校を謳っている高校ではないので、校則違反の生徒が居ようと、さほど問題視していなかった。

「あ、わたしそれ知ってる。最近流行ってるCMでしょ」
「確かに、よく見かけるな。香水のCMだっけ」

 小学生の頃から一番の親友である麗奈と、麗奈の幼馴染である流星は一華の前の席だった。一華の前が麗奈であり、翔真の前が流星という並びで席に座っている。
 流星とは高校に入学して初めて出会ったので、この中では一番気を遣う仲だ。

「なんなの、これ」
「一華知らねえのかよ。最近流行ってる香水のCM。見ろよ、この女優の人魚コス可愛すぎね?」

 翔真はスマートフォンで人魚に扮した女優が香水を持っているCMを一華に見せた。
 一華以外の三人はこのCMを知っているが、一華は初見だった。

 人魚姿の女優は美しく、本当に人魚がいるならこんな姿なのだろうと翔真は頬を緩ませながら魅入っていた。
 一華は険しい顔をすると、嘲笑するように鼻で笑った。

 祖母は一華が人魚の子孫だと吹き込んでくるが、一華は半信半疑だった。
 どうせ作り話だろう。
 真に受けた奴が今まで語り継いできた、それが真相ではないのか。そう思うも、人魚がいたという証拠はなく、いないという証拠もないため、祖母の話を真に受けることも全否定することもしなかった。
 ただ、人魚なんて御伽噺に出てくる架空の人物という思いは強かった。

「一華、お前もこんな綺麗な女になれたらよかったのに、どこで道を間違えたんだか」
「あんた、そのブッサイクな顔で何言ってんのよ」
「お、俺のどこがブスだよ!」

 口を開けば言い合いになり、麗奈が宥めに入る。それがよくある光景だった。
 いつの間にかCMの話は終わり、日直の翔真と麗奈は担任に呼ばれ、一華と流星が席に残った。

 一華は流星と二人きりの時間が苦手だった。
 知り合って一年が経とうとしているが、どうも居心地が悪い。
 翔真と違い、穏やかで怒らない。何をされても許す、そんなイメージが強い。
 翔真とずっと一緒にいた一華は、正反対な流星との接し方が未だに分からないでいた。

 一華より頭一個分以上大きい流星は、気まずそうにしている一華を見下ろして口を開いた。

「さっきのCMだけど」
「うん?」
「一華ちゃん、あの女優嫌いなの?」
「な、なんで?」
「鼻で笑ってたでしょ」

 怒っているわけではない、揶揄っているわけでもない、穏やかな表情でただ自分が見た事実を述べているだけの流星を見て、やはり居心地が悪いなと再認識する。

「女優じゃなくて、人魚が好きじゃない」
「どうして?」
「…なんとなく」

 物心ついた頃から、一華は人魚姫の子孫だと言い聞かされていたからか、今では避けたい話題だった。
 最初こそ、自分は人魚姫の子孫なんだと喜んでいたが、成長するにつれ、本当かと疑い始めた。それが続くと、本当かどうかなんてどうでもいいから、その話はもう結構、という態度をとるようになった。
 人魚の話は聞き飽き、お腹いっぱいだった。

「そっか」

 特に何かを言うでもなく、笑って終わり。そんな流星は、コミュニケーション能力が高いのか低いのか、よく分からない。
 もっと会話を続けようとか、そういう意思は感じられない。
 この話はもう終わり。笑顔がそう主張している。

「あ、午後に数学あるよね。一華ちゃんは宿題やった?」
「あー、やってない」
「そうだと思った。写す?」
「うん」

 クラスで一番頭が良く、宿題をやらなかった時は三人で写させてもらっている。
 普通なら、こういう場合は写させないのではないか。自分の学力を向上させるためにやるべきものなのに、写すかと聞くのはどうかと思う。
 しかし、写して良いと本人が言うので一華は毎度有難く全部写している。

「流星は変わってるよね」
「それ、一華ちゃんしか言わない」

 皆は俺のこと優しいって言うんだよ、と付け加える流星を無視し、差し出された数学のプリントを見ながら自分のプリントに書き込んでいった。

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