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第一部
28.過去を見る者、今を見る者
しおりを挟む「一体ッ、どこまで知っているの、貴方」
怒りに打ち震えながらも、しかし無表情のまま目を見開いてこちらを見下ろしてくる王妃の瞳には、かすかな悲しみの色が浮かんでいた。
王妃に何があったかをヴェルナが知ったのは、ほんの十数分前。
国王が『話をしたい』と、ヴェルナのもとを訪れたからだった。
***
「王妃は、先代国王、つまり、私の父が街で起こした事件の被害者なのだ」
滔々と語る国王の言葉をヴェルナは黙って聞いていた。一体何を聞かされているんだと思わなくもなかったが、今回の事件とも呼べる王妃の暴挙には理由がある、と王が言うから聞くしかなかった。
「まだ十五に満たない彼女には成す術がなかった。父が起こした発情に巻き込まれ、望まぬ形で父と番になってしまった。だが謝るわけでもなく、あまつさえ、父はそれをなかった事にした。ウィリアの家族と、彼女が将来を約束していた相手を金で買収し、彼女を後宮に閉じ込めることで、彼女の存在も事件もなかった事にした」
なんてひどい話だろうか。
フィニは思い切り顔を顰めていたし、実際ヴェルナも眉を寄せた。仕方なかった、では片付けられない非道な行為だ。Ωの尊厳をこれほどまでに踏み躙る行為を、いとも容易く、しかも一国の王がしていたなんて。にわかには信じがたい。国王の口から語られるものでなければ、とんだ与太話だ、と片付けられていただろう。
尚も王は続けた。
「自由を奪われる代わりに、ウィリアにはすべてが与えられた。そのことを私は母から聞いた」
「……だからなんだというのです? それを私に話して何の意味が?」
思ったよりも冷たい言葉が出た。しかし実際言葉の通りの感想を抱いた。
ウィリア王妃が残虐非道な扱いを受けた。それは事実で真実なのだろう。しかし、だからといって同じことを他人にしていいわけがない。彼女が過去どれだけ深く辛い傷を負ったとしても、他人に同じ傷を負わせることが赦されていい筈がない。そんなことが赦されるなら、世界に法と言うものは存在しないのだから。
さらに言えばその事実を聞かせて、だからなんだというのだ。彼女は可哀そうだ、だから彼女を許してくれ、とでも言うつもりなのだろうか。そもそも、だ。その謝罪は自分ではなくもっと別の人間に向けられるものであるはずなのに。
押し黙っている国王に、嗚呼、とさらに言葉を投げかける。
「彼女のことを許してくれ、と仰るのであればお門違いですよ。許すも何も私は王妃殿下に何の感情も抱いていません。彼女に厳罰を与えてくれとも思いませんし、何かしらの罰を下せとも思っていません」
「では、此度のことは不問にする、と言う事か?」
「それはそちらの問題です。私は一介の踊り子であり、王族に口を出せるような立場におりませんので」
これで話は終わりだ、と思っていた。それなのに、いや、という国王の声がそれを止めた。
「そなたは一介の踊り子ではない。少なくとも私にとっては」
「……どういう意味です?」
思わず低い声を出したヴェルナの前に、国王が跪く。まさかそんなことをされるとは思っていなかったせいで、一瞬反応が遅れた。
「私は、そなたの母、ウル皇国皇帝ラティナと『ヴェルナを見守る』という盟約を交わした身だ」
大きく目を見開く。そんな素振りは少しも感じなかった。てっきりウルの皇族であると気付いていないと思っていたのに。いや『見守る』という盟約の上であえて声を掛けないようにしていた、ということだろうか。
二の句が継げないヴェルナをそのままに、国王は続けた。
「その盟約を意図的ではなくとも破った。国の王同士の盟約を破ることは死罪と同義。何かしらの落とし前をつけなければならない。だから、ヴェルナ。そなたは無関係ではないのだ」
そんなことを急に言われても、ヴェルナ自身どうしたらいいのか分からない。実際問題、王妃に厳罰を望んでいるか、と言われればさっきの言葉通り答えは否だ。彼女がこれ以上危害を加えてこないならそれでいい。ただ、彼女の何がここまでさせるのかは気になるところではあるけれど。
「本来ならば王妃を絞首刑にするべきだとも分かっている。しかし出来ることなら、私はその道を避けたい。王妃を守りたい。そして彼女に私の隣にあってほしい。都合の良い手前勝手な主張だとは重々承知している。だが、どうか、どうか王妃に恩情を与えてやってほしい」
頼む、と国王が深く頭を下げる。それを見ながら、彼がここまで来た理由が何となく分かった気がした。小さく漏れた笑いをそのままに、口を動かす。
「国王は、王妃殿下を愛しておられるのですね」
ぱっと国王の顔が上がった。
普通ならばここまでしない。王妃に対して愛がなければ、自分の命惜しさに真っ先に王妃を差し出す。しかし国王はわざわざこうして足を運び、位的にも立場的にも低いヴェルナに頭を下げて恩情を乞うた。実直で、些か愚かではある。だが、そんな国王をヴェルナは嫌いにはなれなかった。まるでミュトラを見ているようだったから。
「先程も申し上げましたが、私は王妃への厳罰は望んでいません。それよりも私の大事な人たちの安全を保証される方が余程嬉しい。ただ、国王、貴方は思い違いをしている。守るとは、王妃が起こしたすべてを許すことではありません。彼女が道を踏み外さないように支えることだ。それを貴方は怠った。故に、今の彼女があり、彼女の犠牲になった人がいる。それは貴方の業だ」
「……ああ、そなたの言う通りだ」
「ですから約束してください。もう二度と私や、今まで犠牲になった人々のような方を生み出さないと」
「最大限の努力をするつもりだ」
「そのお言葉、しかと私と私の付き人がお聞きしましたよ」
***
そんな話をした後だからこそ、分かることがあった。
王妃は彼女自身が負い目を深く感じすぎているが故に、大事なものを見落としている。
「答えなさい! どこまで知っているの!」
冷静さを欠いた金切り声。意識を戻して王妃を見ながら告げる。
「全てです。貴方が先代国王にされたことも、それから貴方がどのように過ごしてきたのかも」
ぎりっと奥歯を噛む音が聞こえた。
彼女は何かを言いたいようだったが、言葉が出てこないらしい。
「きっと想像を絶する苦悩と怒りがあったのでしょうね。こうして未だに行きどころのない怒りを持ち続けてしまうくらいには」
過去の出来事への怒りを手放せず、囚われたまま、そこから一歩も動けていないのだ。
だからこそ、何度も同じことを繰り返そうとする。それに、彼女自身が気付いているかはわからないが。もしかすると、誰かを同じ目に遭わせてその行動をみることで、自分が過去どうするのが正解だったのかを知ろうとしているのかもしれない。
だまりなさい、と小さな声が聞こえた。
それにも構わず、続ける。
「しかしどんなにひどい過去があろうと、他人を同じ目に遭わせていい理由にはなりません。過去は変えられない。過去ばかり見ていては大事なことにも気付けなくなる」
「黙りなさい!!」
聞きたくない、と言いたげに王妃は両耳を覆った。そのまま捲し立てられる。
「貴方のように恵まれている子には一生分からないわ! 私がどんなに苦しんだかなんて分かるはずない! 知りもしないくせに綺麗事ばかり言わないでちょうだい! 貴方はただ運が良かっただけ! 恵まれていただけよ!」
「その通りですね。でも貴女も覚えておいた方が良い。貴女自身が蒔いた種はいずれ芽吹き、大きくなって貴女の首を絞めることになる」
追い打ちをかけたヴェルナに、王妃が反射的に手を上げる。ヴェルナはそれを止めなかった。そのまま振り抜かれた手のひらが、頬を打つ。乾いた音と、じんとした痛みが広がっていく。
ヴェルナはそれでも王妃から目を離さなかった。
「少しは気が晴れましたか?」
怒るどころか冷静に問いかけたヴェルナに、王妃は半歩後ずさりした。
「どうして…! 何故怒らないの!? 何故!?」
それはまるで、ヴェルナが怒りに身をやつすのを待っているかのような言葉だった。
そうだろうな、とヴェルナは思う。
きっと王妃は自分と同じになって欲しかったのだろうと思う。踊り子として自由の身を謳歌しているヴェルナが、まだ理不尽に晒されていなかった頃の彼女自身に重なって見えたのだろう。だからこそ妬ましく、尊厳と矜持をへし折ってやりたかったに違いない。かつての彼女がそうされたように。そうして、怒りに苛まれて自分と瓜二つになるのを見たかったのだろう。
あくまで憶測であって、真実は分からないが。
しかし身を焼かれるほどの怒りを、ヴェルナはすでに経験し、それを昇華している。祖国が滅びたあの日に、時を忘れるほどに踊りを続けたことによって。
あの経験がなければ、きっとヴェルナもまた、何故、と繰り返す目の前の王妃のようになっていたかもしれない。
壊れかけの人形のようになってしまった王妃を哀れに思いつつも、ヴェルナは立ち上がり拝礼する。
「怒りに囚われていては見えるものも見えなくなります。どうか、聡明な御心を取り戻されますようお祈り申し上げます。――国王陛下、後はお願いします」
その言葉と共に医務室の寝台の陰に隠れていた国王が姿を現す。王妃は、あ、と声を漏らした以上のことは語らなかった。国王とその護衛に連れられていく王妃の背中が、扉の向こうに消えた頃、医務室にはやっと静寂が戻ったのであった。
ふーっと息を吐いて、もう一度腰掛けに体を預ける。すかさずフィニが寄ってきて、水で満たされた杯を渡してくれた。
「ヴェルナ様、お疲れさまでした」
「ああ、フィニ。ありがとうな」
「見事な啖呵でしたね」
「そうかぁ? 好き勝手に言っちゃったから首絞められるんじゃないかって内心ヒヤヒヤしたよ」
肩を竦めればフィニに小さく笑われた。それを横目に、一気に水を飲み干す。
あとは国王と王妃自身が解決すべきことだ。彼女の戦意はすでに喪失しているだろうし、危害を加えられることもないだろう。謝罪が欲しいとも思っていない今、後のことは国王に任せるしかない。所詮自分は部外者だ。これ以上出来ることはない。外側から見て言えることは言った。受け入れるかどうかは王妃次第だ。
それに、明日には王宮を発つ、と伝えている。派手な見送りもお断りした。
やることはすべて終えた。あとは。
そう考えたところで最初に浮かんだのは、想い人の顔だった。ふっと笑う。彼に任せる、と言ったのに期待している自分。気付かなくてもいい、と言った心も勿論本心だが、気付いてほしいと思うのもまた本心だ。ゆらゆらと揺れる天秤のように、二つの想いが平衡を取れずにいる。どういう形になったとしても、少しの悔いはどちらにも生じる。そして、しばらくは吹っ切れるのは難しいだろう。
どちらにせよ、ヴェルナにこの国に残るという選択肢はない。
賽はすでに自ら投げた。
回り始めた歯車はもう止められない。
ま、そん時はそん時だ。気楽にいこう。
そんな軽い気持ちを後押しするように、肺に溜まった空気をすべて空中に吐き出して笑った。
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