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殿田
①
しおりを挟む「なぜ開かないんだ!」
小太りの男が、握りしめた拳を壁に叩きつけていた。
その壁には埋込式の金庫があって、鍵の刺さった鍵穴の他に、ダイアル式のカギが二つついている。それを忌々しそうに見つめた小太りの男は、ギリッ、と奥歯を噛み締めた。
「どいつもこいつも、俺をバカにしやがって」
どこにもやれない怒りをぶつけるように、その金庫の戸を足で蹴飛ばした小太りの男は、踵を返して何処かへ行ってしまった。
***
ハッと目を覚ます。
見開いた瞼の先に見えたのは、最近よく見るようになった柑子色にそまる天井の木目。
此処に来てから、元いた世界の時間でどのくらい経ったのだろう。定かではないけれど、少なくとも七回は眠った。
これまでは夢を見ることはなかったけれど、今日はどうやら違ったらしい。
あの小太りの男の人、何処かで見たことがあるような。
首を捻ってみるが、思い出せそうで思い出せなかった。
『キエン』で手伝いを始めてからの客の顔はだいたい覚えている。
だが、誰とも当てはまらない。あの人だ、と夢の中では思ったはずなのに、今ではもう靄がかってちゃんとその顔を思い出せなかった。でも絶対に会った事が在るはずなのに。うーんうーん、と数分頭を捻っていたもの、答えがでなくて諦める。
まあただの夢で会ったような気がしただけかもしれないし、と深く考えることなく、ベッドから立ち上がって、いつものように黒いエプロンを腰に巻いた。
軽い調子で階段を下って、店へと通じる扉を開いたのと、店の入り口の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。
普段はカラカラと穏やかに開く扉が、乱暴に開けられて大きな音を立てる。その扉から、鼻息荒く入ってきたのは、一人の小太りの男。
ユージローの口から、あ、と声が漏れる。
その小太りの男の顔を、ついさっき夢で見たばかりだったからだ。
声を上げてしまったユージローに、小太りの男はジロリと鋭い目を向けてきた。随分と怒っている。怒っている、と本人が言ったわけではないけれど、もうピリピリと肌を刺す空気が伝わってきたし、何よりもカウンターに置かれた握りこぶしが震えていた。
「い、いらっしゃいませ」
引き攣った笑みのままそう言うと、小太りの男は無言のまま、ふてぶてしい態度で椅子へと座った。
いつもコーリが作業している座卓に、彼の姿はない。
寝床にも居なかったのに、一体何処に行ってしまったのか。
トントントン、と規則的にカウンターを叩く音が聞こえて、そちらに顔を向ければ、小太りの男がカウンターに乗せた指先を早くしろ、と言わんばかりに動かしている。
何処行っちゃったんだ、コーリさん。
出そうになった溜め息をどうにか喉の奥で飲み込んで、愛想笑いを浮かべながらカウンターまでたどり着く。
小太りの男は、目の前にユージローが来たのにも関わらず、一瞥しただけで自己紹介も要件すら口に出すこともなくふてぶてしく指でカウンターを打ち続けている。
「あ、あの」
恐る恐る声を掛ける。
小太りの男の頭には、赤字で『デンダ』と書かれていた。何処ともなく視線を投げていたデンダが、やっとユージローを見る。視線が合った瞬間に、音もなく目が細くなったのをユージローは見た。
「本日はどういったご要件でしょうか?」
どうにか笑顔で言えたものの、嫌な予感が体中を這い回っている。
今まで気づかなかったけれど、よくよく見ればこの男は、初めて此処に来た時コーリと言い争っていた男だ。コーリの胸ぐらを掴んで、怒鳴り散らしていた男。夢に既視感を覚えたのは、偶然でも気の所為でもなかったのだ。また来る、と言った言葉の通り、彼はもう一度此処にやってきたのだろう。
「キミは此処の新しい従業員かね?」
デンダは、それはそれは意地の悪い顔をしていた。
まるで仕事の出来ない部下を虐め抜く上司のような、悪意に満ちた顔をしていた。俺が優位に立っているから何を言っても構わない、と彼の態度が言っているような気がして、ぎゅっと体の横にぶら下げた手をぎゅっと握りしめた。
「最近お世話になっている者です」
慎重に言葉を選んで、ゆっくりとそう伝えた。
なるほど、と大げさに頷いたデンダは、カウンターに置いていた手を顎にやって緩く撫でる。勿体ぶった態度だった。もう既に言うことは決まっているのに、わざと間をとっているように、ユージローには感じられた。
「ワタシも此処で最近カギを作ってもらったのだけどね、全然使えないんだ。たかが金庫のカギだというのに『どんな鍵でも作り〼』なんて言っておいて、開かないのだよ。ガラクタを寄越されたってわけさ。可怪しいと思わないかい?」
やれやれとわざとらしく肩を竦めたデンダは、ユージローに顔を寄せると、両端が弓なりに持ち上がった口を更に動かす。
「キミも騙されてるんじゃないのかと思ってね。さっさとこんなところはやめたほうがキミのためだとワタシは思うよ」
彼は一体何を、言っているのだろう。
キミのため、なんてどの口が言うんだろう。
ユージローはこの『キエン』という店を、深くは知らない。
まだ此処に来たばかりだし、コーリと客が話すことにコッソリと聞き耳を立てているだけで、店のことをコーリやヤマセにまだきちんと聞いていないからだ。
しかし、コーリが黙々と鍵を作っている後ろ姿を知っている。
コーリは、どんなに顔が煤だらけになろうと、どんなに爪の中に煤が入ろうと、真摯に一本の鍵に向き合っている。鍵の作り方を何も知らないユージローが見ても、その真剣さは伝わってくる。店の天井にぶら下がる鍵が奏でる音の隙間を縫って、コーリが納得できるまで鍵を研磨する音が聞こえてくる。
そんな彼が作るモノを、ガラクタ呼ばわりするなんて。
腸が煮えくり返るような熱が、体中を駆け巡る。
絶対に引き下がれない。そう思った。
「デンダさん」
名前を呼んだユージローが纏うただならぬ空気に驚いたのか、デンダの瞳が大きく見開かれた。
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