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 ダンジョン攻略が進む前、国は豊かではなかった。
 国土の南方は砂漠であり、敵対する亜人族が領土としていた。
 砂漠に進出しようとしなければ向こうが襲って来ることはない為、防壁を築き、互いの平和の為の区切りとした。
 特産と言えるような物は何もなく、アルスタイン国から入って来る宝石や鉄鉱石、魔道具は全て他国の特産品である。
 こちらから出せるのはダンジョンや森林に沸く魔獣から得る魔石や素材であるが、魔石も当時は弱い魔力を通す石しかなく、宝石の一種として見なされており、価値は低かった。
 民は真面目に働けば食うことだけには困らなかったが、全体としては貧しく、一部の貴族が富を独占する構図が長い間続いていた。
 ゆえに、王族は貴族の権力調整の為にも後宮にたくさんの美姫を迎え入れ、王子王女を数多く生み、王族という肩書きを持った「労働力」を多数必要としていた。
 他国と婚姻をして援助を得る駒としての王族、そして国内貴族との繋がりを得る為の王族。
 それまでダンジョンは国のお荷物でしかなかった。
 途中退出できる仕組みがなく、階層を進めても一度外に出てしまえばまた一階からスタートしなければならない為、冒険者達は倦厭し、各国の大森林等の魔獣の多い場所に赴いていたのである。
 だが転移装置の普及で、それが一変した。
 国の直轄領であるダンジョンの攻略が進み、貴重な魔石やアイテムを得ることができるようになった現在、王家は本来の権力を取り戻した。
 貴族に媚び、他国に媚びる必要がなくなったのだった。  
 ここ二十年ほどで、王家が率先して望まぬ政略結婚をしなくなった。
 貴族達に恋愛結婚を推奨するようになったのである。
 親同士の約束や他国との友好関係もある為、政略結婚がなくなったわけではないが、王族においては長い歴史の中で後宮に入る妃の人数も減り、新王に至っては王妃一人が妻である。
 新王の恋愛物語は国内で絶大な人気を誇り、劇や詩にもなっていた。
 ここ最近の流行は学園在学中に婚約者を見つけ、卒業後に結婚することである。
 卒業しても相手を見つけられなかった場合には、夜会やサロンに出入りして出会いを求めたり、親類縁者から見合いを勧められたりするのだった。
 サラやクリスも例に漏れず、英雄の子としていくつか婚約の打診はあったらしいが、「子供の自主性に任せます」と言って両親は全て断ったという。
 同年代の子息子女で、政略結婚をする、という話は少なかった。
 十六歳になる年、サラが学園に入学する時点で、冒険者ランクはBになっていた。
 兄のクリストファーは最高学年になり、Aランクへと上がっていた。王太子とともに最年少でのAランク到達であった。
 サラも最高学年に上がる頃にはAランクになりたいと願い、兄も協力を約束していた。
 冒険者ギルドでもバートン兄妹は有名であり、一目置かれる存在となっている。
 侯爵家のご令嬢はDランクで止まっていた。
 人海戦術でこなせるものは使用人達が行っていたが、本人が受けねばならない昇級試験でつまずくことになった。
 実践形式での試験は、同ランクのパーティーメンバー三名までで組んで、指定のモンスターを倒すという内容だったが、外泊が必要であった為、親に許可されずに受けられなかったのである。
 使用人を大量に引き連れた上に外泊が必要となると、父親である侯爵はいい顔をしなかったのであった。
 ご令嬢は不満だった。
 過保護だと訴えたのだが、「おまえは侯爵令嬢なのだから」と一蹴され、使用人達もまた「危険だから」と止めたのだった。
 一旦は引き下がり、そのうち様子を見てまた頼もうと思っていた矢先に、さらにご令嬢を打ちのめす事態が起こった。
 学園の入学試験で四位だったのだった。
 三位までに入らなければ、生徒会に入れない。
 そんな馬鹿な、とご令嬢は愕然と膝をついた。
 何かの間違いでは?とショックを受ける娘の内心など知らぬ両親は、「冒険者として活動していた分だけ、勉学が滞ったのだろう」と反論しにくい理由を挙げてきた。
 家庭教師から逃げたこともなければ、反抗的だったこともない。
 真面目に勉強をし、優秀であると褒め称えてきたのは両親も含めた周囲である。
 であるのに、まるで努力が足りなかったように言われて悲しかった。
「だが貴族令嬢で四位は十分上位じゃないか。貴族令息だってたくさん受けているのだから」
 そう言われても、ご令嬢は納得できなかった。
 生徒会に入れなければ王太子と接する機会が減る。
 なんとかしなければ、と焦るのだった。
 ご令嬢は自分が「悪役令嬢」と呼ばれる悪者になることを知っていた。
 異世界転生と呼ばれるものだ、と気づいたのは、ご令嬢が十歳の誕生日を迎えた時である。
 父親の顔、自分の名前、弟の名前…そしてこの国の名前、魔法や魔獣、ダンジョンの存在。
 前世日本と呼ばれる国の高校生だったご令嬢は、この世界が「乙女ゲーム」で遊んだ世界観に酷似していることに気がついた。そして学園の卒業イベントで断罪され、国外追放になる「悪役令嬢マーシャ・グレゴリ-」が自分であることを知ったのだった。
 未来を変える為、冒険者を目指した。
 貴族社会ではあるが、このゲームに政略の為の婚約はない。
 王太子や宰相の息子、騎士団総長の息子、隣国の王子、公爵令息、美形教師、冒険者ギルドのギルドマスターの息子を相手に、在学中に恋愛をして婚約まで持って行き、卒業して結婚、ハッピーエンドを目指すのである。
 ヒロインは男爵家の令嬢で、名誉騎士の娘である。自分で命名する為、名はない。
 王太子の側近候補の優秀な兄を持ち、兄をサポートキャラとして、様々な攻略対象との仲を深めていくゲームであった。
 悪役令嬢マーシャは対象を攻略する際にライバルとして現れ、様々な嫌がらせをしてくるのだが上手く乗り切って、卒業パーティーで断罪するのである。
 マーシャ本人としてはヒロインを虐めるつもりなどないし、国外追放になるつもりもなかったが、万が一を考えて冒険者として身を立てていけるよう、冒険者登録をして活動していたのであった。
 とはいえ、幼い頃王太子に一目惚れしてからは婚約者になりたいとずっと願っており、上位貴族の令嬢が王太子に気に入られないよう、さりげなく手を回して遠ざけたりもしていた。両親も娘の気持ちを知っており、王太子と婚約できるよう協力を惜しまなかった。他の貴族を押しのけ疎まれようとも、筆頭侯爵であるグレゴリー家は気にしない。
 ヒロインは家族から溺愛されて育ち、学園に入ってから、社会勉強の為冒険者登録をして活動することになっていた。
 兄はすでに冒険者として優秀であり、王太子の覚えもめでたく、幼い頃から王宮に出入りして共に剣の稽古をしたりする仲である。
 その兄に手伝ってもらいながら、冒険者ランクを上げ、魔法の才能に目覚め、自国で起こるスタンピードを抑え、攻略対象者と婚約してハッピーエンドになるのだった。
 マーシャは安心していた。
 ゲームの内容だと、学園入学から王太子の卒業までの間に色々な出来事があって仲を深めていくのだが、現実世界では、とてもじゃないが一年という短期間で冒険者ランクを上げ、スタンピード討伐に参加するのは無理である。
 兄にくっついて行動したとしても、実力不足であればスタンピードの討伐メンバーに選ばれることはない。選ばれなければ悪役令嬢に攻略対象を奪われて、別キャラを攻略することになるのだった。
 貴族令嬢で冒険者として活動する者はとても少ない。
 騎士家系のものか、よほど貧しいかでもない限り、望んでなろうというものではなかった。
 ただ魔法を使える貴族は女子といえども、いざというときの救護要員や護身の目的も兼ねて、一通りの戦闘を学園で学ぶことは必須である。
 だからこそヒロインもまた、甘やかされて育ち、学園に入ってから行動することになるのだった。
 一方学園に入学した男子は、Eランクになることが卒業資格として決められている。自領で魔獣が襲ってきた時には、指揮を取り戦わねばならないからだ。
 実際には私兵に任せて引っ込んでいる貴族が大多数ではあるが、建前として自身も戦闘することを要求されている。
 つまりは、薬草採集と、弱い魔獣の討伐をやっておけば上がる程度の資格であった。
 ただ、嫡男はともかく次男以下は己の将来の食い扶持を稼がねばならない為、在学中真剣に活動する生徒も一定数は存在した。
 ゆえに、冒険者の年齢層は学生が一番多く、上下に緩やかに減っていく。
 マーシャとヒロインが入学した一年後には、王太子が卒業する。
 この一年で決める、と、マーシャは決意していた。
 負けられない。
 悪役令嬢がヒロインにする嫌がらせは、少女漫画や乙女ゲームで言うところのいわゆる「テンプレ」のものである。ノートを破ったり、ドレスを破ったり、階段から突き落としたり悪い噂を流したりする。マーシャは決してそんな虐めはしないと誓っているが、誰かがヒロインを虐めた時、冤罪を被る可能性もないとは言えない。絶対に一人にはならない、と決めている。
 貴族子女は許可を得れば、メイドや護衛を一人ずつなら連れても良いことになっているので、マーシャは味方を連れ歩くことにしていた。
 親の権力を使って没落させようとするには、ヒロインの家は特殊すぎるのだ。
 親はどちらも英雄で、父親は先王からの信頼厚き名誉騎士。
 我が国最強の男であり、後ろ盾となるのは王家と騎士団、魔術師団である。
 最近得た領地は王家の直轄地であった場所で、どれだけ寵愛を受けているか推して知るべしである。冤罪で葬ろうものなら、下手をすればこちらが潰されかねないし、敵に回してしまえば自領の魔獣退治の戦力にも事欠くことになる。
 冒険者上がりの英雄は、冒険者達の支持も圧倒的なのだった。
 それに加えて、ダンジョン攻略が滞ることは世界の損失とも言えた。
 最前線に立って攻略を進めているのは、名誉騎士とその仲間達なのである。
 今のところ、名誉騎士の代わりになる者が存在しない。
 ゆえに、家には手出しできない。
 残りは本人になるのだが、兄は王太子の親友とも呼ぶべきポジションにいて、手出しは難しい。ヒロインがこれまた小説等でよく見かける、自らの可愛さのみを武器とするタイプの、非常識で頭の悪いお子様であることを祈るのみであった。
 合法的に相手の非常識を突き、勝手に自滅してくれるなら、これに勝る作戦はないのだった。
 ゲームではサポートしてくれる兄であったが、王太子に直接便宜を図ってくれるわけではない。
 兄はあくまで、親密度がどれくらいか、クエストを受けたときのヒント、イベントをこなしたときの達成度等を教えつつ、ヒロインの成長を促す存在であった。
 そろそろ冒険者ランクを上げようか、とアドバイスをしてくれたり、あとどれくらい敵を倒せばランクが上がりそうだね、と教えてくれたり。
 普通のRPGと呼ばれるゲームであれば、メニュー画面を開いてトロフィー達成度やクエストリストを確認すれば済むような話であるが、兄と多く会話をすることも、王太子とお近づきになるフラグになるのだった。
 兄か、とマーシャは思う。
 できれば味方に引き入れたいが、どうすればいいかは思いつかなかった。
 
 
 
 
 
 入学式前夜、サラと家族は揃って食堂で夕食を摂っていた。
 父は名誉騎士として王の背後に控え、護衛をするのが仕事である。言わば近衛騎士なのだが、王の寵愛厚き父は定刻に出勤し、そして定時に帰宅することが許されていた。
 王の公務の都合で変動することはあるが、基本的には規則正しい。
 それはすなわち、王自身も規則正しい勤務時間で働いているということでもあった。
 近衛騎士は交代勤務制であるが、父はそうではない。
 父が退勤できるということは、王もまた自室へと下がっているということであり、王宮の護衛は近衛が行うのであった。
 であるので、よほどのことがなければ朝食と夕食は家族が揃う。
 それを当たり前として過ごしているが、他家ではその限りではないことを、サラも兄もすでに理解していた。
「この一年が勝負だぞ」
 入学に当たっての注意点を一通り聞いた後、兄はそう言って気合を入れた。
 サラは意味を捉え損ねて、聞き返す。
「クリスお兄様、どういう意味?」
「一年で俺は卒業してしまうだろう?おまえの最年少Aランク、取るぞ」
「えっ私そんなに急いでないよ?」
「卒業してしまったら、俺も王太子殿下も仕事が忙しくなる。長期休暇は…取れなくもないだろうが、殿下次第だし、おまえの都合に合わせて休みが取れるとも限らないだろう」
「手伝ってくれるのね」
「当然だろう?殿下には夏の休暇の時にどうか、と話はしてある。殿下も乗り気だ。夏までに、受験資格を得ておくんだぞ。当分は一緒にダンジョンに籠ろうな」
「ありがとう、お兄様!」
 兄は十歳の頃から王太子とパーティーを組み、冒険者として活動をしている。
 公的な場では立場を崩すことはないが、私的な場では親友として、信頼関係を築いているのだった。
「礼は父上に言うべきだよ。転移装置の普及とダンジョンの攻略が進んだおかげで、南の大森林まで行かなくても済むようになった」
「ありがとう、お父様!」
 父へと笑顔を向ければ、父もまた嬉しそうに微笑んだ。
「転移装置を開発してくれた西国ウェスローと、装置をダンジョンに設置するよう指示された先王陛下のおかげだよ」
 同じように笑みを浮かべながらも、心配そうに母が言う。
「でも、気をつけてね。ダンジョンの深部に私は行ったことがないから、的確なアドバイスはできないけれど…クリスの指示をきちんと聞いて動くのよ」
「はい!」
 母は魔術師団の顧問として働いていた。
 家族を最優先としている為、魔術師団に通信を繋いで家で仕事をしている。週に一度か二度、直接出向く生活をしていた。
 時間に余裕をもって働いており、理想の働き方だな、とサラは思っていた。
「週末は一泊二日で、ダンジョン攻略を進めて行こう。さすがにこれに殿下を呼ぶわけにもいかないから、基本は俺とサラの二人で、進行度が同じようなパーティーがいれば交渉してみる、という所かな」
「了解です!頑張らなきゃ!」
「うんうん。試験は六十階のボス、ホワイトワイバーンだ。今サラは四十階だったか?」
「四十二階」
「そうか。転移で四十階に飛んで、四十一階からスタートだな。五十階からは敵がまた強くなるから、レベル上げに時間をかけたい。そこまではできれば駆け足で行きたいな」
「薬品と装備の見直しをしておくね」
「それ一番大事だからな。金を惜しむと死ぬ」
「うん!」
 両親は微笑ましい思いで兄妹を見ていた。
 アドバイスを求められればもちろんする。
 冒険者になりたての頃数回は、父親自らが付き添って基本を教えた。
 だが、それだけだった。
 両親の能力を余すところなく受け継いでくれた兄妹に、両親は感慨深い思いを抱く。
 互いに協力しあい、高めあい、進んで行くことができる存在が身近にいることは重要だった。
 二人は冒険者として必要な費用は全て、自分達で賄っていた。
 貴族として必要なものは無論親が用意するのだが、立派に自立している兄妹が誇らしい。
 この先、兄は貴族として生きていくだろう。妹はどうなるかわからない。
 だがこの強さがあれば、どんな道でも生きていけるだろうと両親は安心するのだった。 
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