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274. 魔王討伐に向かう俺3※
「…じゃぁなぜそんな、危険を冒す」
縋りつくように首筋に顔を寄せられ、髪が触れてくすぐったい。
ミカエルはようやく強ばりが解けてきて、アルヴィスへと身体を預けた。
「…前に言ったけど、彼女達には元の世界に帰ってもらいたい」
「勝手に死ぬというのなら、死なせればいい」
「ダメだって。それじゃダメなんだ」
「…名前が残るからか?」
「そう。仮に事故死だとしても、『一般人の身でありながら、親友の聖女様の為に力を尽くした勇敢なご友人様』、っていう、美談が作られかねないでしょ。そんなの僕は認めない」
「……」
「恙なく魔王討伐を終え、元の世界に帰られました、ってだけで十分なんだ」
「…おまえは…」
途中まで言いかけて、アルヴィスはミカエルの身体を反転させ、向かい合う。
濡れた髪をかきあげ露わになるミカエルの瞳にあるのは、憎悪に見えた。
「おまえの命を危険に晒すより、そちらの方が重要なのか」
なぜ、そこまでする。
アルヴィスが知る限りにおいて、ミカエルがそこまで聖女達を憎悪する理由があるとは、思えなかった。
取るに足らぬ者達だ。
ほんの少し、突いてやれば即死する。
ミカエルが望めばいつだって、殺すことが出来るのに。
殺すよりも、神の国に送還したいのだという。
…神の国に、何かがあるのか。
それを、ミカエルは知っているのか。
ミカエルは意志の固い色を湛えて、まっすぐアルヴィスを見ていた。
「重要だよ。彼女達には幸せになって欲しくないし、この世界にいて欲しくない」
「…つまり、あいつらがこの世界に残ろうとするのには、理由があると?」
「さぁ」
そっと瞳を伏せるミカエルには、確信がありそうだった。
神の国での聖女達を、ミカエルは知っている。
知りたい。
なぜ、どうして。
ミカエルの魂はあちらから来たのだろうことは推測出来た。
記憶を持っており、聖女達と知り合いで、とても憎んでいる。
アルヴィスはミカエルの頬を両手で挟んで、上向かせた。
「その理由は、教えてくれないのか?」
至近に顔を寄せると、ミカエルの瞳が揺れた。
「……僕は…」
「俺は教えるに値しないか」
「違う。…違うけど、」
「ミカエル」
そっと唇を食むと、抵抗なくミカエルはアルヴィスへと身体を寄せた。
軽く音を立てて唇に口づけただけで離すと、物足りなさげに見上げてくるのがたまらなく愛しかった。
「ミカエル」
もう一度名を呼べば、愁眉を曇らせミカエルは視線を逸らした。
「…だって」
「だって?」
「…アルに嫌われたらイヤだし」
「……」
背後から殴られた、くらいの衝撃に、アルヴィスは眩暈を覚えた。
湯船からは熱い湯が溢れて流れ続けているが、どちらも動かなかった。
可愛い。
ミカエルが、美しいのに可愛い。
いや、知っていた。
ミカエルが可愛いことは、百も承知だったが、これは。
「…だってアルは、美しい僕が好きなんだろう?僕の中身、美しくない…」
「嫌わない」
「でも、」
「嫌うわけない」
「……でも、嫌いになるかも知れない」
「……」
女を救う為に崖に飛び出したミカエルに抱いた怒りは、一瞬で霧散した。
アルヴィスは湯を止め、ミカエルを抱えて立ち上がった。
浴室を出る頃には互いの身体を乾かして、寝室に入った時にはすでにミカエルの身体は温かかった。
「…気になってたんだけど、ここって…」
「城だ」
「城…!え、でも調度品とかすごく素敵じゃない!?廃墟とか言ってなかった!?」
「古いだけだ」
「アンティークじゃん!」
「物は言い様だな」
「いやいや…」
「そんなことより」
ミカエルをベッドに押し倒し、アルヴィスはミカエルの装備に手をかけた。
「今すぐ、抱かせてくれ」
「…え…、え!?」
「おまえがあまりにも可愛いことを言うから、もう我慢できない」
「かわ…?いや、でも、」
アルヴィスを止めるように腕に手を添えられはしたが、力は入っていなかった。
「あの女は寝かせておくし、おまえの仲間は夜が明けてから、捜索に入る。一晩はゆっくりここで過ごせばいい」
「…そうなの?」
「問題ない。ちゃんと違和感を持たれないように場を作るから、心配するな」
「…アルがそう言うなら」
従魔が見せて来る勇者パーティーの光景は、さながら葬儀状態だったが、ミカエルには言う必要のないことだった。
結局何が理由であいつらを送還したいのか、については誤魔化されてしまったが、いつかは話してくれるだろう。
アルヴィスが口づけると、ミカエルは素直に力を抜いた。
どんな理由であっても。
ミカエルを嫌いになるわけがない。
中身が美しくない、わけがない。
憎むだけの理由が、あるに違いないのだから。
ミカエルの身体は上気して汗をかき、すっかり元の状態に戻っていることに、アルヴィスは安堵した。
「…っぁ、あぁあ、も、…っと、ゆっくり、アル、…っ!待って、あぁ、っぁ、待っ……!」
「っあぁ、わかっている…!」
「い、…っイ、…っ…ぁ、あ、ぁ…ッ!!」
奥まで抉って、突き上げる。
何度だって抱きたいし、ずっと繋がっていたい。
ずっと隣にいたいし、従魔ではなく自分がそこにいたいのだ。
我慢している。
もう少しの辛抱だからと、我慢しているのだ。
これだけの感情を、見せられるものなら見せてやりたい。
魂を繋げる誓約をしたいと思った相手なんて、ミカエルしかいないのだ。
全部知りたい。
全部見たい。
嫌われたくないと言うなら、アルヴィスとてそうだった。
世界を壊しても、なんて言うと、ドン引きされるから言わないだけで。
ミカエルが側にいてくれるなら、他はどうでもいい。
ミカエルが存在を許すのなら、存在しても良い。
あの聖女達を送還したいのなら、すれば良い。
そう思ってはいたものの、崖から飛び出してまで死なせまいとするとは思わなかったから、怒りが沸いた。
もういい。
ミカエルなりの理由があるのだと、わかったから。
でも、いつかは知りたい。
焦ってはいけない。
もどかしい思いを抱えながら、アルヴィスは震えるミカエルの身体を抱きしめた。
聖女の友人スルガザキ・ヒメノが目を覚ましたのは、朝日の眩しい時刻だった。
どこからともなく寒風が吹き込み、露出している顔が寒くて目が覚めた。
ゆっくりと身体を起こしたが、ヒメノがいるのは洞窟の入口で、焚き火の側、地面の上には毛皮が敷かれ、その上にさらに毛布を何枚も重ねてマットのように敷かれているおかげで、ごつごつとした石と冷たさを身体に感じずに済んだようだった。
身体にかけられているのは保温効果のついたマントで、首から下は温かく何の不満もなかった。
えっと、何だっけ。
ぼんやりとする頭を振って、ヒメノは焚き火を見つめつつ思い出そうとした。
周囲には誰もおらず、焚き火が燃える音以外には、特に何も聞こえない。
きらきらと陽光を反射する洞窟外の雪が眩しく、まだ夢を見ているような感覚だった。
「…あ」
唐突に思い出したのは、崖から落ちた瞬間だった。
馬から放り出され、さすがに死ぬかと思ったのだが、生きている。
そう、これはイベントだった。
とはいえ、事故である。
勇者パーティーが、その日の休憩ポイントである洞窟まで行く途中で、魔獣に襲われ、聖女が崖から足を踏み外して落ちてしまう。
そこに好感度が最も高いキャラが飛び出して、聖女と一緒に崖下に転落し、イチャラブの一夜を過ごす、というイベントだった。
そう、わざと落ちたわけではなかった。
予定通りであれば、ポイントにつく前に魔獣に襲われるはずで、そこでヒメノは崖から落ちるつもりだったのだ。
ただ昨日はとても疲れていた。
崖道に入った時には晴れており、その日差しの温かさについ、うとうとしてしまったのだ。
あの瞬間は、心臓が止まるかと思った。
ひやりと腹から上がってくる不快な感覚に、息を呑むことしか出来なかった。
でも、助かった。
良かった。
ここはゲームの世界だから、崖から落ちても死にはしないだろうが、もう二度とごめんだった。
怖すぎるもん。
ヒメノは鼓動が早くなるのを静める為に深呼吸をし、改めて周囲を見渡した。
助けてくれたのは、ミカエルだった。
気を失う直前、自分に向かって手を伸ばしてくれたのは、彼だったのだ。
「ミカエルやば…マジ推せる…!」
ゲームとはいえ、自分は人を助ける為に崖から飛び出せるかと問われれば、当然ノーだった。
やっぱりミカエルは、アタシのことを愛してるんだ。
日本に帰すって言ったのは、ゆずるんだけなのでは?
それならそれで寂しいけど、自分でなければ構わない。
助けてくれたミカエルだけど、それでも好感度はマックスじゃないんだな、と思ったのは、イチャラブの一夜を過ごせなかったからだ。
気絶していたとはいえ、一晩中寝ているなんて、ありえない。
ミカエルは、寝ている女に手を出すようなキャラじゃない。
起こしてくれたら良かったのに、きっと遠慮しちゃったんだ。
「はー…」
ガッカリした気分に膝を抱えた。
でもいいんだ。
「切り札」があるから。
そしたら好感度なんて、気にする必要なくなるもんね。
さくさくと雪を踏みしめる音が聞こえて、人影が現れた。
「ああ、ご友人殿、お目覚めですか。体調はどうですか?」
洞窟の中に入ってきたのは、枝をたくさん抱えたミカエルだった。
焚き火を燃やし続ける為の、薪を拾って来たようだ。
「み、ミカエルぅ。姫、崖から落ちたんだよね…?」
「そうですね」
「ミカエルが、助けてくれたの?」
「そうですね」
「あーん、怖かった…!」
ミカエルに抱きつこうと立ち上がりかけたが、「枝、刺さると危ないですよ」と言われて、半端な姿勢でヒメノは止まった。
「枝は雪で湿っているものばかりで、火のつきが悪いんですよね。煙は出るので、バージル達に居場所を知らせようと思って拾ってきました」
「…さすがミカエルだぁ。でも魔獣は大丈夫?」
「結界があるので大丈夫です。…食事にしましょうか。お腹、空いてませんか?」
「空いてるかも」
「すぐ用意しますね」
ミカエルの表情は穏やかで、優しい。
ヒメノのことを、気遣ってくれる。
もー!
なんでアタシ、起きなかったかなぁ!
今のミカエルは押せばイケそうな気がしたが、焚き火は大事だし、食事も大事だった。
ヒメノの寝床を片づけて、テーブルと椅子を出したミカエルは、ヒメノを座らせ、マントを膝掛けのようにかけてくれた。
「風邪を引かないように、気をつけて下さい」
「ミカエル素敵…!」
ゲームのミカエルだぁ。
好感度マックスになったミカエルは、甲斐甲斐しく聖女のお世話をしたがる人だった。
片時も離れたくない、という寂しがり屋で、聖女の機微に聡く気遣ってくれる。
攻略前のクールな印象からの、ギャップ萌えだった。
温かい飲み物とリゾットを用意してくれた。
「昨日から食べていないので、胃に負担の少ない物の方が良さそうですね」
「うう、優しいよぉ…姫、嬉しい…っ」
迎えが来るまでの間は、二人っきりでイチャラブチャンスなのでは!?と思ったものの、救助は案外すぐにやって来て、ミカエルが片づけと焚き火の管理をしているだけで終わってしまった。
まだ朝だと思っていたが、すでに昼だったということにヒメノが気づいたのは、洞窟の外に出て見た太陽が、すでにオレンジ色に染まり、西へと傾き始めていたからだった。
縋りつくように首筋に顔を寄せられ、髪が触れてくすぐったい。
ミカエルはようやく強ばりが解けてきて、アルヴィスへと身体を預けた。
「…前に言ったけど、彼女達には元の世界に帰ってもらいたい」
「勝手に死ぬというのなら、死なせればいい」
「ダメだって。それじゃダメなんだ」
「…名前が残るからか?」
「そう。仮に事故死だとしても、『一般人の身でありながら、親友の聖女様の為に力を尽くした勇敢なご友人様』、っていう、美談が作られかねないでしょ。そんなの僕は認めない」
「……」
「恙なく魔王討伐を終え、元の世界に帰られました、ってだけで十分なんだ」
「…おまえは…」
途中まで言いかけて、アルヴィスはミカエルの身体を反転させ、向かい合う。
濡れた髪をかきあげ露わになるミカエルの瞳にあるのは、憎悪に見えた。
「おまえの命を危険に晒すより、そちらの方が重要なのか」
なぜ、そこまでする。
アルヴィスが知る限りにおいて、ミカエルがそこまで聖女達を憎悪する理由があるとは、思えなかった。
取るに足らぬ者達だ。
ほんの少し、突いてやれば即死する。
ミカエルが望めばいつだって、殺すことが出来るのに。
殺すよりも、神の国に送還したいのだという。
…神の国に、何かがあるのか。
それを、ミカエルは知っているのか。
ミカエルは意志の固い色を湛えて、まっすぐアルヴィスを見ていた。
「重要だよ。彼女達には幸せになって欲しくないし、この世界にいて欲しくない」
「…つまり、あいつらがこの世界に残ろうとするのには、理由があると?」
「さぁ」
そっと瞳を伏せるミカエルには、確信がありそうだった。
神の国での聖女達を、ミカエルは知っている。
知りたい。
なぜ、どうして。
ミカエルの魂はあちらから来たのだろうことは推測出来た。
記憶を持っており、聖女達と知り合いで、とても憎んでいる。
アルヴィスはミカエルの頬を両手で挟んで、上向かせた。
「その理由は、教えてくれないのか?」
至近に顔を寄せると、ミカエルの瞳が揺れた。
「……僕は…」
「俺は教えるに値しないか」
「違う。…違うけど、」
「ミカエル」
そっと唇を食むと、抵抗なくミカエルはアルヴィスへと身体を寄せた。
軽く音を立てて唇に口づけただけで離すと、物足りなさげに見上げてくるのがたまらなく愛しかった。
「ミカエル」
もう一度名を呼べば、愁眉を曇らせミカエルは視線を逸らした。
「…だって」
「だって?」
「…アルに嫌われたらイヤだし」
「……」
背後から殴られた、くらいの衝撃に、アルヴィスは眩暈を覚えた。
湯船からは熱い湯が溢れて流れ続けているが、どちらも動かなかった。
可愛い。
ミカエルが、美しいのに可愛い。
いや、知っていた。
ミカエルが可愛いことは、百も承知だったが、これは。
「…だってアルは、美しい僕が好きなんだろう?僕の中身、美しくない…」
「嫌わない」
「でも、」
「嫌うわけない」
「……でも、嫌いになるかも知れない」
「……」
女を救う為に崖に飛び出したミカエルに抱いた怒りは、一瞬で霧散した。
アルヴィスは湯を止め、ミカエルを抱えて立ち上がった。
浴室を出る頃には互いの身体を乾かして、寝室に入った時にはすでにミカエルの身体は温かかった。
「…気になってたんだけど、ここって…」
「城だ」
「城…!え、でも調度品とかすごく素敵じゃない!?廃墟とか言ってなかった!?」
「古いだけだ」
「アンティークじゃん!」
「物は言い様だな」
「いやいや…」
「そんなことより」
ミカエルをベッドに押し倒し、アルヴィスはミカエルの装備に手をかけた。
「今すぐ、抱かせてくれ」
「…え…、え!?」
「おまえがあまりにも可愛いことを言うから、もう我慢できない」
「かわ…?いや、でも、」
アルヴィスを止めるように腕に手を添えられはしたが、力は入っていなかった。
「あの女は寝かせておくし、おまえの仲間は夜が明けてから、捜索に入る。一晩はゆっくりここで過ごせばいい」
「…そうなの?」
「問題ない。ちゃんと違和感を持たれないように場を作るから、心配するな」
「…アルがそう言うなら」
従魔が見せて来る勇者パーティーの光景は、さながら葬儀状態だったが、ミカエルには言う必要のないことだった。
結局何が理由であいつらを送還したいのか、については誤魔化されてしまったが、いつかは話してくれるだろう。
アルヴィスが口づけると、ミカエルは素直に力を抜いた。
どんな理由であっても。
ミカエルを嫌いになるわけがない。
中身が美しくない、わけがない。
憎むだけの理由が、あるに違いないのだから。
ミカエルの身体は上気して汗をかき、すっかり元の状態に戻っていることに、アルヴィスは安堵した。
「…っぁ、あぁあ、も、…っと、ゆっくり、アル、…っ!待って、あぁ、っぁ、待っ……!」
「っあぁ、わかっている…!」
「い、…っイ、…っ…ぁ、あ、ぁ…ッ!!」
奥まで抉って、突き上げる。
何度だって抱きたいし、ずっと繋がっていたい。
ずっと隣にいたいし、従魔ではなく自分がそこにいたいのだ。
我慢している。
もう少しの辛抱だからと、我慢しているのだ。
これだけの感情を、見せられるものなら見せてやりたい。
魂を繋げる誓約をしたいと思った相手なんて、ミカエルしかいないのだ。
全部知りたい。
全部見たい。
嫌われたくないと言うなら、アルヴィスとてそうだった。
世界を壊しても、なんて言うと、ドン引きされるから言わないだけで。
ミカエルが側にいてくれるなら、他はどうでもいい。
ミカエルが存在を許すのなら、存在しても良い。
あの聖女達を送還したいのなら、すれば良い。
そう思ってはいたものの、崖から飛び出してまで死なせまいとするとは思わなかったから、怒りが沸いた。
もういい。
ミカエルなりの理由があるのだと、わかったから。
でも、いつかは知りたい。
焦ってはいけない。
もどかしい思いを抱えながら、アルヴィスは震えるミカエルの身体を抱きしめた。
聖女の友人スルガザキ・ヒメノが目を覚ましたのは、朝日の眩しい時刻だった。
どこからともなく寒風が吹き込み、露出している顔が寒くて目が覚めた。
ゆっくりと身体を起こしたが、ヒメノがいるのは洞窟の入口で、焚き火の側、地面の上には毛皮が敷かれ、その上にさらに毛布を何枚も重ねてマットのように敷かれているおかげで、ごつごつとした石と冷たさを身体に感じずに済んだようだった。
身体にかけられているのは保温効果のついたマントで、首から下は温かく何の不満もなかった。
えっと、何だっけ。
ぼんやりとする頭を振って、ヒメノは焚き火を見つめつつ思い出そうとした。
周囲には誰もおらず、焚き火が燃える音以外には、特に何も聞こえない。
きらきらと陽光を反射する洞窟外の雪が眩しく、まだ夢を見ているような感覚だった。
「…あ」
唐突に思い出したのは、崖から落ちた瞬間だった。
馬から放り出され、さすがに死ぬかと思ったのだが、生きている。
そう、これはイベントだった。
とはいえ、事故である。
勇者パーティーが、その日の休憩ポイントである洞窟まで行く途中で、魔獣に襲われ、聖女が崖から足を踏み外して落ちてしまう。
そこに好感度が最も高いキャラが飛び出して、聖女と一緒に崖下に転落し、イチャラブの一夜を過ごす、というイベントだった。
そう、わざと落ちたわけではなかった。
予定通りであれば、ポイントにつく前に魔獣に襲われるはずで、そこでヒメノは崖から落ちるつもりだったのだ。
ただ昨日はとても疲れていた。
崖道に入った時には晴れており、その日差しの温かさについ、うとうとしてしまったのだ。
あの瞬間は、心臓が止まるかと思った。
ひやりと腹から上がってくる不快な感覚に、息を呑むことしか出来なかった。
でも、助かった。
良かった。
ここはゲームの世界だから、崖から落ちても死にはしないだろうが、もう二度とごめんだった。
怖すぎるもん。
ヒメノは鼓動が早くなるのを静める為に深呼吸をし、改めて周囲を見渡した。
助けてくれたのは、ミカエルだった。
気を失う直前、自分に向かって手を伸ばしてくれたのは、彼だったのだ。
「ミカエルやば…マジ推せる…!」
ゲームとはいえ、自分は人を助ける為に崖から飛び出せるかと問われれば、当然ノーだった。
やっぱりミカエルは、アタシのことを愛してるんだ。
日本に帰すって言ったのは、ゆずるんだけなのでは?
それならそれで寂しいけど、自分でなければ構わない。
助けてくれたミカエルだけど、それでも好感度はマックスじゃないんだな、と思ったのは、イチャラブの一夜を過ごせなかったからだ。
気絶していたとはいえ、一晩中寝ているなんて、ありえない。
ミカエルは、寝ている女に手を出すようなキャラじゃない。
起こしてくれたら良かったのに、きっと遠慮しちゃったんだ。
「はー…」
ガッカリした気分に膝を抱えた。
でもいいんだ。
「切り札」があるから。
そしたら好感度なんて、気にする必要なくなるもんね。
さくさくと雪を踏みしめる音が聞こえて、人影が現れた。
「ああ、ご友人殿、お目覚めですか。体調はどうですか?」
洞窟の中に入ってきたのは、枝をたくさん抱えたミカエルだった。
焚き火を燃やし続ける為の、薪を拾って来たようだ。
「み、ミカエルぅ。姫、崖から落ちたんだよね…?」
「そうですね」
「ミカエルが、助けてくれたの?」
「そうですね」
「あーん、怖かった…!」
ミカエルに抱きつこうと立ち上がりかけたが、「枝、刺さると危ないですよ」と言われて、半端な姿勢でヒメノは止まった。
「枝は雪で湿っているものばかりで、火のつきが悪いんですよね。煙は出るので、バージル達に居場所を知らせようと思って拾ってきました」
「…さすがミカエルだぁ。でも魔獣は大丈夫?」
「結界があるので大丈夫です。…食事にしましょうか。お腹、空いてませんか?」
「空いてるかも」
「すぐ用意しますね」
ミカエルの表情は穏やかで、優しい。
ヒメノのことを、気遣ってくれる。
もー!
なんでアタシ、起きなかったかなぁ!
今のミカエルは押せばイケそうな気がしたが、焚き火は大事だし、食事も大事だった。
ヒメノの寝床を片づけて、テーブルと椅子を出したミカエルは、ヒメノを座らせ、マントを膝掛けのようにかけてくれた。
「風邪を引かないように、気をつけて下さい」
「ミカエル素敵…!」
ゲームのミカエルだぁ。
好感度マックスになったミカエルは、甲斐甲斐しく聖女のお世話をしたがる人だった。
片時も離れたくない、という寂しがり屋で、聖女の機微に聡く気遣ってくれる。
攻略前のクールな印象からの、ギャップ萌えだった。
温かい飲み物とリゾットを用意してくれた。
「昨日から食べていないので、胃に負担の少ない物の方が良さそうですね」
「うう、優しいよぉ…姫、嬉しい…っ」
迎えが来るまでの間は、二人っきりでイチャラブチャンスなのでは!?と思ったものの、救助は案外すぐにやって来て、ミカエルが片づけと焚き火の管理をしているだけで終わってしまった。
まだ朝だと思っていたが、すでに昼だったということにヒメノが気づいたのは、洞窟の外に出て見た太陽が、すでにオレンジ色に染まり、西へと傾き始めていたからだった。
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