隣人以上同棲未満

弓チョコ

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第30話 ふたりの関係

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 無縁だった。

 俺はずっと。恋愛というものに対して。
 俺とは違う世界の住人のやっていることだと、本気で思っていた。

 今でも。
 もしかしたら夢の世界に迷い込んでるんじゃないかと思う日がある。

 『人間』という種が保存されるためには必要で。

 だけど『個人』の生活を優先するならばデメリットしか無くて。

 今は70億も80億も人が居て。皆が皆繁殖する必要は無くなって。
 世の中には色んな人がいると言われ。
 LGBTの人達もどんどん認められてきて。

 じゃあ、別に俺が必死に彼女探す必要なんかどこにも無いじゃん。

 早く孫を見せろ?
 今はそんな時代じゃない。

 でも、親としてはそれは楽しみで。俺がずっと独りならそれは寂しくて。

 結婚や出産が尊ばれるべきものであることには何の疑いの余地も無いのは当然で。

 そんなこと言われても。

 働きながら恋愛なんてできるかよと。

 俺は全然。
 一生彼女できなくても別に良いやと。

 だが『全く要らない』とは思わなくて。

 もしできるなら欲しいし。
 デメリットやリスクを全部蹴飛ばして付き合いたいと思える人に出会ってないだけで。

「おにーさん。おはようございます」

 そう言われた瞬間に。

 俺の世界は一瞬だけ、彩られたんだ。

——

 俺は冴えない男だ。
 間違っても、積極的ではない。
 特別顔が良くも無い。
 頭が切れる訳でも無い。
 恋愛を完全に捨て去るほど仕事に没頭している訳でも無いし。

 勿論モテる訳も無いし、モテたことも無い。『女性』はこの世に存在しない空想上の生き物だと。

 そんな人生だった。
 ずっとそれが続くと思っていたし、それを俺は受け入れていた。

 たったひとり。

 たった、ひとりとの出会いで変わる。

 俺は恋愛を馬鹿にしていた。
 くだらないと思っていた。
 そんな暇があるなら仕事をしろと。

 その稼ぎで結婚は考えられないくせに、何を旅行だのデートだの悠長にしてるんだと。

 僻んでいたのだろうか。

 羨ましかったのだろうか。

 ゼロじゃない。
 ゼロじゃあないが。

 恋愛を諦めている事に対して。自分で納得はできていたと思う。
 別に良いさと。

 覚悟はできていたと思う。

「仄香。ほのかです」

 女の子を名前で呼ぶなど。
 一切あり得ないと思っていた。
 無縁過ぎたから。

「要りますか?」

 お弁当など。
 母親以外の女性からなど。
 俺には刺激が強すぎた。

「好きです。……おにーさんのこと」

 余りにも予想外のことが起きたら。人は思考を停止させる。
 現実を疑い始める。
 何もかも意味が分からなくなる。

 女の子から告白されたことは?

 無いに決まってるだろ。

 だからこれは嘘だと。
 でなければ罰ゲームか何かだと。
 あり得ないと。

 俺のどこが良いと思ったのだろうか。それが不思議で仕方がない。
 だからこそ信じられない。

「手。……繋いでも良いですか?」

 女の子と手を繋ぐことなど。
 一生無いと決めつけていた。
 どれだけ、緊張したことやら。

「んっ…………」

 キスなど。

 もう、未知の世界だ。
 俺が居ちゃいけない世界だ。自分がキスをしている所を客観的に想像して、吐き気がするくらいだった。

 何をしているんだと。キモいと。ふざけんなと。お前が、何を、女の子と。
 はあ? ……と。

 ほのかは。

 そんな俺の『犯罪』を『許す』んだ。

 全く訳が分からないだろ。

 動物園にはまた行きたい。今度はもっと空いている時に。
 遊園地も。東京や大阪に観光旅行も良い。待ち時間の少ないような時に。

 俺が。

 休みの日はごろごろしながらゲームアニメ漫画動画の俺が。
 そんなことを考えるようになったんだ。

「また来なさい」

 必ず。
 次はお正月にでも。
 そして今度は、ほのかを俺の親に紹介したい。弟なんか、俺の非モテを知ってるから吃驚するだろうな。

 楽しみだ。絶対、歓迎してくれる。母さんなんか喜びまくるだろうな。きっと仲良くなる。

「俺はいずれ、君にプロポーズするよ」

 プロポーズなど。
 夢にも思わない。だって相手が居ないんだから。
 どんどん更新されていく。
 俺の人生が。
 初体験だらけで記憶が埋め尽くされていく。
 幸せに、覆われていく。

「甘えて良いですか?」

 寂しい。

 ひとりで寂しいという表現は。
 本人はしないんだ。それが分かった。全く気付かないし、知らないし、要らないと思っているから。

 今の俺は。
 去年の俺に対して。

 ひとりで寂しい思いをしてるなと、思う。

 だけど去年の俺は。
 全く寂しいと思っていない。充実していた。そう、感じていた。

 俺はきっと、『甘えられたがり』だった。
 誰かに甘えたかった、とは少し違う。
 けれど、人の温もりは欲しかった。

 誰かに甘えて欲しかったんだ。何故か。
 多分ペットとか飼ったら、他なんにも手がつかなくなるくらい可愛がってしまう。

 嬉しいんだと思う。

 頼られて。

「……お手。柔らかに……」

 現代社会では最早奇跡に近いんだと思う。

——

——

——

 恋愛は。

「おおっ。結構広いじゃないですか」
「そりゃ、ふたりで住むんだしな」
「あははっ。嬉しい」

 価値観を一変させる。
 こればっかりは、実際に経験してみないと分からない筈だ。
 俺がそうだったから。

「じゃあー早速お昼作りますね。腕によりをかけて!」
「よろしくっ」

 好きな人が居る。
 その事実ひとつで。
 『人生』のステージが1段上へ進むんだ。
 落ちるか、上がるかは分からない。

「ねえ、手伝って」
「任せてくれ」

 俺は運良く、一緒になれた。何に感謝すれば良いのかは分からないけれど。
 ならば、全世界の全てに感謝しようと思う。

「……なあほのか」
「はい?」

 好き、の1段上。

「愛してる」
「!」

 そう言える人に出会えたんだ。
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