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破章:人族の怒り
第14話 古代人族文明
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世界には、魔素と呼ばれる気体が満ちている。亜人はそれを使い、魔法を生み出す。具体的には、呼吸器で魔素を吸収し、肺から体内へ送り込み、化学反応を経て、魔力と呼ばれる物質を生産する臓器へ運ばれる。その魔力を用い、体外の事象へ働きかけ、魔法という結果を作り出す。
魔素は魔法の素である。そして、亜人を介さず自然現象によって魔素が反応し、魔法が発生することもある。
「……はぁ」
手を擦り合わせ、息を吐く。白い吐息が掌に拡がる。
レナリアは、思わず空を見上げた。鈍色の雲が世界を覆う。陽の光など、もう何年も浴びていないような気さえした。
「もう1週間になりますね」
ここは森の中。ラスによると、生えている植物の種類が違うお陰でエルフが居ない、安全な森。
そこには人族の集落があった。
「……この時期はそうらしい。元々寒冷な地域だからな」
窓から顔を出していたレナリアは、頭を引っ込める。ぴしゃりとガラスの窓を閉めると、中の暖気が彼女を包む。
現在この森に、自然魔法現象による寒波が発生し、伴って冬期が到来していた。
「どうですかな、この集落は」
この家の主人が部屋へ入ってくる。鍛え上げられた肉体美を持つ壮年の男性であった。
「ええ。とても暖かい。家も人も」
「そうでしょうとも」
主人はかっかっと明朗に笑った。
ラス達は鉄の国を出て、虹の国へと向かう途中にこの寒波に見舞われた。そこへ、外の警備に出ていたこの集落の人族に救出されたのだ。
「亜人は寒がりでしてな。この辺りは一応『花の国』の領土と奴等は主張しておりますが、ここまで来ることは滅多にありません。安心して冬を越してくだされ」
「……ええ。ありがとうございます」
――
「ただいまー」
「たっだいーまぁー!」
しばらくすると、玄関から騒がしい声がした。主人の子達と、リルリィである。
「お帰りなさい」
窓辺の椅子に座るレナリアが優しく出迎えると、リルリィは駆け寄ってちょこんと座った。
「ただいま、女王さま。今日はね、雪で小山を作ってたんだけど、ロクくんが皆のを崩しちゃって、風も酷くなってきて、それでね」
リルリィは嬉しそうに報告する。すると後ろから、男の子がやってくる。
「おいリル! 帰ったら『てあらいうがい』だぞ!」
「……わかったよぅ」
リルリィは嫌々、男の子に手を引かれて奥の廊下へ向かった。
「……『手洗い、うがい』?」
聞き慣れない言葉にレナリアは首を傾げる。それに答えたのは家の主人。
「先程言った通り、この辺りは世界的に見て亜人の被害が少なくてですな。……『文化』も、多少は残っておるのです」
「……『文化』ね」
その言葉を反芻したのはレナリアではなく、ラスだった。
「ラス殿も知っておいでか」
「俺んところはこれしか無かったよ」
と、ラスは手を組んだ。レナリアも知る、祈りのポーズだ。
それを見て主人はにこりと微笑む。
「……どれだけ昔かは知りませぬが、遥か太古の大昔。世界には人族しか居なかったと、我らの集落には伝わっております」
「じゃなんで亜人が生まれたんだ?」
「大きく、3つ説があります。ひとつは『自然発生説』。この寒波のように、大気の魔素により自然発生した説」
「それは有り得ません。人の身体は魔素で出来ている訳ではありませんから」
レナリアは補足する。
「もうひとつは、『人族起源説』。全て元は人族であり、なんらかの要因により姿が変わったという説」
「それは……現状、無いと証明はできませんね。異端扱いされますが、それを提唱した学者も過去に居ました」
「最後に『創造種ALPHA説』。世界を創った彼らは、種族をも創ったと」
「今、世間的にはそれが一般的ですね。絶対の力を持つ者が存在すれば、どんな不思議も解決できるという安直な面もありますが」
レナリアと主人は難しい話を続ける。しかしラスは別のことが気になっていた。
「……そんなことを考える余裕が、この集落にはあるのか。良い所だな。安全で」
「はっは。良いばかりではありませぬ。この猛烈な寒波こそ年に数度ですが、基本1年中雪に覆われてましてな。亜人より自然が敵なのです」
「いやあ、ましだよ。亜人より自然の方が」
「はっはっは」
「……」
レナリアは思った。亜人が近付けない場所まで追いやられている歴史が、この集落にあるのだと。そんな場所で、人族はこうして生活しているのだと。
「……そうですね。気温が低いと大気中の魔素も濃度が下がり、魔法は使いにくくなります。亜人が近寄らないのはそういう理由もあるでしょう」
だがしかし、と。
レナリアは『手洗いうがい』から戻ってきたリルリィと人族の子供達を見る。種族の違いが無いかのように、一緒になって遊んでいる。亜人に虐げれたことのない彼らだからこそ、竜人のリルリィとも打ち解ける。
「本当に良い所ですね。あれが私の理想です」
「……そうだな」
ラスはレナリアの隣の椅子に座った。
「……ごめんなさい、ラス」
「何が?」
レナリアはぺこりと頭を下げた。
大寒波と言えど、日中は子供を外で遊ばせられるくらいのものだ。馬は使えないが、森を抜けるくらいなら半日程度で良い。
レナリアは、今自分達がここで足止めを受けているのが、歩けない自分のせいだと自覚していた。
「……俺に謝るなよ。一番国へ帰りたいと思ってるのはあんただろ、レナ」
「……はい」
しょげるレナリアに、ラスはぽりぽりと頭を掻いた。
「そう言えば、他にも『文化』はあるのか?」
話題を変えるように、主人へ話を振る。
「ありますとも。主に食事の際などに。興味がおありなら、本日の夕食からお教えしましょう」
――
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
手を合わせ、音頭に倣う。食事に対する感謝と敬意を示す『文化』である。ラスは元より、リルリィももう慣れたものだった。未だ違和感を拭えないのはレナリアくらいである。
「……遺跡?」
「ええ」
主人は、物知りだった。人族や世界について、レナリアも知らないようなことを知っている。
「この集落の奥に、大昔の人族の遺跡があります。出土するのは、文化の途切れた我々には殆ど何も分からぬものばかりですが、人族の文化に興味がおありなら、1度寄ってみてはいかがでしょう」
「……そうだな。暇だし。じゃ明日、行くぞ」
「…………え?」
レナリアはきょとんとした。歩けない自分に向かって何を言っているのか。彼ひとりで行くのは決まっているだろうと。……その表情は、次の日。
――
「ええぇぇっ!」
驚愕に変わった。
「ふう。まあ鍛練代わりにはならないな。よっと」
「ちょ、ちょちょっとラス! 下ろしてください」
ラスはレナリアを担いで、その遺跡まで進む。道中集落の人々に奇異な目で見られるが、ラスは気にしていない様子である。
「なんだよ?」
「…………!」
もう、レナリアは何も言えなかった。降り積もる雪に反比例するかのように赤くなりながら、それでも気にせずラスはずんずんと遺跡へ歩を進めた。
「そう言えば、リハビリは?」
「……! やってますが、中々。なんとか歩けるくらいにはなりたいのですが」
人族は非力である。それは亜人と比べた時の話だ。自分を持ち上げて雪道をずんずんと進むラスを見て、レナリアは彼が非力だとは思わない。人族基準で言えば、彼は相当鍛えているのだ。
「……ラスは、ずっと修行していたのですか」
ふと、訊ねてみた。
「レナと旅する前か?」
「ええ。『キ』という技術も」
「そうだな。ここ20年か30年くらいにな。『戦士』の育成を始めたんだ」
「……?」
レナリアはラスの言葉の意味が分からなかった。
「亜人に見付からないよう隠れて暮らすだけなら、亜人と戦うための戦士なんて要らないだろ」
「……あ。確かに」
「何故か。多分どこかで蜂起するつもりだったんだろうな。世界各地、人族の集落には戦士が居る筈だ。それらが全て『亜人の世界』に反旗を翻す。タイミングとかは分からないが、そう思うよ」
「では、ラスも」
「俺は物心付く前から訓練をされていた。森の狩りを教わりながら、気の訓練も。あとは催眠術。これは『気』の応用だが、一番時間掛かったな」
「……『キ』とは、何なんですか? 魔法のようなものでしょうか」
「そのままだよ。『空気』とか『気配』とかの『気』。俺達は『それ』を感じ、使い、操り、戦うのさ」
「……全く分かりません」
説明されても分からなかった。
「ははっ。まあ、俺達も魔法のことはさっぱりだから、おあいこだろ」
「いや……。そういうものでは無い気がしますが」
――
古錆びた鉄の骨。鋭利に割れた硝子の板。規則的に並んだ謎の石。
土と雪に覆われた『古代遺跡』。それはラスはおろかレナリアでさえ見たことのない風体の建物だった。『何』で出来ているのかさえ分からない壁。『直角』や『水平』など、普段の生活では見慣れない形を見て軽く混乱してくるような、とても奇妙な建物だった。
「なんだこれ」
そんな言葉しか出てこない。
「分かりません。が、大昔の人族は『これ』を作った。それは事実なのでしょう」
「こんな大きな建物(?)を、木以外の素材でか。ていうかなんなんだ?これ」
触ってみる。妙な感触。『ツルツル』なのだ。本当に意味が分からない。
「どれくらい前の物なのでしょうかね。本当、人が作ったとは思えません」
「ふむ。取り合えず中入るか」
ラスは、ぽっかりと空いた穴のような入口から遺跡へ入っていった。
――
中は乱雑に何かが散らかっていたが、何故だか『綺麗だ』という印象を受けた。泥や砂や汚れが驚くほど無いのだ。ここだけ別の世界に来たかのように、異様な空間であると思えた。
「……転がっている木の棒? は『全部同じ太さと長さ』だ。少しの差も無い。こっちの窓も、多分『全く同じ大きさ』だ。この板と板。重ねると『全く同じ規格』だと分かる。はみ出た部分が無いんだ」
ラスは手当たり次第に触り、持ち、確かめる。
「どれも、とても精巧に作られていますね。用途は分かりませんが、腕の良い職人が居たのでしょう」
黒く四角い板。巨大な物から小さな物まで。『板』の数はとても多かった。
――
さらに進むと、ひとつの小さな部屋に入った。ここだけ、他の部屋と様子が違っている。壁に大きく描かれたモノがあった。
「……この『マーク』は色んな所にあるな」
「文字でしょうか。ラスは読めませんか?」
「人族に文字は無い。昔はあったんだろうがな」
それは、赤い血のようなもので。
『こう』書かれていた。
【Project:ALPHA】
【We will keep living on this world】
その『英文』を理解できる者は、今この世界にはひとりとして存在しないだろう。
ただの記号の羅列としてしか受け取れないふたり。
「人族の文化。否。文明でしょう。今の世界の文明とは全く違った物だったと思います」
「……まあ、今の文明は魔法を基盤にしてるだろうからな。しかし人族だけの世界か。もう2度とあり得ない世界。どんなんだったろうな」
「文字は、誰かに何かを伝えるためにある物です。『彼ら』はそう願い、ここへ書いた筈」
「……伝わったのかね。その『誰か』に」
「それは誰にも分かりません。……もう戻りますか?」
「ああ。気分転換にはなったよ」
レナリアは。
人族こそ最も不可解で神秘的な種族なのではないかと思った。
魔素は魔法の素である。そして、亜人を介さず自然現象によって魔素が反応し、魔法が発生することもある。
「……はぁ」
手を擦り合わせ、息を吐く。白い吐息が掌に拡がる。
レナリアは、思わず空を見上げた。鈍色の雲が世界を覆う。陽の光など、もう何年も浴びていないような気さえした。
「もう1週間になりますね」
ここは森の中。ラスによると、生えている植物の種類が違うお陰でエルフが居ない、安全な森。
そこには人族の集落があった。
「……この時期はそうらしい。元々寒冷な地域だからな」
窓から顔を出していたレナリアは、頭を引っ込める。ぴしゃりとガラスの窓を閉めると、中の暖気が彼女を包む。
現在この森に、自然魔法現象による寒波が発生し、伴って冬期が到来していた。
「どうですかな、この集落は」
この家の主人が部屋へ入ってくる。鍛え上げられた肉体美を持つ壮年の男性であった。
「ええ。とても暖かい。家も人も」
「そうでしょうとも」
主人はかっかっと明朗に笑った。
ラス達は鉄の国を出て、虹の国へと向かう途中にこの寒波に見舞われた。そこへ、外の警備に出ていたこの集落の人族に救出されたのだ。
「亜人は寒がりでしてな。この辺りは一応『花の国』の領土と奴等は主張しておりますが、ここまで来ることは滅多にありません。安心して冬を越してくだされ」
「……ええ。ありがとうございます」
――
「ただいまー」
「たっだいーまぁー!」
しばらくすると、玄関から騒がしい声がした。主人の子達と、リルリィである。
「お帰りなさい」
窓辺の椅子に座るレナリアが優しく出迎えると、リルリィは駆け寄ってちょこんと座った。
「ただいま、女王さま。今日はね、雪で小山を作ってたんだけど、ロクくんが皆のを崩しちゃって、風も酷くなってきて、それでね」
リルリィは嬉しそうに報告する。すると後ろから、男の子がやってくる。
「おいリル! 帰ったら『てあらいうがい』だぞ!」
「……わかったよぅ」
リルリィは嫌々、男の子に手を引かれて奥の廊下へ向かった。
「……『手洗い、うがい』?」
聞き慣れない言葉にレナリアは首を傾げる。それに答えたのは家の主人。
「先程言った通り、この辺りは世界的に見て亜人の被害が少なくてですな。……『文化』も、多少は残っておるのです」
「……『文化』ね」
その言葉を反芻したのはレナリアではなく、ラスだった。
「ラス殿も知っておいでか」
「俺んところはこれしか無かったよ」
と、ラスは手を組んだ。レナリアも知る、祈りのポーズだ。
それを見て主人はにこりと微笑む。
「……どれだけ昔かは知りませぬが、遥か太古の大昔。世界には人族しか居なかったと、我らの集落には伝わっております」
「じゃなんで亜人が生まれたんだ?」
「大きく、3つ説があります。ひとつは『自然発生説』。この寒波のように、大気の魔素により自然発生した説」
「それは有り得ません。人の身体は魔素で出来ている訳ではありませんから」
レナリアは補足する。
「もうひとつは、『人族起源説』。全て元は人族であり、なんらかの要因により姿が変わったという説」
「それは……現状、無いと証明はできませんね。異端扱いされますが、それを提唱した学者も過去に居ました」
「最後に『創造種ALPHA説』。世界を創った彼らは、種族をも創ったと」
「今、世間的にはそれが一般的ですね。絶対の力を持つ者が存在すれば、どんな不思議も解決できるという安直な面もありますが」
レナリアと主人は難しい話を続ける。しかしラスは別のことが気になっていた。
「……そんなことを考える余裕が、この集落にはあるのか。良い所だな。安全で」
「はっは。良いばかりではありませぬ。この猛烈な寒波こそ年に数度ですが、基本1年中雪に覆われてましてな。亜人より自然が敵なのです」
「いやあ、ましだよ。亜人より自然の方が」
「はっはっは」
「……」
レナリアは思った。亜人が近付けない場所まで追いやられている歴史が、この集落にあるのだと。そんな場所で、人族はこうして生活しているのだと。
「……そうですね。気温が低いと大気中の魔素も濃度が下がり、魔法は使いにくくなります。亜人が近寄らないのはそういう理由もあるでしょう」
だがしかし、と。
レナリアは『手洗いうがい』から戻ってきたリルリィと人族の子供達を見る。種族の違いが無いかのように、一緒になって遊んでいる。亜人に虐げれたことのない彼らだからこそ、竜人のリルリィとも打ち解ける。
「本当に良い所ですね。あれが私の理想です」
「……そうだな」
ラスはレナリアの隣の椅子に座った。
「……ごめんなさい、ラス」
「何が?」
レナリアはぺこりと頭を下げた。
大寒波と言えど、日中は子供を外で遊ばせられるくらいのものだ。馬は使えないが、森を抜けるくらいなら半日程度で良い。
レナリアは、今自分達がここで足止めを受けているのが、歩けない自分のせいだと自覚していた。
「……俺に謝るなよ。一番国へ帰りたいと思ってるのはあんただろ、レナ」
「……はい」
しょげるレナリアに、ラスはぽりぽりと頭を掻いた。
「そう言えば、他にも『文化』はあるのか?」
話題を変えるように、主人へ話を振る。
「ありますとも。主に食事の際などに。興味がおありなら、本日の夕食からお教えしましょう」
――
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
手を合わせ、音頭に倣う。食事に対する感謝と敬意を示す『文化』である。ラスは元より、リルリィももう慣れたものだった。未だ違和感を拭えないのはレナリアくらいである。
「……遺跡?」
「ええ」
主人は、物知りだった。人族や世界について、レナリアも知らないようなことを知っている。
「この集落の奥に、大昔の人族の遺跡があります。出土するのは、文化の途切れた我々には殆ど何も分からぬものばかりですが、人族の文化に興味がおありなら、1度寄ってみてはいかがでしょう」
「……そうだな。暇だし。じゃ明日、行くぞ」
「…………え?」
レナリアはきょとんとした。歩けない自分に向かって何を言っているのか。彼ひとりで行くのは決まっているだろうと。……その表情は、次の日。
――
「ええぇぇっ!」
驚愕に変わった。
「ふう。まあ鍛練代わりにはならないな。よっと」
「ちょ、ちょちょっとラス! 下ろしてください」
ラスはレナリアを担いで、その遺跡まで進む。道中集落の人々に奇異な目で見られるが、ラスは気にしていない様子である。
「なんだよ?」
「…………!」
もう、レナリアは何も言えなかった。降り積もる雪に反比例するかのように赤くなりながら、それでも気にせずラスはずんずんと遺跡へ歩を進めた。
「そう言えば、リハビリは?」
「……! やってますが、中々。なんとか歩けるくらいにはなりたいのですが」
人族は非力である。それは亜人と比べた時の話だ。自分を持ち上げて雪道をずんずんと進むラスを見て、レナリアは彼が非力だとは思わない。人族基準で言えば、彼は相当鍛えているのだ。
「……ラスは、ずっと修行していたのですか」
ふと、訊ねてみた。
「レナと旅する前か?」
「ええ。『キ』という技術も」
「そうだな。ここ20年か30年くらいにな。『戦士』の育成を始めたんだ」
「……?」
レナリアはラスの言葉の意味が分からなかった。
「亜人に見付からないよう隠れて暮らすだけなら、亜人と戦うための戦士なんて要らないだろ」
「……あ。確かに」
「何故か。多分どこかで蜂起するつもりだったんだろうな。世界各地、人族の集落には戦士が居る筈だ。それらが全て『亜人の世界』に反旗を翻す。タイミングとかは分からないが、そう思うよ」
「では、ラスも」
「俺は物心付く前から訓練をされていた。森の狩りを教わりながら、気の訓練も。あとは催眠術。これは『気』の応用だが、一番時間掛かったな」
「……『キ』とは、何なんですか? 魔法のようなものでしょうか」
「そのままだよ。『空気』とか『気配』とかの『気』。俺達は『それ』を感じ、使い、操り、戦うのさ」
「……全く分かりません」
説明されても分からなかった。
「ははっ。まあ、俺達も魔法のことはさっぱりだから、おあいこだろ」
「いや……。そういうものでは無い気がしますが」
――
古錆びた鉄の骨。鋭利に割れた硝子の板。規則的に並んだ謎の石。
土と雪に覆われた『古代遺跡』。それはラスはおろかレナリアでさえ見たことのない風体の建物だった。『何』で出来ているのかさえ分からない壁。『直角』や『水平』など、普段の生活では見慣れない形を見て軽く混乱してくるような、とても奇妙な建物だった。
「なんだこれ」
そんな言葉しか出てこない。
「分かりません。が、大昔の人族は『これ』を作った。それは事実なのでしょう」
「こんな大きな建物(?)を、木以外の素材でか。ていうかなんなんだ?これ」
触ってみる。妙な感触。『ツルツル』なのだ。本当に意味が分からない。
「どれくらい前の物なのでしょうかね。本当、人が作ったとは思えません」
「ふむ。取り合えず中入るか」
ラスは、ぽっかりと空いた穴のような入口から遺跡へ入っていった。
――
中は乱雑に何かが散らかっていたが、何故だか『綺麗だ』という印象を受けた。泥や砂や汚れが驚くほど無いのだ。ここだけ別の世界に来たかのように、異様な空間であると思えた。
「……転がっている木の棒? は『全部同じ太さと長さ』だ。少しの差も無い。こっちの窓も、多分『全く同じ大きさ』だ。この板と板。重ねると『全く同じ規格』だと分かる。はみ出た部分が無いんだ」
ラスは手当たり次第に触り、持ち、確かめる。
「どれも、とても精巧に作られていますね。用途は分かりませんが、腕の良い職人が居たのでしょう」
黒く四角い板。巨大な物から小さな物まで。『板』の数はとても多かった。
――
さらに進むと、ひとつの小さな部屋に入った。ここだけ、他の部屋と様子が違っている。壁に大きく描かれたモノがあった。
「……この『マーク』は色んな所にあるな」
「文字でしょうか。ラスは読めませんか?」
「人族に文字は無い。昔はあったんだろうがな」
それは、赤い血のようなもので。
『こう』書かれていた。
【Project:ALPHA】
【We will keep living on this world】
その『英文』を理解できる者は、今この世界にはひとりとして存在しないだろう。
ただの記号の羅列としてしか受け取れないふたり。
「人族の文化。否。文明でしょう。今の世界の文明とは全く違った物だったと思います」
「……まあ、今の文明は魔法を基盤にしてるだろうからな。しかし人族だけの世界か。もう2度とあり得ない世界。どんなんだったろうな」
「文字は、誰かに何かを伝えるためにある物です。『彼ら』はそう願い、ここへ書いた筈」
「……伝わったのかね。その『誰か』に」
「それは誰にも分かりません。……もう戻りますか?」
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