上 下
44 / 50
終章:彼の夢

第44話 最後の夜②

しおりを挟む
「風邪を」
「……」
 目的地は特に無かった。気の向くまま進むと、ここに辿り着いた。『それ』を見付けてくれる、ある種の信頼。だから特別驚きもしなかった。
「引かれますよ。ヒューリ様」
 旅館の屋根の上で。ヒューリは空を見ていた。雪は降っているのに、星が見える。不思議な空を。
「……ああ」
 こちらを見ることもなく、ぞんざいな返事をした彼を見て、シエラはにこりと笑って右隣に立った。同じく、星を見る。
「熱魔法は?」
「……ああ」
 ふわりと、翼を広げる。彼女の右の翼は魔物にもがれて無くなっている。残る左側の翼で、撫でるようにヒューリを包む。
 そしてゆっくりと腰を下ろし、彼へ熱魔法を掛けた。
「……遂に、ですね」
「ああ」
 次に、下を見る。この建物は特別高い訳ではないが、眼下には街が見える。魔物が破壊した街と、それを建て直す人々の様子。流石に夜は作業をしないようで、どこも寝静まっている。
「亜人でも、『市民』なら戦闘に慣れていないことを知った。『魔道具』と『気功』があれば、人族でも充分国を護っていける」
「……ええ」
「建国は成る。今は考えなくて良いが、やがて『虹の国』の庇護下からの独立も。レイジの言う『人権』を、人族全員が獲得できる時代になる」
「ええ」
 ヒューリは機嫌が良いようだった。それを見たシエラも、笑みを絶やさない。
「……『根絶やし』は、もう良いので?」
 そして、悪戯にそう言った。
「ふん。それは手段だ。目的と手段は履き違えちゃいけねえ。『思い知らせる』目的は果たせる。俺達の怒りは、な」
「……ふふ。ええ」
「お前は、どうするんだ」
「!」
 そこで初めて、ヒューリはシエラを見た。夜空より黒い漆黒の瞳を。
「…………。私はどこまでも。ヒューリ様のお側に」
「嘘吐け」
「!」
 返事までの少しの『間』を、ヒューリは見逃さなかった。
「本心を言え。シエラ」
「…………はい」
 シエラも、彼の瞳を見返した。あの日の決意の揺るがぬ炎の瞳を。
「……どれだけ掛かっても。やはり『再興』……したいと、思っています。私も一応、王女ですので……。『羽の国』を」
「それだけか?」
 ヒューリには、全てお見通しであった。
「……できればヒューリ様と、共に。ですがそれはヒューリ様の邪魔になります。お聞き長しください」
 口を滑らせた後、目線を逸らして慌てて否定する。だが。
「見せろ」
「えっ……」
 ヒューリがぐいと、シエラを『捕まえた』。
「砕けた羽根の痕だ。どこが痛む。見せてみろ」
「あっ……。ヒューリ様」
 やや強引に抱き寄せる。シエラはひとつも抵抗しない。
「『次は俺の番だ』」
「!」
 そして耳元で小さく囁いた。
「お前の国を救えないくらい。それを許さないくらい、俺の器が小さいと思っているのか、お前は」
「いえ。……そんな。……あっ」
 両肩を鷲掴み。
 無理矢理『視線を叩き付けた』。
「お前には本当に感謝している。【だから】」
 そして、うなじに生える羽毛を撫でる。
「あっ……」
 シエラから、嬌声が漏れた。
「『残る左翼も懸けろ』。それでお前を」
「!!」
「——必ず『羽の国』の玉座に座らせてやる」
 ヒューリはもう、『人族の国のことなど』見てはいなかった。
 種族の悲願は達成された。後はもう。
 『個人の自由』を。
「……はいっ」
 両目に涙を浮かべたシエラが、惜し気もなく寒空の下、衣服を脱ぎ捨てた。
「ヒューリ様っ」
「……こんな所で良いのかよ」
「勿論です。——抱いてください」
 そして。

——

——

 一番奥の部屋。頑丈な造りと豪華な装飾。厳つい鍵の付けられた引き戸。近付くとふわり、『花』のような香りが漂ってくる。
 知らないが、知っている。しっかりと嗅いだことは無いが、これが何の香りなのか、理解できる。
 旅の間は、身を清めることなど無かった。お互いに。だが。

『人族にとって、亜人族は皆美男美女に見える』

 彼にとって、いくら『体臭』だろうが。『花のような香り』に感じてしまう。

 否。

 『その花』が『彼女と同じ』香りであることは、まだ気付いていない。部屋に生けられた『国花』の香り。恐らく彼が一番。
 安心する香り。
「……レナ?」
 外からは開けられない。ラスは部屋の前まで来てどうして良いか分からず、部屋の主の名前を呼んだ。
「——『ノック』を」
「なんだって?」
 扉の奥から返ってきた言葉を、理解できなくて訊き返す。その文化は、今の人族には無い。
「……手の甲で軽く、扉を3度叩くのです」
「…………?」
「マナー、ですよ」
「また『それ』か」
 訳も分からず、その通りにする。コンコンコンと3回。
「…………」
 ややあって、ガチャンと鍵の開く音がする。それからようやく、扉が開かれる。
「…………ラス」
 ひょっこりと、浴衣姿のレナリアが顔を覗かせた。
「……変な儀式だな」
「お互い様ですよ」
 顔を合わせるふたり。自然と顔が綻んでしまう。
「さあ、ようこそ来てくれました。どうぞ」
「あんたが呼んだんだろ?」
「あはは」
 猫のように手招きされ、部屋へ上がる。中は他の部屋と同じような畳が敷かれ、卓袱台と座布団がある。レナリアはそこへ、徳利と御猪口を用意していた。
「座ってください」
「……ああ」
 言われるがまま、座布団に胡座をかく。卓袱台を挟んだ対面、星と雪がよく見える窓を背にしてレナリアも正座した。
「さあ、まずは一杯」
「……良いけどよ。あんたはあんまり呑むなよ」
「あはは。何でですか?」
「…………」
 既に少し酒が入っていると感じたラス。だが注いで貰えば注ぎ返す。それがマナーである。
「『虹の国』の法か」
「いえ。違いますよ。『規則ルール』ではなく、『作法マナー』。破っても罰則はありませんが、『皆から嫌な顔』されます」
「……変な文化だ」
「物事を円滑に進めるのに必要なものです。……と、そんな話は置いておいて」
「ん」
 レナリアがふと、姿勢を正した。
「お疲れ様でした。ラス」
 色んな意味を込めて。
 御猪口を持ち、掲げる。風でふわりと揺れた白金の髪越しに、窓から星明かりと淡雪。
「……ああ。お疲れ様」
 一瞬だけ、『その景色』に見惚れてしまった。釣られて掲げた御猪口が『レナリアの位置より高い』のを見て、彼女は嬉しそうに笑った。
「なんだ?」

————

「……いえ。そう言えば、貴方とこうしてふたりで呑むのは初めてですね」

「まあ、そうか。呑気な旅じゃ無かったからな」

「どうですか? 私の国は」

「……良いな。暖かくて、美味くて、安全だ。ここだけじゃない。街全部、雰囲気が良い。まるで別世界だ。俺達の居た世界とは本当に何もかも違う」

「喜んでいただけたようで何よりです」

「『和』……て言うんだよな。良い言葉だ」

「私も好きです。理想論と言われようと、世界に広めたい考えですよ」

「……そうだな。そうなんだ。まだまだ世界は広い。まだまだ、苦しめられてる人族は沢山居る」

「でも、今日が最後の夜ですよ」

「……? 何がだ?」

「『人族が奴隷である』最後の夜」

「!」

「明日。私は解放宣言をします。世界に、人族の解放を呼び掛けます。そして、それが実行されるよう手段を尽くします」

「……ああ。感謝する。俺達も精一杯協力する」

「ふふっ。逆ですよ」

「?」

「『感謝』は私の台詞。『協力』も私達のすることです。……ありがとうございます、ラス」

「…………ああ」

「どうか、協力させてください。『人族の国』を。貴方達の、安息の地を」

「——分かってる。だが問題は山程ある」

「『それ』は、また明日から考えましょう。今は——……ただ貴方と、呑みたい気分です」

「…………ああ。そうだな」

「旅の終わりの乾杯ですよ。リルとウェルさんは寝てしまいましたけど」

「ああ。あのふたりにも世話になった。……リルは、家まで送ってやらなきゃな」

「ええ。行きましょう。きっと今度は、もっと楽しい旅です」

「そうだな。違いねえ」

「…………ラス」

————

「ん?」
 ちびちびと少しずつ呑んでいたレナリアが、御猪口を置いた。
 その白く綺麗な手の所作を見てから、顔を見上げる。
 すると、彼女の瞳と口元は少しだけ。
「『今』はまだ、貴方はただの『人族』です」
「ああ。……そう、だな……?」
「私は、会ったこともない『エドナ・ルーガ』を尊敬しています」
「はっ?」
「ラス」
「おう?」
 御猪口を置いたのは。経験からの対策である。
 これ以上呑んで、潰れない為に。
 今度こそ。

「私は貴方が好きです」

 気持ちを伝える為に。
「!」
 どくんと、心臓が揺れた。ふたりとも。レナリアは急激に緊張し、少しふらついてしまう。
「おいっ」
「………………」
 いくら、女王でも。『酒の力を借りなければ』伝えられなかった言葉。しかしそれを責める者は居ない。
 これが。
 これが『恋』であり。『駄目』であることは。
 その壁は。
 きっと素面では乗り越えられない高さなのだ。
「……私は子供に見えますか?」
 肩を支える、腕の中の彼女と目が合う。虹色の瞳。この世のものとは思えない、幻想的な妖しさと美しさを感じる『亜人人外の瞳』。
「…………見えねえ」
 自然と着崩された浴衣から覗く柔肌は、確実にラスの脳天を直撃した。
「良かった。……——んっ」
 接吻は2度目だが、『彼から』は。
しおりを挟む

処理中です...