5 / 30
第5話 ばしんばしん
しおりを挟む
「ばしん」
「?」
7月10日。もうすぐ夏休みだ。高校生最初の夏休み。……特に予定はないけど。
結局部活も入らなかった。特にやりたいこともないし、優愛の面倒を見なくちゃいけないし。
「ばしんばしーん。やー」
17時52分。
優愛が、パニピュアと違う歌を歌っていた。どうにもそれが、気になった。
「それ、新しい歌?」
パニピュアのOPが変わったとか、そんなところかなと、思ったんだ。
「んーん。『こーちゃん』」
「えっ?」
優愛は、こちらを向かずに答えた。今日は、ぬり絵ではなく自由帳に絵を描いている。いつものクレヨンで。
「ばしんばしーん。いたいいたいー」
「…………それ」
真剣な表情で。クレヨンを握りながら。
「……おかあさん、叩かれてるのか?」
「んー。そう。ばしんばしーん」
「…………大丈夫なのか」
「んー。だいじょぶよっておかあさんゆってるよ」
「……!」
恐らく、優愛はまだ『それ』がどういうことか分かってない。
真愛さんが、彼氏から暴力を受けてるんだ。でもなんで、急に優愛が。
「ばしーん。いたいたいー。だいじょぶよー」
「…………優愛さ」
「はーい」
一昨日に。
お呼ばれして、ご飯を食べたんだ。綺麗に掃除された、ワンルームに。男物の靴とか服とかあったけど。あれは彼氏のものだろう。
僕は。
これ以上無いくらい、気持ちが沈んだ。あずまやのベンチに、物理を無視して沈み込むくらい。
「……パニピュアの歌、歌ってよ。聞きたいな」
「いいよ!」
「今日は2番まで」
「うんー! ぱにっぱに~っ! あっちがう! ちゃらちゃっちゃちゃらーん! ぱに~っ」
それから、一言も喋れなかった。ご機嫌に歌ってくれる優愛の隣で、時間を忘れるくらい考えていた。
——
——
「やっ。お待たせーっ。今日はあのお客さん来ない日だったー。って、重明くん?」
あっという間に、時計は回って。真愛さんに声を掛けられてようやく、現実に戻ってきた。
「真愛さん」
「ん?」
見る。……最大限、お化粧で隠してるのが分かった。他の人や、僕も普段なら気付かないと思うけど、僕はずっと、真愛さんを見ていたから。
頬に。うっすら赤い、痕が。
「……僕の、せいだ」
「!」
バレたんだ。僕(男)が、部屋に来たことが。だから、手を上げられたんだ。優愛にまで、影響して。
「違うよ」
「でも今まで無かったじゃないか」
それで全部察した真愛さんは。即答して。僕も応えて。
「…………違うよ」
再度、そう言って。僕にもたれ掛かっている優愛を挟んで、ベンチに座った。
21時10分。
「……あったよ。今までも」
「えっ」
ぽつり。
「だから、重明くんのせいじゃない」
ぽつりと。
「けどね。昨日は。……うん。優愛の前では、本当にやめてって前から言ってたんだけどね。……優愛からも聞いた?」
「……叩いてるって」
「うん。……そうだよね。思いっきり、見られちゃったな」
今まで、僕に話してくれたことは無かった。『こーちゃん』という存在について。
真愛さんは、ぽつりぽつりと少しずつ、話し始めた。
「あんな人だと、思わなくってさ。重明くんと初めて会った時も。優愛を待たせてるのにって言っても、聞いてくれなくて。……わたしのこと知って、理解して、優しくしてくれたなって、最初は思ってたんだけど。多分、違った」
「…………」
「わたしの、身体目当てだったんだなって。最近気付いたんだ。優愛をね。全然可愛がってくれなくて。それよりどこかに預けてホテル行こう、みたいなさ」
僕は黙る。こういう時は、最後まで聞くべきだと思ったから。
「あの人もあの人で、30歳手前でフリーターで、苦労してるんだとは思うけどさ。年下の社員さんに上から言われたりさ。でも。それを。……わたしにぶつけるんだ」
じっと、地面を見詰めている。殆どひとりごと。だけど聞く。聞かなきゃいけない。
聞いたところで、僕ができることは、無いかも知れないけど。少しでも、真愛さんが楽になるなら。
「首とか。絞められるんだ。顔はね、あんまり。昨日はちょっと、酷かったけど。……隠せて、無かったかな」
「……ここ」
「…………あー。バレちゃったか」
僕が気付いた所を自分の頬で指差す。それを見るために、真愛さんがこっちを向いた。
辛そうな笑顔を、僕に向けた。精一杯、心配させないとするような、そんな笑顔。
「誰か、相談する相手は?」
「居ないよ。あのね。わたし、優愛を産んですぐ、こっちに来たんだ。逃げるように。言ってなかったね。○○県から来たんだよ」
「……警察は」
「…………あのね。実はね。わたし、ふたつバイトしてるでしょ? それって、ちょっと駄目な業種同士なんだよね。だから、それがバレちゃうと生活費が稼げなくなっちゃうの」
「えっ」
「……知らなかった、ってのは言い訳にしかならないんだけどさ。でも、今以上に良い環境のバイトは、多分無くて。今でも既にさ。ちょっときつくて。引っ越ししたいけど、今よりお家賃安い所も無くて、引っ越し費用も無いしさ」
「…………っ」
言葉が詰まった。何か、言わなきゃと思ったのに。
こんな状況でどうすれば良いかなんて。16歳の僕がこの場で思い付く訳もなくて。
「?」
7月10日。もうすぐ夏休みだ。高校生最初の夏休み。……特に予定はないけど。
結局部活も入らなかった。特にやりたいこともないし、優愛の面倒を見なくちゃいけないし。
「ばしんばしーん。やー」
17時52分。
優愛が、パニピュアと違う歌を歌っていた。どうにもそれが、気になった。
「それ、新しい歌?」
パニピュアのOPが変わったとか、そんなところかなと、思ったんだ。
「んーん。『こーちゃん』」
「えっ?」
優愛は、こちらを向かずに答えた。今日は、ぬり絵ではなく自由帳に絵を描いている。いつものクレヨンで。
「ばしんばしーん。いたいいたいー」
「…………それ」
真剣な表情で。クレヨンを握りながら。
「……おかあさん、叩かれてるのか?」
「んー。そう。ばしんばしーん」
「…………大丈夫なのか」
「んー。だいじょぶよっておかあさんゆってるよ」
「……!」
恐らく、優愛はまだ『それ』がどういうことか分かってない。
真愛さんが、彼氏から暴力を受けてるんだ。でもなんで、急に優愛が。
「ばしーん。いたいたいー。だいじょぶよー」
「…………優愛さ」
「はーい」
一昨日に。
お呼ばれして、ご飯を食べたんだ。綺麗に掃除された、ワンルームに。男物の靴とか服とかあったけど。あれは彼氏のものだろう。
僕は。
これ以上無いくらい、気持ちが沈んだ。あずまやのベンチに、物理を無視して沈み込むくらい。
「……パニピュアの歌、歌ってよ。聞きたいな」
「いいよ!」
「今日は2番まで」
「うんー! ぱにっぱに~っ! あっちがう! ちゃらちゃっちゃちゃらーん! ぱに~っ」
それから、一言も喋れなかった。ご機嫌に歌ってくれる優愛の隣で、時間を忘れるくらい考えていた。
——
——
「やっ。お待たせーっ。今日はあのお客さん来ない日だったー。って、重明くん?」
あっという間に、時計は回って。真愛さんに声を掛けられてようやく、現実に戻ってきた。
「真愛さん」
「ん?」
見る。……最大限、お化粧で隠してるのが分かった。他の人や、僕も普段なら気付かないと思うけど、僕はずっと、真愛さんを見ていたから。
頬に。うっすら赤い、痕が。
「……僕の、せいだ」
「!」
バレたんだ。僕(男)が、部屋に来たことが。だから、手を上げられたんだ。優愛にまで、影響して。
「違うよ」
「でも今まで無かったじゃないか」
それで全部察した真愛さんは。即答して。僕も応えて。
「…………違うよ」
再度、そう言って。僕にもたれ掛かっている優愛を挟んで、ベンチに座った。
21時10分。
「……あったよ。今までも」
「えっ」
ぽつり。
「だから、重明くんのせいじゃない」
ぽつりと。
「けどね。昨日は。……うん。優愛の前では、本当にやめてって前から言ってたんだけどね。……優愛からも聞いた?」
「……叩いてるって」
「うん。……そうだよね。思いっきり、見られちゃったな」
今まで、僕に話してくれたことは無かった。『こーちゃん』という存在について。
真愛さんは、ぽつりぽつりと少しずつ、話し始めた。
「あんな人だと、思わなくってさ。重明くんと初めて会った時も。優愛を待たせてるのにって言っても、聞いてくれなくて。……わたしのこと知って、理解して、優しくしてくれたなって、最初は思ってたんだけど。多分、違った」
「…………」
「わたしの、身体目当てだったんだなって。最近気付いたんだ。優愛をね。全然可愛がってくれなくて。それよりどこかに預けてホテル行こう、みたいなさ」
僕は黙る。こういう時は、最後まで聞くべきだと思ったから。
「あの人もあの人で、30歳手前でフリーターで、苦労してるんだとは思うけどさ。年下の社員さんに上から言われたりさ。でも。それを。……わたしにぶつけるんだ」
じっと、地面を見詰めている。殆どひとりごと。だけど聞く。聞かなきゃいけない。
聞いたところで、僕ができることは、無いかも知れないけど。少しでも、真愛さんが楽になるなら。
「首とか。絞められるんだ。顔はね、あんまり。昨日はちょっと、酷かったけど。……隠せて、無かったかな」
「……ここ」
「…………あー。バレちゃったか」
僕が気付いた所を自分の頬で指差す。それを見るために、真愛さんがこっちを向いた。
辛そうな笑顔を、僕に向けた。精一杯、心配させないとするような、そんな笑顔。
「誰か、相談する相手は?」
「居ないよ。あのね。わたし、優愛を産んですぐ、こっちに来たんだ。逃げるように。言ってなかったね。○○県から来たんだよ」
「……警察は」
「…………あのね。実はね。わたし、ふたつバイトしてるでしょ? それって、ちょっと駄目な業種同士なんだよね。だから、それがバレちゃうと生活費が稼げなくなっちゃうの」
「えっ」
「……知らなかった、ってのは言い訳にしかならないんだけどさ。でも、今以上に良い環境のバイトは、多分無くて。今でも既にさ。ちょっときつくて。引っ越ししたいけど、今よりお家賃安い所も無くて、引っ越し費用も無いしさ」
「…………っ」
言葉が詰まった。何か、言わなきゃと思ったのに。
こんな状況でどうすれば良いかなんて。16歳の僕がこの場で思い付く訳もなくて。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる