GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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定石編

畠山京子と立花富岳(13歳0ヶ月)

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 原石戦(非公式戦)

 トーナメント戦。出場するのは二十歳以下五段以下の棋士十六人、上位成績の院生十六人。

 一回戦は全て『棋士vs院生』の組み合わせで行われる。

 互先先番六目半コミ出しで行われるが、院生は黒を持つ。二回戦以降、院生同士または棋士同士の対局となったらニギリを行う。

 持ち時間は一時間。使い切り一分秒読み。


 京子の一回戦の相手は、プロ試験を終えたばかりで院生順位を再編成されたA組一位の原田高貴こうき。槇原美樹の情報によると現在高校二年生らしい。来年には院生を辞めなければいけない十八歳になる。結果を残そうと必死に戦うだろう。

(なぁんか仕組まれた感じのする組み合わせなんだよなぁ……。その証拠に立花富岳とは決勝まで進まないと当たらないし)

 くじ引きで決めたはずなのに、どうにも「その番号のくじを」感がある。

 それに横峯理事長自ら進行を買って出て、マイクを握っていたのは本当に驚いた。

(あの垂れ目オヤジ、何しに来たんだ?)

 京子はチラッと壇上の横峯に目をやる。

 横峯は全体を見回しながら、対局開始の掛け声を出すタイミングを計っているようだ。

 横峯の行動を不審に思いながらも着席した京子は、せっせとバックパックからノートと鉛筆を取り出し、黒いヘアゴムで髪を後ろでひとつに縛る。

 シャーペンではなく鉛筆を使うのは、シャーペンに通信機器を細工していないか疑われないようにするためだ。同じ理由で消しゴムも使わない。二重線を引くか、大きくXと書く。耳の穴が見えるように髪を後ろでひとつに縛るのも、耳に小型スピーカーを装着していないか、いちゃもんをつけられないようにするためだ。


「ふーん。やっぱりノートが必要なんだ」

 対戦相手の原田が京子に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で言った。畠山京子は対局中、退屈になると学校の勉強をやりだすという噂も一緒に広まっているらしい。

 それにしてもこの男、本人に聞こえるか聞こえないかくらいの声で悪口を言うなんて、かなり陰湿な性格のようだ。喧嘩買取業者・畠山京子が黙っているわけがない。

「ええ。対局中って、いろんなアイデアが沸いてくるんですよ。それを書き留めておくんです」

 原田は驚いた表情をした。声に出して言っていたと気づいていないようだ。

(口の運動神経の経由が上手くいってない人なのかねぇ)

 京子は原田のように口には出さずに、心の中で毒づく。


《それでは対局を始めて下さい》


 垂れ目オヤジが号令を出す。一斉に「お願いします」と礼をして対局が始まった。



 ●○●○●○



 京子は序盤から早々に仕掛けると、原田はあっけなく自滅してしまい、右下隅の黒は全滅してしまった。なのにまだ性懲りも無く打ち続ける気らしい。投了する気配が全くない。

 開始からたった十九分。京子の持ち時間はまだ五十六分も残っている。京子はしょうがなくノートを広げた。

 それを挑発と受け取った原田は、わざと間を開けずに打つ。しかし京子は無視して黙々とノートに数字とアルファベットと記号を書き込んでいく。

「ノート、やめてくれないか?気が散るんだけど」

「今は私の手番です。抗議はご自分の手番の時にどうぞ」

 わかりやすい言いががりだったので、京子は軽くあしらった。だが京子のこのぞんざいな言い方が癇に障ったのだろう。原田は今度は京子にハッキリ聞こえるように、こんな嫌味を言い出した。

「ずりぃよな。岡本先生の弟子になったってだけで、こんだけ打てるようになれるんだからよ」

 思った通りの陰湿さだ。わかりやすくて助かる。

「でしたら、原田さんも岡本先生に弟子入りされたらどうですか?応援しますよ。私の弟弟子になるわけですよね。私よりの弟子が出来るのは喜ばしいです」

 自分より四歳も年下の中学生に「下」と言われた原田はあからさまに嫌そうな顔をした。

(自分から喧嘩売っといて、なんだよその顔。本当お子ちゃまだな)

「どうします?岡本先生に紹介しましょうか?ただし弟子入り出来るかどうかは、原田さんのですけど」

 京子は「実力次第」の部分を嫌味ったらしく強調し、薄ら笑いを浮かべて原田を半眼で見つめる。

 原田は京子を睨み返す。

(返事しろや。ったく、来年には成人になるのに。お子ちゃまから格下げ。大きな赤ちゃんだな)

 京子は「ふぅ」と軽く溜息をつき、白石を持つと左上隅に黒の根拠を潰す強烈な一手を打った。これでここの黒は瀕死状態になってしまった。

「……っ‼︎」

 原田が声にならない呻き声を出す。

「どうなさいますか?弟子入りの話」

 ガリッと嫌な音がした。原田は慌てて口を押さえる。どうやら歯軋りした原田の歯が欠けたようだ。

 すると原田は白石を盤に打ちつけ、くぐもった声で何か言った。

「すみません。よく聞こえなかったのですけど」

 京子の問いに答えることなく、原田は立ち上がると石を片付けずに部屋から出ていった。歯が欠けたぐらいで喋れなくなるなんて事はないだろうに。

 それにしてもなんてマナーの悪い人なんだ。通年院生上位にいる原田がなぜ棋士プロになれないのか、こんな行動からも納得がいく。

 京子は仕方なく全ての石を一人で片付け、居なくなった相手に向かって「ありがとうございました」と礼をした。

 結果報告しようと立ち上がった京子は、大広間の隅で腕組みして対局を眺めていた横峯理事長と目が合った。が、横峯はすぐ京子から視線を外した。

 誰かの対局を見るでもなく、ずっと腕組みして立っているだけだ。かと言って京子と富岳がまた騒動を起こさないか、監視している様子もない。

(本当、何しに来たんだろ?)

 京子は結果報告を済ませ、次の対戦相手の対局を数手見学した後、大広間の隅でまたノートを広げた。



 ●○●○●○



 原石戦 二日目

 今日は準決勝と決勝が行われる。

 残っている四人、全員が棋士プロだ。

 秋山宗介 三段
 立花富岳 二段
 槇原美樹 初段
 畠山京子 初段

 四人とも来年一月に韓国で行われる国際棋戦・瑪瑙めのう戦出場メンバーだ。


「おはよう、京子。調子いいみたいだね」

 大広間のトーナメント表を見ていた京子に、田村優里亜が歩み寄る。今日の田村はモヘアの白いタートルネックのセーターを着ている。女性らしいふくよかな体格のせいもあり、年齢より大人びて見える。一方、京子は上はトレーナー、下はジーンズにスニーカー。動き易さ重視のコーディネートだ。

「おはようございます、ユリ姉」

 京子がニカッと笑って白い歯を見せる。

「京子にそう呼ばれると気が抜けるわぁ」

 田村が首をちょっと横に傾げる。こんなちょっとした仕草も大人びて見える。

「あはは!田村先輩、みんなに慕われてるんですね!私も慕ってますけど!」

「慕ってるっていうより、集りに来るって感じ?」

「それを世間では慕ってるって言うんですよ!」

「私の知ってる「慕ってる」と、なんか違ーう!」

「先輩、ぜいたくー!」

 キャッキャと声を上げて、岡本幸浩の弟子は笑う。

 こんな風に喋っていれば、どこにでもよくいる普通の女子中学生なのに。あの強さはどうやって手に入れたんだろう……。

 京子はまたトーナメント表に視線を戻す。つられて田村も表に視線を移す。

「やっぱり私、田村先輩と対局したかったです」

 このトーナメント表に田村優里亜の名前は無い。田村の新しい院生順位はA組七位だが、現在、女流棋士採用特別試験が行われており、田村は院生順位上位シードで予選免除された。つまり『棋士採用試験中により』、この原石戦に田村は出場できない。昨日今日ここには勉強に来た。

「私は女流試験を口実に原石戦出場しなくていいから助かったんだけどねー」

「そんなに私と対局するの、嫌ですか?」

「当たり前でしょ!多面打ちでもフルボッコにされた私の気持ち、考えてみなさいよ!」

 半年前、初めて囲碁部で指導碁をおこなった時の話だ。

「先輩。そんな気概の無さじゃ、棋士プロになれませんよ。『コイツ、ボコボコにしてやる!』ぐらいの心意気でないと」

「わかってる」

 そう言うと田村は黙って俯いた。

 プロ試験はいつも不安しかない。相手が幾分か知ってる院生なら緊張せずに打てる。でも去年は院生ではない、大会やイベントで会った事もない、『畠山京子』というイレギュラーが突然現れた。しかもあの岡本幸浩の弟子という鳴り物入りで。

 それだけで田村はパニックになってしまった。

 今年は研修順位上位で予選免除だったので、外来受験者と顔合わせもしていない。今年も本試験で何かしらのイレギュラーが起こるのではないか。そんな考えが頭をよぎる。去年のような思いはしたくない。


《おはようございます!では原石戦、準決勝を行います!》


 ずっと俯いていた田村はこの放送でハッと我に返った。気づくと京子は何も言わずに側にいた。

(さっきの、ちょっと言い方キツ過ぎたかな。なんか悪い事しちゃったかも……)

「田村先輩、行ってきます」

 グッと握り拳を作りファイティングポーズをして、いつも通りに田村に接する京子。

「うん。行ってらっしゃい!」

 田村はホッと息をつく。

 京子を応援しよう。それで京子の碁を盗もう。京子の碁は、私の理想とする碁、そのものだ。勘では打たない、しっかり読んで打つ、AIのような感じの碁だ。

 なんとしてでも強くなるきっかけを掴まないと。

 私、絶対棋士プロになりたい!



 原石戦 準決勝

 秋山宗介 三段 対 立花富岳 二段

 槇原美樹 初段 対 畠山京子 初段



(今日は垂れ目オヤジ、居ないんだな)

 てっきり表彰式のプレゼンターでもやるのかと思っていたら、違うみたいだ。

(昨日、本当に何しに来たんだ?あの垂れ目オヤジ)


「京子ちゃんとは初対局だね」

 席に着き、ノートを取り出す京子に槇原美樹が話しかける。

 夏、イベントで一緒になった。兄弟子の江田と似た、ふわふわと地に足がついていないような雰囲気の人だ。

「そうですね。瑪瑙めのう戦の前哨戦といきたいですね」

「ふふっ。そうなりたいね」


 この二人の対局は二百五十手を超える熱戦となった。



 ●○●○●○



 原石戦 決勝

 立花富岳二段 対 畠山京子初段


 大方の予想通り、この組み合わせとなった。


(また何か言いたそうにこっちを見てるし)

 席に着いた立花富岳がジーッと目の前の京子を見ている。気持ち悪い。ストーカーとして訴えたい。

「畠山さん、お話があります」

 さっそくきたか。

「私はありません」

 間髪入れずに京子が答える。

「そう言わずに……」

「そうだよ京子ちゃん。富岳の話、聞いてやってよ」

「若様。どっちの味方なんですか?」

 若松は二人が座る席の机の真横に仁王立ちして、いつ盤外乱闘が始まってもすぐにどちらでも止めに入れるように待機している。事情を知ってる田村も居るが、体格のいい若松にこの場は任せるつもりらしい。ちなみに若松は昨日、二回戦で秋山宗介と戦っている。

「俺は二人の味方。だからとりあえず平和的解決を目指そうじゃないか」

 つまり談話の場を設けろと言いたいらしい。

 このまま私が逃げても、立花富岳はずっとストーカーのように尾いて廻るだろうから、ここは素直に応じた方が利口というものか。しょうがない。すっご~くイヤだけど!

「……わかりました。ここは若松さんの顔を立てておきます。で、立花さん。お話とは何でしょうか?」

 富岳の表情がパァーッと明るくなった。

 初めて見るな。この人のこんな明るい顔。表情筋、死んでる人だと思ってた。

「あのさ。昨日の朝に言いそびれたんだけどさ。俺、畠山さんにずっと言いたかったことがあるんだ」

 原石戦決勝の行方を見届けるため、二人を取り囲んでいた野次馬達がまた色めき立つ。

(え?やっぱり愛の告白⁉︎)
(やべぇ!俺、告白現場の目撃者になる)
(わーっ!スマホ持ってくれば良かったー!)
(誰か、録画してー!)


「畠山さん、俺……」

 富岳は一呼吸おいて再び口を開く。

 野次馬が固唾を飲む。


「俺はずっと畠山さんとワームホールの話をしたかったんだ‼︎」


(ワームホールって何?)

 野次馬が一気に色を失った。

(え?恋バナしてたんじゃないの?)
(愛の告白じゃないの?)
(ワームホール?)
(誰かワームホールの説明!)


「そのお話でしたら、もう間に合ってます」

 京子は制するように手をスッと伸ばし、間を置かずにすぐに答えた。まるで前もって答えを用意していたかのように。

(答えるの、早っ!)
(即答⁉︎)
(だからワームホールって何?)
(なに言ってんの?こいつら)


「えっ?でも半年前は誰でもメンバーを募集してるって……」

「半年前と状況が変わったんです。ウチの学校の部活動に『科学部』という部がありまして、ワームホールの話を持ちかけたところ意気投合しまして、なら一緒にやろうという話になりました」

 文化祭終了後、京子は対局中に書き留めたノートを持って『科学部』の部室へ行き、あのキャラの濃い部長に事情を説明したのだった。

「なので私はもうあなたは必要ありません」

 富岳はポカンと口を開けたまま動かなくなってしまった。

「『多様性』と『多角性』です。私と立花さんが組んで同じ場所で同じ研究をしたら、もし行き詰まりでもしたら二人して足止めしてしまうじゃないですか。だから別々の研究所で研究しましょう」

 ……と表面上こう言っておけば角が立たないだろう。

 私があんたと組みたくない理由はただひとつ。


 岡本先生を侮辱する奴なんかと組めるかーっ‼︎

 たとえ岡本先生があんたを許したとしても、私は絶対許さーん‼︎


 それに絶対この人、いつか他人の手柄を横取りするだろ‼︎『裏切り顔』してるし!

 そんな奴と組んだら、どんな問題が起こるか、予想出来過ぎるわ‼︎


「とにかく私はあなたとは組みませんので、あなたはあなたでメンバーを探して下さい。スーパーカミオカンデなり、なんなり」


 富岳はまだポカンとしている。

(……は?「誰でも歓迎!」みたいに言ってたくせに?なんで急に?状況が変わったから?)

 なんで状況が変わったくらいで仲間に入れてもらえないんだ?

「……じゃあ畠山、俺と勝負しろ!俺が原石戦優勝したら、俺をその科学部とのワームホール制作チームに入れてくれ!」

「また勝負ですか?芸が無いですね。それになんでウチの学校の生徒で無い立花さんをメンバーに?あなたも学校の部活動でメンバーを募ればいいじゃないですか」

「ははっ!俺に勝てそうにないから、この勝負、受けたくないってか?」

「前回の翠玉エメラルド戦では私が勝ちましたが」

「あれは時間切れでだろ!実力で負けたんじゃない!」

「友達がいないと大変ですね。チームも組めないから必死になっちゃって……」

 京子は横を向いて大きな溜息をついた。

「それとこれとは関係ないだろ!」

「ありますよ。コミュ症でチームを組む仲間を自力で見つけられそうにないから、手っ取り早く私と組みたいんでしょ?」

 この大勢の人の前で、よく他人に恥をかかせるような発言できるな、このデカ女!

「とにかく、このお話はこれで終わりです」

 京子はツンとすまして口を噤んだ。


 なんだコレ。全く取りつく島もない。


 ……あれ?なんで俺、あんなにムキになって畠山に謝罪したかったんだ?

 よく考えてみれば、畠山だって病院に見舞いに来た時、岡本先生と一緒に一回頭を下げただけだったよな。(正式に謝罪したのに、俺に会うたび謝罪するのも変だけど)

 俺、入院で学校を休んだ分の補習、学年一位で成績優秀なのに受ける羽目になって、夏休みを半分は無駄にしたんだけど。(体育の補習だけど)

 金緑石アレキサンドライト戦、負けたし、あいつに会ってから碌なこと起こらないんだけど!(負けたのは自分の力不足だけども!)

 なんか色々納得いかねぇ!(ただの八つ当たりだけど!)


「ああそうか!じゃあ俺とお前、どっちが早くワームホールを作成できるか、競争だ‼︎」

「戦線布告ですか。面白い。その勝負、受けて立ちましょう」


 それでいい。こうやって競争すれば、ワームホール完成までのスピードも上がる。

 ああそうだ。それに丁度いい材料もある。夏に記録係として山口県に行った時、三嶋に啖呵を切ったアレだ。


「ついでですから、どちらが早く先に七大棋戦を手に入れるかも競争しませんか。囲碁棋士としてもどちらが上か、競争しましょうよ」

 京子は富岳を睨めつける。

 これを聞いた富岳は、三嶋のように「女には無理だ」と嘲笑うような事はしなかった。

 代わりに体をブルッと武者震いのように震わせた。

「面白い!やってやろうじゃねぇか!どっちが先に棋戦優勝者タイトルホルダーになるか、競争だ‼︎」


 京子は売られた喧嘩は買うが、売りつける真似はしない。おそらくこれが初めてだ。喧嘩を売るのは。

 しかしこの喧嘩は売るだけの価値が京子にはある。

(綺麗に咲かせてくれよ、喧嘩花)


《原石戦、決勝戦。始めて下さい》


 富岳が白石をニギる。

 京子が指に当たった黒石を取り出す。


「それでは始めましょうか。立花さん」

「ああ!絶対勝ってやる!」



 これから何十年と続く、長い長い戦いの火蓋はこのように切られた。



 ●○●○●○



『男女の間に友情は成り立つか?』

 という話は数多あるが、

『男女の間にライバル関係は成り立つか?』


 これはそんなお話———。





   定石編 完



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