GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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布石編

金緑石戦決勝第二局(後編)『感想戦と感想』

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 金緑石戦第二局が行われている同日、『幽玄の間』では黄玉トパーズ戦挑戦者決定戦が行われていた。


 昼食休憩に入り、豊本とよもと武は自身の対局の記録係に『青雲の間』で行われている棋譜を手にいれるよう頼んだ。

 普段はこんな事はしない。自分の対局に集中する。

 しかし今日は、隣の部屋で畠山亮司の娘がタイトルを賭けて対局していると思うと、気も漫ろになる。トイレで中座する度、このまま青雲の間へ覗きに行こうかという衝動に駆られた。

 棋士になって20年以上が経つ。今まで対局中に他人の対局を気にしたことなど無かった。他人の対局が気になるなんて、集中していない証拠だ。しかし今日は、気にしないようにと思っても、壁の向こう側が気になる。集中出来ないなんて、対局相手にも失礼だ。

 しかし集中出来ないものは出来ない。
 ならばいっそ棋譜だけでも手に入れよう、と。

 今まで対局中に他の対局を覗いたことなど無い。初めてだ。もし、その碁が予想以上に面白くて、この後自分の対局に集中出来なくなるのではないか、という不安はあったが、好奇心の方が勝った。

 それにもう既にこれほど気になっているのだ。おそらく棋譜を見ても見なくても、今日はもう自分の対局どころではないだろう。


 記録係の若手棋士は思いの外、早くに金緑石戦の棋譜を休憩室まで届けてくれた。礼を言い、早く昼食休憩を取るようにと伝えると、奪うように棋譜を受け取った。

 黒と赤で書かれた棋譜に目を通す。

 まさかの『風車』に思わず「うっ」と唸る。

 二手目以降、三手目黒13の15、白7の13、7の5、13の7、5の13、13の13と進んでいた。このまま第一局のように中央で戦う碁になるのかと思いきや、九手目、畠山京子は右上隅の小目に打ち、地を取りにいった。

 どう考えてもこの形、黒は隅で有利になった。が、白は黒の
その手を見逃さず三々に入った。これで白は上下から黒を挟み撃ちにする形になった。これで五分だ。

「こっちの対局の方が、面白そうじゃないか」

 人生初、わざと負けてさっさと対局を終わらせようか、などと不届きなことを考えた。それほどこの棋譜は魅力的だった。



 ●○●○●○



 夜7時を回った。

 『青雲の間』で行われている持ち時間3時間の金緑石戦は、300手を超える激闘となっていた。

 コウ立ても無いのに、お互いのアゲハマは蓋に入りきらずに溢れ落ちている。相手の石を殺し、自分の石を殺され、まさに乱戦となったこの戦いは、314手を立花富岳が打ち、畠山京子が終局を申し出て立花が了承し、終局した。

 整地が始まる。

 対局していた当人達は、勝敗は分かっている。しかし、この作業は必ずやらなければならない作業だ。

 盤上は黒と白の石で埋めつくされた。わずかに残った地は黒のみ。そして盤に乗らなかった白石のアゲハマ。コミは6目半。それらを差し引く。

 白番立花富岳の半目勝ちだった。


 汗だくの京子は6階全体に轟くような大声で「ありがとうございました」と礼をした。部活でも使っているスポーツタオルでゴシゴシと顔を拭き、ふぅと大きく溜め息をついた。


 富岳は呆然と盤上の碁石を眺める。初めて京子と対戦した時と全く同じ展開だった。こちらが大きくリードしているのに、中盤以降どんどん差を詰められて、あわやという所で終局。しかしその時とは明らかに違和感がある。

 (コイツ、俺がまだヨセが苦手か、力量を図った……?)


「立花さん!」
「ほい!」

 京子から突然大声で話しかけられて、思わず声が裏返る。

「先程の話なんですけど!」
「先程って?」
「朝方の天使の羽の件です」
「……は?感想戦するんじゃないのか!?それにその話、もう納得したんじゃないの?」
「もし空を飛べるように人間に翼を付けるとしたら、立花さんはどんな翼を付けますか?」

 (えええ~?局後にそんな話?……くっそう!嫌いな話じゃない。むしろ語りたい……)

「……まぁ、同じ哺乳類だし、コウモリみたいな翼かな?」
「ですよね!皮膜のほうが重量に耐えられますもんね!」


「先生方、大変申し訳ないのですが」

 棋院職員の白川がいつの間にか入室していた。

「突然で申し訳ないのですが、お二人に大盤解説をお願いしたいのですが」

「え?今日は、大盤解説は黄玉戦の挑決だけで、金緑石戦は優勝が決まったら、って話だったと……」

 負けた京子が仏頂面で白川に言い返した。

「はい。その予定だったんですが、豊本先生がどうしてもお二人から話を伺いたいと……」

「おい畠山。ネットに流れてるから、その顔やめろ。棋院のホームページごと炎上するぞ」
「元がこういう顔だから無理です。ていうか豊本先生も意地悪ですね。負けたその面拝んでやるから出てこいと?」
「言い方!」
「そりゃ立花さんはいいですよね。勝ったんだし。負けたのにあんな大物に請われて会わなきゃならないなんて、どんな苦行ですか」
「人前で感想戦やるのも棋士の仕事なんだからな!出ろよ」
「辛すぎる……。私、畠山京子はこの瞬間をもちまして棋士を引退いたします」
「そんな理由で辞めるな!棋士になってまだ一年半だろ!」
「3か月休んでたんで、1年強ですね」
「細かいな!」


  テンポのいい漫才に、ネットでは炎上どころか草が生えていた。



 ●○●○●○



 富岳と京子が2階の大広間に姿を現すと、歓声と拍手が沸き起こった。黄玉戦の大盤解説に来た客しかいないはずなのに、客席にいる全員が若手棋士二人を拍手で出迎えてくれた。

 今まで味わったことの無い空気に、富岳は思わずたじろいだ。

 京子はというと、今日勝利した富岳を差し置いてさっさと壇上に上がり、『この歓声は全て私のもの』と謂わんばかりに笑顔で観客に手を振って応えている。

 (さっきまでアイツ、ここに来るのを嫌がってなかったっけ?)

 現金な奴だ。これじゃ、どっちが勝者でどっちが敗者かわからない。


 黄玉戦で聞き手を務めた東原沙羅三段が、引き続き司会進行を引き受けた。

『金緑石戦でハラハラドキドキする碁を見せてくれました、立花富岳三段と畠山京子初段にお越しいただきましたー!』

 二人が入場した時よりも更に大きな拍手が鳴り響いた。

 二人は深々とお辞儀をする。負けた京子は堂々と胸を張って。勝った富岳はおどおどと自信なさげに。


 黄玉戦挑戦者決定戦を勝利し、挑戦権を得た豊本武がマイクを握った。相変わらずガリガリに痩せていて、大盤解説が終わるまでマイクを持ち続けていられるのか、見ているこっちが心配になる。

「立花くん、畠山さん、お疲れ様でした。僕の我が儘を聞いてくれて、ありがとう」

 豊本がニヤリと笑う。

 富岳の視界の隅に、ブルッと身震いする京子の姿が映った。笑顔が引き攣っている。

 (もしかして畠山、豊本先生が苦手なんじゃ……?)

 豊本はその容貌と石を自在に生かし殺すその棋風から『死神』という異名を持つ。

 (まぁ俺も豊本先生に棋院の廊下でバッタリ会った時に、すんげぇビックリした事あったけどな……)


「それではまず、先番の畠山さんから話を伺っていきたいと思います。畠山さん。第一局に続き今回も『風車』だった訳だけど、これは立花くんに触発されて?」


 おいおい死神さん。いきなり何を聞き出すんだよ!?いくらトップ棋士でも、底辺の若手棋士にもうちょっと気を使ってくれてもいいんじゃないの?畠山の答えによっては、思春期の心のデリケートゾーンに風穴が空くぞ!

 どうせ畠山が何を言っても「トップ棋士でも難しいのにこんな無茶な手を」とか言うんだろ。だよな。結局お互い『風車』を打ったほうが負けたんだし。……俺、もう『風車』を打った過去を削除したい……。


 京子はしっかりマイクを握り、質問した豊本の方ではなく客席の方を向いて答えた。

「私は棋士になる前、師匠の岡本幸浩先生からこう言われたんです。『棋士プロになったら、見ている人達が「自分もこういう碁を打ってみたい」と思わせる碁を打ちなさい』って。第一局で立花さんが初手を15の7に打ってきて、『きっと岡本先生が言ってた事ってこういう事なんだろうな』って。それで私も立花さんの真似したくなっちゃいました。てへっ」


 (……「てへっ」じゃねぇよ。そんなキャラじゃ無いだろ、お前)

 富岳は自分の顔が火照っていくのを感じた。

 (いやいやいや。これは別に嬉しいとかじゃ無いし!)

「あら立花くん、顔が真っ赤。照れちゃった?」

 (東原さん、そういうこと言うなよ!)

「立花さん。美少女棋士畠山京子が褒めるなんて珍しいですよ!もっと照れて下さい!」
「なぜお前まで一緒になって煽る!?それから自分の事を美少女とか言うな。ここは日本だぞ。謙虚って言葉、知ってるか?」
「“美少女”の部分を訂正しろ、って言われるのかと思ってました。ってことは、立花さんも私のこと美少女だと思ってるんですね」
「俺はお前のそういうところが大嫌いだ」
「顔だけでも好きならオッケーでーす!」

 観客が笑いを堪えきれず、ニヤニヤくすくすと笑い出す。


「対局が終わった後、何か話していたみたいだけど、何を話していたんですか?」

 豊本の質問だ。対局の内容以外の事を質問するのは、豊本にとっては珍しい。観客も、いつもと違う豊本の様子に、笑いを止め、若手棋士の答えに耳を傾ける。


「「航空力学です」」

 富岳と京子が声を揃えて答える。

「「……こ?うくう……?」」

 豊本と聞き手の東原が、きょとんとする。

「ええ。ヒトの背中に鳥類の羽をそのままくっ付けても空を飛べない、って話です」
「そう。まず形状的に背中にそのままくっ付けて動かしても、地面に対して水平移動するだけで、飛べるようにはならない」
「それに羽根の構造もヒトぐらいの重さを浮かすだけの耐久がない。だから形状も構造も、なにもかもヒトに合わせて……」



 富岳と京子は、棋院職員の白川の乱入で(と二人は思っている)、中断された鳥の羽人間にくっ付けても飛べなくない?『天使の翼論争』を、感想戦も豊本もそっちのけで始めてしまった。

 豊本も東原も、なんとか脱線した話を感想戦に戻そうとしたが、その度に富岳と京子は示し会わせたかのように航空力学に話を戻し、結局、二人の気が済むまで話を続けさせた。
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