GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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次の一手編

爆弾は「解体処理」するか「爆破処理」するか【後編】

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 学校という狭いコロニーの中で、噂話が広まるのは速い。それこそ音速で広まる。おしゃべりな女子の耳に入れば尚更で、そこにイケメンという要素が加われば更に加速する。さらに文化祭というお祭り気分が、誰を彼をも浮かれさせ、口を軽くする。

 京子と司が対局を始めた直後、2人は囲碁を全く知らない女子に囲まれていた。

 囲碁将棋部の部室にこんなに人が集まったのは初めてで、部員達は京子の対局より、部室内で騒動になって怪我人が出ないかが心配になったほどだ。

 京子の真後ろで、誰にでも聞こえる音量でコソコソ話が始まる。そのどれもが司に関するものだ。

 「あのイケメン、誰?」
 「どこの学校の人?」
 「畠山さんとどんな関係?」

 などなど。近隣住民だろうか、私服の同年代の女子もいて、スマホを取り出して誰かに連絡している者もいる。さらに人数が増えそうだ。


 しかし2人はそんなことも気にせず、盤に集中する。

 京子はいきなり隅の黒石を取りにいった。

 出だしは司の参謀の言う通りだった。



 ◇◇◇◇◇



 「畠山京子の碁を一言で言うなら『相手の弱点を確実に叩く碁』です」

 参謀が開口一番にこう告げた。

 「それから相手に時間を使わせるのが、とても上手い。直近で言えば真珠戦挑戦手合第一局ですね。かくいう私もその手で危うい思いをしたことがあります。相手に時間を使わせるテクニックは、トップ棋士と遜色無いでしょう」

 司は大会の類いに出場した事が無い。だから時間の使い方がわからない。故意に敵の持ち時間をゼロにするなんて、どうすればそんな事が可能になるのか、見当もつかなかった。


 さっそく交流会で打った碁を思い出せる所まで並べて、参謀からの意見を聞いた。

 「ふざけてますね。これはあなたをおちょくってる碁です」

 わかっていた。本人もそう言っていた。

 「でも、まずいですね。一度でも打った事があるなら、畠山は確実に対策を練ってきます」

 再戦するかどうかも分からない素人相手にも?と司は参謀に聞いた。

 「ああ、勘違いされる言い方しましたね。失礼しました。プロだったら誰が相手でも局後検討するんで。それもそうなんですけど、畠山は根に持つ性格なんで、一度怒らせると、相手を地獄の果てまで追い詰めるんですよ」 

 なぜか参謀は遠い目をしていた。参謀も彼女を怒らせるような、何かをしたらしい。

 「あと、畠山は中央での戦いが滅茶苦茶強い。それからヨセだ。ヨセまでいったら、もう勝てない。ヨセに自信があるから、白番でも厭わない」

 どうやっても素人には勝てないんじゃないのか?

 「大丈夫。誰にでも弱点があるように、畠山にも弱点はあります。データ重視型なので、データに無い打ち方をすれば、ある程度は撹乱出来ます」

 ある程度、ですか。

 「ええ。残念ながら、岩井さんと畠山との実力の差は、奇策程度のもので埋められるレベルではありません」

 さすがにそこまで言われるとムカついた。これでも子供の頃から帝王学の一環として現役棋士を講師につけて碁を学んできた。自分はプロと遜色無いレベルだと自負している。

 参謀に「先生の実力を知りたい」と言ってみた。

 「それなら星目九子局で打ちましょうか。私の実力がハッキリわかるでしょう」

 と参謀は言った。コイツもふざけてる、と思った。

 でも参謀の言う通り、これなら実力の差がハッキリ分かる。

 そして同い年だが、彼はプロなんだという事を、まざまざとと思い知らされた。



 ◇◇◇◇◇



 『「プロの戦いは陣地の取り合いにはなりません。石の殺し合いになります」』

 参謀の言葉が甦る。

 畠山京子はガンガン石をぶつけ、超接近戦で黒石を殺しに来る。

 『「中央で戦う【詰碁問題】は無いんですよ。隅を取る方が有利だし、問題を作る方も楽だし。岡本門下のiTwitterイツイッター見てますか?畠山が作成した問題に、時々中央の詰碁があるんですよ。それくらいアイツは中央での戦いに自信がある」』

 参謀の言葉が過る。呼び方が「畠山」から「アイツ」になった。「彼女とは親しくない」と言っていたが、それなりの付き合いがあるように感じた。

 『「だから畠山は、序盤は隅で牽制して、得意な中央で勝負に出るでしょう。そしてヨセで確実に息の根を止めにくる。
 ですから作戦はこうです。畠山は見栄っ張りですから、おそらくあなたとの星目風鈴中四目トップハンデでの対局を断らないでしょう。プライドが許しませんか?でも優位に戦えるなら、小さいプライドは捨てましょう。これならあなたは白石を殺す必要は無い、囲うだけでいい。後は、あなたが時計を使わないように。畠山に時計を使わせるようにするんです」』

 時計を使う、という言葉は、時間を逐一確認しながら仕事をする人の隠語なのだろうか。前にもどこかで聞いた事がある。

 そんな事を思いながら、司は時計の使い方を重点に置いて参謀から指導を乞う。

 『「相手が早打ちだと、こちらも焦る、急かされるんですよ。日本人特有の性格なのか、自分はのんびりしていてもいいのに体を動かしていないと落ち着かない、みたいな」』

 それは司にも納得出来た。だから相手の早打ちに飲まれないように、参謀と早打ちの稽古を徹底的にした。


 司は参謀から教わった通りに、とにかく囲う。しかし京子もそれに気づいて、石をぶつけてきて黒を切断する、殺そうとする。思い通りに繋げられない箇所が何ヵ所か出てきた。

 とにかく時間を使わないように、相手が打ったらなるべく早く、こちらも打ち返す。焦らないように、ミスしないように。ただし決断は早く。


 ここまでは順調だった。ある手を打つまでは。


 司の持ち時間が11分19秒、京子の持ち時間は3分51秒。時間切れによる強制終了まで半分の所まできた。

 予定では、京子の持ち時間は半分の2分30秒になっているはずだった。思っていたより、京子に時間を使わせられていない。

 京子は司が打った直後、ノータイムで打ってきた。司が対局時計のボタンを押した直後に京子もボタンを押す。

 想定していたし、参謀との稽古でもそうやってきた。

 ノータイムで相手が打ってくると、思ったより「イラッ」とくるものだ。自分が考えに考え抜いて打った渾身の一手を、蚊に刺されたより薄いリアクションで返されるようで。

 そんな苛立ちと、慣れない環境で碁を打つというプレッシャーの相乗効果で、司の判断は徐々に狂わされていった。

 (攻めたい!攻めて一気に片をつけたい!)

 この1ヶ月間、参謀の碁を見てきた。鋭く、的確に、少ない手数で敵の息の根を止めるような碁。

 かっこいいと思った。

 同い年の、同姓にこんな感情を持つのは、プライドが許さなかったが、それでも「こんな強さがあるのか」と憧れた。

 僕もこんな碁を打ってみたい、と思った。

 自分にも打てると思った。それにこれだけのハンデがある。白は黒の切断を狙った手は打ってくるが、その後の攻めが続かない。

 (攻めきれるのでは?)

 そんな欲望に駆られる。

 チラリと時計を見る。自分の持ち時間はまだ10分以上ある。

 (動くならこのタイミングしかないな)

 司が意を決して攻める。参謀が司にやって見せたように、黒にぶつけてきた白をハサミ込む。


 それまで司が打った後すぐに打ち返していた京子が、この手を見て動きを止めた。

「……そうですか。そういう事だったんですね」

 京子は持っていた白石を碁笥に戻して「はぁー」と大きく溜め息を吐いた。そして誰にでも聞こえる音量で、独り言が始まった。

「……あんの野郎!どんだけ私の事が嫌いなんだよ!つーか、三島さんも三島さんだ!!」

 京子は握り拳を作り、思いきり机を叩いた。ドン!という大きな音が部室内に響いて机が揺れ、一瞬石が宙に浮いた。

 (もしかして今の一手で参謀が誰なのか、気づいたのか?)

 『「一度でも打った事があるなら、誰の碁か分かる」』と参謀は言っていた。しかも三島なる人物の名前まで出してきた。

 畠山京子はこの一手で、参謀が立花富岳であると見抜いた。


 招待状がなければ絶対入場不可の洋峰学園文化祭に司が潜入できたのは、研究会を一緒にやっているという参謀・立花富岳の先輩棋士・三島大成の伝手だった。三島はこの文化祭にはもう興味が無いそうで、来ていない。富岳は一緒に行くのだと思っていたら「アイツに見つかったら殺される」と言うので、招待状代わりのチラシを富岳から受けとり、司は一人でやって来た。

 (それにしても、立花先生の「殺される」発言といい、畠山さんのこの怒り方といい、この二人の間に一体何があったんだ?)

 後で富岳から聞いてみようか、と思った司だが、正直に話してくれるかどうか、怪しい。


 突然、京子は顔を上げ、キョロキョロと辺りを見渡した。そして嘉正を見つけると、こんなお願いをした。

「石坂くん。お願いがあるんだけど。飲み物、買ってきてくれない?牛乳でもお茶でもスポドリでも、何でもいいから。お金は後で払うから」

 女子に部屋の隅に追いやられた嘉正が、「分かった」と言って部屋を出ていった。

 出ていく直前、対局時計を押す音が聞こえた。おそらく1分ぐらいだろうか。この対局の中で、京子が一番時間を使った手になっただろうと思う。

 文化祭開催中でも学校の至る所にある自動販売機は稼働していた。嘉正は部室から一番近い階段脇にある自販機にスマホをかざしボタンを二度押すとすぐに戻った。嘉正は人混みを掻き分け、京子にペットボトルのほうじ茶を渡す。嘉正は、京子がこのほうじ茶を昼によく買っているのを知っていた。

「あの、相手の方も、もし良ければ……」

 と言って、嘉正は司にも京子に渡した物と同じお茶を渡した。

「あ。ありがとうございます」

 司は嘉正に礼を言った。こういう所は、ちゃんと教育されているらしい。

「石坂くん。気が利く!ありがとう!」

 京子に礼を言われ、嘉正の顔が急に真っ赤になる。慌てて顔を伏せる。女子の「誰なんだよ、このチビメガネ」という視線が突き刺さる。

 京子は嘉正からお茶を受けとるなり、すぐさま口をつけた。ごくごくと音を立てて、500mlの半分位まで一気に飲んだ。

 京子をよく見ると、汗だくだった。

 棋士は一回の対局で、3㎏近く体重が落ちると聞いた事がある。

 つまり今、京子はそれだけ真剣に打っているということだ。

 嘉正は盤面を見る。女子に後ろに追いやられてしまったので、開始からほんの数手しか見れなかった。開始から20分ほど経った。今はどんな盤面になっているのか、また女子に追いやられないうちに、盤面を凝視する。

 (なんだこりゃ!?)

 黒はある程度繋がっていて、後は眼形を作ればいいだけになっている。

 かたや白は、全くバラバラ。繋がっていても2子ぐらいで、眼形も出来そうにない。

 (これ、大丈夫なのか!?)

 とにかく白は黒にぶつけて、黒に眼形を作らせないようにしているようには見える。でも、白も眼形を作って生きなくては黒を殺した意味が無い。白石が一気に死体の山となる。

 (畠山さん。どうするつもりなんだろう?まさか、結婚を前提にお付き合いを!?)

 ハラハラと碁盤を見つめる嘉正が、女子から足を踏まれる。嘉正が踏んだ訳では無いのに「すみません」と謝る。足を踏んだ女子に睨まれ、気の弱い嘉正はまた後ろに下がった。


 (ここまでは上手くいっている。ここまでは……)

 司は、京子の手を止めた先程の攻め手から、一気に攻めに転じた。白は防戦一方で、司が攻めに転じる前までの勢いは見られなくなった。

 もう一度、時計をチラ見する。京子の持ち時間がやっと2分を切った。

 (さっき、畠山さんが独り言を言ってる時、もう少し時間を使ったと思ったけど、あまり減ってないな)

 碁盤に視線を戻す。相変わらず、司が打つと京子はすぐさま打ち返す。まるで何も考えていないように。

 一瞬迷った。たった今、白が打った手。わざと隙を作るような、攻めたくなるような手を打ってきた。これは「釣り」なのでは、と司はこの手を無視して、今まで攻めていた右辺をさらに攻める。

 しかし、なんだろう?この違和感は?何か重大な事を忘れているような気がしてならない。

 人が変われば性格も変わる、打ち方も変わる。参謀と星目風鈴中四目で打った時とは、明らかに違う碁。参謀の碁は、「相手を真正面から殴る」ような碁だった。相手を徹底的に叩きのめし、こちらが白旗を揚げるまで攻撃を止めない。そんな碁だった。

 しかし京子のこの碁は、敵がいるのを分かっているのに泳がせているような、泳がせて敵の本丸を見つけ、まるごと壊滅させる機会を狙っているような碁だ。もしそうならこちらの本陣を隠してしまえばいい。

 上手く隠せているのだろうか。確かめる手立ては今は無い。

 そうだ。参謀は「畠山は勝負前に予告してくる」と言っていた。しかしまだそれらしきものはない。あるのは違和感だけだ。

 (気持ちが悪い。ずっと影から監視されているような……)

 司はハッと息を飲む。

 『「畠山が仕掛ける直前、『気持ちが悪い』と感じるんですよ。なんせ相手の弱点を突く碁ですからね。でも、そう思ったら要注意です。畠山の術中に嵌まっている可能性・大ですから」』

 そうか!これか!気持ちが悪い、というのは!!

 『「もしそうなったら、徹底的に逃げて下さい。正面から戦っても、あなたが勝てる相手ではありません」』

 逃げる!?何処へ!?

 逃げるなと教育された。攻撃は最大の防御だから、常に、何があっても攻めろ、と教えられてきた。逃げは負け犬だと、お前は犬に成り下がりたいのかと脅され育てられた。

 『「逃げなかったから、この国は敗戦国になったんじゃないですか。逃げて建て直し反撃の機会を窺う、逃げは立派な作戦です。逃げる方が勇気がいるんですよ。見た目には格好悪いですからね。でも格好つけて負けたら、尚更格好悪い。勝てば官軍、負ければ賊軍です。逃げの戦法を覚えて使って下さい」』

 そうだ!さっき迷った手。逃げれば良かったんだ!

 司の中央の黒石は眼形がひとつも無く、丸々白石に囲まれていた。

 『「畠山は中央での戦いは強いので……」』という立花富岳の声が頭の中を谺する。

 (生きられるのか!?)

 時間切れどころではなくなった。石が全滅しては時間切れも糞もない。作戦を変更しなければならなくなった。残りの時間を、司は黒石の生きる手を探すために使わざるを得なくなった。


 京子は、司が「逃げ」の戦法は選ばないのを知っていた。

 交流会の時。逃げれば助かるのに、攻めてきた。

 攻めるよう、教育されてきたのだろうと。

 しかし、司が指導を受けていたのは受け碁の安富篤先生。司の性格と、安富先生の碁とは明らかにミスマッチ。ちぐはぐな碁だった。

 時には長所は短所になるのだと、またある時は短所は長所になるのだと教育されていれば、京子は司にこの手を使わなかった。『攻めていた所を一旦引く』。それだけで司を罠にかけられると。司だから、司には有効だと踏んでいた。京子が静かに勝負手を放った時、司は受け一辺倒だった戦法を変え、急に攻めに転じた。しかし攻めに転じたせいで、司は今、自分で自分の首を絞めている。

 そして京子のこの作戦は見事嵌まった。

 司が時計を使っている。

 京子の作戦も司と同様、「敵に時間を使わせて、敵を時間切れ負けにさせる」だったのだ。自分の強みで戦う。勝負師の当たり前を実行しただけだ。

 (さて、参謀のお手並み拝見といきますか)

 京子は悠々とペットボトルのお茶を飲み干した。


 司は前屈みになり、中央の石を凝視する。どうすれば黒が生きられるのか、それだけを考える。

 時計を気にしてる暇は無い。ひたすら読む。

 (もしかしたら中央の石は諦めて、隅で確実に地を取りにいった方がいいのか?)

 司の考えは正しいのか、計算する。

 (でも、のんきに計算する時間なんて、あるのか!?)

 でもやるしかない。これだけの石を殺されてしまったら、時間切れ前に勝負がついてしまう。

 ひたすら読む。計算する。

 あとどのくらい時間は残っているのか、時計に目をやる。それと同時に「ピー」という機械音が鳴る。

「なっ……!?」

 10分はあったはずの司の持ち時間が残り1分を切っていた。対して京子は1分49秒。

 (いつの間に!?この一手だけにそんなに長考していたなんて……)

 『「畠山は相手に時間を使わせるのが上手い」』という言葉が過る。

 (そうか。これがそうなのか!これが棋士プロの碁というものなのか!)

 考えはまだ纏まっていないが、とにかく候補のひとつに上がっていた箇所に打つ。とにかく手を進めなければ、こちらが「時間切れ負け」になってしまう。

 司が打つ。京子も間を開けずに打つ。京子はまだ持ち時間に余裕があるのだから、時間を使って考えてくれればいいのに、と思う。

 「ピッ」「ピッ」という無機質な音を立てカウントダウンする対局時計が、時限爆弾のデジタル時計の残り時間を伝えるように鳴り響く。

 急いで黒石を持つ。焦って落とす。碁盤の上ではなくてホッとする。すぐさま別の石を碁笥から取り出す。もう考えている暇は無い。石を持ち変える間も惜しい。親指と人差し指で黒石を抓んで打つ。

 京子がついに中央の黒石を仕留めた。22子もの黒石を悠々と取り除く。京子は時計のボタンを押さず自分の持ち時間を減らしていった。それでも司の持ち時間との差は埋まりそうにない。

 京子が対局時計のボタンを押した。「ピーーーッ」と長く対局時計が鳴った。

「「使い切り負け」でいいですね?」

 京子が司に確認する。

「……ああ」

 司は対局時計を止め、力無く答える。結果は「持ち時間使い切り負け」だが、誰の目にも黒負けだと分かる碁だ。

「では用がお済みでしたら、お帰り下さい。そして約束通り、もう二度と私の目の前に現れないで下さいね」

 京子は立ち上がって、教室に戻ろうとした。が、大勢の女子が京子の目の前に立ちはだかった。

「「ちょっとどういう事!?畠山さん!」」
「「二度と現れるな!とか!?」」
「「もしかして、別れ話!?」」

「はっ……?何?別れ話って……」

 京子は知らなかった。たった30分でこの女子達が有ること無いこと学校中に触れ回り、「洋峰学園カースト最上位の畠山京子の彼氏が文化祭に来てる」とか「その彼氏と人目も憚らずイチャイチャしてる」とかいう噂が一人歩きしていた事を。

 そして更にタイミングの悪い事に、京子のクラスの学級委員長・本庄舞に見つかった。

「いたー!やっと見つけた!畠山さん!……ん?なぁに?この微妙な空気」

 学校中走り回っていた本庄には、噂はまだ耳に届いていなかったのだ。

「え?なんか超イケメンがいるんだけど!」

「畠山さんの彼氏だよ」

 誰かが適当な事を言う。京子は慌てて否定した。

「違うよ!みんなも知ってるでしょ?ストーカーだよ、ストーカー!夏前から探偵雇って私をつけ回してた変態!!」

 一瞬、部室内が静まり返る。しかしその次の瞬間、女子が一斉に口を開いた。

「イケメンならいいじゃん!」
「そうだよ!うらやましい!」
「イケメンのストーカーはストーカーとは呼ばないんだよ」

 と対局を観ていた女子全員が司を擁護した。

「なんだよそれ!?イケメンならなんでも許されるのか!?つーか、コレのどこがイケメンなの!?」

 京子がぶち切れて、司を指差す。

「畠山さんは、さっきから何を言ってるの?」
「百人いたら百人イケメンだって言うよ」
「コレをイケメンと言わずに何をイケメンというの?」

 ストーカーは擁護しても、ストーカー被害にあった者を擁護してくれる者はいなかった。

 そしてやっと京子は気付く。ここにいる女子全員が司の御尊顔を拝みに来たのだと。京子の事は誰も見ていない。全員司の方を見て顔を赤らめ、黄色い歓声をあげている。

 そんな中、一人冷静にこのやり取りを眺める者がいた。その人物は、京子の手を取ると、部室の隅に連れていった。そして京子にしか聞こえない小さな声で耳打ちする。

「畠山さん。一緒に考えて欲しいの。ここにいる女子をこのまま3年A組まで誘導する方法を」

 京子の目がカッと開く。振り向いてざっと数える。30人はいるだろうか。よく見てみたら部室に入りきれずに廊下にもいる。50人近くはいるだろうか?

 ここにいる全員を京子の教室に誘導出来れば、間違いなく昨日までの遅れを取り戻せるだろう。そして明日もこの「みんながイケメン」と言っている人物を餌にすれば、今年も売り上げ1位に君臨出来るかもしれない。

 (さすが学級委員長・本庄舞。常にクラスの事を考えてる)

 しかし京子からしてみれば、やっと縁が切れた相手。そんな人物に頼みごとなどしたくない。借りなど作ったら、それこそ一生ストーカーされるかもしれない。

 京子はそれこそスパコン並みに高速計算する。インプットされている情報を元に、あらゆる演算をする。

 どうやってこのお坊っちゃまに頼まずに、この女子を教室に誘導出来るかを。

 しかし、京子がまだ解を導き出していないのに、京子より先に解を導き出した者がいた。

「畠山さん。ひとつだけお願いがあるんだけど。せっかく洋峰学園に来たんだし、畠山さんのクラスの出し物を見てきてもいいかな?」

 司がニヤリと笑い、こう続けた。

「対局前に出した条件に、畠山さんのクラスに行ってはいけないなんて、無かったよね」

 (さっきの内緒話、聞こえたのか?)

 と京子と本庄が疑うほど、タイミング良く、こちらに都合のいいお願いだった。

 司と目が合った。司が白い歯を見せる。聞こえてはいなかったのかもしれない。司は京子のクラスで閑古鳥が鳴いているのを知っていた、と考えた方が自然だ。

 そして京子に恩を売っておこうという目論見が、表情から窺える。

 (ぐっ……!このお坊っちゃま。この部室に来る前に、すでに私の弱みを握っていたのか!)

 京子が司に素直に頼めば3年A組の売上金額は目標に簡単に届くだろう。しかしそれでも京子はストーカーに自分の教室に入られたくない。それ以上に『借り』を作りたくない。

 返答に迷う京子。そんな京子の気持ちを知ってか知らずか、野次馬女子達が司を取り囲んだ。

「私が畠山さんの教室まで案内するよ!」
「なんでアンタなのよ!」
「アンタこそ引っ込んでなさいよ!」

 女子のイケメン争奪戦が始まった。

 誰が誰と付き合おうが興味の無い京子だが、司を京子の教室に連れていくのはご勘弁願いたい。ストーカーが自分の教室にまで入り込んで来たなんて、気持ち悪くて、今後あの教室で落ち着いて授業を受ける気にはなれない。

 しかし、それでは今年は京子のクラスは最下位確実だろう。

「畠山さん。ここは大人になって」

 唯一、京子の心を読んでくれた本庄だが、その言葉は京子に「犠牲になってくれ」という残酷なものだった。

 (私一人が犠牲になれば、クラスが助かる……!)

 京子は腹を括った。

「岩井さん、分かりました。私の教室に行くことを許可します。ただこのままだとあなたに借りを作ることになるので、ひとつだけ「条件」を飲みましょう」

 「条件」。この場合、司への「報酬」だ。

 意味を理解した司がニコッと笑う。司の笑顔を見た女子からまた黄色い歓声が上がる。

 京子には、司の笑顔が悪魔の微笑みにしか見えなかった。


 その後、3年A組はプチパニックになった。大行列は隣のクラスどころか階段まで続き、その日の販売分は売り切れ御免となった。

 翌日も文化祭に現れた司は、今度はバスケットボール部の出し物に顔を出し、ここでも女子から黄色い声援を浴びていた。


 バスケ部の出し物の後、3年A組の教室に向かう途中、司は京子にすれ違いざまに「条件」を提示した。

 司が京子に出した条件は、「一度だけでいいからデートする」だった。


 (難癖つけて、対局を無かったことにしそうだな。あのお坊っちゃま)


 絶対貴様の思い通りにはさせない、と、心の中で京子は叫んだ。
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