GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

謝罪する方法

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 立花富岳は段ボールに貼られたガムテープを剥がし荷解きする。もうすでに家具や家電は運んである。全て新しく買った。ベッドに机と椅子、本棚、テーブルとソファ、それから冷蔵庫と電子レンジと洗濯機。エアコンは備え付けだ。あと着替え。とりあえず今はこれだけあればいい。足りない物は後から買い足す。

 富岳の引っ越しの手伝いに来たのは、いつもの埼玉研のメンバーだ。

「これ、適当に入れてっていいか?」

 若松が段ボールから服を取り出す。きちんと畳んで入れてあったのだからそのまま仕舞えばいいのに、わざわざ広げている。

「えーと、冬物はこっちの衣装ケースに入れて下さい」

 畳んで入れるかと思いきや、若松はそのまま畳まずに放り込んでいる。

「ちゃんと畳めよ!人の物だからって適当すぎるだろ!」

 木幡が若松を教育している。兄弟の多い木幡は知らず知らず長男スキルを発動している。

 三嶋が開けたのは本が入った段ボールだった。

「作者順にするか?それともタイトル順にするか?」

 意外にも読書家の三嶋は、本のタイトルを一つ一つ見ている。面白そうな本があったら貸してもらおうと思っている。

「作者順に入れて下さい」

 富岳は新しい布団に布団カバーをつけている。寝床の確保をしておかないと、荷物だらけで今日眠る場所が無くなりそうだ。

 三嶋が次の段ボールを開けた。ノートが入っていた。

 (頭の良い奴はノートを取っておくんだな)

 2年前まで大学生だった三嶋は、すでに全てのノートを処分した。邪魔になるだけだからだ。

 ノートを何冊か取り出して本棚の一番下の段に入れようとした時、ノートとノートの間に挟まっていた紙切れが一枚、ひらりと落ちた。

「ん?なんだこれ?」

 布団カバーをつけ終えた富岳が、血相変えて三嶋の元に飛んできた。

「ああ。それですか」

 安心したようにホッと溜め息を吐く。

「なんだと思ったんだ?」

 三嶋は、富岳の焦りようから何かを察する。

「いいえ。なんでもないですよ」

 とは言っているが、明らかに動揺している。

 (ふーん。紙切れに何かあるのか)

 後で家捜しすれば何か出てきそうだな、と三嶋は画策する。が、それは後回しだ。

「で、なんだ。これ」

 ノートの間に挟まっていた紙には、数字の羅列しか書いてない。

「それは去年、中学3年の時に行われた全国学力テストの結果です」

 毎年小学6年生と中学3年生に行う国が実施する学力テストだ。

「えっ!?あれって、結果を教えてくれるの?極秘じゃないの?」
「時代が変わったのか?」

 若松と木幡も飛んできた。三人で紙切れを覗き込む。

「えーと……。ここ、『4』て書いてあるけど……」

 若松が紙切れを指差す。

「俺の理解が正しければ、富岳の学力は全国で4位、ってこと?」

 木幡が小声でポツポツと話す。

「ええ。まぁ、そうですね」
「「すげぇーーー!」」

 富岳の肩をバンバン叩いてはしゃいでいる若松と木幡を尻目に、三嶋は一人、渋い顔をしていた。

 実は、三嶋は偶然にも富岳世代の全国1位と2位を知っている。

 半年前、京子が学校側から「独り言なんだけど」と言われて、極秘に学力テストの結果を担任教師から聞いたそうだ。「自慢にしか聞こえないでしょうけど」と自慢気に声高らかに全国1位だったと、兄弟子全員がいる前で岡本先生に報告していた。おまけに小学6年の時のと引っくるめて連覇だ、などと言っていた。

 そして2位は本当に偶然だ。

 今年の岡本門下の新年会に、岩井司が来なければ知る由もない事だった。

 (やっべぇ。3位が誰か、めっちゃ気になる)

 三嶋は、自分より8歳も年下の学力テストの上位結果をコンプリートする寸前だった。


 若松と木幡に「凄い」と言われているのに、なぜか富岳本人は不満げだ。

「小学6年の時は2位だったんですよね。囲碁の仕事始めたんで、しょうがないかな」

 (うん。絶対京子の学力テストの結果は誰にも言わない!)

 新たな火種になりそうだ。三嶋に、墓まで持っていく秘密がまた一つ増えた。



 ●○●○●○



 荷解きを粗方終えて、出前の蕎麦を平らげ、埼玉研三人衆は帰っていった。

 この部屋に入り浸るんじゃないかと思っていたが、「今週の金剛石戦の勉強をしたい」と言ったら、すんなり帰ってくれた。


 金剛石ダイヤモンド戦本戦リーグ概要

 まずCリーグ。予選勝ち上がりの2名と前期Cリーグ居残りの2名と前期Bリーグから陥落した計6人で戦う。上位2名はBリーグへ。下位2名はリーグ陥落。勝ち星同数の場合は同数同士の対局の勝敗で決定、プレーオフ無し。Bリーグ・Aリーグも同様。入れ替え戦は無し。負ければ否応なしに落とされる。

 そして挑戦者を決めるSリーグ。8人で戦う。上位勝ち星同数の場合プレーオフで挑戦者決定。下位2名が陥落。

 これを一年間で行う。もしCリーグからSリーグまで勝ち上がれば、対局数は最低でも22局になる。


 一番下のCリーグはもうすでに始まっている。

 富岳は2戦行い2連敗中。すでに崖っぷちだ。

 『大三冠レッド』の一つ、金剛石戦に史上最年少でリーグ入り出来ただけでも凄い事なのかもしれないけど、リーグ入りすらしたことの無い連中から「運が良かっただけ」だの「他が調子を落としていたから」だの、言われたくない。富岳は22戦、戦うつもりで準備している。


 富岳はまだ荷解きの終わっていない段ボールの山から碁盤と碁石の入った段ボールを見つけ、取り出す。それから実家でプリントアウトしてきた次の対戦相手の棋譜を同じ段ボールから取り出す。取り出した棋譜のさらに下から、京子からの手紙が出てきた。

 荷解きをしている時、三嶋が京子からの手紙を見つけたのかと思って焦った。その後も三嶋は何かコソコソ探し回っていたみたいだけど。碁盤の下にしておけば見つからないだろうと思ってここに隠しておいたのだが、正解だった。

 富岳は京子の手紙を取り出す。

 返事を書かなければと思いながらも、どうやって渡そうと悩んでいるうちにずるずると1ヶ月が過ぎてしまった。

 三嶋に頼むのは、なんだか照れ臭い。

 京子と対局日が同じになればいいのだが、元々同じ日に対局にならないように調整されている上に、富岳が七段になったため、京子が勝ち上がってこない限り同日に対局になる事がまず無い。

 かといって、これ以上返事を先延ばしにするのも嫌だし、返事を書かないというのは、人としてありえない。

「……しょうがない。最後の手段だ」

 富岳はスマホを取り出す。そして記憶を頼りに行動を起こす。



 ●○●○●○



 木曜日の午後9時。青玉サファイア戦予戦トーナメント5回戦を戦い終えた畠山京子が岡本家に帰宅する。

 門も玄関もしっかり施錠した事を確認し、家に入る。リビングでは純子すみこがパジャマ姿で出迎えてくれた。純子が圃畦塾にアルバイトに行くようになってからは出迎えは要らないと伝えてあるのだが、純子は「無事に帰って来たのを確認してからじゃないと気になって眠れない」と、いつもなら眠る時間なのだが対局の日はこうして待っていてくれる。ちなみに岡本はすでに就寝中だ。

「そうそう。棋院から手紙が来てたわよ」

 純子はテレビ脇に置いておいた水色の封筒を京子に渡した。

「棋院から?」

 棋院からの連絡は全てメールで届く。封書を届けられる心当たりが無い。

 純子は京子に手紙を渡すとお休みを伝えて寝室へ行った。明日も圃畦塾へ行く。

 一人だけになったリビングで、京子は純子から渡された封筒を確認する。切手の貼られた水色の封筒は、棋院の住所が印刷されている物だった。ただ、おかしいのは、宛名書は印刷ラベルではなく手書きだ。この筆跡に見覚えはない。

 京子は差出人など書かれていないだろうと思いながら、封筒をひっくり返してみる。

「えっ!?」

 京子は岡本を起こしてしまうのではないかというくらいの大声を張り上げ、慌てて口を押さえた。純子が飛んで来るのではないかと思ったが、大丈夫だった。

 もう一度差出人の名前を確認する。

 立花富岳と書かれてある。

 (なんで?なんで立花さんが岡本家うちの住所を知って!?ていうかなんで手紙!?なんの手紙!?)

 冷静になれば以前富岳は謝罪のためにこの家に来ている事を思い出せただろうが、京子は完全にパニックになっていた。手紙を持ったまま心の中で(どうしよう、どうしよう)とリビングを右往左往する。

 (待って。なんで純子さんは「立花さんから」、じゃなくて「棋院から」って言ったんだろう?)

 なぜ純子は富岳の名前を出さなかったのか、疑問に思う。純子も富岳の名前だけは知っているはずだ。が、今はそれより手紙の内容だ。

 (そうだ。一旦、落ち着こう)

 京子は手紙をテーブルの上に置いて、深呼吸した。

 そしてもう一度、差出人の名前を確認する。何度見ても立花富岳と書いてある。

 天を仰ぐ。

 (手紙で何の用なんだよ!?)

 開封する勇気が出てこない。

 目を瞑って心を落ち着かせる。暫くしてやっと目を開ける。

「まずお風呂に入ろう」

 現実逃避も兼ねて、風呂に入ることにする。ここはまず、普段通りに生活する。

 手紙をバックパックの中に入れ、京子は自室に向かう。

 階段を上がってすぐの6畳の和室が京子の自室だ。自室に入ると、手紙の入ったバックパックを机の上に置いた。それから押し入れから着替えを取り出す。入浴剤もだ。優里亜から女流三冠のお祝いに貰ったものだ。対局のあった日は興奮で頭が冴えて寝付きが悪くなる。優里亜から送られたこの入浴剤はとても落ち着く香りで、対局後のお風呂には必需品となった。

 入浴後、すぐに洗濯機を回す。純子まかせにしない。「大人になったら自分でやらなくてはいけない事だから」と毎日自分で洗濯する。

 洗濯機が回っている間、研究会部屋で今日打った碁の棋譜をつける。パソコンを使う人が多いのは知っているが、京子は手書きで残す。この方が記憶の定着が良いように感じるからだ。

 スマートスピーカーから洗濯終了のアナウンスが流れる。研究会部屋から脱衣場に置かれた洗濯機のある所まで家を横断する。手際よく洗濯物をハンガーに掛けていく。そして脱衣場隣の乾燥室に干す。

 午後11時。京子は家中の窓も施錠を確認する。全て確認して、自室に戻る。

 部屋の電気はつけずに、机に置かれた電気スタンドを点す。椅子に腰掛け、バックパックから手紙を取り出す。

 机の上に置いた手紙をもう一度よく見てみる。何度見ても立花富岳と書かれてあり、その右脇には東京の住所が書かれてあった。

 今週の岡本門下の研究会で、三嶋が筋肉痛だと言っていたのを思い出す。聞いてもいないのに、「富岳の引っ越しの手伝いで」と言っていた。

 つまりここに書かれてある住所は、富岳が一人暮らしをするアパートの住所、という事になる。

 (まさかこんな形で立花さんの引っ越し先の住所をゲットしてしまうとは……!)

 また暫く手紙を眺める。そして意を決したように机の引き出しから鋏を取り出す。

 が、ここにきて封を開けるのを躊躇する。何が書かれているのか気になるが、見たくもないことが書かれているかもしれない。

 (いつまでもこんな事してられない!明日も学校があるんだし!)

 漸く京子は決心する。中の手紙を切ってしまわないように、封筒をトントンと叩く。それから封を開けた。

 中から出てきたのは、京子が富岳宛てに使った淡い黄色の地に白い花の描かれてある便箋だった。富岳は、二枚目の白紙の便箋を使ったらしい。

 便箋を広げる。


 ーーーーーーーーーーー


 畠山京子様

  この前は悪かった
  言い過ぎた

 立花富岳


 ーーーーーーーーーーー


 京子が富岳に宛てた手紙のように、真ん中に短く一言、こう書かれてあった。

 京子は手紙を持ったまま、暫く固まる。

 まさか返事が来るとは思ってもいなかったし、ましてや謝罪の言葉が聞けるとは思わなかった。

 何より驚いたのが、自分が送った便箋で返事が来たこと。二枚目の白紙の便箋で、返事を寄越した事。


 京子はこの短い手紙を、何度も何度も読み返す。

 気づいたら日付が変わっていた。
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