GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

追い落としの手筋

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 畠山京子と江田正臣の関係を知ったのは本当に偶然だった。ある政治家の動向調査で、囲碁棋士・畠山京子の就位式なるものに居合わせなかったら知る由もなかった。

 私はターゲットをこの政治家から囲碁棋士・畠山京子へと変えた。

 小学生の頃から神童と呼ばれていたとか、女流棋士採用特別試験に初挑戦ながら合格したとか、中学生で会社を設立したとか。少し調べただけでこの女子供に関する情報は多数出てきた。

 だが所詮それだけだ。『頭が良い』というのと『頭が切れる』というのは全くの別物で、畠山京子は前者だ。事実、私はこの圃畦塾にすんなりと入り込めた。しかも私の正体に気づかない畠山京子は『これだけの資格を有しているのだったら、将来社長になってみますか?』と、私を中途採用するや否や幹部候補に指名した。

 この国の「優等生」は皆んな平和ボケしていておめでたい。産業スパイの私を将来の社長候補に押すのだから。

 まぁ、それだけ私の偽装工作は完璧だということか。7回氏名を変え、3回整形した。以前ターゲットにした男でさえ私に気づかず素通りした事もあるくらい変装には自信がある。

 平和ボケしたこの国の優等生に『江田会長にお会いしてみたい』と言ったら二つ返事で許可が出た。何もかもこちらの思い描いた絵の通りに物事が進む。こちらにターゲットを切り替えて正解だった。

 そして今日これから、長らく接触の機会を伺っていた本命のターゲットに接触する。


 ……のだがただひとつ、ここにきて予想外な事が起こった。

 二人だけで江田に会いに行くのかと思いきや、連れがいるという。しかもその連れは新聞記者だという。

 一瞬、罠に嵌められたのかと考えたが、聞けば二人とも地方紙の記者だという。

 (驚かせやがって)

 心の中で悪態をつきながら二人と名刺交換を済ませ、深田みおと名を変えた女は京子に続いてタクシーに乗った。



 ●○●○●○



 料亭の個室に着くと、江田正臣後援会会長はもうすでに一杯引っ掻けていた。

 2~3ヶ月おきに行われる囲碁棋士・畠山京子と後援会会長・江田正臣との食事会だ。今日は先月まで行われていた真珠戦の防衛と来月から始まる紅水晶戦挑戦手合いの報告会だそうだ。

 深田の背中にゾワゾワと何かが這いずり回る。いよいよだ。待ちに待った江田正臣と接触する。顔がにやけそうなのを必死に堪える。圃畦塾に潜入してからはこちらの思惑通りにとんとん拍子に進んだ。

 (本当にチョロかったな。畠山京子)

 頭がいいと言っても所詮この国の教育カリキュラムの頂点に立っているだけの秀才だ。私のようにスパイになるため産み落とされ育てられてきた人間とは違う。


 気を引き締める。ここから先は絶対にミスは許されない。今までの苦労が水の泡になる。


「お待たせして申し訳ありません」

 京子が先に個室に入る。

「気にしないでくれ。いつも待たせているからね。たまにはのんびり待つのもいいもんだ」

 微酔いの正臣が言った。正臣との食事会ではいつも京子のほうが早く来ているのだが、遅くなった理由がこの3人と待ち合わせをしたからだ。

 京子の後に続いて深田が、それから男女二人が入った。

 全員座ると京子は早速この3人の紹介を始めた。

「こちらはあきた轟新聞記者の佐藤渉さん、それから片桐紬さんです」

 囲碁棋士・畠山京子を追っかけている記者らしい。まず先輩記者だという佐藤から正臣に名刺を渡し、それから初対面の深田でも一目でわかるくらいカチカチに緊張した片桐が渡した。

 正臣は名刺に目を通す。

「あなたが佐藤さんですか。京子君から聞いてますよ。京子君の半生記を出版されるそうで。私も楽しみにしています」

「ありがとうございます!ご期待に添えられるよう頑張ります!」

 佐藤が礼をする。それを見て慌てて片桐も礼をした。片桐に至ってはタクシーに乗る前に自己紹介して以来、一言も発していない。

「それからこちらが圃畦塾の幹部候補の深田澪です」

 やっと自分の順番が来た。手は震えていない。落ち着いている。深田は鞄から名刺を取り出し正臣に差し出した。

「深田と申します。どうぞお見知りおきを」

「おお、君か。君の事は京子君から聞いているよ。優秀な人材が手に入ったと」

 頬の筋肉が緩みそうになり、深田は慌てて顔を引き締める。

 この能天気な秀才はこちらの都合のいいように宣伝までしてくれたらしい。

「深田さんはもう塾にはなくてはならない存在です。生徒の保護者のかたからも職場の同僚からも信頼が厚いですよ」

「社長、買い被りすぎです」

 京子の大袈裟とも思われる部下の持ち上げように、深田は謙遜する。こうやって印象を良くしておく。

「そんなに優秀なら、うちに欲しいなぁ。どうだい?今、江田グループうちで子育て世代をターゲットにした新しい部署を創設しようと思ってるんだが、そこで働いてみないか?君にぴったりだと思うんだが」

 正臣のこの突然の申し出に、深田の心臓が高鳴る。冗談めかした口調ではなかった。わざわざ部署まで指定して、本当に来て欲しそうに。

「ちょっと!社長の目の前でヘッドハンティングしないで下さい!うちは零細企業でこんな優秀な人が抜けちゃったら塾が回らなくなっちゃいます!!いくら江田会長でも駄目なのは駄目です!」

 かなり必死に京子が否定する。

「おや。深田君が来る前もちゃんと塾経営は成り立ってたじゃないか」

 正臣はおどけた調子で京子の挙げ足を取ってきた。 

「一度快適さを体感すると、もう元には戻れないんです!」
「あはは。それは分かるよ」
「ですから駄目です!」
「そうか。残念だな。深田君、気が向いたら京子君には内緒でいつでも連絡を寄越してくれたまえ」

 深田の心臓が更に高鳴る。正臣の秘書から渡された名刺を思わず握りしめる。

「ですからそれを本人の目の前で本人に聞こえるように言います?たった今駄目って言ったばかりなのに!」

 京子の必死の正臣への牽制も、もう深田の耳には入ってこない。怖すぎるくらいこちらの思い描いた通りに進んでる。罠かと思うくらい。

 (いいや。罠の訳がない。初対面でいきなりヘッドハンティングなんて、あからさま過ぎる)

 深田は誰にも気づかれないように静かに深呼吸する。


 隣に座る深田が溜め息のように長く呼吸したのに、京子は気づいた。

 京子はわざとらしく深田の方を向いてにっこりと微笑んでみせる。

 その様子を正臣が見て、つい笑いそうになる。

 正臣はいつもは京子を「畠山さん」と名字に「さん」付けで呼んでいるが、今日は「京子君」と呼んでいる。世間体を取り繕う為でもあるが、もうひとつ、深田への牽制でもある。

 正臣は1ヶ月前、京子からSPを介して『USBメモリの伝言』を受け取り、あるをされていた。

 そのお願いというのがとんでもない内容だった。産業スパイ集団を殲滅するのでその後処理を『江田グループ』に頼みたいという。しかも『この産業スパイに『アラクネ』の罪を全て被せる。シナリオはこちらで用意しておくので、警察に突き出すだけでいい』と。

 正臣は京子の申し出に断れない力関係にある。それに経団連会長からしたら、いつかはこのスパイどもを殲滅しなければならない立場にもある。京子の申し出はありがたいのだが、いくら後処理をすればいいだけとはいえ、あの『アラクネ』の犯した全ての罪を擦り付けるというものだ。日本だけでなく世界を大混乱に貶めるだろう。そのマスコミ対応を正臣にやれというのだ。

 (全く、とんでもない事を思いつくな)

 京子が正臣に提案したシナリオを思い出す。何十通り何百通りに枝分かれした『スパイ・深田澪』の想定行動パターンを。

 この調子だと深田は間違いなく近いうちに自分にコンタクトを取って来るだろう。その後は渡されたシナリオ通りに行動すればいい。

 正臣は、このスパイが京子の思惑通りに動いてくれるだろうか?などという心配は全くしていない。

 囲碁棋士・畠山京子の強さを本人に直接聞いた事がある。師匠の岡本氏には行動心理学専攻の精神科医の幼馴染みがいるそうだ。その医師から心理学を学んだという。行動心理学に基づいて囲碁の手を研究している畠山京子が、今度は犯罪心理学に基づいて産業スパイを貶める手を打つというのだ。

 ただこの手が効いてくるのは、早くても半年先らしい。騒動が起こるのは冬になるか春になるか。正臣は今から楽しみで仕方がない。


 食事が運ばれてきた。京子の前にだけ、他の人の倍の量の皿が置かれた。

「畠山さん。江田会長との食事会でもこの量を食べるんですね?」

 佐藤はいついかなる時も取材対象への取材を忘れない。こんな些細な事でも畠山京子に関すれば記事になるからだ。

「はい。いつ何が起こるか分からないから、ご飯を食べれる時はしっかり食べておかないと」

 正臣は佐藤と京子のやり取りを目を細めて見守る。それから片桐に視線を移す。先ほどからずっと何か言いたそうにじっと見つめているのだが、まだ緊張しているのか話しかけるタイミングを見つけられないでいるようだ。

 それから深田を見やる。深田は佐藤と京子のやり取りを正臣と同じように見つめているが、心ここにあらずといった感じだ。おそらく今その頭の中ではどうやって江田グループの中枢にまで入り込めるだろうかと手筋を考えているのだろう。罠にかけられているのは自分の方だとは気づかずに。


 食事に手をつける前に、京子がある提案をしてきた。

「そうだ!せっかく新聞記者さんがいらっしゃるんですから、ご飯食べ終わったら、みんなで写真を撮ってもらいませんか?」

「えっ!?」

 戸惑いの声をあげたのは深田だった。

「あれ?深田さん、写真嫌いですか?」

 正臣は思わず京子に(嫌いに決まってるだろう)とツッコみそうになる。

 今日ここに新聞記者を連れてきたのは、畠山京子の半生記に掲載するための記事のインタビューのスケジュール等の打ち合わせだと聞いている。なんでスケジュールの打ち合わせの為だけに記者を連れてきたのかと思っていたが、『偽アラクネ』の写真を撮らせるためだとは。どうやら世話になっている新聞社に恩返しをしたいらしい。『アラクネ』の顔写真を持っていたともなれば間違いなくスクープになるだろし、写真素材は高値で売れるだろう。

「あっ……、い、いいえ。会食だと聞いていたので……。写真を撮るならちゃんとメイクしてくればよかったと……」

 苦し紛れの深田の言い訳に、正臣は必死で笑いを堪える。まさか戸惑うスパイの言い訳をこんなに余裕を持って聞かされるなんて。

 (畠山さんと一緒にいると退屈しないな)

 深田は断れないと判断したのだろう。結局、5人で写真に収まった。笑顔の正臣と京子と、緊張した面持ちの佐藤と片桐と、そして顔を引き攣らせた深田と。


 この写真が世を賑わせるのに一役買うのは、翌年の桜の散る頃となる。
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