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青年は彼女のために鎮魂歌を謳う
悪食の狩人は神さえ喰らう
しおりを挟む自分が生き残るために俺はマナを喰った。
それを聞いた瞬間、過去の親父と俺が重なり、自己嫌悪に陥る。
同時に反射的に今喰ったマナの肉体を吐こうとする。
胃液が込み上げ、俺の肉体は体内なかからマナを引き剥がそうと必死だった。
しかし吐き出すことだけは絶対にしないと、俺は喰ってしまったマナの体を必死に飲み込んだ。
そんな愉快と言わんばかりに『原初の災厄』は今の俺の様子を眺め、目を細める。
「そうそう、絶対に吐き戻すなよ? そしたら今度こそその小娘はお前を憎んだまま許さない。一生お前は恨まれて生きていくのだ」
『原初の災厄』の声音に含まれるのは愉悦と嗤笑。侮蔑は無論のこと、黒く染まった貌から白く浮かび上がる瞳は憐れみも込めていた。
「あ、ああああああ……っ」
一方、俺の喉から洩れたのは、か弱い嗚咽と先程胸を穿たれたときに吐血した残物。
涙はとうに出ず、血に噎び、ただただ泣く。
すると、『原初の災厄』はこちらへと歩み寄るなり俺の頭を優しく撫でた。
黒く歪な手はやけに温かく、それは声も同様だ。不出来な子供を窘めるその姿や手の温度は、遠い日のマナがくれた温もりとよく似ている。
「お前は物語で言うならば、主人公だ。しかし物語と言う構成上、主人公は大方強く、どんな敵でも打ち勝つことが出来る。しかし、ヒロインはどうだ? か弱いただの女に主人公という強大な存在が勝てるとでも?」
俺はただ、俯いたまま首を横に振る。
俺は決して主人公なんて器ではないが、ヒロインがマナなのには違いない。
こうやって役を当てはめてしまえば、マナを喰ってしまった罪悪感もソフィアへの恨みもどこか和らいでいく気がした。
もはや気を緩めてしまえば『原初の災厄』と言う存在さえ今ここに在ることを赦してしまいそうな程だ。それだけこいつの声は優しかった。
「であろう? 男と女と決まって力量の差が違うのに、物語を飾る象徴を添え物がどうやって押しのける? それではバランスが崩れてしまう」
それこそ世の道理。摂理であり不変な事象。
瞬間、『原初の災厄』は喉を鳴らし、俺の頭を撫でていた手に力を込めてわし掴みにされる。
俺は抵抗する気すらなく、ただ『原初の災厄』のなすがまま。
そして俺と奴の目が合った瞬間、跪けと言わんばかりに、『原初の災厄』は俺の頭をそのまま地面へと打ち付けた。
「がはッ!」
「物語を准えよ。世の万物は人の歴史が元となる。現実も、物語も。他者によって脚色されただけの違いは左程ない」
「なら……ッ、お前のような悪党は主人公に殺されるんじゃないのか……ッ!?」
不思議と泥どころか埃1つもない地面を舐めさせられる俺だが、ただこいつに疑問を投げかける。
そうだ。俺がもし主人公ならば、『原初の災厄』は悪党そのもの。であれば今すぐこいつは主人公に討たれて死ぬ運命にあるだろう。
だと言うのに、『原初の災厄』はそんなことは些事だと言う。絶望に打ちひしがれ、無様に床に這いつくばらされた俺を支配し、俺を睥睨しては愉快と嗤う。
「そこら辺の心配については不要だ。なにせ儂は悪党ではなく、災厄。時折人の世に顕現する神の気紛れである。種族自体が違うんだよ」
「ッ、神の気紛れ、ねぇ……」
血と絶望に噎ぶ俺は、思わず奴につられて笑ってしまう。
そうか。神だから、人間たちを見下して、ただただ嘲笑っているのか。
だとすれば、こんな立て続けに俺に絶望を与え続けた理屈も納得出来る。
なにせこいつはソフィアからあらゆる智慧を受け継いだが、その本質は神の合わせ鏡。だからこそ俺達のように一時的に世界の法則を捻じ曲げるのではなく、世界そのものを書き換えてしまうことも造作もない。
初めからこの世界はこうだったと、ありとあらゆる文明と人を葬った後で、再び栄華を生しては、また壊す。
気に食わなければ、書き損じた紙を捨てるような気軽さで、こいつは世界の法則を変えてしまう。
ならばさぞこいつは今起きていることだけでなく、人の歩む歴史を見る度、劇でも見ている心地なのだろう。
本来なら、それを言葉に出来るだけの知能も目もないが、今こいつにはただ俺の絶望だけが見えている。
またソフィアから得たその智慧なんてものは、そもそもこいつに渡してはならなかったものだ。
しかしソフィアは運悪く『原初の災厄』へ心酔し、こいつの為に全てを捧げた。これら全て奴にとっては1つの劇。だからこそ片腹痛いぞと俺らを見下す。
ただ愉快だと嗤う暴虐の王。
「先程、あの狂信者が儂を介して顕現した幻も、全て奴の妄想のようなものだ。自分はお前より優れているから、あんなことなんてなければ、こんな風に演じられた……とな。もはや愉快を通り越して、哀れであるぞ。人間共」
王はただ、先程まで寵愛していたはずの臣下への暴言にすら心を痛めない。
だが、こんな有様をずっと見させられていれば、こいつがどんな性を抱えているのかなど俺でも理解出来る。
成程、俺達人間は神にとっては玩具も同然で、人間の尊厳すら甚振ることも趣味と言える範囲なのか、と俺は痛む頭の中で憎しみだけが支配していく。
正直、俺は今この20年間生きてきた中で1番と言えよう不快さを感じていた。
悪趣味め、鬼畜め、なにが神だ。
自身は絶対強者だと威張り散らし、そうして人の死と不幸を食い物にして、それほど美味いと感じるのか? だとしたら、お前は俺以上の悪食だ。
そう、ふつふつと怒りが、屈辱が、憎しみが増していく。
先程は抵抗するだけ無駄だと思っていたが、ここまでコケにされれば、まだ僅かながらに残った自尊心は怒りと言う火を燃え盛ろうと憎悪を燃料にする。
しかし、地べたを這いつくばるしか出来ない俺が、いくら呪力を纏って肉体を強化したところで、こいつ敵うはずもない。
現実は覆ることなく、終焉の時が来る。
「では、そろそろ幕引きとしよう。なに『原初の災厄』と言う存在は1度具現したら、次の贄がなければ目を覚まさない。ゆえに儂が攻撃に転じられるのも1度だけ。だから、このまま『ゴースト』なぞ使用せずに世界を滅ぼしてやるか。お前の呪力も上乗せさせてやれば、さらに手間が省けるだろうしなぁ」
1度だけ? この単語を聞いた瞬間、俺の中で時が止まる。
俺は『原初の災厄』の一言に思わず瞠目し、その言葉を反芻する。
動かない時間の中で、俺は何度も今こいつが吐き出した唯一の弱点を噛みしめる。すると思わず笑いが出てしまった。
「……なにがおかしい?」
分からない、そんなこんな状況で笑ってしまう理由など理解出来ない。
しかし俺は愉快だと、滑稽だとそう奴を嘲笑って、嗚咽を漏らし、血のあぶくを吐きながら嗤う。
嗤い、笑い、嗤い笑って嗤って哂ったその末に、また哂う。
ただ後に正常な頭で反論出来るならこう言うことだろう。お前は今、狩人の目の前で喉元を晒したぞと。
もはや笑いは止まらず、俺は壊れた操り人形のようにカタカタと身を震わせては嗤う。
悪鬼のように、あのとき『ゴースト』に両目を潰されてから大きな力を手にしたときのように。
今俺の頭を掴んでいるのは、絶対的強者で、相手にとっては不足なし――そう、俺の中で消えたはずの英雄への憧憬の残滓は一気に暴走する。
「“喰え”」
擦り切れかけた喉は、たった一言の呪詛を口にする。後1度だけこいつを喰らえと。
主人公? 英雄? 笑わせるなよ、俺はそんなものになれないただのゴミだ。
愛した存在も守れず、それどころか愛した彼女を苦しめて、尊厳さえ辱めて、あれだけ温かかった体さえまで喰って。
あの温かく小さく愛おしかった彼女を美味いなんて、到底言えるはずもなく。
だから俺は愛の言葉ではなく、最期にすべきことを理解して、ただそれに従う。
俺は一気に体内にいる『ゴースト』たちだけを放出し、この空間——もとい『原初の災厄』ごと喰い殺すべく、意図的に自身の能力を全て意図的に暴走させた。
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