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第2章
§16 二人の朝食
しおりを挟む瞼を持ち上げて目にしたのは、昨日から私室になった部屋の窓。ぼんやりとした意識の中、いつもより長く寝たことを日の高さで悟る。
日の光で目が覚めてきたとともに、昨夜の醜態を思い出してしまった。顔に集まる熱を感じ、思わずシーツを指先で強く握りしめる。
「なぜあれほど簡単に意識を飛ばしたんだ……?」
これまで当たり前に野営や寝ずの番をこなしてきた。眠気の制御も自負していたのにあの有り様。
こんなことでグレン様を守れるのだろうかと、鈍い痛みが胸の奥に広がり、不安になる。
それに加え、まさかとは思ったが部屋まで連れてきてくださったのは、グレン様だったのではないか?
記憶はないが、部屋の中に魔力の残り香を感じる。
考えていても仕方ないので、係を呼んで風呂を使わせてもらい、身支度をさっと整える。
身丈に合う服がすでにクローゼット内に一式用意されている。恐らくミレイさんの気遣いだろう。華美ではなく落ち着いた雰囲気の服を用意してくれていて有難い。麻の質感が心地よく、昨日まで着ていた旅の服とは違う、新たな生活を始めるのだと意識させられた。
「ライゼル様、朝食のご用意が整いました」
「はい、今行きます」
身支度を終えてからドアを開くと、係がニコニコと笑って案内してくれる。
案内されたのは昨日の大広間とは別の部屋だった。早く城内の造りも頭に入れたいな。
部屋ではすでにグレン様が待っていて、お茶を淹れている。
「おはようございます」
「おはようございます。よく寝られましたか」
「おかげさまで……昨夜はお手数をおかけいたしました……」
顔が熱い。耳の先までじわりと熱が上がっていく。恥ずかしいことこの上ない。
だがちゃんとお礼とお詫びは伝えなければ。
「疲れが出たのだろう。気にしないでくれ」
「ありがとうございます。……そのお茶は……?」
「あぁ、初めて会った時、あなたにお茶をもらったから今度は私がと思ったのだ」
律儀な方だ。
お召しになっている服が昨日までより普段使いのものになっていて、また印象が違う。
重厚な服を着ると威厳が出て、普段着だと柔らかな布地が肩から胸板にかけての厚みを惜しげもなく露わにしていてかっこいい。袖口から覗く精悍な手首にも目が行ってしまう。
流れるように滑らかな手つきで真鍮の茶器を扱う、お茶を淹れ慣れている様子にも心がくすぐられる。
「普段からよく飲まれるのですか?」
「えぇ、お茶は種類が豊富で飽きませんし、その時々に合わせて選ぶ楽しみがあるでしょう」
「確かにそうですね」
「とは言え、スフェーン王国からの輸入に頼っていますがね」
「この香りは……」
茶葉に混ざる柑橘の香りはスフェーンのからりと晴れた陽気を思い起こさせる。茶摘み作業の思い出も一緒に。
グレン様はわざわざ口にすることはないが俺のことを気遣って茶葉を選んでくれたのではないかと思う。
思い過ごしかもしれないが、胸の奥に温かいものがじわりと滲む。
グレン様が案内してくれたのは窓際の席だった。窓が開いていて朝の澄んだ空気が肺を満たす。庭から運ばれてくる草木の青い香りが心地よい。
「寒くないですか」
「はい、ありがとうございます」
温かいお茶と美味しい朝食で体が目覚めていくのを感じながら、グレン様と昨日のパーティーで家臣の方々と話した内容を共有する。
グレン様の話を色々と聞いたことを伝えると「また余計なことを……」と眉間に皺を寄せたけれど、その表情には微かな諦念と優しさが混じっているように見えた。
俺はグレン様に聞きたいことがあったのを思い出した。
「グレン様、今日は城の中を歩いてもよろしいですか」
「もちろんです。案内役をつけます。もしよろしければお付きの二人も一緒に」
「お気遣いいただき感謝いたします」
「……ライゼル、私も人のことは言えないが、態度が戻っているぞ」
「すみませ、……ごめんなさい。やっぱりなかなか慣れなくて」
「仕方ないだろう。生まれてからの教えはそう簡単に抜けるものではない」
グレン様の言う通り、身にしみた習慣や振る舞いを崩すのは難しい。
「あと……早朝に走るのが日課でして。城の周りを走るくらいなら構いませんか」
「一向に。なるほど戦での持久力にも頷ける」
「そんな大したものでは。育てている作物の様子を見がてらです」
「もし作物を育てたければ使っていない庭もあるから好きに使ってくれ」
「良いのですか! 実はスフェーンから持ってきた種がたくさんあるので、ゼフィロスの土に合うか試してみたかったのですよ!」
グレン様がフッ、と笑う。その笑みに、堅い緊張が解けていくのを覚える。
「本当に自然がお好きなのだな」
自分の身が前のめりになっていることに気づく。完全に無意識だ。
思わず恥ずかしくなって目線を斜め下に落とす。
「これも、なかなか抜けない習慣……ということで」
「むしろ俺にとっては好ましいことだが」
「なっ……!」
スッと細められた目とにやりと上がる口角。その瞳に宿る悪戯心を捉え、完全に揶揄われていると悟る。
やり返したい気持ちが湧いてくるが、考えても良い案が浮かばない。
「私で遊ばないでください……っ」
「ッ……よく言う」
グレンさまがぐっ、と喉を鳴らして小さく唸る。彼の喉仏が微かに動くのを目で追ってしまう。
「そんな可愛らしい顔を他所で見せないよう気をつけるように」
大変低い声で言いつけられ、その低い響きに抗いがたい心地よさを感じて首を縦に振る。本当は首を傾げたい。
フン、と少し落ち着いたらしいグレン様はお茶を飲んで息をつく。
「農家の方も見に行かれますか」
「ぜひとも」
「そちらも案内させましょう。流石に溜まった仕事を片付けねばならんので私は一緒に行けませんが」
残念そうに言ってくれるのが優しい。
しかし俺も何か手伝った方が良いのではないかと思い聞いてみる。
「何かお手伝いできることがあれば……」
「いずれ頼むこともあるでしょうが、まずは少しずつ慣れてからです。行き先を言付けていくことと、案内役、王子が連れてきた護衛二人をつけるなら自由に過ごしてもらって構わない」
「ありがとうございます」
嫁ぐという形で来た俺だが、国交が回復して間もない国から来た者にここまでの自由をくれるとは正直思っていなかった。
信頼してくれているのだろう。その気持ちに応えたい。
「……ライゼル」
「はい」
何かを言いたそうにしているグレン様。またお腹が痛そうな顔だ。戦場では見なかった、わずかに迷いを滲ませた表情。
「もし、嫌でなければ、……なるべく朝と晩は共に食事がしたいのだが」
「っ! ……はいっ、私もご一緒したいです」
グレン様の真摯な眼差しから強い想いが流れ込んできて、胸がいっぱいになる。
こんな二人の様子を目の当たりにした給仕の係たちは、「早くくっつけ」と思いながらジェイドとミレイへの報告を急ぐのだった。
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