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第3章
§31‐2 結婚式前夜
しおりを挟む窓から入ってくる夜風で髪が靡く。窓の外は、静かで穏やかな闇に包まれている。さっきグレンが乾かし、梳いてくれた髪は頬に当たるとくすぐったいくらいに滑らかだ。
交代でグレンが風呂に入っている間、明日の進行表と打ち合わせ資料を読み返そうと思い書類を手に取った。
手に取ったはいいものの、あまり頭に入ってこないので窓に背を預けて夜風と戯れているのだ。
明日の流れはすでに頭の中に叩き込んでいるので、必要のない作業だから頭に入らないのだろうと思う。
だが、やはり緊張と不安で胸が騒めく。
もし俺が失敗したら、グレンに相応しい伴侶だと認めてもらえないかもしれない。
そんな不安がどうしても胸の奥で渦巻いているのだ。
「はぁ……」
考えても仕方がない、全ての人に認められるなんて無理だ、それは頭の中では分かっている。
書類に目を通すのはもうやめだ。書類を元の場所に片付けて、俺は棚の引き出しを開ける。
そして二つの白い箱を取り出した。同じ装飾が施されているが、大きさが違う二つの箱だ。
それをベッドのサイドテーブルに置いて、重力に任せて身体をベッドに倒す。胸のざわめきをどうにか手懐けられないものかと転がってみる。
「……どうした」
「ん? あぁ、上がったんだ」
「大丈夫か?」
「うん、ちょっとね」
グレンは風呂上がりの自分の体毛を魔法で乾かしながら、俺の顔色を見ている。元々ちゃんと話すつもりだったけれど、今の言い方はまどろっこしくて良くなかったな。
毛を乾かすのも後半に差し掛かった頃合いで櫛を持ち、グレンの背中に回る。乾かしながら毛を梳かすと広がらずに収まりがいい気がするのだ。
いつものように背中からはじめ、腰まで入念に梳く。機嫌良さそうに揺れる尻尾も優しくつかまえて、丁寧に櫛を通す。彼の肩甲骨のあたりに触れると、筋肉がしなやかに動いているのを感じた。
「どうだ?」
「いい感じ」
「ありがとう」
グレンは俺の手から櫛を取り、洗面所へ戻しに行く。俺はベッドの定位置に寝転がり、グレンを待った。
洗面所から出てきたグレンはグラスに水を注ぎながら言う。
「何か気になることでもあるのか」
やっぱり心配させた。俺は反省しながら言葉を紡ぐ。
「明日が不安で、落ち着かない」
「戦場に出るより何倍もマシだろう」
「それはそうなんだけどさ……」
「何を気にしているんだ」
ほら全て吐いてしまえ、と言いながら俺の隣に寝転んだ。肩肘を曲げて、手で自分の頭を支えながら俺の髪を指に絡める。
「明日、俺が何かヘマをしたらと思うと落ち着かなくてさ」
気持ちを吐露し切っていないのが分かるのか、グレンは「ふむ」と相槌を打ってからも髪を弄り続ける。次の言葉を待っているらしい。
「……グレンの伴侶として、しっかり務めを果たしたい。それで緊張してるんだと思う」
ちら、とグレンを見上げると、月明かりが彼の瞳を照らしている。
「聞いてるか?」
「あぁ。もちろん」
「結構深刻に悩んでるんだけど」
「……すまん」
俺の機嫌を損ねたと思ったのか、腰に腕を回して抱き寄せる。ふわふわの胸毛が額を覆って心地いい。
そこで耳に響く鼓動が妙に早いことに気付く。俺は手を突っ張って距離取り、グレンの顔を見る。
「……なんで嬉しそうなんだ?」
「いや……明日、正式にライゼルと結婚すると思うと……」
「ん?」
もごもごと口ごもるグレンを軽く睨み上げる。隠し事は無しだろ。
耳を平行に倒して口髭が顔の中心に向かって寄っている。照れ隠しをしている時の顔だ。
「……明日、ようやくライゼルと結婚できる。それで、柄にもなく舞い上がっているんだ。許せ」
「……そんなことを言われたら怒れないじゃないか!」
俺は思わず声をあげて笑ってしまう。グレンが恥ずかしそうにしているのに尻尾が大きく揺れているのも輪をかけて面白く、なかなか笑いの波が去らなかった。
そうしているうちに、気づけばさっきまでモヤモヤと胸の中にあった悩みがどこかへ飛んで行った。グレンの存在が、俺の心を曇らせていた不安を、すべて吹き飛ばしてくれたのだ。
何があっても、グレンと一緒なら大丈夫だろう。そう改めて思えた。
俺は笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭う。笑いすぎだ、と眉を寄せているグレン。その表情もまた、愛おしかった。
二人で寝転がっていたが、起き上がったグレンに腕を引っ張られて向かい合わせにさせられる。
今度は俺がグレンの機嫌を取る番かな、などと考えていたら先ほどの箱のことを思い出す。
「忘れるところだった。はい、これ」
「なんだ?」
「俺からの、婚姻の贈り物」
グレンは目を丸くして、力加減に気をつけながら優しく箱を開けた。
「腕輪か」
「うん。俺たちは剣を持つから、指輪だとちょっと邪魔だろう? こっちの方がいつも身につけるのに便利かと思ったんだ」
腕輪の素材は、黒色の金属を選んだ。スフェーンで世話になっていた装備の職人に依頼して取り寄せたのだが、グレンは気に入ってくれるだろうか。
箱の中から腕輪を取り出し、グレンの左手首にはめる。
「とてもかっこいいな。意匠が落ち着いた雰囲気なのがいい……もしかしてこの装飾は、スフェーンとゼフィロスの国花を?」
「ふふ、よく気付いたね」
「そこまでライゼルが考えてくれたのか」
「もちろん。俺から初めてグレンに渡す贈り物だから」
「……ありがとう。お前の瞳の色もしっかり入れてくれたのだな」
四角形の魔石はイエローグリーンで、俺の瞳の色と同じ。
恋人や伴侶への贈り物としてよく選ばれる意匠だが、まさか自分が誰かに贈る日が来るとは思っていなかった。
グレンはもう一つの箱を開く。
そちらには俺用の腕輪が入っている。
「ごめん。揃いで作ってもらった」
「何を謝る必要がある。完璧だ」
俺の腕を取り、左手首に腕輪をはめてくれる。ちゃんとこちらの魔石はグレンの瞳の色にしてある。パチン、と金具を閉じると、魔石がきらりと光った。
「よく似合う」
「グレンも。似合ってよかった」
「最高の贈り物だ。ありがとう」
思い切り褒められて頰が熱くなる。グレンと俺の手首にはまった腕輪を見て、口許が緩む。
グレンの顔が近づいてきて軽くキスをされる。すぐに離れた温もりを次は俺が追いかけた。
この満たされた気持ちを分け合うには、触れるだけのキスだけでは足りない。
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