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最初の別れ
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一人目の恋人はとても清楚ないい女性だった。
初めての恋人は、純粋な、汚れのない女性がいいと思っていた。
彼女は都内の難関女子大を卒業したが、その後、あまりいい仕事に巡り会えなかったようだ。"保険関係の仕事"としか聞いていなかったが、激務で薄給だと嘆いていたことは印象的だった。
合コンで出会った彼女は、そこにいた他の誰よりも美しく、汚れのないように見えた。黒髪で綺麗に撫でつけた長髪は、私の心を完全に奪っていた。
私は彼女にアプローチしてまもなく交際がスタートした。
結局、記念すべき甘美なその恋は約1年で終止符が打たれた。
経済的な面で彼女を支えようと考えていたが、転職して間もなかった私はそれほどの給料を貰えていなかった。
デートの時は背伸びするが、一人の時はいかに節約するかだけを考えていた。
もう少し彼女を楽させてあげたかったが、給料を上げることはそんなに簡単ではないから、背伸びをするにしても高が知れている。
別れる1ヶ月前のこと。帰路につくときに、偶然彼女を街で見かけた。
しかし、人違いだと思って話しかけなかった。その時の彼女は、私といる時とは雰囲気が違っていた。
店の明かりが彼女の茶色い髪を照らしていた。また、彼女は毛先を強く巻き、真紅の口紅を塗り、谷間を寄せ、短いスカートからは白く長い足が伸びていた。
翌日、彼女に今度会わないかとLINEした。1日空いて「いいよ」とだけ返信が来た。
数日後、喫茶レノンで彼女と待ち合わせた。私は少し早めに着いたので、先に着席しメニューを眺めていた。しばらくして彼女が到着した。彼女は丁寧にカールされた茶髪以外は、これまで会った時と変わりがなかった。
「ご注文がお決まりの頃に伺います」ウェイターが彼女の前にお冷を置きながら言った。
ウェイターが席を離れた後、私は急に会う約束をしたことを詫びた。彼女は「全然大丈夫」と言った。
「何頼む?」
近くにあったメニューを彼女の前に広げた。
私はレノンブレンドを、彼女はアメリカンコーヒーを注文した。
彼女に「雰囲気が変わった」というと、
「似合う?」と彼女は言って、指に髪を絡ませた。
「似合うんじゃないかな。印象が変わる。なんか夜職してそう」
と冗談っぽく言ってみたが、
「何で?してないよ」
と彼女はこちらの目をじっと見つめて真剣に否定した。
イメチェンくらい誰でもするし、あの夜見たのは人違いかもしれない。
注文したコーヒーが到着した。
少し雰囲気が悪くなったのを感じ、その後は最近の休日は何をして過ごしているのかだったり、美味しいレストランの話など当たり障りのない会話をした。
1時間くらい経って、「そろそろ帰ろうか」と私は言うと、
「何か話したいことがあったんじゃないの?」
と彼女は怪訝な表情を浮かべて聞いた。
「何となく顔が見たかっただけ」
と私が言うと、
「変なの」
と彼女は苦笑しながら言う。
会話をしている中で、私は彼女のことをほとんど何も知らないんだと思った。私たちにはもっとコミュニケーションを取るべきだったと後悔した。
たった2杯のカップを隔てたお互いの距離は、それ以上に遠く離れたものに感じられた。
彼女が夜職をしている確証を得るにはそれほど時間がかからなかった。
仕事終わりに同僚がキャバクラへ行こうと言い出したので、渋々ついて行くことにした。
恋人がいる身でありながらキャバクラへ行くのは気が引けたが、同僚が向かったのは以前彼女を見かけた場所だった。もしかして彼女がそこにいるかも知れない、そうしたら証拠を完全に掴むことができると期待してついて行くことにした。
店内に入ると、数名の客と煌びやかな衣装に身を包んだ女性たちの話し声がした。
席について、ふっと息をついた。あたりを見回りしてみても彼女の姿はない。
やっぱりそう簡単にはいかないかと肩を落とした。同僚は
「大丈夫か?元気ないんじゃないか?」
と私に言ってきた。もはや彼女がいないならここに来る意味なんてないと思っていた。
しばらくして「お待たせしました」と女性が言いながら私の隣に座った。同僚の隣にも女性が一人ついたが、その女性は紛れもなく私の彼女だった。あの夜見た雰囲気ではあったが、胸元が大胆に開いたドレスに身に纏う彼女はもう私の知っている彼女ではなかった。
彼女も気づいたのだろうが、まるで他人のようにこちらを見ず、同僚と楽しそうに会話している。隣の女性が私に話しかけてくるが、その言葉は私の耳に入ってこなかった。ある程度予想していたことではあったので、それほど驚いてはいなかった。
「あちらの女性とも話してみたい」
と彼女を手で示した。隣の女性は少し不機嫌な表情を浮かべたが、私にとってはどうでもよかった。
彼女は引き攣った笑みを浮かべながら私の隣に座った。
「悩みがあるんだ」
そう言って話を切り出す。
「今の彼女と別れたいんだけど、どう切り出したら良いか分からないんだ」
そう続けると、彼女は
「ストレートに別れようって言えば良いんじゃないですか?」
と言った。
「何で?って言われたら」
と私が言うと、
「他に好きな人ができたとか?」と彼女は答える。
「それだとまるで彼女に非が無いみたいじゃ無いか?」
と私が言うと、
「それじゃあ、本当の理由を言うしかないんじゃないですかね」
と彼女は苦笑しながら答える。
「なるほど。夜職やってるのが気に入らないから別れたいみたいな」
と私が言うと、
「例えばそんな感じです」と彼女は言う。
「夜職をやってるというよりも、それを隠していたのが気に食わない」と私が言うと、
「じゃあ夜職やると宣言したなら結果は違ったんですか?」
と彼女は言う。
「いや、結果は同じ。もっと早く別れられた。時間を無駄にしなくて済んだ」
と私が言うと、
「そうでしょ?その彼女さんはあなたのことが好きで、別れたくなかったんですよ。そもそも、あなたは彼女のこと本当に好きだったんですか」
と彼女は語気を強める。
「初めからそんな仕事しなければ別れることはない。確かに好きだったよ」
と私が言うと、
「好きなら彼女がどんな仕事してようが関係ないんじゃないですか?
職業差別的だし、この場で言うことじゃないですよ」
と彼女は言う。もはや自分がキャバ嬢であることを忘れているのか、少し強い口調になった。
「その人とは別れるよ」「その方がいいです」
これが2人の最後の会話だった。
私は数日後、都内の雑居ビルで全身を黒の布切れでびっしりと覆う自称"祈祷師"と向かい合っていた。
私は一人目の彼女の写真を見せ、「よろしくお願いします」と言う。
祈祷師は何も言わずに頷き、私に目をつぶって、顔を伏せるように促した。私はその指示に従った。
5分程度だっただろうか?
儀式が終わったことが告げられ、私はお礼を言いお辞儀をしその場を後にした。
その数日後、一人目の彼女は死んだ。バニラの広告宣伝車に轢かれて死んだ。
私はあの祈祷師は本物だと思った。
初めての恋人は、純粋な、汚れのない女性がいいと思っていた。
彼女は都内の難関女子大を卒業したが、その後、あまりいい仕事に巡り会えなかったようだ。"保険関係の仕事"としか聞いていなかったが、激務で薄給だと嘆いていたことは印象的だった。
合コンで出会った彼女は、そこにいた他の誰よりも美しく、汚れのないように見えた。黒髪で綺麗に撫でつけた長髪は、私の心を完全に奪っていた。
私は彼女にアプローチしてまもなく交際がスタートした。
結局、記念すべき甘美なその恋は約1年で終止符が打たれた。
経済的な面で彼女を支えようと考えていたが、転職して間もなかった私はそれほどの給料を貰えていなかった。
デートの時は背伸びするが、一人の時はいかに節約するかだけを考えていた。
もう少し彼女を楽させてあげたかったが、給料を上げることはそんなに簡単ではないから、背伸びをするにしても高が知れている。
別れる1ヶ月前のこと。帰路につくときに、偶然彼女を街で見かけた。
しかし、人違いだと思って話しかけなかった。その時の彼女は、私といる時とは雰囲気が違っていた。
店の明かりが彼女の茶色い髪を照らしていた。また、彼女は毛先を強く巻き、真紅の口紅を塗り、谷間を寄せ、短いスカートからは白く長い足が伸びていた。
翌日、彼女に今度会わないかとLINEした。1日空いて「いいよ」とだけ返信が来た。
数日後、喫茶レノンで彼女と待ち合わせた。私は少し早めに着いたので、先に着席しメニューを眺めていた。しばらくして彼女が到着した。彼女は丁寧にカールされた茶髪以外は、これまで会った時と変わりがなかった。
「ご注文がお決まりの頃に伺います」ウェイターが彼女の前にお冷を置きながら言った。
ウェイターが席を離れた後、私は急に会う約束をしたことを詫びた。彼女は「全然大丈夫」と言った。
「何頼む?」
近くにあったメニューを彼女の前に広げた。
私はレノンブレンドを、彼女はアメリカンコーヒーを注文した。
彼女に「雰囲気が変わった」というと、
「似合う?」と彼女は言って、指に髪を絡ませた。
「似合うんじゃないかな。印象が変わる。なんか夜職してそう」
と冗談っぽく言ってみたが、
「何で?してないよ」
と彼女はこちらの目をじっと見つめて真剣に否定した。
イメチェンくらい誰でもするし、あの夜見たのは人違いかもしれない。
注文したコーヒーが到着した。
少し雰囲気が悪くなったのを感じ、その後は最近の休日は何をして過ごしているのかだったり、美味しいレストランの話など当たり障りのない会話をした。
1時間くらい経って、「そろそろ帰ろうか」と私は言うと、
「何か話したいことがあったんじゃないの?」
と彼女は怪訝な表情を浮かべて聞いた。
「何となく顔が見たかっただけ」
と私が言うと、
「変なの」
と彼女は苦笑しながら言う。
会話をしている中で、私は彼女のことをほとんど何も知らないんだと思った。私たちにはもっとコミュニケーションを取るべきだったと後悔した。
たった2杯のカップを隔てたお互いの距離は、それ以上に遠く離れたものに感じられた。
彼女が夜職をしている確証を得るにはそれほど時間がかからなかった。
仕事終わりに同僚がキャバクラへ行こうと言い出したので、渋々ついて行くことにした。
恋人がいる身でありながらキャバクラへ行くのは気が引けたが、同僚が向かったのは以前彼女を見かけた場所だった。もしかして彼女がそこにいるかも知れない、そうしたら証拠を完全に掴むことができると期待してついて行くことにした。
店内に入ると、数名の客と煌びやかな衣装に身を包んだ女性たちの話し声がした。
席について、ふっと息をついた。あたりを見回りしてみても彼女の姿はない。
やっぱりそう簡単にはいかないかと肩を落とした。同僚は
「大丈夫か?元気ないんじゃないか?」
と私に言ってきた。もはや彼女がいないならここに来る意味なんてないと思っていた。
しばらくして「お待たせしました」と女性が言いながら私の隣に座った。同僚の隣にも女性が一人ついたが、その女性は紛れもなく私の彼女だった。あの夜見た雰囲気ではあったが、胸元が大胆に開いたドレスに身に纏う彼女はもう私の知っている彼女ではなかった。
彼女も気づいたのだろうが、まるで他人のようにこちらを見ず、同僚と楽しそうに会話している。隣の女性が私に話しかけてくるが、その言葉は私の耳に入ってこなかった。ある程度予想していたことではあったので、それほど驚いてはいなかった。
「あちらの女性とも話してみたい」
と彼女を手で示した。隣の女性は少し不機嫌な表情を浮かべたが、私にとってはどうでもよかった。
彼女は引き攣った笑みを浮かべながら私の隣に座った。
「悩みがあるんだ」
そう言って話を切り出す。
「今の彼女と別れたいんだけど、どう切り出したら良いか分からないんだ」
そう続けると、彼女は
「ストレートに別れようって言えば良いんじゃないですか?」
と言った。
「何で?って言われたら」
と私が言うと、
「他に好きな人ができたとか?」と彼女は答える。
「それだとまるで彼女に非が無いみたいじゃ無いか?」
と私が言うと、
「それじゃあ、本当の理由を言うしかないんじゃないですかね」
と彼女は苦笑しながら答える。
「なるほど。夜職やってるのが気に入らないから別れたいみたいな」
と私が言うと、
「例えばそんな感じです」と彼女は言う。
「夜職をやってるというよりも、それを隠していたのが気に食わない」と私が言うと、
「じゃあ夜職やると宣言したなら結果は違ったんですか?」
と彼女は言う。
「いや、結果は同じ。もっと早く別れられた。時間を無駄にしなくて済んだ」
と私が言うと、
「そうでしょ?その彼女さんはあなたのことが好きで、別れたくなかったんですよ。そもそも、あなたは彼女のこと本当に好きだったんですか」
と彼女は語気を強める。
「初めからそんな仕事しなければ別れることはない。確かに好きだったよ」
と私が言うと、
「好きなら彼女がどんな仕事してようが関係ないんじゃないですか?
職業差別的だし、この場で言うことじゃないですよ」
と彼女は言う。もはや自分がキャバ嬢であることを忘れているのか、少し強い口調になった。
「その人とは別れるよ」「その方がいいです」
これが2人の最後の会話だった。
私は数日後、都内の雑居ビルで全身を黒の布切れでびっしりと覆う自称"祈祷師"と向かい合っていた。
私は一人目の彼女の写真を見せ、「よろしくお願いします」と言う。
祈祷師は何も言わずに頷き、私に目をつぶって、顔を伏せるように促した。私はその指示に従った。
5分程度だっただろうか?
儀式が終わったことが告げられ、私はお礼を言いお辞儀をしその場を後にした。
その数日後、一人目の彼女は死んだ。バニラの広告宣伝車に轢かれて死んだ。
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