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第1話

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 聖女に選ばれた者には多くの禁忌があった。
 その中でも最も強く戒められること、それは『性交』の禁を破ってはならない、ということ。
 もしも破れば、聖女の力はたちまち失われ、相手にも大きな災いを与えるだろう。

 ☆

「今年、聖女に選ばれたのはカタリナだ。みなの者。この村から聖女が出たことを盛大に祝うがよい!」

 村長であるゴムラが村人たちが集まる広場に向かって、高々と宣言した。
 その隣には、今年成人の儀を行う予定だったカタリナが、作り笑いを浮かべながら、所在なさげに立っている。
 村人の熱狂的な声援を受けながら、カタリナが心に思うのはたった一つ。

『どうして、私なんかが……』

 盛況な村人の中に、カタリナの顔を悲惨な表情で見つめる男が一人。
 カタリナと生涯の愛を誓い合った幼馴染、そして村長ゴムラの孫であるマロアだった。
 視線に気付き、カタリナは見つめ返すが、マロアはすぐに視線を逸らし、そのまま広場から走り去っていった。
 追いすがりたい。
 その気持ちに素直になれればどれだけ幸せだったか。
 しかし、カタリナは自身の気持ちにしっかりと蓋をした。
 叶わぬ想いに苦しむのならば、いっそ忘れてしまおうと。
 苦しんでいる暇などないのだ。
 これからカタリナは、先日みまかった先代の聖女の代わりに、生まれ育った小さな村を離れ、都に移り住むのだから。
 村長とカタリナを聖女だと認定した選別官の話によれば、今とは比べ物にならない、素晴らしい生活が待っているのだとか。
 だがカタリナは、聞けば聞くほど、都での暮らしが、聖女としての生活が、恐ろしくて仕方がなかった。
 生まれてからこの方、一日で歩き回れるような狭い村で、小さな幸せや次の日になれば笑い事になるような悩みの中、慎ましく生きてきたカタリナにとって、まるで異世界に放り込まれるような錯覚に陥った。

「おとさん、おかさん。今まで立派に育ててくれて、ありがとう」
「カタリナ……!」

 広場でのお披露目の後、カタリナに家族との別れのわずかな時間が与えられた。
 控えめに笑みを浮かべ、これまでの感謝を述べたカタリナを、母親は涙を流しながら抱きしめ、父親は無言でその二人を両腕で包んだ。

「聖女様って凄い素敵な生活ができちゃうんだって! だから……そんなに泣かないでよ……」
「だって、お前……マロアと将来結婚して、おとさんおかさんみたいな素敵な夫婦になるんだって……ちっちゃい頃からそれが夢だって……」
「それは昨日までの私の夢。もう叶わないことが決まったから、もう夢じゃないんだよ。おかさん。そうだ。新しい夢、早く見つけないとね」

 母親をこれ以上悲しませないように気丈に振る舞うカタリナに、母親はなおさら悲しみの涙を流した。
 家の外では、村中が現代の聖女生誕の地になったと宴を開き、至る所から陽気な声が響いている。
 静かなのはカタリナと両親がいる、この家だけだった。



「……リナ。カタリナ」
「うーん……だれ?」

 深夜。
 夜明けには都へ向け出発が決まっているカタリナを呼び起こす声に、眠いまぶたを擦りながら、ゆっくりと目を開ける。

「カタリナ」
「マロア? どうしてここに……!」
「しっ」

 暗がりで顔はよく見えないが、声で、そして小さい頃から慣れ親しんだ雰囲気で、カタリナが主がマロアだとすぐに分かった。
 そんなカタリナの口をマロアは優しく塞ぎ、静かにするようにと人差し指を自分の唇に当てる。

「カタリナ。聞いてくれ。俺はお前のことが好きだ。小さい頃からずっと好きだ。今でも愛してる。だから――」

 しっかりと蓋を閉めたはずの想いが、マロアの言葉で留めようもなく溢れ出してくる。
 私もあなたを愛している。
 そう答えられれば。
 頭に渦巻くたったわずかな言葉が漏れ出ないよう、カタリナは必死に口に力を入れ、マロアの言葉の続きを待つ。

「だからカタリナ。俺と一緒に逃げてくれないか?」

 全身が痺れるような衝撃をカタリナは感じた。
 マロアの言葉を頭に中で反芻はんすうする。
 一緒に逃げてくれないか。
 その意味がどのような意味を持つのか、カタリナはもちろん理解していた。
 そして、決してその場の感情に任せて行動をするようなことをしないマロアが、自分で何を言っているのか理解した上で、今の言動があるのだと、カタリナは分かっていた。
 だからこそ、カタリナは母親の前ですら見せなかった涙を、今日初めて流した。

「だって……マロア。そんなことをしたらあなたが!」
「分かってる。大丈夫。聖女であるカタリナは絶対に酷い目に遭わない。もし見つかったとしても、俺だけだ」
「だからよ。マロアはこの村の村長の孫じゃない。私さえ忘れてくれれば、幸せな未来が約束されてるわ。だから――」
「カタリナ。君がいない未来に俺の幸せなんかないんだ。今日ずっと考えて、今の今まで考えたけど、ずっと同じ答えしか出なかった」

 暗がりに慣れたカタリナの目が、マロアの顔を見つめた。
 状況とは裏腹に、マロアはとても穏やかな表情をしていた。
 この表情を見たカタリナは、心の底から湧き出る言葉を口にする。

「マロア。私もあなたを愛してる」

 そう発した口に、マロアの柔らかい唇が重なる。
 この国では、女性は成人までは誰もが聖女になりうる可能性があるため、異性との交わりを固く禁じられている。
 幼い時から伴侶となることを誓い合ってきた二人の、初めての口付けだった。

「ん……んん……」

 マロアはしばらく動かずに唇を重ねた後、優しく何度も唇を当てては離す。
 その度にカタリナの体は、小刻みに震えた。
 最後に強めに唇を重ねた後、マロアはカタリナを抱き起こす。
 慌ててカタリナは声を上げた。

「わ……! 待って。ちゃんと自分で歩けるから」
「カタリナを抱きかかえたままでも走れるくらいは、身体を鍛えてるさ」
「そういう冗談を言ってる場合じゃないでしょう? それに、逃げるって言っても、何かあてがあるの?」

 カタリナ抱きかかえられた恥ずかしさから、冷静さをいくぶんか取り戻し、これからについて尋ねた。

「この村から西に進んで、森を抜けた先は国の外だろ? 小さな川もいくつもあるから水には困らないだろうし、なんだったら森の中に隠れ住んでもいい」
「森の中に住む。きっと大変ね。でもなぜかしら。マロアと一緒なら、どこに住んだとしても素敵だと思える気がするわ」
「はは。少しはらしくなってきたみたいだね。さぁ、時間はあまりない。最低限の準備はもう済ませているから、外へ」
「カタリナ。待ちなさい」

 突然の声に二人の身体が強張る。
 聞き間違えようがない。
 カタリナの父親の声だ。

「おとさん……あのね!」
「親父さん! どうか見過ごしてください! お願いします!!」
「二人とも。聞きなさい」

 父親の静かだがはっきりとした声に押され、二人は口をつぐんだ。
 父親はおもむろに、手に持っていた皮袋をカタリナに持たせた。
 手に伝わる重みと、その感触から、カタリナは目を見開いた。

「おとさん、これ……こんなにたくさん」
「いつか二人のために使おうと、コツコツ貯めた俺の小遣いだ。母ちゃんの分も入ってる。俺のより多いがな」
「そんな。おとさん。こんなのもらえないよ。だって、私これから――」

 これからどうするつもりなのか。
 カタリナはすぐに言葉にできなかった。
 自分がマロアと逃げるということは、国に逆らうということ。
 そんなことを実の娘がするなんて、怒らず悲しむこともない親がいるとは、カタリナは思えなかった。

「カタリナ。お前は俺と母ちゃんの自慢の娘だ。聖女だなんて言われるずっと前から、生まれた時から自慢の娘だ。お前が何をしても、俺と母ちゃんはずっとお前の味方だ。どこで何をしてたって、お前はお前がしたいことをすればいい」
「おとさん……!」
「親父さん……」
「これからどうするつもりかは、詳しくは聞かん。知らない方がいい。でも、金があって困ることはないだろう。持っていきなさい」
「おとさん……ありがとう」

 カタリナが父親をキツく抱きしめると、父親はカタリナの頭を優しく撫でた。
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