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10、願い

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 そこからはよく記憶になかった。

 気がついた時には、メアリは怒れる群衆を目の当たりにしていた。
 キシオンの登場から群衆は日に日に減少していたのだが、しかし今日は違う。
 この5年で一番だった。
 国民の命を軽視する蛮行が、彼らの激昂を招いたに違い。

 ただ、メアリにとっては全てに現実感が無かった。
 兄に殴られ、家族から侮蔑の視線を向けられてからだ。
 どうにもふらふらとするのだ。
 もはや人生に望みなど何も無い。
 それを実感して、現実を理解するのに億劫おっくうになってしまっている。

 ふと群衆を眺めると気づくことになった。

 いつも通りだ。
 その中にはキシオンの姿がある。
 彼は「メアリ……?」と呟いたように見えた。
 その視線は自分の頬にあるようで、殴られた跡を気にしているようにも見えた。

 見間違いかもしれなかった。

 それでも心配してもらえていると思えれば、妙に嬉しかった。
 思わずほほ笑みかける。
 かつて友人であった頃のようにほほ笑みかけ……それが契機となった。

「な、何を笑っているんだ、この悪女がっ!!」

 怒声が響き風切り音が耳に届いた。
 何故かふらつくことになる。
 理由を探すと、額に衝撃を感じたような覚えがあった。
 額に手のひらを伸ばす。
 ぬるりとした妙な温かさ。
 「あぁ」と呟くことになった。
 
(石を投げられたんだ)

 そう言えばそうだったか。 
 血のついた手のひらを見つめつつ淡々と思う。
 すると、だった。
 再びの風切り音だ。
 肩に衝撃があった。
 ふらつくことになり、再び理解することになった。
 石を投げられた。
 いや、投げられている。
 止めどなく投げられている。
 怒れる群衆が、暴力をもって悪女に制裁を下そうとしている。
 
 あとはよく分からなかった。

 嵐のように襲いくるつぶて
 メアリは立ち上がってはいられなかった。
 顔を上げることも当然かなわない。
 頭を抱えて地に伏せるしかないのだが、その中でメアリは笑みを浮かべた。

(死ねるんだ)
 
 鳴り止まない怒声。
 数多の礫が上げる風切り音に、それらが石橋を叩く衝撃音。
 いっそ静かだった。
 耳がそれぞれを理解することを放棄した結果、混沌とした静寂が広がっている。
 しかし、それでも分かるのだ。
 体を打つ礫の音だけははっきりと分かる。
 そのくぐもった響きに終わりは無く、自身に待ち受けるものがはっきりと理解出来る。

(これで死ねるんだ)

 嬉しかった。
 よって待ち受ける。
 自身を打つ礫の音が聞こえなくなる瞬間をメアリは待ち受ける。

 だが、

(……え?)

 胸中で不思議の呟きを上げることになった。
 どうにもおかしかった。
 自身を打つ礫の音が減っていた。
 群衆が石を投げることを止めたわけでは無いはずだった。
 混沌とした静寂は変わらずメアリを包んでいる。

 であれば何が起きているのか?

 顔を上げようと思えば、それは果たせた。
 メアリは目を見張ることになる。
 彼だった。
 キシオン。
 彼が自身に覆いかぶさり礫から守ってくれているのだった。

 勘違いかもしれなかった。

 法務卿として、悪女を裁くのであればしかるべき刑罰を与えたい。

 そんな思いがあっての行動なのかもしれなかった。

 それでも、もういいと思った。
 彼は自分の味方である。
 そう思うことにした。

 メアリは彼の服のそでを引いた。
 気づいてくれたらしい。
 群衆に向けて制止を叫んでいるようだったキシオンは、険しい表情のままに視線を向けてくる。
 
 メアリは彼にほほ笑みを見せた。
 そして、伝える。
 声が伝わるような状況では無く、唇の動きで思いを伝える。

 おねがい、しなせて。

 これで良かったのだ。
 幸せな心地のままで死なせて欲しかった。

 彼はきっと泣きそうな表情を浮かべていた。
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