美貌の腹黒伯爵様は奥手なメイドを御所望です

灰兎

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1、図書室は『善良なメイドを罠に掛ける密室』ではありません

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社交界の華と言えば、大抵は美しい女性を思い浮かべる。

しかしこのシャール国においては少し事情が違う。

流れるように緩くカールしたブロンドに、見るもの全てを魅了するようなエメラルドの瞳。
彼が微笑めば幾人ものご婦人が熱に浮かされ、例え形式的な敬愛のキスだとしても、その形の良い唇で触れられた者は正気を失ってしまう。

夢見るような美しさと、長身で優雅な所作、文武両道で、人当たりも良く、王族とも近しい。

その上、いずれ公爵位を継ぐ事が確定しているのだから、年頃の女性は誰でも彼との結婚を夢見た。

オズワルド シーモア伯爵は間違いなくこの国の『社交界の華』であり、しかしどんな好条件の見合いも断る、『高嶺の花』でもあった。




13歳からこのお屋敷で働き始めて4年弱、レイチェルは年の瀬が迫るその日も、週に二回の図書室の掃除を張り切っていた最中だった。

一年のうちで最もテンションの上がる星の祭りもあるし、何より、密かに憧れているこの屋敷の御子息、オズワルドが留学先より一時帰国している。

いつも誰も居ないので、鼻歌ではなくがっつり歌いながら、はたきを掛けていた。

「だか~ら~、ニンジンっていいなぁ~♪

いんげん~だって負けてない~♪

キャベツを忘れちゃいけないよ~♪」

昔、野菜嫌いだった弟によく歌っていた童謡だ。

レイチェルは決して音痴ではない。

どちらかというと上手い方かもしれない。

しかし歌の内容が内容なだけに、オズワルドは細心の注意を払って見つからないよう本棚の陰からレイチェルを眺めていたのに、思わず「ごふっ」と吹き出してしまった。

(あれ、誰かいる!?)

今までのソロリサイタルが急に恥ずかしくなって思わず辺りをキョロキョロ見渡す。

(──やっぱり誰も居ないか、物音が聞こえた気がしたけど、気のせいかな?)

再びはたき掃除に戻ろうとした矢先。

カツーン、コロコロコロ、と音がした。

反射的に音の方を見ると、男性用の金ボタンだった。

すかさず梯子を降りてボタンを視線でたどると、降参したように近くの本棚の陰からオズワルドが現れ、転がったボタンを拾った。

眼前に突如現れた美貌の伯爵に、レイチェルは歌を聞かれた恥ずかしさも吹き飛び、真っ青になる。

「は、伯爵様、すみませんでした、この度はとんだ御無礼を……」

パニックになりながらも、頭が地面につくんじゃないかと思う位に腰を折って謝罪した。

あれほどメイド頭のマチルダに姿を見られてはならないと言われていたのに。

「申し訳ございません。どうかクビだけはお許し下さい。まだ弟が士官学校に入ったばかりで……」

非礼を承知で許しを請うような事をしてしまう。
クビになったら両親は路頭に迷うし、弟は学費が払えず退学だ。
涙が溢れそうになるのを口の中を噛んで必死にこらえる。

「ちょ、ちょっと待って、君は何も悪いことしてないのに何故クビになるの? 不当解雇でこちらの方が咎められてしまうよ。安心して。」

萎縮するレイチェルに、オズワルドは驚きを通り越して申し訳ない気持ちになる。

「君がそんなにも神経を磨り減らして働いている状態になっているなら、それは僕や僕の両親の責任だ」

「い、いえ、公爵様御夫妻にも伯爵様にも大変よくして頂いています。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。
この御厚意は一生忘れません。
重なるご無礼お許し下さい。失礼致します。」

そう言って主君の許可なく退室する無礼を詫びて、その場から去ろうとするレイチェル。

「待って。」

「はい、何か私でお役に立てますでしょうか?」

一刻も早くその場を立ち去りたかったけれど、呼び止められ、背筋をピンと伸ばしてオズワルドの方へ向き合う。

「この通りジャケットのボタンが取れてしまったんだ。もし迷惑でなければ、縫い付けてくれる?」

「私なんかでは……お言葉を返すようですが、衣装部屋担当のベルナルド様に頼んだ方が適任かと……」

「忙しいのにごめんね。実はちょっと休憩中で、と言うか用事をサボって抜け出しちゃったんだ。まだもう少しこっそりここに居たいんだ。ね、お願い出来るかな?」

オズワルドは戸惑うレイチェルに大胆な嘘をつく。

「そう言う事でしたら……はい、かしこまりました。では裁縫道具を目立たないように持って参ります。」

そう言ってお辞儀をするとオズワルドの嘘を1ミリも疑わずに一旦図書室を出て行った。

4階の図書室から裁縫道具等が納められている部屋は遠かったけれど、幸い誰も居なかったので、こっそり糸と針、糸切りばさみを手にして、また小走りで4階に戻った。

「お待たせして申し訳ありません。」

「ううん、全然待ってないよ。随分早かったね、走らせちゃってごめん。」

「いえ、走っていません、大丈夫です。」

レイチェルは失礼の無いよう、なるべくオズワルドを見ないようにして、ボタンとジャケットを手にする。

普段使いのジャケットなのかもしれないが、上質な生地に精緻な縫い目で仕立てられていて、一目で一級品と判る。

ずっしりとしたジャケットの重みを感じながら袖にボタンを縫い付ける。

オズワルドからの視線を感じてどうにもやりにくかったけれど、元々刺繍は好きだったし、母に鍛えられていたので、厚手の布でも難なく仕上げることが出来た。

「出来ました。どうぞ。」

「どうもありがとう。えっと……君の名前を聞いてもいい?」

オズワルドはレイチェルの名前をとっくに知っていたけれど、さりげなさを装い尋ねる。

「はい、レイチェルと申します。」

「ありがとうレイチェル。また君に会える? 」

うつむいてジャケットを差し出したら両手ごと握られ、それを無理矢理払うわけにも行かず、困惑するレイチェル。

「レイチェル、さっきから全然僕の方を見てくれないし、なんだか僕から逃げようとしてる感じがするけど、何か気に触る事をしちゃったかな? 気分を害したなら謝りたい。」

「申し訳ございません……私の様な使用人は本来ならば公爵御夫妻と伯爵様のお目に触れてはいけない者ですので、今も出来るだけ伯爵様の視界に入らないようにと努めております。」

「え、そんな事言ったの? 僕の両親が?」

オズワルドは眉間に皺を寄せて訊いてくる。

「い、いえ、ここで働かせて頂く際の最低限のエチケットとして習いました。」

「そんな、僕はそんなの嫌だよ。」

「……」

レイチェルは何も言えなくなってしまう。

「あ、あのお手を、伯爵様……」

「ねぇ、もう一度会える? 次はいつここに来るの?」

レイチェルの言葉に応えず、オズワルドが聞いてくる。

レイチェルの名前同様、彼女がいつここに来ているのかオズワルドは既に把握していたが、あえて確認する。

「週に二度、火曜日と金曜日の午後3時頃に……」

「そっか、じゃあ金曜日にまた会える?」

「それは少し難しいかと……」

何とかこの場をやり過ごそうとするも、オズワルドの大きな手がレイチェルを離さない。

「約束してくれなくてもここで待ってる。君が来るまで。」

「……かしこまりました。金曜日の3時に参ります。」

「ありがとう、レイチェル! すごく嬉しい。」

オズワルドがどういうつもりで自分に約束させるのか分からないけれど、レイチェルは赤面しているのが自分でもわかった。

承諾の意を示した後もオズワルドの手は一向に離れて行かない。

心拍数がどうしようもなく上がって、ドキドキが伝わってしまっていないか恐る恐るオズワルドを見上げると、強引な態度からは想像もつかないような、はにかんだ笑顔があった。

「レイチェル、約束だよ? 絶対に来てね?」

「はい、伯爵様、きっと参ります……」

レイチェルは律儀に礼をすると図書室を後にした。

本当は今日も彼女の前に姿を現すつもりはなかった。

変質的でも、今はただ彼女を眺めていれば良いと思っていた。

今、彼女と話してしまったら、この気持ちが抑えられなくなってしまうだろうから、せめて自分が留学を終えて、レイチェルが18歳になるのを待ってから近付こうと思っていた。

けれどあんな可愛い歌を歌われて、その上ボタンが落ちてしまっては、隠れたままでは居られなかった。

至近距離で見たレイチェルはくらくらする程可愛くて、そして案の定、暴走してしまった。


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