パンドラ

猫の手

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一章

【変化-2】

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 秋も十月に入り、日の落ち始めるのはいささか早いようだ。

 本の好きな修一は幸草町にある図書館に行っていて、その帰りに廃墟ビルの前を通りかかった。

 自宅のある富永町までの帰り道ということもあり、いつもの道をいつも通り歩いていた。

 だが、辺りに街灯も無い道に入り、その道を歩く中でなにかいつもと違う空気を感じた。そして無意識に辺りを見回す。その原因は廃墟ビルに目を向けたらスグにわかった。

 現在は廃墟となったそのビルは今から八年ほど前に建てられ、元は情報処理系の会社だった。

 会社は三階建てで建物の高さは十二メートルほど、一つ一つの階の高さの幅は狭く、一般的な三階建ての建物と比べると低い設計だった。しかし、敷地は広く周りはフェンスに囲まれている。

 小さい頃に修一は日曜日になると毎週のように父親に連れられて釣りに行っていた。エサや道具はビルの向かいにある釣具屋「キャンベル」で準備する。

 そのためか修一は現在は廃墟となったビルの工事の着工から完成までをよく知っていた。

 廃墟になった理由は半年ほど前に何者かによって放火されたのが原因だ。

 夜中ということもあって会社には従業員が一人もおらずケガ人などはいなかった。

 その犯人はまだ捕まってはいなく、夜中の犯行ということもあり目撃者は一人もいなかった。なにも犯人に結び付く物は見つからなかったため捜査は難航を極め、警察も半ば諦めているのか、事件が解決する気配は全く無いように思える。

 その事件以来、廃墟ビルに近ずく者は警察関係者の他にはいないのだが、振り向いた修一の目には廃墟ビルの屋上に人影が確認出来た。

 修一は読書ばかりしているため視力はイマイチであるのだが誰が見ても状況は理解出来る。

 それは一人の女性が屋上から飛び降りようとしている光景だった。

 手すりを乗り越えていて、今にも身を投げそうだ。

 それを見た修一はとっさに声を張り上げて叫んだ。

「やめるんだ!」

 普段は大きい声は出ないのだが、この時ばかりは自分でもうるさいと思えるようなデカイ声が出た。

「なにしてるんだ! バカなことはやめなよ!」

 女性は修一に気がついたようで絶望をあらわした顔を向けて叫び返す。

「放っておいてよ!」

 そう言った彼女の声の大きさは修一の声の大きさを遥かに越えていた。

「こんな状況で放っとけるわけないよ!」

 修一は彼女に負けないように大声で叫ぶ。

「お願いだから放っておいて! もう、どうしたらいいか私にはわからないの。楽になるにはこうするしかないのよ」

「一体なにがあったのか僕にはわからないけど、自殺は絶対にダメだよ! よかったら僕に事情を話してくれない?」

「あんたに話した所でなにも現実は変わらないわ! もう私に他の選択肢は無いんだから!」

 彼女の顔はさらに絶望の色が濃くなり、ここで少しでも会話をやめたらスグに飛び降りるだろう。

 この辺りはもともと人通りが少なく、こんな時に限って人っこ一人としていない。

 修一はすぐに彼女に向かって叫び返す。

「僕は人に生きろとか、人生はどうとか、偉そうに言える人間じゃないけど、死ぬことはきっとこの世界で一番後悔することだって今はハッキリ言える! 後悔してもいいから、それでも死にたいと思うんだったら、それは君の人生だから僕に止める権利はないかもしれない。でも、だけど止めないわけにはいかないよ」

「あんたに話して現実は変わるの? 変わらないわよ! 気持ちが変わっても意味なんてないじゃない」

 先ほどまでと比べると彼女の声はどこか少しながら小さくなったように思えた。

 その時、修一は彼女を思いとどまらせる微かな手応えを感じた。

「その現実を変えてみない? 気持ちが変わればそこから現実は変わっていくよ。悪いように考えたら悪いようになるし、良いように考えたら良いようになる。辛い気持ちで生きれば辛い日々を送るんだろうし、楽しい気持ちで生きれば楽しい日々を送るもんだよ」

 修一はキレイごとに聞こえるだろうなと思いながらも彼女に言った。

「そんな簡単にいかないわよ」

「確かにそうだけど。でも一人じゃ苦しくても誰かが助けてくれたり、キッカケがあったり、なにか変化があれば人は人生を変えられるよ。僕がそうだった」

 修一の言葉に彼女は少し反応した。

「あんたになにができるのよ? わたしが何処の誰かも知らないのに偉そうなことを言わないで!」

 そう言った彼女の顔からは少し絶望の色が薄れていた。修一は彼女を思いとどまらせる確かな手応えを感じた。

「そうだね。会ったばっかりだし、僕は君の名前も知らないし」

 そのあと少しの沈黙があった。

 お互いに黙り相手を見ていたが、最初に口を開いたのは彼女だった。

「名前はなんて言うのよ?」

 その口調は先程までと違い大変穏やかだった。

「僕は白井修一だよ。君は? なんか『亜紀』とか『亜美』とか名前の最初に『あ』が付きそうだね」

 修一はなんとなくで言っただけだったが、彼女はクスッと笑って笑顔を見せた。

「私は『如月彩きさらぎあや』よ」

 名前を言った彼女の顔からは絶望の色は薄れていた。

「どうして『あ』が付くってわかったのよ?」

 まさか当たるとは思っていなかった修一は目を見開いて驚いた。

「か、勘だよ! 男の勘。良く当たるんだよ。ハハハ……」

「なにそれ」

「女の子に第六感がなんやかんやね!」

 修一はそんなことを言うキャラではないのだが、今はなんでもいいから彼女の気を惹いて、彼女の気持ちを晴れさすのが一番大事だと考えていた。

「フフ、なにそれ。そんなことを言うキャラに見えなくて笑える」

「やっぱりそうだよね……」

 辺りは日が落ちすでに暗くなっていた。この辺りは街灯もほとんど無く、夜中は暗闇に包まれる。廃墟ビルを照らすのは夜空の月明かりだけだった。
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