印鑑の乱

右京之介

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印鑑の乱

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         「印鑑の乱」
         
                         右京之介

 自筆でのサインや電子署名がなくなり、自分自身であるという証明は唯一印鑑のみと決められた。印鑑こそが自分自身のアイデンティティとなった。
 あまりにも不正が横行したからである。
 その印鑑は主にへその緒から出来ていた。よって、生まれてすぐに印鑑を作る必要があった。すでに生まれて、へその緒を持ってない人は髪の毛や皮膚や歯を主成分として作成し、あらためて印鑑を作ることになっていた。
 その結果、偽造はできない唯一無二の印鑑が出来上がり、書類に押印する際の不正はできなくなった。また、印鑑は紛失や窃盗を避けるため、常に身に付けておくということが、法律で決められた。
 そのため、街には印鑑を狙った犯罪が続出した。
 “印鑑奪い隊”の犯行である。
 そこで、人々は印鑑を奪われないように“印鑑守り隊”を雇うことになった。
 
 ボクは電動車椅子に乗ったおばあちゃんと並んで歩いていた。
 突然、目の前に人相の悪い三人組が現れた。“印鑑奪い隊”である。真ん中の一人は金属バットを持ち、腰にはすでに奪った印鑑を入れた黒い袋をジャラジャラと自慢げにぶら下げている。
「印鑑を出してもらおうか」金属バットの男が言った。
 だが、こちらには“印鑑守り隊”がいる。簡単には渡さない。
 ボクはおばあちゃんの前に立ちはだかった。
 しかし……。
「若いの、どきなさい」おばあちゃんに言われた。「私に任せなさい」
 電動車椅子がボクの前に移動したかと思うと、装着されているマシンガンが火を噴き、三人は撃ち殺された。
 おばあちゃんは何事もなかったかのように、白煙が立ち込める中、三体の死体の上を電動車椅子でズカズカと乗り越え、途中で黒い袋をヒョイと拾い上げた。
 おそらく三十本ほどの印鑑が入っていることだろう。
 おばあちゃんはボクが雇った“印鑑守り隊”であり、“殺人車椅子のアサさん”と呼ばれていた。
 “印鑑奪い隊”から取り戻した印鑑は警察に持って行くと、一本三万円で引き取ってくれる。その後、警察から、それぞれの持ち主に返却されるという仕組みだ。あまりにも略奪される事件が多すぎて、警察も手が回らず、“印鑑守り隊”に頼らざるを得ないのだ。
 今回は百万円ほどの収入になったようだ。
 それが“印鑑守り隊”の資金源にもなっていた。
 
 日本に高齢化社会が急速で押し寄せて来た。街にはヒマな老人が溢れるようになった。一方で“印鑑奪い隊”に襲われる若者が続出していた。
 ならば、高齢者で若者を守ってはどうかという議論が起きた。
 高齢者はヒマが解消され、仕事に有りつけるとともに、これからの日本を支えて行く若者は守られるという一石二鳥のシステムだった。
 そこで、シルバー人材センターを母体とする“印鑑守り隊”が結成された。

 ボクはIT関連の仕事で成功し、かなりの収入を得ていたが、テレビで取材を受けて顔出しをしてから、“印鑑奪い隊”に狙われるようになった。有名税にしては過酷すぎる仕打ちだった。
 “殺人車椅子のアサさん”との契約は先月で切れて、今月からは違う“印鑑守り隊”のお世話になっている。
 ボクは市役所へ行くために歩いていた。隣には杖をついたおばあちゃんがいる。ボクがおばあちゃんに合わせてゆっくりと歩いていたところ、後ろから走って来た巨漢に体当たりされた。巨漢は転んだボクのスーツのポケットから印鑑を奪おうとする。
 こいつも“印鑑奪い隊”だ。
 ところが、巨漢は突然、後頭部を杖で殴られて昏倒した。続いて、ヨロヨロと立ち上がった巨漢の太ももに、先端の鋭く加工された杖が突き刺さった。最後に、杖の末端から飛び出した電極部分が腹に押し当てられて巨漢は感電した挙句、失神した。
 おばあちゃんはボクが雇った新しい“印鑑守り隊”であり、“からくり杖のギンさん”と呼ばれていた。巨漢が持っていた印鑑は十二本、しめて三十六万円のアガリだった。
 
 “殺人車椅子のアサさん”と“からくり杖のギンさん”が襲われたという一報を受け、ボクは急いで病院に駆け付けた。二人の命に別状はなく、たいしたケガではなかったのだが、ともに八十歳を越えており、大事を取って、一か月ほど入院することが決まっていた。
 二人ともデイケアからの帰宅途中、何者かに不意打ちを喰らわされたらしい。
「ヒドいことをするもんだねえ」と言ったのは、“疾風手押し車のスエさん”だ。
「私たちがカタキを取ってあげるからね」と言ったのはダイナハルさんで、マイトナツさんとともに“爆殺ダイナマイト姉妹”と呼ばれていた。
 そのとき、窓ガラスがコンコンと叩かれた。ベランダの手すりに数羽の鳥が止まっていた。
 一人の女性が窓を開けると、ハトが入ってきて肩に止まった。
 この女性は鳥と話せる“ヒッチコックのヤイさん”だった。
 ハトが出て行くとスズメが、スズメが出て行くとツグミが入って来た。
 ヤイさんに次々と情報を提供してくれているのだ。
 しばらく、ヤイさんと鳥との会話が続く。
 やがて、鳥たちは飛び立った。お礼にヤイさんは高級な鳥のエサをあげていた。
「二人を襲った犯人が分かったよ」この街に生息する鳥からの情報を“ヒッチコックのヤイさん”が解読したのだ。「鯱歯隊(しゃちはたい)の連中だね。アジトの居場所は……いいかい?」と、マイトナツさんに訊く。
「あいよ!」マイトナツさんが元気に返事をする。
 ヤイさんが言う住所をマイトナツさんがスマホに入力していく。
「全員で二十二名いるようだね。さて、どうするね?」ヤイさんがダイナハルさんに訊く。
「どうもこうもないよ。ドッカーンだよ」ダイナハルさんが嬉しそうに言う。
「あたしがちょっくら様子を見てくるかい?」“疾風手押し車のスエさん”が言う。
「いや、もう遅いさ」マイトナツさんがスマホを片手にニヤリと笑う。
 窓の外がたちまち暗くなった。屋上から数十台のドローンがダイナマイトを搭載して鯱歯隊のアジトへ向けて飛び立った。
 ドローンの準備したのはダイナハルさんで、スマホを使って操縦しているのはマイトナツさんだった。
 “爆殺ダイナマイト姉妹”の連係プレーである。
 
 やがて、地響きがして、遠くで黒い煙がモクモクと上がった。
 すぐに窓からカラスが報告に入って来た。
“ヒッチコックのヤイさん”が通訳する。
「二十二名中、二十一名即死。リーダー格の鯱歯は全身に傷を負いながらも逃走」
「そいつの行き場所は分からないのかね?」ダイナハルさんが訊く。
「今、ツバメが追ってるよ。すぐに見つけるさ」
「とどめはちゃんと刺してやるさ」マイトナツさんがスマホを片手にニヤリと笑った。「これで鯱歯隊は壊滅だね」
 ただし、鯱歯隊といっても、“印鑑奪い隊”の一部の組織にしか過ぎない。
 ヒヨドリの大群が、爆破したアジトから持ち帰って来た印鑑を、次々に窓から投げ入れ、床には二十個ばかりが散乱した。
 ベッドで横になっている“殺人車椅子のアサさん”と“からくり杖のギンさん”もうれしそうだった。
「六十万円ほどの儲けだねえ」「ほんに、ほんに」

 窓にツバメが飛んできた。
「あら、早いわね」ヤイさんがツバメを部屋に入れて、会話を始める。しばらく、うんうんと頷いていたヤイさんが通訳をした。
「逃げていたリーダー格の鯱歯がやられちまったようだ」
「あら、そうかい」ダイナハルさんが残念そうに言う。もちろん、“ダイナマイト姉妹”の力で爆殺したかったからである。「誰がやったんだい?」
「空飛ぶベレー帽の松吉さんと、鉄線ループタイの末蔵さんが、二人がかりで仕留めたってさ」
「ほう、男性陣もがんばってるねえ」
 ともに“印鑑守り隊”のメンバーである。
「ほう。もう一つ、ツバメが大変なことを知らせてきよったわ。ゾウと黒水牛とオランダ水牛の大群が国会議事堂前で暴れとるらしいわ」
「奴らの牙は印鑑の材料だからねえ」“からくり杖のギンさん”がベッドの上から言う。「仲間が殺されるのが、我慢ならなくなったのだろうよ」
「なんだか、AIという機械が扇動しておるらしいわ」
「AI? なんじゃ、それは?」“殺人車椅子のアサさん”が訊くが、誰にも分からなかった。

 動物たちがデモを起こして騒いでいる間に、印鑑業界を牛耳ろうと立ち上がった団体があった。“チタン連合”である。
 金属であるチタンを材料とする印鑑が普及し、動物たちを追いやろうとしていた時期である。ちょうどいい機会だと立ち上がったのである。
 彼らはチタンで作ったヨロイカブトに身を包み、チタン製の武器を持って、ゾウと水牛の大群に襲いかかって行く。

「私たちも行ってみるかい?」マイトナツさんがみんなに訊く。
「あたしが様子を見てくるよ」“疾風手押し車のスエさん”が病室を飛び出した。
 スエさんだけにいい思いをさせるわけにはいかんとばかりに、“爆殺ダイナマイト姉妹”も“ヒッチコックのヤイさん”も後を追う。
「医者の言うことなんか、聞いてられんね」「ほんに、ほんに」
“殺人車椅子のアサさん”と“からくり杖のギンさん”もベッドから起き上がって、みんなを追い掛けた。“印鑑守り隊”の男性陣も国会議事堂前に向かっていることだろう。
 この騒動に乗じて“印鑑奪い隊”も集結すると踏んだからだ。
 奴らを完全に壊滅するチャンスだった。

 ネットニュースで騒動を知り、ボクが急いで駆け付けたとき、国会議事堂前は獣臭と金属臭と加齢臭で満ち溢れていた。
 ゾウと水牛の獣たちが倒され、チタン軍団も“印鑑奪い隊”もほぼ全滅状態だった。
 獣たちと“チタン軍団”と“奪い隊”と“守り隊”による四つ巴の戦いは終わろうとしていた。
 そんな中、“印鑑守り隊”の面々は体中に傷を負いながらも全員が無事で、鋭い目つきであたりを睥睨していた。生き残りがいたら、トドメを刺してやろうと思っていたからだ。
「おう、若いの。久しぶりじゃの。大丈夫だったかい」
 “殺人車椅子のアサさん”がボクに声をかけてくれる。
 壮絶な戦いだったらしく、車椅子に装着されているマシンガンの筒先からは、まだうっすらと白煙があがっている。おそらく、銃身は熱くて触れないだろう。
 また、“からくり杖のギンさん”の杖は真ん中から曲がり、“疾風手押し車のスエさん”の手押し車はタイヤが一つ外れ、“爆殺ダイナマイト姉妹”が操作していたドローンはあちこちに墜落していた。
 ――そして、国会議事堂は半壊していた。

 印鑑業界はこれを機に衰退の道をたどり、ふたたび、電子署名が盛んになっていった。

 それから二十年が経過した。ボクはすっかり中年の域に差しかかり、“印鑑守り隊”の面々は次々と鬼籍に入り、組織は自然解散となった。

 そして、その後は平和な世の中になった。しかし、平和は長くは続かなかった。
 残り少ないが印鑑は存在していた。その貴重な印鑑を狙って、新たに印鑑を奪い取る組織が生まれていたのだ。
 全身を赤色に染めた赤備えの“海老姿五人衆”と呼ばれていた。
 奴らのおかげで平和は乱れた。奴らを倒さない限り、元の世界には戻れなくなった。

 老人ホームの入口から一台の電動車椅子が出てきた。
 すれ違った職員が声をかける。
「あら、セツヨさん、お出かけですか?」
「はいはい。お天気がいいので、ちょっとお散歩にね」

 セツヨさんはかつて同室だった“殺人車椅子のアサさん”から、この車椅子を譲り受けた。
「ふん。なにが海老姿五人衆だい。このマシンガンでバラバラにして、ふりかけにしてやるわ!」
 このおばあちゃんこそ、“二代目殺人車椅子のセツヨさん”であった。
 “殺人車椅子のセツヨさん”は単身、海老姿五人衆のアジトへ向かって電動車椅子を走らせた。
 ふたたび日本に平和な世の中が訪れるかどうかは、この小柄なおばあちゃん一人にかかっていた。

                                (了)
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