真・下種野郎列伝

無人機

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太田健司と小林孝之

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 体育会系体質ほど悍ましい価値観はない。あれは兵士を鍛えるために作り出した人格破壊のシステムである。軍国主義の敗北と共にこの国から消え去れば良かったが、現実は惨いものだ。悪魔の論理はしぶとく生き残り、21世紀の今日でも力を保っている――――



 雨の音が聞こえる。決して激しくはないが、止めどなく続いており、容易に止むことはないと気づかせるものだ。むわっとした湿気が不快感を上げる————
 そこはどこかの工場建屋の中。雨漏りでもしているのか、所々からピチャピチャいう音が聞こえていて、水たまりも幾つか見られる。管理が余り行き届いていないと思われる。工場と言うより、廃工場と言った方がいいような按配だ。
 工作機械の間に人影が見える。別に工作作業とかをしているわけでもなさそうだ。一列に並んで立っているだけだ。全員余り背は高くない、よく見るとかなり幼い風貌をしている者たちばかりだ。子供か——十歳にも満たない少年少女ばかりだ。彼らの出で立ちは見すぼらしく、服や履物など所々破れていることからして、かなり貧しい境遇にあると思わせる。
 全員同じ方向に目を向けていた。視線の先に男が——これは大人だろう——膝立ちになって“何か”に跨っていて、それに向けて盛んに両腕を振り下ろしていた。

 少女——一列に並ぶ子供らの中の一人——は目の前で繰り広げられている光景が信じられなかった。悪夢としか言いようがないそれは、紛れもない惨劇だった。

「うぉらっ、クソガキ! ちったぁ反省したかぁっ!」

 ゴキッ、という嫌な響きと共に赤黒い何かが飛び散る。それは一度や二度で収まらず、果てしなく続くかのようだった。
 男が何かに伸し掛かって両腕を交互に振り下ろしている。その度に嫌な響きと赤黒いものが飛び散っていたのだ。男は何かを殴っている、マウントを取り激しく、休みなく。その“何か”は一切動きを見せることなく――いや、男が殴る度に左右に大きく振られてはいたが、自ら動くことはなかった――ただ、ただ男の為すがままにされている。それ――“何か”……
 それは人間だった。小柄な、男と比べて半分にも満たない体格の、子供としか思えないものだった。
 “それ”は――“それ”などと評するのは余りにも酷いだろうが、男の扱いはとても人間に対するものとは思えない、無残極まるものだった――ただ殴られるだけで、身を守ろうとする動作一つ見せることがなかった。

「おい健司、そいつもうくたばってるぜ」

 背後から声がした。それに従ったのか男は腕を振り下ろすのをやめた。上体を上げて、一つ深呼吸した。
 マッシュ髪のやや頬の膨れた顔をした男だった。かなり若く見える——20代前半くらいか——が、頬の丸みの効果で若く見えるだけで見た目ほどではないのかもしれない。男は目線を眼下に向けた。
 小さく、やせ細った体躯の上に不定形な何かが見られた。それを見て、男はニヤリと笑った。それを見た少女は小さく悲鳴を漏らした。彼女は凍り付いたような眼差しを男に向ける。かなりの恐怖を感じたらしい。

 それは子供……子供だったもの、とでも言うべきか。男に激しく殴打され続けたのだろう、衣服一つ付けられていない肉体は傷だらけで、紫を通り越して黒ずんだ痣に覆われている。そして頭部は——いや、既に頭部と呼び得るものは存在していなかった——頭蓋骨が割れているのだろう、頭皮にあちこちから鋭角な何かが飛び出している。それはピンク色の肉のようなものをこびり付かせていた——割れた頭蓋骨だ。
 顔面はもう完全に潰れていた。鼻は内部に陥没し、眼窩は砕けてしまっている。眼球と思われるものがほとんど潰れた状態で近くに落ちていた。
 もはや人間とは呼べないほどに変形するまでに破壊し尽くされている、生前の面影など欠片も残らず破壊し尽くされている。それを男がやったのだ。

「ああ、殺っちまったな。ちとやり過ぎたか」
「何がやり過ぎた——だ。大事な“商品”なんだぜ? それをこんなぐちゃぐちゃにしやがって、売りモンになんのかよ」

 別の男が姿を現した、縮れ毛の糸目の男だ。先ほど、“健司”と呼んだのがこの男だった。

「別にいいだろ? どうせ“パーツ”しか役立たんのだし、近々“解体”する予定だったんだ。手間省いたんだよ、孝之」
「おいおい、やり過ぎてんじゃねぇの? ここまでやると内臓破裂とか起こしてんぜ」

 縮れ毛の男——孝之と呼ばれている——は肩を竦めて笑った。マッシュ髪の男——健司と呼ばれた男も笑った、せせら笑いだ。

「フン、知ったことかよ!」

 汗を拭ったが、健司の顔は歪んだ。怒りでも感じたのか、歯を剥き出し、唾を眼下の子供だったもの——破壊され過ぎて少年だったか少女だったのかも分からなくなっている——に吐いた。

「汚ったねぇモンぶちまけやがって、クソガキがぁっ! くたばるんなら、キレイにくたばれよぉっ!」

 理不尽極まりない戯言をほざきながら立ち上がり、健司は子供の腹——腹だった部分を蹴り上げた。拍子に子供の身体は大きく飛ばされ、丁度少女の目の前に転がっていった。

「——!」

 声にならない声をあげ、少女は後退り——いや、全く動くことができず、ガタガタ震えるだけだった。そんな少女に向けて健司が言った——いや怒鳴った。

「おいメスガキ! それな、“処置室”に持ってけな! “全部”持ってくんだぞ!」

 言い放って、健司はその部屋から出て行った。孝之も後に続くが一度足を止めて少女に目を向けた。

「三十分以内に“処置”の準備をしとけよ。一秒でも遅れたら、また“まわす”——からな!」

 少女は両手で口を襲いガタガタ震え始めた。今にも崩れ落ちそうだ。

「何だい? もしかして楽しみなのか? 昨日、早川さんや市野さんたちに可愛がられたばっかだろ? 全く盛ったガキだぜ!」

 下卑た——としか評しようのない笑い声をあげて孝之も部屋から出て行った。後に残された少女は子供の亡骸の前で座り込み、そのまま項垂れるだけだった。そのまま身動き一つ見せなくなった。
 少し間を置いて、一人の少年が話しかけた。

「急ごう、でないと奴らを喜ばせるだけだし」

少女は、しかし反応しない。ただ目の前の亡骸に目を向けるだけだった。少年は首を振り、他の仲間たち——幼い少年少女たちに合図を送る。彼らはゆっくりと、気だるげに動き始める。皆で協力して亡骸を運び出すのだ。

「こんなことはいつまでも続いていいはずがない……」

 誰かが呟いた。

「大同エコメットめ……」

 別の声、怨嗟に満ちた響きを伴う。
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