君に銃口を向ける夏

やまだ

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第5話

演劇部 佐原春乃の憂鬱 ②

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 シン、とした廊下を、できるだけ足音を立てないように進む。
 さっきまで身を隠していた女子トイレがあるここは北棟の2階。端から端までずらりと2年生の教室が並んでいる。見つからないように腰をかがませ、きょろきょろしながら歩く。見た限り、この階にはまだ、あのグラサン男たちは見回りにきていないようだ。

 教室の中を覗いてみると、相も変わらず、生徒たちがそろいもそろって一ミリもやる気のない、虚空を見つめる表情でうなだれていた。

「あーー……呼吸するのもめんどくせぇ……」
「道端の雑草以下の存在だよわたしは……」

たまにか細い声で聞こえてくる生徒の独り言の哀愁加減もとどまることを知らない。
いやもうむしろちょっと見慣れてきた感があって「逆にシュールじゃん」くらいに思える余裕は出てきたけれど、最悪これが3日間続くかもしれない、と考えると西田がしていることのおぞましさを改めて実感する。

 どうやらこの教室のクラス、2年5組は明日、りんご飴の模擬店をやろうとしているらしかった。教室の後ろの壁 に、段ボールいっぱいに入ったりんごと、つくりかけの看板が立てかけてある。
 ポップ体で「りんご飴 スティーブ・〇ブズ」と店名が書かれている。その横には、坊主で丸メガネのタートルネックすかし顔外国おじさんが写実的に描かれている。
 この……「りんご」とうまいことかけてみました感が実にしょうもない。どうせ当日は店の前で「丸の内サディ〇ティック」でも流すつもりだろう。りんごだけに。
 でも、そういう一瞬のノリで決まってしまうしょうもなさがいかにも文化祭らしくもあり、個人的に嫌いではない、とも思う。
 だが、看板の字もジョ〇ズもまだ白黒のままだ。色塗りは今日やる予定だったのだろう。

 再び、すたすたと、周りの様子を見渡しながら歩きだす。気づけば、身を隠していた女子トイレは教室3,4個分遠くに見える。
 敵をのぞけば、私と早見くんしか、“生き残り”のいないこの学校。比喩でもなんでもなく、明日からの文化祭が出来るかどうかは、どうやら私たちにかかってることを、改めて噛みしめる。
 とはいえ、どうすればこの「廃人」になった生徒たちを元に戻せるのか。元に戻す方法なんてあるのか。この後どうすべきか、正直手詰まりであった。

 廊下の壁には、有志のバンドのライブや模擬店をPRする手書きのポスターが所せましと並べて貼ってある。
 その中には、私が貼ったものもあった。
「演劇部 風翔祭公演 7月21日(土)13:30~14:30 視聴覚室
 ご連絡は3年7組 佐原春乃まで」
 手書きの、丸みがかったくせのある自分の字。右上のテープがはがれているし、左下はサッカー部の焼きそば屋台のポスターを上から被せられている。

 1人だけで頑張って体裁整えて演じた舞台なんてたかが知れてる、まばらな観客の前で微妙な後味になるのがオチだろ――――。

 電話越しに言われた西田くんの言葉が、頭によぎる。
 何も言い返せなかった。1人しかいない、とか、たかが知れてるなんてこと、他人にとやかく言われる筋合いはない。恥ずかしさとか、周りの目とかそんなもの気にしない……そう、頭ではわかっていても、あいつの言う通りなのかもしれない、と思ってしまう気持ちをどうしても拭えない。

 明日からの文化祭が出来るかどうかは、私たちにかかっている……

では、私は本当に、文化祭をやりたい、と心から思っているだろうか?
チクリ、と胸が痛む。

「おいおいマジかよ、さすがに無防備すぎんじゃねえの?」

 後ろから声がした。ビクッと振り返る。
 
「あんた、今朝の……」

 見覚えのある顔、いや、見覚えのあるグラサンと、黄色いハチマキだった。
 ニヤニヤしながらこちらを見ている。右手には、水鉄砲。
 「無防備」と言われ、返す言葉もない。完全に油断していた、と唇を噛む。早見くんがようやく用を足してきたか……なんて一瞬でも呑気に考えた自分が恨めしい。

「今回は竹刀は持ってねぇんだな!つくづく無防備なこった!」
 黄色ハチマキのすねが、赤く腫れていた。腫らした張本人の私も眉をひそめるくらいには痛そうだ。どうりでこいつ、朝のときより、私への敵意がむき出しなわけだ。

「借りは返させてもらうぜ……」
 スッと、黄色ハチマキが右手の水鉄砲を私へと向ける。
 と同時に、私も手に持っていた、早見くんから預かった水鉄砲を黄色ハチマキへと向ける。

「竹刀はないけど、“これ”なら持ってんのよ。あんたらと同じでね」

 私がそう言うと、黄色ハチマキは少し驚き、表情を曇らせる。そうだろう、あんた自身だって撃たれて廃人にはなりたくないだろう。このままけん制して時間を稼いでるうちに、用を足し終えた早見くんが気づいて加勢に来てくれれば……。

「お前……さては時間稼ぎして仲間の助けを待ってんな?」
「えっ」

 速攻で手の内が見透かされた。近くに早見くんがいることも想定済みか。こいつ、さっきの校内放送、西田の横で聞いてたな。

お互いに銃口―――と言っても水鉄砲だけど―――を相手の顔に向け合った状況のなか、黄色ハチマキが得意げに言った。
「ちなみに、一つ教えといてやる」
「……なに?」
「俺にも“仲間”がいるんだよ。あんたらと同じでな」

 次の瞬間、ガッ、と背後から誰かに左右の二の腕を捕まれる。ヤバい、と思ったときには、そのまま両腕を後ろに引っ張られ、背中の真ん中辺りで組まされる。
 これでは右手に持っている水鉄砲の引き鉄も引けない。無理やり引いたところで自分の制服を濡らすだけだ。
 
 ぐい、と顔を後ろに向ける。私を不意打ちでホールドしてきたのは、御多分にもれずグラサンをかけ、白衣を身にまとっている男だった。反対方向にいる黄色ハチマキ男より少しだけ背が高い。
 そして額には……緑のハチマキ。
黄色、青ときて、今度は緑か、なんてどうでもいいことがこの期に及んで目につく。ひとりひとり色の違うハチマキを巻くシステムなんだな、とようやく気付いた。仲良しか。色違いでお揃いのストラップをカバンにつけて複数人でディ〇ニー行く女子高生か。

 くっくっくっ……と目の前の黄色ハチマキはほくそ笑んでいる。後ろからもう一人が近づいているのに気づけなかった私の間抜けっぷりが実に痛快らしい。まあ実際間抜けなので返す言葉もないのだが……。
「これで逃げられねぇだろ、今度こそ終わりだ」

 左に壁、右に窓、前方に黄色ハチマキ、背中に緑ハチマキ。

 えーと、これ……そこそこピンチかもしれない。
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