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恋人とご令嬢が婚約したらしい
しおりを挟むほどなくして馬車の音がやみ、揺れもおさまる。アーバント家は寮からそんなに離れていなかったことを初めて知り、だからあんなに頻繁に騎士団の訓練場に来れていたのかと納得する。
さすがは伯爵家というべきか、豪華な噴水に大きな屋敷は圧巻だった。僕の実家も階級としては伯爵家より上だが両親共に着飾ることよりも勉強の方が好きだったため、豪奢な生活ではなく至って普通の暮らしだった。
執事の方に挨拶をかわし、ご令嬢の半歩後ろを歩きながら案内されたのはモダンな雰囲気で統一された客間。暖炉の近くに一人がけのソファが二つあり、その机を挟んで真向かいに二人がけソファがあった。
「どうぞお掛けになって?」
「失礼致します」
執事がすぐに紅茶を入れ、僕が座ったソファの前の机にことりと置く。何を言われるのか分からない緊張感で手に汗が滲み、紅茶の湯気だけを見つめた。
ご令嬢は慣れた手付きでティーカップを持ち上げ、彼女のゆっくりと紅茶を飲む一連の動作は、森の奥で滋養のある朝露を吸っている妖精のように可憐だなと思う。
「突然連れてきてしまって申し訳なかったですわね」
「いえ…それで、僕に聞きたいこととは」
「察しはついていらっしゃるでしょう?結婚式までに彼の婚礼衣装を作りたいのだけれど彼の服のサイズが分からなくって。お忙しい方だしサイズを測ろうにも時間が取れなくてどうしたものかと…しかしあなたなら彼をよく知っているし、ご存知かと思ってお聞きしたいの」
「……え、っと?」
すらすらと並べ立てられた言葉に思考が止まる。彼女の指す彼、とは誰のことを言っているのか、一瞬本気で分からなかった。
「ウォーレン様の同室者でありご友人であるあなたは、もう彼から聞いているでしょう?」
話についていけない僕を置いてけぼりにして尚も続ける彼女の次の言葉は、到底信じられないものだった。
「私とウォーレン様が正式に婚約したことを」
僕は息を呑み、呆然と彼女を眺めた。口はからからに乾いて、体のどこからも声は出てこなかった。赤茶色のモダンな壁が一瞬波打ったように思えた。
「あらあら…その反応はまさか、ご存知なかったのかしら?」
言葉ではそう言うものの、まるで最初から僕が知らないことを知ってたかのような口振り。わざとらしく大きな目をぱちくりとさせ、とぼけている演技までして見せる。喉の奥でぐぅ、と嫌な音がなった。
「いくら私がまだ内緒にしていてと言っても一番仲の良いあなたにはてっきり伝えてるものかと思っておりましたわ。やはりウォーレン様は律儀で誠実な方ですわね」
にっこりと効果音が聞こえてきそうなほどに勝ち誇ったような笑みを向けられて急激に気分が悪くなる。喉に砂をかけられたような、ざらざらとした気持ち悪い感覚があった。
僕は、こんなことで動揺してどうすると自分に言い聞かせ、一度呼吸を整えてから真っ直ぐに彼女を見つめ口を開く。
「…申し訳ありません、そのような話はウォーレンから何も聞いておりません。何か行き違いがあるのでは?」
「まさか私が嘘をついているとでも仰りたいのかしら?」
「とんでもございません。何か書類上の間違いや手違いがあるのではないかと危惧しております」
「いいえ、それだけはありませんわ。何ならここに婚約証書もございますわよ。しっかりウォーレン様のサインと共に」
後ろに控えていた執事がはかったように、そっと丸めて紐でくくられた書類をご令嬢の前に差し出す。それを受け取り机の上に広げた彼女は、僕の方にぐいっと書類を寄せた。
そこには婚約を証明する婚約証書と書かれた書類で、最後の方にご令嬢のサインとウォーレンのサインが書かれていた。ウォーレンの字を僕が見間違えるはずもなく、それは確かにウォーレンのサインだった。自分で自分の目が信じられなかった。
「……」
「信じて頂けたかしら?」
「…これはいつ、どこで交わされたのですか」
「一週間ほど前に、我が家の父の執務室で交わしましたわ。前々から婚約の打診をウォーレン様のご実家に送っていたのですけれど、やっと良いお返事を頂けたんですのよ」
ちょうど、ウォーレンが騎士団長に急ぎの用事で呼び出されたのも一週間くらい前だ。そのときに何かあったのだろうと結論づけた僕は、多少の余裕を取り戻し、婚約証書をご令嬢の方へと押し戻した。
「疑うような発言、大変失礼致しました。このたびは我が友人、ウォーレン・コークとのご婚約、誠におめでとうございます」
今度は僕からにっこりと音のつく笑みをご令嬢に向ける。僕の態度が意外だったのか、彼女はそれまで余裕そうな笑みを作っていた頬を僅かにひきつらせた。
「あ、ありがとうございますわ。実は私、あなたとウォーレン様はただのご友人ではないと少し勘繰っておりましたの。だからあなたには彼との婚約を祝福されないかと思っていましたわ」
「滅相もございません。僕とウォーレンは騎士学校時代からの友人であり同室者なので親密に見えるかもしれませんが、友人以上の気持ちはないのでご心配なさらず」
「それを聞いて安心しましたわ。長く引き留めてしまい、ごめんなさいね。寮まで送らせますわ」
「いえ、少し散歩がてら歩いて帰ろうと思います。道のりは馬車の音で何となく分かっていますので」
「あら、そうですの?では帰り道、お気をつけて。ウォーレン様にも婚約者が会いたがっているとお伝えしておいて下さる?」
「かしこまりました。それでは失礼致します」
腹の底の探り合いは僕には向いていない。やっと解放された僕は、どっと疲れた身体を引きずりながらアーバント家を出て、歩いたことのない道を歩き始めた。
いつの間にか夜空には星が瞬き、その近さに冬の訪れを感じる。紅茶で温まったはずの身体が急激に冷えていくのを、コートのポケットに手を突っ込むことで緩和させようとした。吐いた息は、白かった。
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