魔力なしと虐げられた令嬢は孤高の騎士団総長に甘やかされる

橋本彩里(Ayari)

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プロローグ

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 夕日が沈みゆくなか、柔らかな赤が幻想的に辺りを照らす。
 地上で何が行われていようとも、目の前の惨状などお構いなしに照らす日の光が先ほどまでの喧騒からの静寂を引き立たせた。
 少女は、恐怖で腰を抜かしたまま自分の目の前に立った青年を見上げた。

「あっ」

 彼の頬から首にかけてひっかいた傷が痛々しく、赤黒く乾いた血が彼の指も染めていた。その手には血塗られた剣がある。
 夕日を映した不思議な色合いをした瞳がぎらぎらと周囲を威嚇する。

 大人の何倍もあろうかという魔物を屠った青年の肌はやけに白く生々しく映った。その赤さえなければ、このむせかえるほどの異臭さえなければ、天からの使徒なのかと見紛うほどの美しい青年だった。
 ぽつっと彼が持つ剣から血が地面に流れ落ち、はっとして少女は彼の背後に視線をやる。

「……っ!」

 悲鳴を上げそうになって、少女は慌てて両手で口を押さえた。
 周辺は血に染まり、人間とは違う形の、生きていたのだろうモノがまるで壊れた人形のようにそこらかしこに転がっていた。

 ――こんなにっ!?

 やけに指が長く尖った爪をもった腕を血だまりの中に見つけて、ぶるりと身体を恐怖で震わせた。
 それは、少女を襲ってきた魔物の手だった。
 引き裂かれるかと死を意識した恐怖が蘇り、今頃になって身体が震え出す。

「どこから来た?」
「……わからない」

 距離をあけて立った青年に静かに見下ろされ、少女はふるふるとかぶりを振った。

「ここは魔物の森でそう簡単に子どもが入り込める場所ではない」

 咎めるような声で責められ、再度周囲を見回した。
 少女は答えたくても自分がどうしてここにいるのかわからず、ただ首を振った。
 朝食のパンがふわふわで美味しかったと朝の記憶はあって、それから気づけば森にいた。

 王都のタウンハウスにいたはずで、今は夕日の沈む夕方ということは半日くらいすっぽりと記憶が抜けている。
 誰かに話しかけられここに連れられたようなとはぼんやり思うのだけど、思い出そうとすればもやがかかる。

 そう告げると青年は眉をひそめた。
 切れ長で上品な顔立ちに冷たい鋭さを滲ませ、ぽつりと呟く。

「そうか」

 それからくるりときびすを返すと、魔物が寄ってくると倒した魔物を燃やしにかかった。
 轟々と燃える炎に焼かれていくのを、少女はその様子を現実味が乏しいままぼんやりと見守った。

 魔物の森と言われてもここがどこだかわからない。
 そして、そんな魔物がいる場所をひとりで無事に出て行ける保証は限りなくゼロに近い。縋れるものは、頼れる者は目の前の青年だけ。

 魔物の森だと聞いて怖かったけれど、目の前の青年と一緒なら大丈夫だと思った。
 睨みつけるかのような冷ややかな視線を向けられ怖かったが、彼が魔物から命を救ってくれたのは確かなのだ。
 少女にはその事実が絶対であった。

 現金なもので、この青年といればなんとかなると勝手に気持ちを立て直していた。
 ここにひとりであると気づいたときの虚無感も、魔物に襲われそうになった恐怖も、その魔物よりも強い青年がいれば大丈夫。
 ちょっと態度は冷たいけれど、命を守ってくれた少女のヒーロー。

 灰になるまで燃やし終えた青年はまた冷たい表情のまま少女の前に立った。
 面倒なら少女を置いてさっさとこの場から去ることだってできた。魔物と戦っていた時の人間離れした跳躍と強さなら、非常に簡単なことだろう。
 だけど、青年は口数少ないながらも少女のそばを離れない。

 少女はまた戻ってきてくれたことが嬉しくて、青年のもとに駆け寄り抱きついた。
 すると、びくりと青年は驚くほど身体を揺らし少女を剥がそうと手を伸ばし、そこで不自然にぴたりと固まった。

 超然と魔物を退治していた青年のその態度に不思議に思いながらも、絶対離さないぞと幼いながらにも生死に関わると敏感に感じとり青年の足にしがみつく。
 それから何も言わない青年を仰ぎ見た。

「おにいさん、いたい?」
「……」

 最初に青年と対面したときにも視線がいった、ひっかいたような頬から首にかけての傷に目がいく。それは古いものから新しいものまであって痛々しい。
 もがいたように掻きむしったそれは見ているだけで胸が詰まった。

 青年は何も答えない。
 だけど、何か苦しくて傷つけるのならそれを取り除いたらいい。取り除けなくても和らげることはできるはずだ。
 少女はきゅっと口を引き結び、それから決意したように声を上げた。

「わたしがなんとかしてあげる。おにいさんはいのちの恩人だから」
「何を!?」
「ほんとはこれ秘密なの」

 母からは人前で使うなと、まだ使うのは早いとも言われていた気もするけれど、命を助けてくれた恩人相手に出し惜しむのは違う気がした。
 見れば見るほど痛々しくて、じっとしていられない。
 青年の役に立ちたい、そんな一心だった。

 少女はすぅっと息を吸い込み、内側にこもる光のような力に意識を向けそれをゆっくりと解き放った。

「おにいさんが苦しみからすくわれますように」

 両手を祈るように握り、ぎゅっと目をつむる。
 少女の身体からほわほわと見ているだけで優しい気持ちになる金色の光がシャボンのように広がり、黒髪の青年の周囲を包み込む。

「おいっ」
「大丈夫。そのままじっとして」

 青年を包み込む光が増えると同時に、少女の中の光は弱く小さくなっていく。
 だけど、まだ光を欲するように吸い上げられる感覚に青年の苦しみは癒えないのだと知る。

 ――少しでも楽になるように……。

 最後まで振り絞るように、命の恩人が苦しまないように、それだけを願う。

「……無茶するなっ」

 思考していられなくなりふらりと身体が傾く。
 焦ったような声とともに抱きとめられたのを最後に、少女は次第に弱まる光とともに自分の意識も失った。

 その後、少女は王都の人通りのある場所に見つけてくれとばかりに倒れていたということだった。
 伯爵家のタウンハウスに運び込まれた後も一週間も寝込み、起きた時には王都に来てからの記憶とともに魔力も消失していた。


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