1 / 127
プロローグ
しおりを挟む夕日が沈みゆくなか、柔らかな赤が幻想的に辺りを照らす。
地上で何が行われていようとも、目の前の惨状などお構いなしに照らす日の光が先ほどまでの喧騒からの静寂を引き立たせた。
少女は、恐怖で腰を抜かしたまま自分の目の前に立った青年を見上げた。
「あっ」
彼の頬から首にかけてひっかいた傷が痛々しく、赤黒く乾いた血が彼の指も染めていた。その手には血塗られた剣がある。
夕日を映した不思議な色合いをした瞳がぎらぎらと周囲を威嚇する。
大人の何倍もあろうかという魔物を屠った青年の肌はやけに白く生々しく映った。その赤さえなければ、このむせかえるほどの異臭さえなければ、天からの使徒なのかと見紛うほどの美しい青年だった。
ぽつっと彼が持つ剣から血が地面に流れ落ち、はっとして少女は彼の背後に視線をやる。
「……っ!」
悲鳴を上げそうになって、少女は慌てて両手で口を押さえた。
周辺は血に染まり、人間とは違う形の、生きていたのだろうモノがまるで壊れた人形のようにそこらかしこに転がっていた。
――こんなにっ!?
やけに指が長く尖った爪をもった腕を血だまりの中に見つけて、ぶるりと身体を恐怖で震わせた。
それは、少女を襲ってきた魔物の手だった。
引き裂かれるかと死を意識した恐怖が蘇り、今頃になって身体が震え出す。
「どこから来た?」
「……わからない」
距離をあけて立った青年に静かに見下ろされ、少女はふるふるとかぶりを振った。
「ここは魔物の森でそう簡単に子どもが入り込める場所ではない」
咎めるような声で責められ、再度周囲を見回した。
少女は答えたくても自分がどうしてここにいるのかわからず、ただ首を振った。
朝食のパンがふわふわで美味しかったと朝の記憶はあって、それから気づけば森にいた。
王都のタウンハウスにいたはずで、今は夕日の沈む夕方ということは半日くらいすっぽりと記憶が抜けている。
誰かに話しかけられここに連れられたようなとはぼんやり思うのだけど、思い出そうとすればもやがかかる。
そう告げると青年は眉をひそめた。
切れ長で上品な顔立ちに冷たい鋭さを滲ませ、ぽつりと呟く。
「そうか」
それからくるりと踵を返すと、魔物が寄ってくると倒した魔物を燃やしにかかった。
轟々と燃える炎に焼かれていくのを、少女はその様子を現実味が乏しいままぼんやりと見守った。
魔物の森と言われてもここがどこだかわからない。
そして、そんな魔物がいる場所をひとりで無事に出て行ける保証は限りなくゼロに近い。縋れるものは、頼れる者は目の前の青年だけ。
魔物の森だと聞いて怖かったけれど、目の前の青年と一緒なら大丈夫だと思った。
睨みつけるかのような冷ややかな視線を向けられ怖かったが、彼が魔物から命を救ってくれたのは確かなのだ。
少女にはその事実が絶対であった。
現金なもので、この青年といればなんとかなると勝手に気持ちを立て直していた。
ここにひとりであると気づいたときの虚無感も、魔物に襲われそうになった恐怖も、その魔物よりも強い青年がいれば大丈夫。
ちょっと態度は冷たいけれど、命を守ってくれた少女のヒーロー。
灰になるまで燃やし終えた青年はまた冷たい表情のまま少女の前に立った。
面倒なら少女を置いてさっさとこの場から去ることだってできた。魔物と戦っていた時の人間離れした跳躍と強さなら、非常に簡単なことだろう。
だけど、青年は口数少ないながらも少女のそばを離れない。
少女はまた戻ってきてくれたことが嬉しくて、青年のもとに駆け寄り抱きついた。
すると、びくりと青年は驚くほど身体を揺らし少女を剥がそうと手を伸ばし、そこで不自然にぴたりと固まった。
超然と魔物を退治していた青年のその態度に不思議に思いながらも、絶対離さないぞと幼いながらにも生死に関わると敏感に感じとり青年の足にしがみつく。
それから何も言わない青年を仰ぎ見た。
「おにいさん、いたい?」
「……」
最初に青年と対面したときにも視線がいった、ひっかいたような頬から首にかけての傷に目がいく。それは古いものから新しいものまであって痛々しい。
もがいたように掻きむしったそれは見ているだけで胸が詰まった。
青年は何も答えない。
だけど、何か苦しくて傷つけるのならそれを取り除いたらいい。取り除けなくても和らげることはできるはずだ。
少女はきゅっと口を引き結び、それから決意したように声を上げた。
「わたしがなんとかしてあげる。おにいさんはいのちの恩人だから」
「何を!?」
「ほんとはこれ秘密なの」
母からは人前で使うなと、まだ使うのは早いとも言われていた気もするけれど、命を助けてくれた恩人相手に出し惜しむのは違う気がした。
見れば見るほど痛々しくて、じっとしていられない。
青年の役に立ちたい、そんな一心だった。
少女はすぅっと息を吸い込み、内側にこもる光のような力に意識を向けそれをゆっくりと解き放った。
「おにいさんが苦しみからすくわれますように」
両手を祈るように握り、ぎゅっと目をつむる。
少女の身体からほわほわと見ているだけで優しい気持ちになる金色の光がシャボンのように広がり、黒髪の青年の周囲を包み込む。
「おいっ」
「大丈夫。そのままじっとして」
青年を包み込む光が増えると同時に、少女の中の光は弱く小さくなっていく。
だけど、まだ光を欲するように吸い上げられる感覚に青年の苦しみは癒えないのだと知る。
――少しでも楽になるように……。
最後まで振り絞るように、命の恩人が苦しまないように、それだけを願う。
「……無茶するなっ」
思考していられなくなりふらりと身体が傾く。
焦ったような声とともに抱きとめられたのを最後に、少女は次第に弱まる光とともに自分の意識も失った。
その後、少女は王都の人通りのある場所に見つけてくれとばかりに倒れていたということだった。
伯爵家のタウンハウスに運び込まれた後も一週間も寝込み、起きた時には王都に来てからの記憶とともに魔力も消失していた。
275
あなたにおすすめの小説
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜
鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。
そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。
秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。
一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。
◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~
流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。
しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。
けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる