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第26話 なぜ私は歌いたいのか?(1)
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ゼシフィードの手によって王宮の地下室に閉じ込められていたロラを助け出したエリーヌたちは、無事にエマニュエル邸へと戻ってきていた。
意識を失い非常に危険な状態であるロラの治療は数時間に及んだ。
医療知識のあるロザリアが彼女を診察していく。
幸いにも骨や臓器に異常はなかったが、栄養失調がひどくしばらくは療養が必要ということになった。
エリーヌは毒の研究をしつつ、寝る時間もわずかにしてロラの看病もした。
うとうととなりながらも、高熱で苦しむ彼女の汗を拭ったり、ベッド脇で眠ったり、ロラが目を覚ますのを待った──
──彼女がこの家で看病されてから5日目。
まだ日が昇ったばかりの朝日が差し込み、エリーヌはすやすやと眠っている。
その身体の半身をベッドに預けており、目元にはうっすらとクマができていた。
「エリーヌ……」
「ん……」
「エリーヌ」
なんだか懐かしい柔らかい声色に呼び起こされて目を開けてみると、ベッドで座っている親友の姿があった。
「ん……?」
「もう、相変わらず寝起きが悪いのね」
「──っ!! ロラっ!!」
一気に覚醒した脳はまだ病み上がりの彼女の無事を認識し始め、そうして次にエリーヌに安心という感情を授けた。
まだ痩せこけている頬も、ベッドに力なくだらんとしている手も、以前みた彼女とはまるで違う。
それでも命が助かったという事実で、エリーヌは思わず激情の波に飲まれそうになる。
「なんて顔してるのよ」
「ごめんなさい、でも、でも、やっぱり嬉しくて。あなたの顔も雰囲気も昔に戻ったみたいで」
ロラはその言葉を聞き届けると、自分で自分を嘲るように乾いた唇を広げる。
「殺していいわよ」
「え?」
「私はあなたを傷つけた。いくらゼシフィード様が好きだからって、まわりが見えなくなってた」
「ロラ……」
「それだけのことをしたのよ。私は、あなたに嫉妬して罠に嵌めて、苦しめて……とんでもない悪女よ」
確かにそうなのかもしれない。
彼女のせいでエリーヌは地位も名声も失い、政略結婚を無理矢理させられた。
大事な歌声も失って、辛い思いもたくさんした。
(でも、全部がロラのせい?)
それだけがエリーヌの疑問の一つだった。
彼女一人の仕業なのか、なぜゼシフィードにあのような目にあわされていたのか。
どうしても知りたいと願って、彼女は体調を気遣いながらゆっくりと口を開いた。
「ロラ、どこまでがあなたの仕業?」
「え?」
「私はあの日、歌声も婚約者も失って牢屋に入れられた。全部あなたがやったの?」
「そうね、あなたから全て奪ったのは私よ。変な魔術師からこの薬の匂いを至近距離で嗅がせればあなたの歌声をなくせると言われたの」
「魔術師……?」
「ええ、だからその魔術師から薬を受け取って、小瓶に入った液体をあなたに嗅がせたの」
変な魔術師にそそのかされて親友が自分に危害を加えたことを知ったエリーヌは、魔術師に引っ掛かりを覚えるも、落胆した。
(やっぱりロラが私に……)
間違いなく自分に向けられた悪意。
彼女に嫉妬されて恨み合って壊れた友情──
ロラは身体を大きく震わせながら、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「ロラ……」
「自分勝手な思いであなたを傷つけた。大切なものたくさん、たくさん奪った!! もう許されない。私は……もう……」
嗚咽まじりに涙を流す彼女は、ベッドに自分の顔を伏せて何度も謝罪をする。
まるで呪いの呪文のように繰り返されるそれは、彼女の心の崩壊が近いことを示していた。
(ロラを許すことはできない、でも、もう一度やり直してほしい。それで、また……)
エリーヌの脳内に昔遊んだ野原の光景が思い浮かぶ。
おままごとをした幼少期、花で冠を作っていた時、一緒に街のカフェにいった思い出、それから──
彼女の中であふれんばかりの楽しい思い出が広がっていく。
最後に見た勝ち誇った顔の裏に隠された寂しそうな表情が、今再びエリーヌの記憶の底から呼び出される。
(あなたも苦しんだの?)
そっと手を握ってみると、ロラは勢いよくエリーヌに抱き着いた。
「大好きだったの! ゼシフィード様が! 羨ましかった!! 二人が! あなたが!!」
「うん」
「誰からも一番に愛されるあなたが、羨ましくて羨ましくて! 私も愛されたいと願ってしまった……私は愛されるべき人間ではないのに」
「それは違うわ」
エリーヌはそっとロラの髪をなでて、顔を見つめる。
「あなたの明るいところに憧れてた。二人で歩いていたらいつも最初に話しかけられるのはあなた。そんなあなたが、羨ましいと思った。私は人見知りだから、思ったことを口にできないし、よく誤解もされる。そんな素敵な人間じゃないのよ」
「そんな……あなたはみんなから憧れられて」
「ここに来て、アンリ様に出会って、私は救われた。段々、自分の感情を伝えられるようになった。あなたを恨んでいないことはない、しっかり恨むわ」
「ええ……わかってる」
「だけど、でも……憎み切れないのよ。あなたの魅力に気づいているから」
「──っ!!」
「だから、もう一度、昔のように笑ってほしい。無邪気に私の手をいつも引いてくれた、あなたのその笑顔をもう一度みたい」
エリーヌは笑顔を見せながら笑って彼女の両手を握る。
唇を噛んでロラは泣きながら、何度もありがとうと呟いた──
しばらくエマニュエル邸にて療養したのち、ロラは彼女の祖母の領地にて静養することとなった。
二人はまた再会を願って、手を振った。
ロラを見送ったエリーヌは、その足で研究室へと向かう。
するとなにやら様子のおかしい夫の姿があった。
「どうかしましたか、アンリ様」
「できた……」
「え?」
「解毒薬ができた」
「本当ですか!?」
エリーヌはすぐさま彼に駆け寄ると、彼は小さな小瓶を持っていた。
その中には薄い紫色の液体が入っている。
「これが君の歌声を戻して、ルイスの目も治す薬のはずだ……」
「じゃあ……!」
「でも、安全性の保障がない」
「──っ!」
今まで見たことがないほどのこわばった表情を浮かべているアンリを見て、エリーヌにも緊張が走る。
今しがたできたばかりで治験もなされていないということだろうと、彼女は思った。
だが、実際には違った。
「これは毒草を一部混ぜ込んでいる」
その一言で少しの期間ではあるが、一緒に研究作業をしたエリーヌにはわかった。
(毒の成分が人体に及ぼす影響がわからない──)
もちろんこの薬を飲んだものは一人もいない。
立ち尽くすエリーヌに、アンリは問いかける。
「本当に君はもう一度歌いたい?」
「え?」
「君はどうして歌いたいの? もう歌う必要はないんじゃないの?」
確かにそうかもしれない、と彼女は夫に言われて初めて気づく。
(私は、何のために歌うんだろう)
「君はきっと自分の身体で試してからルイスに、と言い出すだろうと思う。だけど、俺は君やルイスにもしものことがあったら……」
彼の言っていることは最もだ。
大事な人を何度も傷つけて、そして失ったこともある彼だからこそわかる苦しみ。
(もう二度と、彼を苦しめたくない……そのために死ぬわけにはいかない。でも……)
『どうして歌うの?』
エリーヌはその問いの答えを見つけるべく、アンリに頭を下げる。
「一晩だけ考えさせてください」
「ああ、ゆっくり考えてほしい。まだルイスには話さないでおくから」
アンリはそっと近づくとエリーヌの額にちゅっと唇をつける。
「アンリ様っ!?」
「俺はどんな君も受け止める。どんな君でも一緒にいたい。だから、君の決断を待つよ」
エリーヌは自分よりも背の高い彼を見上げて、微笑みながら頷いた。
「待っててください。私は、私と向き合ってきます」
微笑み返した彼にお辞儀をすると、そのまま自室へと向かった。
部屋の扉を閉めてゆっくりと月を眺める。
どっと今までの疲れが来たのか、彼女は思考する間もなく意識を手放した。
その晩、彼女は夢を見た──
意識を失い非常に危険な状態であるロラの治療は数時間に及んだ。
医療知識のあるロザリアが彼女を診察していく。
幸いにも骨や臓器に異常はなかったが、栄養失調がひどくしばらくは療養が必要ということになった。
エリーヌは毒の研究をしつつ、寝る時間もわずかにしてロラの看病もした。
うとうととなりながらも、高熱で苦しむ彼女の汗を拭ったり、ベッド脇で眠ったり、ロラが目を覚ますのを待った──
──彼女がこの家で看病されてから5日目。
まだ日が昇ったばかりの朝日が差し込み、エリーヌはすやすやと眠っている。
その身体の半身をベッドに預けており、目元にはうっすらとクマができていた。
「エリーヌ……」
「ん……」
「エリーヌ」
なんだか懐かしい柔らかい声色に呼び起こされて目を開けてみると、ベッドで座っている親友の姿があった。
「ん……?」
「もう、相変わらず寝起きが悪いのね」
「──っ!! ロラっ!!」
一気に覚醒した脳はまだ病み上がりの彼女の無事を認識し始め、そうして次にエリーヌに安心という感情を授けた。
まだ痩せこけている頬も、ベッドに力なくだらんとしている手も、以前みた彼女とはまるで違う。
それでも命が助かったという事実で、エリーヌは思わず激情の波に飲まれそうになる。
「なんて顔してるのよ」
「ごめんなさい、でも、でも、やっぱり嬉しくて。あなたの顔も雰囲気も昔に戻ったみたいで」
ロラはその言葉を聞き届けると、自分で自分を嘲るように乾いた唇を広げる。
「殺していいわよ」
「え?」
「私はあなたを傷つけた。いくらゼシフィード様が好きだからって、まわりが見えなくなってた」
「ロラ……」
「それだけのことをしたのよ。私は、あなたに嫉妬して罠に嵌めて、苦しめて……とんでもない悪女よ」
確かにそうなのかもしれない。
彼女のせいでエリーヌは地位も名声も失い、政略結婚を無理矢理させられた。
大事な歌声も失って、辛い思いもたくさんした。
(でも、全部がロラのせい?)
それだけがエリーヌの疑問の一つだった。
彼女一人の仕業なのか、なぜゼシフィードにあのような目にあわされていたのか。
どうしても知りたいと願って、彼女は体調を気遣いながらゆっくりと口を開いた。
「ロラ、どこまでがあなたの仕業?」
「え?」
「私はあの日、歌声も婚約者も失って牢屋に入れられた。全部あなたがやったの?」
「そうね、あなたから全て奪ったのは私よ。変な魔術師からこの薬の匂いを至近距離で嗅がせればあなたの歌声をなくせると言われたの」
「魔術師……?」
「ええ、だからその魔術師から薬を受け取って、小瓶に入った液体をあなたに嗅がせたの」
変な魔術師にそそのかされて親友が自分に危害を加えたことを知ったエリーヌは、魔術師に引っ掛かりを覚えるも、落胆した。
(やっぱりロラが私に……)
間違いなく自分に向けられた悪意。
彼女に嫉妬されて恨み合って壊れた友情──
ロラは身体を大きく震わせながら、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「ロラ……」
「自分勝手な思いであなたを傷つけた。大切なものたくさん、たくさん奪った!! もう許されない。私は……もう……」
嗚咽まじりに涙を流す彼女は、ベッドに自分の顔を伏せて何度も謝罪をする。
まるで呪いの呪文のように繰り返されるそれは、彼女の心の崩壊が近いことを示していた。
(ロラを許すことはできない、でも、もう一度やり直してほしい。それで、また……)
エリーヌの脳内に昔遊んだ野原の光景が思い浮かぶ。
おままごとをした幼少期、花で冠を作っていた時、一緒に街のカフェにいった思い出、それから──
彼女の中であふれんばかりの楽しい思い出が広がっていく。
最後に見た勝ち誇った顔の裏に隠された寂しそうな表情が、今再びエリーヌの記憶の底から呼び出される。
(あなたも苦しんだの?)
そっと手を握ってみると、ロラは勢いよくエリーヌに抱き着いた。
「大好きだったの! ゼシフィード様が! 羨ましかった!! 二人が! あなたが!!」
「うん」
「誰からも一番に愛されるあなたが、羨ましくて羨ましくて! 私も愛されたいと願ってしまった……私は愛されるべき人間ではないのに」
「それは違うわ」
エリーヌはそっとロラの髪をなでて、顔を見つめる。
「あなたの明るいところに憧れてた。二人で歩いていたらいつも最初に話しかけられるのはあなた。そんなあなたが、羨ましいと思った。私は人見知りだから、思ったことを口にできないし、よく誤解もされる。そんな素敵な人間じゃないのよ」
「そんな……あなたはみんなから憧れられて」
「ここに来て、アンリ様に出会って、私は救われた。段々、自分の感情を伝えられるようになった。あなたを恨んでいないことはない、しっかり恨むわ」
「ええ……わかってる」
「だけど、でも……憎み切れないのよ。あなたの魅力に気づいているから」
「──っ!!」
「だから、もう一度、昔のように笑ってほしい。無邪気に私の手をいつも引いてくれた、あなたのその笑顔をもう一度みたい」
エリーヌは笑顔を見せながら笑って彼女の両手を握る。
唇を噛んでロラは泣きながら、何度もありがとうと呟いた──
しばらくエマニュエル邸にて療養したのち、ロラは彼女の祖母の領地にて静養することとなった。
二人はまた再会を願って、手を振った。
ロラを見送ったエリーヌは、その足で研究室へと向かう。
するとなにやら様子のおかしい夫の姿があった。
「どうかしましたか、アンリ様」
「できた……」
「え?」
「解毒薬ができた」
「本当ですか!?」
エリーヌはすぐさま彼に駆け寄ると、彼は小さな小瓶を持っていた。
その中には薄い紫色の液体が入っている。
「これが君の歌声を戻して、ルイスの目も治す薬のはずだ……」
「じゃあ……!」
「でも、安全性の保障がない」
「──っ!」
今まで見たことがないほどのこわばった表情を浮かべているアンリを見て、エリーヌにも緊張が走る。
今しがたできたばかりで治験もなされていないということだろうと、彼女は思った。
だが、実際には違った。
「これは毒草を一部混ぜ込んでいる」
その一言で少しの期間ではあるが、一緒に研究作業をしたエリーヌにはわかった。
(毒の成分が人体に及ぼす影響がわからない──)
もちろんこの薬を飲んだものは一人もいない。
立ち尽くすエリーヌに、アンリは問いかける。
「本当に君はもう一度歌いたい?」
「え?」
「君はどうして歌いたいの? もう歌う必要はないんじゃないの?」
確かにそうかもしれない、と彼女は夫に言われて初めて気づく。
(私は、何のために歌うんだろう)
「君はきっと自分の身体で試してからルイスに、と言い出すだろうと思う。だけど、俺は君やルイスにもしものことがあったら……」
彼の言っていることは最もだ。
大事な人を何度も傷つけて、そして失ったこともある彼だからこそわかる苦しみ。
(もう二度と、彼を苦しめたくない……そのために死ぬわけにはいかない。でも……)
『どうして歌うの?』
エリーヌはその問いの答えを見つけるべく、アンリに頭を下げる。
「一晩だけ考えさせてください」
「ああ、ゆっくり考えてほしい。まだルイスには話さないでおくから」
アンリはそっと近づくとエリーヌの額にちゅっと唇をつける。
「アンリ様っ!?」
「俺はどんな君も受け止める。どんな君でも一緒にいたい。だから、君の決断を待つよ」
エリーヌは自分よりも背の高い彼を見上げて、微笑みながら頷いた。
「待っててください。私は、私と向き合ってきます」
微笑み返した彼にお辞儀をすると、そのまま自室へと向かった。
部屋の扉を閉めてゆっくりと月を眺める。
どっと今までの疲れが来たのか、彼女は思考する間もなく意識を手放した。
その晩、彼女は夢を見た──
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