千年夜行

真澄鏡月

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第一章 胎動編

陸ノ詩 ~禍津姫~ 

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虚空へ至る淵叢「隠世8072層」



カツン……カツン……

ドサッ……

 梔子くちなしが膝を地面につき突っ伏す。

「なんだ……身体が動かない…………これは霊毒?……一体いつのまに……」

 少し考え梔子はハッとする。

「まさかあの時か!!」

 ついさっき華寅が梔子を噛んだ時、華寅は咄嗟に犬歯から霊毒を流し込んでいたのだ。

「まずい……これは霊魂分離性の霊毒……今支配率が変動したら……」

 暫くの静寂が辺りを包む。

 梔子は泣いていた。

「グッ……ごめんね華寅……」

 と何度も何度、謝罪の言葉を呟く。おそらくこれが本来の梔子なのだろう。

 梔子の涙は顔布を濡らし尚も地面に滴り落ちる。

「再び私の意識が悪霊共の渦に抑え込まれる前に……」

 梔子は右手を手刀の形にし……それを左胸に突き刺した。

「グフッ……」

 梔子の口から黒い液体が吹き出す。刺した腕で霊体内を弄り、何かを掴む。ソレは絶えず脈打つ心臓であった。梔子は奥歯を噛み締めソレを引っ張る。

「あぁああああ!」

 梔子の叫び声と共にブチブチと音を立て心臓の周りの血管が引きちぎられていく。

「もうちょっと!!

完全に千切り離された心臓は手の上で尚も鼓動を刻んでいる。

 梔子はソレをグシャと握り潰す。そして暫く強く握った後、ゆっくりと開いた手のひらには心臓だったものではなく、紫、黄、赤色の光をぼんやりと放つ3つの勾玉があった。

 梔子は紫色の光を放つ黒い勾玉を明美の胸の上に、赤色の光を放つ朱い勾玉を夜見の胸の上に置く。そして梔子は懐から小さな巾着袋を取り出し、黄色い光を放つ白い勾玉を中に入れて明美の手首に結ぶ。

「神山明美……神山夜見……そして貴女方二人がそう遠くない未来に出会う篠原綾乃……三人に私を終わらせる力を授けます。それまでどうか……漆黒に染まりし穢れの中で……穢れを照らす一縷の光を……みつけ…………」

 梔子は目を見開く。目の前には先程梔子が両脇に抱えていた少女達が立ち上がり、片方がもう片方を抱きしめ、おそらく姉だろう少女がこちらをじっと見ている。その目からは強い警戒心が伝わってくる。

「はは……これはこれは驚きました……今回はとても……期待できそうですね……」

 梔子は微笑み、壁に寄りかかる。それを見た明美は視力を失っている夜見の手を引き梔子の近くまで来る。

「お姉ちゃんだれ?何者なの?」

 明美は梔子に問いかける。

 梔子は驚いた顔をして二人の顔をしばらく見つめた後

「私は梔子くちなし……私が何者なのかはまだ知らない方がいい……数年後、君達は否応でも私達の正体を知る事になる……」

 梔子がゆっくりと右を指さすと二人の体が何か見えない物に縛られ、そのまま宙に浮く。

「何これ!?私達なんで浮いてるの!?」

 明美が驚きの声をあげる横で夜見は小さく悲鳴をあげていた。それを見て少し微笑みながら梔子は指をクルクルと回す。すると梔子の右側廊下の先に白い光がもれる裂け目が出現しゆっくりと開きはじめる。

「勝手口はあっちです。お気を付けて……」

 梔子がそう呟くと同時に二人はその裂け目に向かって凄い勢いで飛ばされ、白い光に呑み込まれる。





 明美と夜見を光の中に投げ込まれると同時に裂け目が閉じ、暫くの静寂が包む。

「もういいのか?白粉オシロイの小娘」

 闇の中から小さな足音と共にこめかみに雪寄草の髪飾りをした女性が姿を現す。

「あら、お迎えですか?霜柱。あと今梔子様に化けてるんですから梔子様と呼んでください。」

「貴女は何道草食ってんですか」

 霜柱はため息をつき梔子に化けた存在を見つめる。

「いやぁ……大怪我しちゃってさ致命傷ですよぉ」

 微笑みながら胸に空いた穴を指さす。

「貴女がそんな傷を敵に負わされる事はないでしょ。第一、我らにとってその程度かすり傷ですらない……自分で胸に風穴開けてるし、自傷行為の癖でもあるのか?それにその変化今の梔子様に似てないし……」

「いや自傷癖なんてないよ。タダやった方がいいと思ってね。場の空気ってあるじゃん正にそれ。……それに貴方まだ若いから知らないでしょ。千年前の梔子様にそっくりよ」

 オシロイは頭をポリポリ掻きながら何とも言えない顔をしている。

「死にかけの演技や悪霊共に意識を抑え込まれるなんてホラ吹いてる姿もね」

「いやぁお恥ずかしい」

 オシロイはくすくすと笑いながらスっと立ち上がる。

「ここでの目的は達した。世の運命は次の段階フェーズへ」

 霜柱は闇に溶けるように消える。

「さて私も……」

 梔子の姿をしたオシロイが大きく深呼吸をすると二人に分かれ、片方がドサッと倒れる。程なくして倒れた方の梔子の姿が変わってゆく。      
 瞳は波紋のようなものから大禍津姫捌号達の物とほぼ同じものに変わり、姿形も大人の女性の姿になる。

 大禍津姫肆号……梔子達に捕縛され殺し合いの末、自身の能力のオシロイの身体を奪えたと勘違いした哀れな存在。
 梔子本来の性格上、面倒だからとオシロイに喰わせ、オシロイ自身も面倒だからと主導権を大禍津姫肆号に明け渡していたに過ぎず、今こうして用無しとなり、外に排出されたのだ。

「あ……あぁ……え……」

「大禍津姫さん楽しかったでしょうか?私を取り込んで私の力を使って、そしてその力で数多の暗部を屠り、さぞ幸福な気持ちになったことでしょう……」

 オシロイは顔に影を落とし大禍津姫肆号の顔を覗き込む。オシロイの波紋模様の黄色い瞳に反射し、恐怖に歪んだ大禍津姫の顔が映る。

「しかし、大禍津姫の分霊肆号……お前はもう用無しです。何処へなりとも消えなさい。」

 大禍津姫は這いずりながらオシロイから逃げる。それを見たオシロイは何かを考え悪意の籠った笑顔を浮かべる。

「あ、そうだ。せっかく暗部の方々も華寅も来てくれてるんですし、このゴミの処刑は任せるとしましょう。」

 オシロイは大禍津姫肆号の目の前に瞬間移動し、頭を掴み持ち上げ再び顔を覗き込む。

「ねぇ大禍津姫、暗部の客人方をもてなしてあげてよ。日本国と言えば、おもてなし精神って言うじゃない?…………私の魂が眠ってる間に私の力と器を使ったんだ、次はお前が私に使われる番だよ。」

「あぁ……あ、相手には弱っているとはいえ華寅と秦宮が居るんだ……か、勝てな」

 オシロイは大禍津姫の頭を勢い良く壁にめり込ませる。

「貴女に拒否権は無いんですよ?私の力と器の使用料は命と魂で支払って頂きます。…………しかし、貴女の言い分も一理ありますね。私の力の一部を授けましょう。」

 オシロイは大禍津姫の瞳を覗き込み唱える。

「陣地   魂依狐   傀儡万象紋」

 大禍津姫の右目が梔子と同じ黄色い波紋模様になると同時に大禍津姫は右目に激痛が襲いら右目を抑えてのたうち回る。

「さて行ってらっしゃい」

 オシロイが指をパチンと鳴らすと大禍津姫の下に黒い穴が出現し、悲鳴と共に落下してゆく。
 大禍津姫が落下した先は秦宮達が休む空間だった。

 オシロイは大禍津姫が落ちた穴から下を眺め考える。

「華寅達にぶつけるなら……」

 オシロイは顎に手を当てしばらく考え、手をパンッと鳴らし、好敵手の名を呼ぶ。

木通アケビ!!」

 オシロイの足元からヌッと影が盛り上がり次第に人の形になる。

 アケビと呼ばれた少女は黒子装束に身を包み、目元と白い前髪、装束から出ている白く長い後ろ髪以外は隠れた服装をしている。

「華寅達を貴方の陣地内に閉じ込めろ。ただし手出し無用だ。あの方や私は華寅達の実力が見たい。」

「御意……」

「そんなに畏まらなくてもいいよ。面を上げてよ木通アケビ

「はい」

 少女の瞼は縫い合わされている。

「ねぇそれ前見えなく無い?」

「いいえ御心配に及ばず、これは私自身に課している[縛り]で御座います。」

「ならいいんだけど……じゃあ気を付けてね木通アケビ

「御意」

 アケビと呼ばれる少女は再び溶けるように暗闇に消える。

 立ち去ろうとしたオシロイの背後から華寅が呼ぶ声が聞こえ立ち止まる。

 そしてオシロイの頭の中を駆け巡ったのは生前の記憶……

「もう捨てたはずの記憶なのに……また……」

 頬を一筋の涙が伝い、雫となって地面を落ち弾ける。

「…………ん?誰か見ていますね……覗き見とはいただけません……」

 梔子の波紋柄の黄色い目が上を睨み、カッと見開く。




[少し時間は遡り厄災外殻周辺]

 相変わらず外殻の外は静寂が包んでいた。

「リブラ、三人は大丈夫そう?」

 ジェミナイがクリップホルダーで書類を書いているリブラに話しかける。

「見た目以上に傷が浅いし、何故か適切な処置までされていたからな。数日安静で復帰できる。」

 突然ズンッと空気が重くなる。

 その重さは尋常ではなく外殻から半径2kmの暗部隊員は全員四つん這いまたは、地面に横たわる。まるで平伏せよと言わんばかりの威圧感。

グシャ……バキン……という音が響きその方向を見たジェミナイは目を見開く。この厄災の内部を索敵するために外殻周りに打ち込まれた楔が押しつぶされている。

「う……動けない……」

 この威圧の中、少しでも進む方向へ力を割くとたちまち地面と威圧で押し潰される。その場にいる誰もが動けない中、立ち上がり、外殻に向かってゆっくり歩く男がいた。

 特務部隊所属の感知索敵隊員……コードネーム「アクエリアス」

 アクエリアスは折れていない楔を掴み後方に手を向ける。

「総員!俺の見ている情報、映像を本部に伝え続けろ!逆封陣」

 逆封陣……結界を貼り、使用者が結界の内側に入り、相手の攻撃をモロに受ける代わりに結界外に内部からの影響を完全に遮断する術式。

「どこだ……この力を持つ悪霊はどこに居る……」

 アクエリアスは気配の強い方へどんどん索敵してゆく。

 100層……300層……500層…………

「グッ……まだ深くに居るのか……」

1000層……1500層……2000層…………

 アクエリアスの目が充血し始める。

4000層……5000層……6000層…………

「一体どれだけ深くからこんな威圧を放ってやがるんだ!化け物め!」

7000層……8000層……8072層………

「居たァ!コイツがこの威圧の主か!」

 あまりにも遠距離索敵の為、像は掠れてはいるが白髪に梔子の花の髪飾りをした少女を映し出す。

「コイツ……印を結ばずにこの威圧……規格外の化物という事か……

 程なく少女はこちらに気付いたようで上を睨み目を見開く。

 びちゃびちゃ液体が流れ落ちる音と共にアクエリアスを中心に血の溜まりが広がると同時に索敵映像がプツンと切れる。

 程なくしてその威圧感は嘘のように消え静寂が再び辺りを包む。

 気を失っている三名以外の特務隊員がアクエリアスに駆け寄る。

「ヒィ……」

 リブラが覗き込み小さな悲鳴をあげる。  
 アクエリアスは事切れていた。それも両目が潰れ、両目の穴と口から血をどくどく流し、まるで爪が鋭く大きい獣に腹を裂かれたかのように巨大な爪痕がアクエリアスの腹部に残っていた。

 波紋柄の黄色い目と目が合っただけ、しかしそれだけでアクエリアスの両目は潰れ腹を裂かれる……タダの威圧だけでアクエリアスの細胞が会敵時に自身の身に起こりうる全てを再現していまう程の存在。それは禍夜廻の危険度を認知させるには十分だった。

 
     [隠世 8072層]

「あら……死んじゃいましたか……もう少し頑張ると思ってたんだけどな……まぁいいや……解装!」

 オシロイは覆面を取るかの如くバリバリと顔の皮を剥ぐ。その下から現れた白いショートヘアの少女。彼女は左のこめかみに白粉花オシロイバナの髪飾りをつけている。

 オシロイは少し残念に思い鼻先で歌を奏でながら闇に溶けるように消える。

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