一つ目巨人鍛冶屋と人間武器屋の日常

青野イワシ

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第二章

照れ隠し

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 もう何度目だろうか。
 早朝、ムラトはブロンテスの寝室で目を覚ました。
 窓の外は相変わらず陰鬱な空模様で、地上のように陽光から時を特定することが難しい。
 地下世界は常に冷たく乾いた空気で満たされており、生命の温かみなど感じられぬ場所であった。
 それでもブロンテスの寝室はいつもほのかに温かく、肩の荷を下ろしてくれるような柔らかな空気で満たされている。
 ムラトは早すぎる粉雪がちらつき始めた村の様子を思い浮かべ、体にかかっていた織物にくるまる。
「おい」
 頭上からムラトを諫める低い声が降ってきた。
「あ、すみません」
 どうやらブロンテスの胸元を覆っていた分まで巻き取ってしまったようだ。
 ぐい、と布地が引っ張られると共に、ムラトの身体もブロンテスの傍へ引き寄せられた。
「寒かったですか?」
「軟弱なお前と一緒にするな」
 ではなぜ織物を引っ張ったのか。
 そんなことを聞くと今度は織物で簀巻きにされてどこかに吊るされそうだと思ったムラトは口をつぐんだ。
 寝起きのブロンテスはしばらく機嫌が悪い。そっとしておこう。
 ムラトが温もりを求めて、大木の幹のような逞しい腕に頬をくっつけてうつらうつらとしていると、珍しくブロンテスから声をかけてきた。
「そんなに寒いか」
「いえ。でも、上のことを思うと」
「何だ」
「村の方は酷く寒いんです。今年は特に」
「そうか」
「もう少しこうしていたいな、と思いまして」
 まだ眠気の取れないムラトはお得意のごますり笑顔ではなく、どこか呆けた顔でぼそぼそと思ったことをそのまま喋っている。
 そんなムラトの旋毛を眺めながら、ブロンテスはしばらく無言でいた。
 ややあって、ブロンテスが口を開く。
「ここが良いか」
「……」
 返事はない。
 ムラトはブロンテスに寄りかかったまま、二度目の眠りについていた。

 その後、ブロンテスに首根っこを掴まれてたたき起こされ、兄弟たちから量の多すぎる朝食を勧められ、胃の許容量ぎりぎりまで肉と野菜のスープとパンで満たされたムラトは、荒野をげっそりした顔で歩いていた。
 いつものように地上へ帰還する地点まではブロンテスが前を行くが、ブロンテスは珍しく長細いものを布で包んだ荷物を小脇に抱えている。
 一体何だろう。
 だが、何時にもまして口数の少ないブロンテスに、胃もたれという異常効果が加わり、ムラトは目の前の巨人に話しかけようという気が起こらなかった。

 朽ちた遺跡群の中央に辿り着いたムラトは、ブロンテスが天に伸びる階段を出すのを待っていた。
 それを登るといつの間にか、村近くの森へと出るのだ。
 ヒトには到底成しえない高等魔術を体験するのは、ムラトの密かな愉しみだった。
 だが、ブロンテスはじっと押し黙ったままだ。
「あのー」
 しびれを切らしたムラトが気づかわしげにブロンテスを見上げる。
 すると、じろりと険しい目つきで大目玉がムラトを見下ろしてきた。
 ムラトの肩がすくむ。
 いつまで経ってもこの圧には慣れない。
「戻りたいか」
「えっ」
「戻りたいのかと聞いている」
 どうしてそんなことを聞くんだろう。
 当り前じゃないか。
 ムラトはブロンテスが出す質問の意図を掴みかねていた。
「ま、まあ。寒いですけど、店のことがありますし」
「店か。もう武器を買う者もいないあの店をずっと続ける気か」
「そのつもりですが……?」
 何のために雑貨屋になったと思っているんだろう。
 ムラトの脳内はさらに疑問で満たされていく。
「そのー、ブロンテス様からしたらちっぽけな店かもしれませんが、親から受け継いだものですし、それに、商いは好きですし」
 どんなに小さくても一つの店の主であることは、ムラトにとって密かな誇りでもあった。
「そうか。まあ、ニンゲンは地上うえに居た方が良いのかもしれんな」
 ブロンテスはムラトから視線を外し、黒々とした雲が覆う空を見上げる。
 確かに地下世界には昼と夜があるが、あくまでも仮初の物である。
 ブロンテスは水晶を通じてでしか見たことのない明るい地上の景色を思い出していた。
 どこか黄昏ているようにも見えるブロンテスを見上げていたムラトの頭に、ある閃きが迸る。
 なんだ、そういうことか!
 強張っていたムラトの顔が緩み、口元にはうっすらと笑みまで浮かぶ。
「ブロンテス様」
「んん?」
 ムラトはブロンテスの大きな手に自分の右手を重ねる。
「もしかして、寂しいのですか?」
 求められているという嬉しさからムラトは目を輝かせている。
「何だと」
「ブロンテス様は、その、素直にお話されないといいますか、照れ屋といいますか。アレですよね、今はご兄弟も居ませんし、寂しいなら寂しいと」
 だらしない顔で笑うムラトだったが、次の瞬間には朝と同じく首根っこを掴まれ、完全に体が宙に浮いていた。
 ブロンテスの顔の高さまで頭が持ち上げられる。
「あまり調子に乗るなよ」
 背嚢ごと片手で軽々持ち上げられたムラトはブロンテスの額がつくほど顔を寄せられた。
「そ、そんな怒らなくたっていいじゃないですか」
 凄まれているのは確かに恐ろしいが、今のムラトにとっては脅威ではなかった。
 なぜなら、寂しくはないと言われなかったからだ。
「お前が帰った後、俺がめそめそ泣いているとでも?」
「まさか! でも、ちょっとくらいは、その気にかけて」
「馬鹿も休み休み言え。お前がここから居なくなった後は仕事のことしか頭にない。自惚れるのも大概にしろ」
 ぽい、とその辺に捨てるようにブロンテスの手が離される。
 ムラトは一瞬の浮遊感と共に地面に着地した。
 これまで手荒に扱われてきたので、この程度朝飯前だ。
「私は寂しいですよ。誰もいない店に帰ると、ブロンテス様の顔を真っ先に思い出します」
「情けない奴め」
 ひとり惚気始めたムラトからブロンテスが顔を背ける。
「でも最近は水晶を通じてお話しする機会も増えましたので、前ほど寂しくは」
「俺に媚び諂っても代金は負けんぞ」
「そういう目的はありません。本心からお話しています」
 顔を見せて下さいといつになく強気でにじり寄るムラトに、ブロンテスは初めて根負けした。
 特大のため息を聞かせながら、ムラトを見下ろす。
「全く……」
 ブロンテスは片腕に抱えていた布の包みをムラトへと押しつける。
「おっと、何です?」
 慌てたムラトはそれをかき抱くようにして受け取った。
「売り物にするなよ」
「えっ」
「店にも飾るな。近いうち、それがお前の武器になる」
 予言めいた言葉の意味がくみ取れず、ムラトは怪訝な顔のまま包みの一端から中身を覗く。
 そこには黒黒とした剣のグリップがあった。
 長さからして小剣だろう。
「私への贈り物、ということですか?」
「フン、そのような浮ついた代物ではない。時が来るまで保管していろ」
「はあ」
 何が何やらといった様子のムラトだったが、ブロンテスからの贈り物などそうそう無いため、頬が緩むのを止められなかった。 
 そうしているうちにブロンテスが地上へ帰還するための石段を出現させる。
 では、といつものように小さく挨拶をし、背嚢を背負い直したムラトが一段一段、石段を登っていく。
 そうだ。
 贈り物へのひとまずの礼として、そしてまた驚かせたい気持ちもあり、ムラトはブロンテスと己の顔が同じ高さになる段まで登った。
 いつか頬に別れの挨拶をして、ブロンテスの目を丸くさせたことがある。
 ムラトは同じ企みを決行すべく、意気揚々と振り返った。
 だが、ムラトがブロンテスの頬に手を伸ばすより先に、ムラトの後頭部は大きな掌によって鷲づかみにされる。
 力任せに頭を押され、そのままブロンテスの顔面へムラトの顔がぶつかる寸前まで引き寄せられる。
 そしてムラトはブロンテスから噛みつくような口づけを受けた。
 まるで犬が飼い主の脹ら脛を甘噛みするかのようなその行為に、今度はムラトが固まる番となった。
「お前の考えていることが分からないと思ったか。俺を出し抜こうなど千年早い。さっさと帰れ」
「えっ!? あぁっ、もう!」
 自分からしておいて恥ずかしかったのか、ブロンテスは以前のように脚を踏みならして石段を消しにかかった。
 必死に走らなければ、足下の支えを失って落下する羽目になるムラトは悪態をつきながら一気に駆け上がる。
 その足取りはどこまでも軽かった。

 つづく
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