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01 冥界の門を入手する

ハマナス亭、燃える

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 どうして、こんなことになってしまったのか。

 俺の目の前で、ハマナス亭が燃えていた。

 俺はいつものように、夕方まで土嚢積みの仕事をしていた。
 この村は中州の島にあって、大きな川に四方を囲まれている。川が増水すると危ない。

 今のような雨季には、村中が水浸しになってしまうこともある。
 だから、多くの建物は高床式だったり、石積みの上に建てられたりしている。
 どこかの建物の土台が崩れかけていたら、土嚢を積んで応急処置をする。

 つまらない肉体労働、縁の下の力持ちみたいな存在。
 それが俺の仕事だ。

 今日の仕事は終わって、夕食を取ろうと、いつものようにハマナス亭へとやって来た。
 歩いている間、遠くの方から何度も、太鼓を叩くみたいな音が聞こえてきた。
 ハマナス亭まで50メートルぐらいの距離まで来た時、前方から、ひときわ大きな音がして……

 気が付いたらハマナス亭が燃えていた。

「逃げろ! そこをどけ!」

「水だ! 水持ってこい!」

「全員いるか? 生きてるか?」

 炎から逃げ出してきた人たちの、怒号や悲鳴が聞こえる。

 ハマナス亭は、石積みの土台の上に建てられた木造の三階建ての建物だ。
 この中州島にある建物としては、三番目ぐらいに大きい。
 それが瞬きをするぐらいの時間で、炎に包まれていた。

 暗い空の下、ごうごうと音を立てて燃え上がる炎。
 ここまで派手に燃えてしまったら、ちょっとやそっとの水では消化できないだろう。
 数時間前まで降っていた雨。
 あれが降り続いていたら、火は消えてくれただろうか?

 近くの道に、男が座り込んで呆然としているのが見えた。
 あれはハマナス亭の料理人だ。いつもおいしい料理を作ってくれた。
 近くには金勘定にうるさいおばさんが俯いたまま立っていて、ウェイトレスたちが泣きながら縋り付いている。
 みんな、炎に撒かれたのか、煤がついていたり、服の端が焼けたりしていた。

「水属性の魔術が使える奴を呼んでくるんだ!」

「こんな燃えたらもう無理だよ!」

「他でも火事が起こってるらしいぞ!」

 どうして、こんなことになってしまったのか。

「おう、ソリス。ここにいたか」

 後ろから声がかけられる。
 振り返ると、長身の男がいた。俺と同じスナホリの先輩、ニックだ。

「ニック。ハマナス亭が燃えてるよ……」

「ああ。派手にやられてんな」

 ニックはつまらなそうに言い、ハマナス亭の主人たちを指さす。

「まあ、従業員の避難が間に合ったみたいだし、運は良かった方だな。今夜の夕食は食えそうにないが」

「な、何をノンキなことを……」

 こんな火事の前でだぞ!
 そこで働いていた人たちがかわいそうだとか、明日からどうするんだろうとか……普通はそういうことを考える。
 俺はそう思った。
 だがニックは呆れたような顔になる。

「なんだ? 俺たちは、他人の心配なんかしてる場合じゃないだろ?」

 ドォォォォン

 どこか、そう遠くない所で大きな音がして、そっちでも火の手が上がった。
 何が太鼓の音だ! これは爆発じゃないか!

「何? なんでハマナス亭は火事になったの? あの爆発は何? ニックは何か知ってるのか?」

「……火事? おまえ、ただの火事で、あんなすぐに燃え広がると思ってるのか?」

 ニックは呆れたように言う。

「火事じゃないなら、なんなんだよ」

「あれは攻撃だよ。戦争用の魔術ナパーム弾だ」

「えっ?」

「たぶん、ゴブリン族が攻めて来たんだろうな。この中洲島は、もうおしまいってわけだ」

「ニック? 何を言ってるの? ゴブリン族? なんの話?」

「イグアンさんが生きてた頃に、そんな話を耳にしたからな……。まあ、本当に攻めて来るとは思ってなかったが、来ちまったもんはしかたない」

 またどこかで爆発音、火の手が上がる。
 本当にゴブリンが来ているのか? そして、この村の全てを灰にしようとしている?

「どう、どうすればいいんだ? 村が、村が滅ぼされる……」

「逃げるしかないよなぁ。隙をついてな」

「逃げる……」

「こうなりゃ火事場泥棒だ。金目の物を手に入れて、どこか遠くに逃げちまおうぜ」

 ニックは、ふざけたことを言う。
 本気とは思えなかった。
 俺は、金目の物がどこにあるかなんて知らないし、この島から逃げる方法もわからない。

 だって巨大な川の中の島なのだ。
 陸地まで、最短距離でも数千メートルはある。泳ぎ切るのは無理だ。

 俺は、領主の館の方を見る。
 敵がバカでないなら、攻撃目標になるかもしれない。
 ヘレナはまだ無事だろうか?

 どうしてこんなことになってしまったのだろう?

***

(一か月前)

 俺たちスナホリの一日は、単調だ。
 箱を引きずって川原に行く。
 ショベルで白砂を集める。
 砂で重くなった箱を引きずって持ち帰って、役人に見せる。以上。

 そこに冒険はない。
 夢も大金もない。快楽も未来も学習もないし、経験にもならない。
 なんの価値もない仕事だ。

 それでも、俺はスナホリをする。
 毎日スナホリをしないとお金が貰えない。
 お金がなければ、食事は食べられないし、宿には泊まれないし、スキルガチャも回せない。

 炎天下、ガンガン照り付ける太陽。
 今日も暑い。仕事には不向きな天気だけど、やるしかない。

「……はぁ」

 俺がため息をつくと、近くにいたニックがにやにやと笑う。

「おいソリス、辛気臭い顔してんじゃねぇよ。笑顔だ、笑顔」

「そうっすね……」

 ニックは、スナホリの先輩だ。
 先輩と言っても、何か大事なことを教えてくれたというわけじゃない。
 ただ、俺より前からここで働いているってだけだ。

 ここは入れ替わりが激しくて、すぐ人がいなくなる。
 俺が、このスナホリの仕事にたどり着いてから半年ほど経つけど、その間に何人やってきて、何人が脱走したか、覚えていない。

「今日中に箱いっぱいの白砂を集めないといけないんだ」

「昨日もそうだったね……」

「ああ、そうだな。明日もきっとそう言うだろう。毎日スナホリすんだよ。そうすりゃ、とりあえずどうにかなるもんだ」

「どうにかね……」

 ニックの言うことは、たぶん正しい。
 だけど俺はこうも思う。
 その状態は「どうにもならない」って呼ぶ方が正しいんじゃないか、と。

 俺は顔を上げる。
 西から東に向かって流れる広大な川。
 川面は穏やかで、陽光が煌めいている。

 数千メートルの川幅の向こうには、白石の都市。
 そしてその都市の向こうに、巨大な宮殿が立っている。

 南からの陽光を浴びて、輝く白磁の宮殿。
 近づいたこともないけれど、ここからでも威厳を感じる。

 あの都市は、建築魔術で作られたらしい。
 そして、建築魔術には材料が必要らしい。
 その材料と言うのが、俺たちが今集めている白砂なのだとか。
 つまり、俺たちの仕事は、世界を作りだす第一歩なのだ。

 ……んなわけあるか。

 16歳で、生まれ育った森の村を抜け出してから、もうすぐ四年が過ぎようとしている。
 この世界は、スキル至上主義だ。
 ハズレスキルしか持っていない俺たちに出番はない。

 文句を言っても、何も変わらないのは知っていたし、とにかく腕を動かさないと……。
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