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一つ目のパーツが入手困難編

24 物理以外の距離

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 まさかジェーンとアリスは正式に、仲違いをしてしまったとか?私は従業員同士の決裂という、非常に面倒臭い事態を予想しつつ、その先の話を待った。彼は答えた。

「はい、アリスの件です。これは私の主観的な話ですが、最近、彼女の元気が無いように見えるのです。彼女は研究室で顔を合わせる度に、何かを隠すようにします。それが、設計図といった、業務に関連する類のものではなく、何やら鞄に詰め込んでいる様子で。彼女のような聡明な女性が、まさか研究所の備品を盗むようなことをするとは考えにくい。しかし気になりますから、私がその事について彼女に尋ねると、すぐに感情を高ぶらせて、あなたには関係のない事だ。と言って、研究室を出て行ってしまいます。」

「そっか。」

 アリスがそんな様子だったとは。確かに最近、毎朝顔を合わせても、心なしか表情に影が差しているような、そんな気はしていた。でも今の話が本当なら、きっと彼女に何かあったのだろう。それにしても仲違いどころか、ジェーンがアリスを心配するなんて。

 彼は続けた。

「アリスの様子から、彼女の身の回りで、何かが起きていると考えるのが適切でしょう。ですからここは、キルディアから聞いてみて下さい。」

「え?何で私が?」

「アリスと仲がよろしいでしょう?」

「それはそうだけど……でも私は、ジェーンが気付いたのなら、ジェーンが聞いたほうがいいと思うよ。」

「私はアリスに嫌われています。」

「でも、試しに聞いてみてよ。」

 確かに最近、アリスに声を掛けても、いつもみたいに元気よく反応しないし、調査も立て込んでいるから、仕事の疲れが出ているのか、或いは森の件で、落ち込んでいるのかと思って、今度ブローチを見に行った際に、サウザンドリーフの皆の様子を伝えようと思っていたが、もしかしたら私が思っている以上に、彼女は何か抱え込んでいるのかもしれない。

 いつも強がって、気付いた人が声を掛けなければ、ずっと一人で背負ってしまう子だ。彼女の姉もまた、同じだけど。しかし私から……働きかけるよりかは、ジェーンがその訳を聞いたほうがいいと思った。ジェーンが気付いた事であり、彼がアリスに聞くのが自然だ。それに彼はもう少し、人との関わりを知った方がいいと思った。私が言えたことではないが……。

「キルディア、少し考えては見たものの、彼女に掛ける言葉が見つかりません。私はどのように、アリスの話を聞くべきでしょう?」

「そうだねぇ……どうしたの?って、優しく聞いてみたら、どうかな。」

 ジェーンは思案顔で黙った後に「分かりました」と、呟いた。

 しかし、ちゃんと周りの人のことを、考えてくれる人だったんだ。それもそうか、帝国研究所時代はトップだったし、過去の世界では上から二番目だったし、なんだかんだ人望があるんだ。

 私はジェーンに微笑んでから、食べ終わった食器類を片付けようと、立ち上がった。すると彼も立って、私の手伝いをし始めたが、私は「食洗機があるからいいよ」と断った。お皿を機械に洗ってもらっている間に、玄関に向かった彼のお見送りをしようと、私も付いて行った。

「今晩は、パインソテーを、ありがとうございました。」

「いいえ、また一緒に食べようね。」

「……。」

 しばらく沈黙が続いた。何分か経つが、彼が玄関のドアのところに立ったままで、中々帰ろうとしない。何故なのか、疑問が頭の中を支配し始めた頃に、彼が小さく掠れた声で、こう言った。

「実は、もう一つお願いがあります。」

「え?お願い?どんなお願い?」

「……。」

 また沈黙が流れ始めた。彼はじっと、私のお腹のあたりを見つめて、口をもごもごと動かしては、首を傾げた。何かを考えては、不気味に口角を上げ、それからすぐにぎゅっと深く目を閉じた。元々、彼の表情を見るだけでは、彼が一体何を考えているのかなんて読めないが、今の彼は不思議すぎて、少々怖くなってきた。

 以前、過去から来たとカミングアウトするときも、これぐらい発言するのに時間が掛かっていたし、もしかしたら、何かまた彼の秘密を教えてくれるのかもしれない。それなら別に、何を言っても動じないから早く言って欲しい。もうきっと日付が変わっているだろうし、少々眠気が起き始めているからだ。私は少しだけウォッフォンを気にする仕草をとり、彼に聞いた。

「どうしたの?中々言えないようなこと?でも何でも言って欲しいよ、ほら、我々って親友だから。」

「親友ですか……そうですね、これを頼むのは、少々気が引けるのですが、どうしてもこの謎を解明したい。ですから……あなたと、クラース式の挨拶をしてみたいのです。それが私の頼みです。」

 ああ、あのフレンドリーな挨拶のハグのことか。まあ確かに、物理的じゃない何かを探してるのなら、最初に物理的な行動をとってみた方が、反対側が見えてくるかもしれない。ジェーンのことだからきっと、そういう新しい事柄に対して、知的好奇心を抱いているんだなと考えた私は、少し笑いつつ、両手を広げて、思いっきり彼の体に抱きついた。

 細い体だ、こんな体で戦場に立てば、もろいだろうに。明日からでも、もっと毎日食べさせて、しっかりとした体つきにしたほうがいいと思ってしまった。それほどまでに彼の体は細かった。そして温かい。クラースさんとのハグでは感じなかった何かが、私の背中に力強く回されている彼の両手から、じんわりと伝わってくる。

 そして彼の方が三十センチほど高いので、私の目の前には彼の胸があり、身長差のせいで、彼の顔は見れないが、それが逆に今はありがたい。私の頬に当たる彼の胸は、健康の為の筋トレはしているのか、少し筋肉質だった。

 そう言えば、挨拶にしては長くなりすぎた抱擁に、はっと気が付いた私は、彼から遠ざかった。ジェーンは顎に手を当てて、考えながら言った。

「なるほど、なるほど、あなたとの距離が縮みました。」

「やっぱり物理的な問題だったってこと?」

「分かりません、お休みなさい。」

「え?……おやすみ。」

 一体何が何なのか、何だったんだろう。把握の出来ない何かを抱えたまま、彼は帰っていった。
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