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例えこの身朽ち果てようと編

82 誇りの右手

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 キルディアが意識を取り戻してからというものの、私は起きている間はずっと、彼女に付き添った。起きて間もない彼女に身の上話をしてしまったのは、少々後悔する出来事だが、自分のことだけを考えれば、話せて良かった。誰かに話したいと思っていた心底のことを話せた時の爽快感は、想定外の心地よさだった。

 意識が戻ってからの彼女は気丈である。彼女の笑顔を見ると私は安心する。左手のみで慣れない食事を私は手伝った。スプーンでかゆを掬い、彼女に食べさせようとすると、彼女は私には似合わない仕事だと笑った。それがまた、私の心を照らした。

 利き腕を失ったにも関わらず、彼女はいつものように明るい。それが幼少期から予測していた事態であっても、やはり彼女一人きりになれば、右腕を恋しく思うことはあるだろう。彼女は今、隣のベッドで眠っている。

 この時間だ、もう既に窓の外には夜空が広がっていた。私もキルディアもあの星空に向かって、同じことを願っていた。その二人が出会ってこうして共に過ごすこと。それは信じられないような奇跡だった。

 親友だから、大切な人だから、これからは私が彼女を守りたい。これは男としての本能だろうか、問いかけながら私はベッドから降りた。

 キルディアの布団がめくれていたので、掛け直し、そして部屋を出た。ウォッフォンを見れば時刻は二十時だった。寮の建物を出て、私は火山方面に向かい歩き始めた。道なりに進んでいくと、ポツンと電柱が存在していた。

 明かりの周りにはブンブンと虫が飛んでいる。私の予想通りに、その下に、お目当の人物が居て、戟の素振りをしていた。私がもう少し近づこうと歩みを進めた時に、砂利を踏んだ私の足音に、クラースが気付いた。

「誰……ああジェーンか、キリーの具合はどうだ?」

 彼は首に掛けていたタオルで、額の汗を拭って、微笑んだ。私も微笑み返した。

「キルディアは、元気よく振る舞っております。……。」

 そのあとの彼女を表す言葉が思いつかない。大丈夫とは言えない、だが彼女は元気そうだ。どう説明すれば妥当か。

「まあ、あれだ。キリーは俺から見ても、立派な戦士だと思う。もし俺が彼女だったら、俺は散っていった右手を誇りに思うだろう。」

「誇りですか……。」

「ああ、まあ今度、彼女に片手でも扱えるような武器を買ってやるといいんじゃないか?きっと喜ぶだろうから。はは。」

 珍しくクラースが笑顔になった。口は笑っているが、目元は笑っていない、不器用な私から見ても不器用な笑顔だった。

「ふふ、そうですね。因みに、あなたはご存じでしょうか、あの大剣のことを。実は私、ギルドで日払いの仕事をしていた時に、彼女を一度見かけているのです。その時にも背中には、あの大剣がありました。銀色に輝く、何やら装飾の派手やかな剣でした。久しぶりに所長として彼女にお会いした際も、あの大剣と思われるブレスレットを、右手首に付けておりました。」

「ギ、ギルドにいたのかジェーン……まあいい。あれな、詳しいことは俺も分からない。確かに、俺が研究所で知り合った時から、キリーはあれを持っていた。持っていたが、決して使おうとはしない。きっと誰か特別な人に貰ったんだろうと、俺は勝手に思っていたが。」

「特別な人ですか……。」

 彼女に大剣を送るような間柄か……。恋人ではなさそうだ。家族?有り得る。士官学校の教官?それも有り得る。或いは、卒業した際の記念品?それも有り得る。

 だが、そのどれも、隠しておくような理由ではない。そう考えると恋人が妥当か?しかし彼女には恋人はいなかった。居ないだけで、彼女が片想いをしていた可能性は?……有り得る。

「ど、どうした?ジェーン。顔が引きつっているぞ。」

「ああいえ、何の事でもありません。特別な人ですか……。」

 クラースは首を傾げた。

「なんだ?そんな話をしに、わざわざここまでやって来たのか?」

 私は本来の目的を思い出し、クラースに話した。

「いえ、それもそうですが、実はお願いがあり、こちらに来ました。」

「俺にか?」

「はい。」

 スコピオ博士から頂いた銃を取り出した私は、クラースに向かい深く頭を下げた。

「私に、戦い方をご教授願えませんか?」

 クラースは驚いたのか、黙っている。私は頭を下げたまま、言った。

「これ以上、彼女の足枷になりたくはありません。それに、帝国は今もなお容赦無く民意を踏みにじり、強制的な態度をとっています。サウザンドリーフの件、火山の件のように、民から助けを求められれば、彼女はきっとまた立ち上がるでしょう。その時に私が、方法を考えて逃げているばかりではいけないのです!私も、彼女の力の一部となりたいのです!お願いします、どうか私に、戦う方法を!」

 クラースが私の肩を掴んだ。

「お、おお。顔を上げてくれジェーン。参ったな。俺なんかでいいのか分からんが、ジェーンの気持ちは分かった。俺が教えてやる。まあ、シロープ流の戦い方だから、役に立つかは分からんが。」

 私が顔を上げると、クラースはまた笑った。今度は自然に彼の白い歯が溢れる笑みだった。私はまた彼に頭を下げた。

「ありがとうございます、師匠。」

「師匠はやめてくれ……今まで通りクラースと呼んで欲しい、肩がこる。そうだな、よし、まずは基本の姿勢から練習しよう。お前は銃剣だから、槍の使い方と、遠距離銃の使い方さえ覚えれば、あとは応用が効くだろ。銃は知らんが槍の扱い方なら教えられる。さあ俺の真似をしろ。」

「はい。」

 私はクラースにシロープ流、槍の使い方を教えてもらうことになった。この出来事について、彼には感謝しかない。

*********

 目が覚めると、まだ夜だった。いつの間に寝ていたんだろう、まだ体力が衰えているのか、ふとした瞬間に眠ってしまう。室内が真っ暗で、何も見えない。

 私はベッドテーブルに置いてあるウォッフォンを手探りで見つけると、それを操作して部屋の電気を点けた。片手だとウォッフォンの操作もままならない。そして周りを見渡すと、ジェーンはいなかった。

 あれ?チャンスじゃない?もう私には心電図も点滴チューブも付いていないので、動こうと思えば動けるのだ。ヒッヒッヒ……。

 ここ数日、看病すると意気込んで、全く傍を離れない彼に、「帰るまではずっと共にいるよ」なんて発言をしておきながらも、私は若干窮屈な思いをしていたのだ。だから、この時間は貴重だった。ベッドから降りて立ち上がると、壁にかかっている鏡に自分の姿が映った。

 髪を結ったまま寝ちゃったせいで、セミロングの髪の毛にゴムがぶら下がっていて、ボサボサに乱れていた。身体は包帯まみれ。やっぱり右手は無い。あれ?顔のラインが、少し痩せたんじゃ無い?おお!鏡の中の私が笑顔になった。

「よしよしよし……。」

 私はベッドの淵を左手で掴んで、腕立て伏せをし始めた。しかし少し力むと、縫合した箇所の糸が伸びる感じがしたので、やめた。あまり無理をして傷が開く可能性がある。開いたらきっと結構強めにジェーンに怒られるだろう。それは避けたい。

 と、その時、ドアがトントンとノックされた。私が扉を開けると、そこにはお花を持ったアマンダと、白衣姿のスコピオ博士と、青色ローブのアマンダの両親が立っていた。私は笑顔で迎え入れた。

「どうぞどうぞ、ちょっとキュアクリームくさいですけど。」

「あ、ああ本当だ……。で、その後の調子はどうですか?」

 スコピオ博士がなんか遠慮した様子で聞いてきたので、ちょっと笑ってしまった。

「何そのうやうやしい感じ、ふふっ。別にもう大丈夫ですよ。慣れてます、こんな怪我ぐらい。」

 私は窓際のベッドに座った。博士たちは、もう一つのベッドに並んで座った。アマンダが私にお花を渡してくれた。赤くて綺麗な、いい匂いのするお花だった。

「これ、キリちゃんにあげるね……。」

「わお!ありがとうね、じゃあこれは、あとで飾っておくよ……。」

 心なしか、アマンダの元気が無い。私の片腕がない事が気になっちゃったんだろうか、だったら別に気にしないでほしいけど。と思っていると、アマンダの両親が立ち上がって、私に頭を下げた。

「アマンダを、私達のことを、命がけで救ってくれて、ありがとうございました。」

 アマンダのご両親を座らせようと、慌てて私も立ち上がった。

「いえいえ!そんな、皆が協力したからです。私だけじゃないから……。でも、ありがとうございます。」

 しかしご両親も気のせいか、かなり元気がなさそうだ。そんなに気にしなくてもいいのに。暫くの間、無言が続いた。それからスコピオ博士が口を開いた。

「そうだ!ジェーンさんはどうしたんだ?」

「ああ、さっき起きたら、いなくなってました。どっか、散歩じゃないかと思います。ずっと付き添ってくれてたから、外の空気でも吸いたいんだと思いますけど。」

「そっかぁー……。」

 何それ。何で博士も元気が無いんだろう。もうそんなに気にしなくていいのに。私が何か気を利かせたジョークでも言おうかと考えていると、アマンダが何か閃いた。

「そうだ!分かったよ、パパ、ママ!ギルバート騎士団長なら、何とかしてくれるんじゃないかな、レジスタンスの!」

「アマンダ!その話は後にしましょう!」

 慌てた母親が、手でアマンダの口を塞いだ。え?何かあったの?

「どうしたの?私の怪我を心配してるんじゃなくて、何か悪いことでもあったの?」

「いやいやいや!」両手のひらを小刻みに振りながら、立ち上がったのはスコピオ博士だった。「もうほら!キルディアの腕がなくなっちゃったから、本当に心配でさ!はは!なんていうか、そんな経験したことないしさ、本当に大変だろうなって……。それにそうまでして守ってくれたから、感謝しきれないっていうかさ!はは!」

 口を尖らせながら話すスコピオ博士の顔には、「嘘です」と書いてあった……。切なかった。
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