「君を愛したことはない」と言われたので出て行ったら、元婚約者が毎日謝りに来ます

かきんとう

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 突然現れた青年に、エレノアは目を見開いた。

「……ルシアン様?」

 金髪に青い瞳。

 柔らかな笑みを浮かべたその青年は、隣国セレスティア王国の第二王子、ルシアン・セレスティアだった。

 昔、王宮の交流会で何度か顔を合わせたことがある。

 人懐こく気さくな性格で、女性人気も非常に高い人物だ。

 だが。

「どうしてここに……?」

「君を迎えに来た」

 にこりと笑うルシアンに対し、アルベルトの空気は完全に凍っていた。

 エレノアの腰を抱く腕にも力が入る。

「勝手に人の恋人を迎えに来るな」

「恋人?」

 ルシアンがぱちぱちと瞬きをする。

「婚約破棄されたと聞いたけど?」

「されていない」

「でも彼女、家を出たんでしょう?」

「私が原因だっただけだ」

 妙に素直だった。

 ルシアンは一瞬きょとんとしたあと、ふっと吹き出す。

「へえ。あの冷徹公爵が認めるんだ」

「笑うな」

「いや、驚いてるだけ。君がそこまで必死になるなんてね」

 アルベルトの眉間に皺が寄る。

 エレノアは嫌な予感しかしなかった。

「……ルシアン様、本日はどういったご用件で?」

「実は王都で噂を聞いてね。“レイヴェルト公爵家の婚約者が姿を消した”って」

 ルシアンは肩をすくめる。

「それで少し心配になった」

「心配……?」

「昔から君、無理して笑う癖があったから」

 優しい声音だった。

 エレノアが言葉に詰まると、アルベルトが低く問う。

「随分親しげだな」

「そう? 普通だよ」

「普通ではない」

 即答だった。

 ルシアンは面白そうに目を細める。

「嫉妬?」

「……」

「図星か」

 その瞬間、アルベルトがエレノアをさらに引き寄せた。

 ぴったり密着してしまい、エレノアは顔が熱くなる。

「アルベルト様、近いです……!」

「離したくない」

「そんな堂々と言わないでください!」

 ルシアンが楽しそうに笑った。

「本当に変わったね、君」

「うるさい」

「昔は氷みたいな顔してたのに」

 エレノアも思わず頷きそうになる。

 以前のアルベルトなら、こんな感情を露骨に見せることは絶対になかった。

 だが今は違う。

 ルシアンを見る目が完全に警戒モードだった。

「エレノア」

 アルベルトが低く呼ぶ。

「この男とは、どこまで親しい?」

「どこまでって……数回お話しした程度です」

「文通していただろう」

 エレノアはぎくりとした。

「なぜ知ってるんですか!?」

「机の引き出しに入っていた」

「見たんですか!?」

「偶然見えた」

「絶対嘘です!」

 アルベルトは視線を逸らした。

 怪しすぎる。

 ルシアンが吹き出す。

「まさか君、手紙にまで嫉妬してるの?」

「当然だ」

「当然なんだ……」

 エレノアは頭を抱えたくなった。

 するとルシアンは、ふいに真面目な顔になる。

「でも安心したよ」

「?」

「君、前よりずっと表情が柔らかい」

 その言葉に、エレノアは少し驚く。

「そうでしょうか」

「うん。昔はいつも“ちゃんとしなきゃ”って顔してた」

 ルシアンは優しく笑った。

「今の方が可愛い」

 瞬間。

 空気が凍る。

 アルベルトの笑顔が消えた。

「……ルシアン王子」

「なに?」

「帰れ」

「嫌だ」

「今すぐ帰れ」

「まだエレノアと話してない」

 ぴり、と空気が張り詰める。

 エレノアは慌てた。

「ま、待ってください! 喧嘩しないでください!」

「していない」

「してないよ」

 二人同時だった。

 いや絶対している。

 しかもアルベルトの機嫌がものすごく悪い。

 だがルシアンはどこ吹く風で、エレノアへ視線を向ける。

「ところでエレノア」

「はい?」

「もしこの男にまた泣かされたら、うちの国においで」

「……え?」

「歓迎するよ」

 にっこり笑うルシアン。

 だがその瞬間、アルベルトの腕がエレノアを抱き込んだ。

「渡さない」

 低く鋭い声だった。

 エレノアの背中に回された腕に熱がこもる。

「アルベルト様……」

「誰にも渡すつもりはない」

 真っ直ぐな声。

 心臓が跳ねる。

 ルシアンは目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。

「重症だね」

「うるさい」

「でもまあ、安心した」

「?」

「エレノアを本気で大切にしてるのはわかったから」

 ルシアンはそう言って軽く手を振った。

「今日は顔を見に来ただけだし、邪魔者は退散するよ」

「最初から来るな」

「冷たいなぁ」

 最後まで飄々としたまま、ルシアンは馬車へ戻っていく。

 その途中。

 彼はふと振り返り、意味深に笑った。

「でもエレノア。恋愛って、追いかけられてる時が一番楽しいからね?」

「……っ」

「簡単に許しちゃ駄目だよ」

 そう言い残し、馬車は去っていった。

 静寂が戻る。

 だが。

「……」

 アルベルトが怖いくらい静かだった。

「ア、アルベルト様?」

「文通」

「え?」

「していたんだな」

 低い声。

 エレノアは冷や汗をかく。

「む、昔です! 本当に少しだけで……!」

「何通だ」

「ええと……十通くらい……?」

 アルベルトが無言になる。

 まずい。

 非常にまずい。

「内容は?」

「普通のお話ですよ! お花とか、お菓子とか……」

「愛称で呼ばれていたな」

「……」

 なぜ知ってるんですか。

 エレノアが視線を逸らすと、アルベルトが深く息を吐いた。

「……嫉妬で頭がおかしくなりそうだ」

「そんな大げさな」

「大げさじゃない」

 真剣だった。

「お前が他の男に笑うだけで嫌なのに、手紙まで送っていたなんて」

 そう言いながら、アルベルトはエレノアの肩へ額を預ける。

 完全に拗ねていた。

 公爵家次期当主が。

「……アルベルト様?」

「慰めてくれ」

「はい?」

「今の私は傷ついている」

「自業自得では……?」

「エレノア」

 低く名前を呼ばれる。

 その声が妙に甘くて、エレノアは弱かった。

「……少しだけですよ」

 そっと彼の頭を撫でる。

 するとアルベルトがぴたりと動きを止めた。

「……」

「アルベルト様?」

「今後もそれを許可する」

「許可制なんですか!?」

 だが彼は本当に嬉しそうだった。

 大型犬みたいだ、とエレノアは思う。

 普段は恐ろしく強くて近寄りがたいのに、懐いた相手には甘えるタイプ。

 しかも独占欲が強い。

「……エレノア」

「はい?」

「ルシアン王子とは、もう会わないでくれ」

「無茶言わないでください」

「では二人きりは禁止だ」

「子供ですか?」

「恋をすると人は愚かになるらしい」

 真顔だった。

 エレノアはとうとう吹き出してしまう。

「ふふっ……」

「……笑ったな」

「だって、アルベルト様が可愛いこと言うから」

 その瞬間。

 アルベルトが固まった。

「……今、なんと言った?」

「え?」

「もう一度」

「言いません!」

 だがアルベルトは逃がさなかった。

 腰を抱き寄せられ、そのまま壁際へ追い込まれる。

「アルベルト様!?」

「可愛いと言ったな」

「気のせいです!」

「もう一度聞かせてくれ」

 至近距離で見つめられる。

 綺麗な灰色の瞳。

 こんな顔を近くで見たら、まともに呼吸できない。

「っ……!」

「エレノア」

 低く名前を呼ばれるだけで、身体が熱くなる。

 アルベルトはそっとエレノアの髪に触れた。

「最近、幸せすぎて怖い」

「……え?」

「朝起きて、お前がいる。それだけで嬉しい」

 真っ直ぐすぎる言葉だった。

 エレノアの胸がぎゅっと締め付けられる。

「だから、まだ時々不安になる」

「不安……?」

「また突然いなくなるんじゃないかと」

 その声は少しだけ弱かった。

 あの日、エレノアがいなくなった時。

 彼は本当に怖かったのだろう。

 そう思うと、胸が痛む。

「……もう、急にいなくなったりしません」

 エレノアが小さくそう言うと、アルベルトは目を見開いた。

「本当か」

「はい」

「約束だな」

「……はい」

 次の瞬間。

 アルベルトはエレノアを強く抱き締めた。

「良かった……」

 心底安堵した声だった。

 エレノアはそっと彼の背に手を回す。

 以前の自分なら、こんなことできなかった。

 けれど今は。

 この人に触れたいと思う。

 するとアルベルトが耳元で囁いた。

「……そろそろ限界なんだが」

「何がですか?」

「恋人でいる期間」

「え?」

 嫌な予感がした。

 アルベルトは真剣な顔でエレノアを見つめる。

「早く正式に結婚したい」

「……」

「今日にするか?」

「しません!!」

 即答すると、アルベルトは本気で残念そうな顔をした。

 この人、絶対に本気だった。

 エレノアが呆れていると、その時ふいに門の外が騒がしくなる。

 複数の馬の足音。

 そして慌てた使用人の声が聞こえた。

「た、大変です! 王都から使者が……!」

 アルベルトの表情が変わる。

 次の瞬間。

 別荘の前へ止まった王宮の馬車から、一人の騎士が降り立った。

「アルベルト・レイヴェルト様、エレノア・グランシェ様」

 騎士は険しい顔で頭を下げる。

「至急、王宮へお戻りください」

「……何があった」

 アルベルトの声が低くなる。

 騎士は一瞬ためらい、そして告げた。

「――王太子殿下が、“婚約破棄の件について説明してもらう”と」

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