この夢が醒めるまで──図書室から始まる恋の物語

蒼村 咲

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第29話 その裏に

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「ある友達が、共通の友達の猫を探してて、手伝ってほしいって言ってきたんだ」

 と、佐伯先輩がそう切り出したタイミングで各駅停車がやってきた。
 私たちは会話を一時中断し電車に乗り込む。一つ手前の大きな駅で乗客が減ったのか、席はまばらにしか埋まっていない。私たちはドアから比較的離れた、空いている席に並んで腰かけた。

「その手伝いを頼んできた友達は軽い猫アレルギーで、見つけても捕まえるのは無理だからって。あっちに走ってったのを見たって言われたのが、まさに例の家の方向だった」

 つまり、佐伯先輩は友達の猫を探すために、放火された空き家のそばにいたということらしい。でもそれは猫の飼い主とは別の友達に頼まれたからだったのだ。

「空き家とはいえ、他人の家の敷地に入るのは気が引けたけどね。そんな引け目もあって、僕はすぐ近くで話し声がしたとき、とっさに身を隠してしまった」

 その声の主が、放火の真犯人だったのだろう。話し声がしたということは、二人以上だったに違いない。たしかに独り言のボリュームが大きい人はいるけれど、これから放火しようとする人間なら、わざわざ見つかるリスクを冒したりはしないはずだ。

「彼らの顔はわからなかったけど、音と臭いで灯油か何かを撒いているのはわかった。家が火に包まれるのは一瞬だったよ」

 古い木造家屋に灯油、おまけに冬の乾燥した空気──炎が燃え広がるのは本当に一瞬だったに違いない。

「僕は焦った。もし猫が家の中にいたら死んでしまう──窓でも開いてたら、そこから入ってしまう可能性もあったからね。それで、見れば通りに面していない掃き出し窓が、十センチくらい開いていた」

 身軽な猫なら、腰高窓からでも簡単に侵入できてしまう。掃き出し窓だったのならなおさらだ。

「それで後先考えずに僕は空き家の中に飛び込んだんだ。がらんとした家の中に猫の気配はなかったし、鳴き声も聞こえなかった。けど万が一のことを考えて、二階も探しに行った。……結局、いなかったけどね。そしてそのときにはもう、一階は火の海だった」

 私は思わずはっと息をのんだ。燃えている家の中に飛び込んだくらいなのだから、探していた時間はほんの短い間だっただろう。それでも間に合わないくらい、火の回りは早かったのだ。

「消防車もまだで、とりあえず逃げないとと思って、僕は二階の窓から飛び降りた。運動神経には自信があったんだけどね──さすがに無傷というわけにはいかなかった」

 二階とはいっても、打ちどころや着地面の状態によっては命を落とすこともある高さだ。追いつめられた焦りだってあったはずだし、怪我をしたって仕方がない。

「……それで、火をつけた挙句逃げ遅れた放火犯だと疑われることになった」

「そんな……」

 こう言ってはなんだけど、踏んだり蹴ったりだ。身を挺して怪我まで負った結果がそれなのだから。最終的には疑いが晴れるとはいえ、あまりにも報われない。

「警察署で一晩なんて噂が流れたのは、たぶん治療のために入院していて家に帰れなかったからじゃないかな。実際、警察は話を聞きに病室まで来たしね」

 軽く笑いながら言う佐伯先輩に、私は何も言えなかった。
 噂なんて、やはり真偽はどうだっていいのだ。噂話は刺激的であればあるほど──楽しい。

「それでも警察は無能なんかじゃなかったけどね。ちゃんと真犯人を見つけてくれたし、僕を誤認逮捕することもなかった」

 それについては本当に良かったと思う。もちろん、ただ放火された家の中にいたというだけで犯人にされては困るけど。

「……でも今から思えば、警察は最初から、僕を放火犯だとは考えていなかったと思う」

「え?」

 思わぬ言葉に、私は目を瞬いた。

「だって、灯油が家の外側から撒かれていたことは消防から知らされていただろうから。火をつけた張本人が家の中にいたのはおかしいし、仮に警察の目を欺くための工作だったと考えても、それより一刻も早く立ち去ってしまった方が逃げおおせる可能性ははるかに高い」

「な、なるほど……」

 言われてみればその通りだった。ということは、警察はあくまで「現場に居合わせた人物」として佐伯先輩に事情聴取を行ったのかもしれない。現場にいた理由を説明すれば疑念も払しょくされただろう──ん?

「佐伯先輩はもしかして……警察に猫の話をしなかったんじゃないですか?」

 ふと思い至って聞いてみると、佐伯先輩は驚いたように目を見開いた。

「……いや、猫を助けに家の中に入ったことは話したよ。じゃなきゃ誰も住んでない、金目のものもない空き家に入り込んだことに説明がつかないから」

 さっきの反応に対して、佐伯先輩の声は落ち着いていた。佐伯先輩は、きっと嘘はついていない。ただ、隠している。

「野良猫だったことにした、んですよね?」

 ある程度の確信を持って言うと、佐伯先輩は目を伏せてふっと笑った。

「……富永さんって、人の話をよく聞いてるよね──細かいところまで」

 最初はまるで謎かけのようだった。でも、佐伯先輩の話を聞いていくうちに少しずつピースがつながり始めたのだ。

「富永さんの言う通りだよ。僕は、猫を探すよう頼んできた友達のことを、警察には話さなかった。猫の飼い主の友達のことも。話せば二人の方にも警察が行くと──巻き込むことになると思ったからね」

 やっぱりそうだ。そしてそれこそが、佐伯先輩が学校に戻れなかった原因なのだと思う。
 その友達は、自分のせいで佐伯先輩はあの場にいて、そして放火犯の疑いをかけられることになったとわかっていながら、それを証言しなかったのだから──佐伯先輩が話さなかったのをいいことに。
 それはきっと当時の佐伯先輩にとっては、紛れもない裏切りだったに違いない。

「……なんて言いながら、僕は本当は、ただ彼らを試していただけだったのかもしれない。自分に疑いが向く危険を冒してまで、僕のことを助けようと思ってくれるかどうか」

「佐伯先輩……」

 何と声をかければいいのかわからなかった。佐伯先輩が、こんなにも自嘲的な話し方をするのは初めてだったから。
 でも私は、佐伯先輩には友達を試すつもりなんてなかったと思う。ただ、きっと気づいてしまったのだ。自分と相手との温度差に。認識の違いに。
 そしてあらゆる場面について言えることだけど、一度気づいてしまったら、もう気づかなかった頃には戻れない。

「……だからある意味、自業自得といえるのかもしれない。友達を失ったのも、学校に行けなくなったのも」

「そんなこと! ない……と思います」

 つい食い気味に言ってしまって、申し訳程度に小声で付け足す。

「ただ、佐伯先輩が当たり前にできることが、他の人にも当たり前にできるわけじゃないって、それだけのことだと思います……」

 佐伯先輩は何も間違ったことはしていない。それを頭で──理屈でわかるだけじゃなくて、本当にそうなんだと感じてほしかった。

「……ありがとう」

 私の思いが通じたかどうかはわからないが、佐伯先輩はそう言って笑ってくれた。
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