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「寝る前に、夜襲、復讐は必ずしなさい/壱の章」③~チョセコポアにひそむ闇~

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「あら。ウッズガッフェじゃないのコクね? ワケが分からないままワケの分からない場所にたどり着いてしまいましたわのコクよ?」

 ドリンガデス国首都圏内けんないギリギリの都市の片隅かたすみにある町、チョセコポアの駅に、

 列車の乗りつぎに失敗した魔界一の天然ボケ美女が降臨こうりんした。

「もうすっかり薄暗くなってしまったのコクですわ。ひとまず今夜はこちらでホテルを探さないと……

 だけどこんなパッとしない所にホテルなんてあるのコクかしら……?」

 キャスター付きのコンパクトなトランクを転がし改札口かいさつぐちへ向かうこの美女は、

 ヨージアンとエネラグドを死ぬほど心配させている彼らの愛してまない一人娘、コラルンジェラだった。

 コラルンジェラは、誰にも頼らずにゼスタフェが住むウッズガッフェを目指すという思いきった行動に出たのだが……

「どうにもこうにもチンプンカンプン。

 どうしてこんなとこに来てしまったのかさっぱり分かりませんわのコクよっ?」

 思いも寄らない事態に困惑こんわくしつつ駅の外に出たコラルンジェラは、想像していたよりもひらけている街に目を見はった。

 改札口前の広場はこの時期恒例こうれいのクロソメマスマーケットで徐々じょじょに人が集まり始め、

 楽しそうな笑い声が四方しほう八方はっぽうから聞こえてくる。

「まあっ。なかなか立派なマーケットじゃないのっ。

 田舎ってワケでもないのコクね? これならそれなりにリッチなホテルが期待できますわのコクよ」

 列車の中で長く座っていたため、疲れていながらも歩いていると気持ちが良い。

 ややかな風がほおをなでるとなおさらの事だ。

「あら……??」

 つと、目の前のかどを曲がって行ったしなやかな人影ひとかげ視界しかいに入り、

 コラルンジェラは白く華奢きゃしゃな足をピタリとそろえた。

「あれはっっ。気のせいのコク……?」

 コラルンジェラの唇は『う』の形のままで止まり、まぶたはパチパチと開閉かいへいを繰り返す。

「いいえ、気のせいなんかじゃありませんわのコクよっ。あれは絶対に女子シェードのコクですわっ」

 一瞬、眼前がんぜんをよぎっただけとはいえ、間違いはないと確信をもつコラルンジェラは胸元むなもとでグーッと両手をにぎりしめた。

 ――そう。コラルンジェラが見かけた人影は彼女が確信した通り、ドラジャロシーのシェードであるルースだった。

「でもおかしいわのコクよ。アッロマーヌ国の王女の来訪らいほうで皆さん忙しくしているはずなのに……

 お母様たちだってそうだったのコクよ。だからあたくしコッソリ出て来るチャンスがやたらたくさんあったのコク。

 ここがどこなのか分からないけれど、ゴービーッシュ城から相当そうとう離れてる感じだってのに、第二王子のシェードがお城に居なくていいのコクかしら」

 細い首をかしげブツブツ言っている内、またたく間に日は暮れていき、マーケットをおとずれる人の数はだんだんと増えていった。

 出店でみせから流れてくる肉がこんがり焼ける匂い、ジュワジュワとあぶらがしたたり落ちる音。

 コラルンジェラの鼻はピクピクと反応し、プックリとふくらんだ。

「……なんだかおなかがすいてきたのコクよ。

 ホテルの豪華ごうかなディナーもいいけれど、お祭りムードに包まれて庶民しょみん的なお食事をするのもはつ一人旅の一興いっきょうかもしれませんわのコクッッ」

 広場の中央に用意された、飲食いんしょく専用のテーブルとイス。
 
 コラルンジェラは空いている席を見つけルンルンと、買ってきたステーキのくししとコーン、き通るようなピンク色のストロベリーサワーをテーブルの上に乗せた。

「ウフッのコク。さっそくいただきますわのコクよっ」

 コラルンジェラが小さな口を開けた時だった。

 イスの横に置いてあったトランクが、後方こうほうから現れた若い男にあっという間に盗み取られてしまったではないか。

「んまっっ!! もしかしてこれは、これはうわさきってものなのかしらのコクゥ――ッ!!」

 コラルンジェラはバンッとテーブルを叩いてそのまま立ち上がると、もうダッシュで逃げて行く男を指さし声を限りに叫んだ。

「泥棒ぉ――っっ!! 誰かつかまえて!! 泥棒のコクよぉ――っっ!!」

 周囲が驚き騒然そうぜんとする中、コラルンジェラは無我むが夢中むちゅうで若い男を追いかける。

「待つのコクッ。お待ちなさいのコクよぉ――っっ!!」

「ヘッ。そんなおっせえ足、誰が待つかよっ」

 ゴロゴロとトランクのキャスターの音をたてながら、時々振り返る余裕をみせ薄ら笑いで逃げる泥棒男の前に、

「止まれ――っっ!!」

 突如とつじょ筋骨きんこつ隆々りゅうりゅうでピーチ色の髪をした男、モモタローが、両腕りょううでを広げて立ちはだかった。

「今ならまだ間に合う!! 止まるんだぁ――っっ!!」

「なな、なんだぁ……!? ど、どけっ。どけ――っっ!!」

 泥棒男は、モモタローにぶつかるすんでのところで身をかわし強引にっ切ろうとした。

「そうはさせないぞ!!」

 モモタローは、わきをすり抜けようとする泥棒男の肩をつかむや素早く地面に押し倒し、力いっぱいねじせた。

「どうだ!? 悪事あくじい改める気になったかい!?」

「グググ……グ……」

 モモタローの力の強さに抵抗すらできない泥棒男は気力を失い、

 全身脱力だつりょく状態となり土下座のような体勢であっさりと観念かんねんした。

「ま、参った、参ったよ……荷物は返すから許してくださいっっ」

「分かればそれでいいんだ。誰にだってちょっとしたあやまちはあるものだからね」

 モモタローは泥棒男の身体から手を放して腰を上げると、さわやかに白い歯を見せた。

 そこへ、出店で食べ物や飲み物を買いこんで戻って来た焙義ばいぎとヒロキ、

 泥棒男にやっと追いつき息を切らしたコラルンジェラが出くわした。

「ま、まあっっ。あなた方が泥棒さんをつかまえてくださったのコクですの!?」

「泥棒?? そういやそんな声が聞こえてたっけな。コイツがそうなんか?」

 モモタローの足元でくずおれている若い男に、ヒロキは視線を落とした。

「そうみたいだな。さすがひょう。やったな、モモ」

「ハハッ。よしてくれよ焙義クン。たいした事はしてないさっっ」

「いいえっ。すっごく助かりましたわ! どうかあたくしに、お礼をさせてくださいましのコク!

 あたくしはコラルンジェラと申しますわのコクよ。あなたのお名前は??」

「え、いや、あの、僕は……」

 とびきり美しいコラルンジェラに感謝され、コーラルレッドの純粋な目で見つめられて、モモタローの心臓はドクドクとみゃく打っていた。

 緊張のあまり、自分の名前を告げるだけの簡単な事すらしたがスムーズにすべらない。

 キゴーズしんの教えをスラスラく時とは雲泥うんでいの差だ。

「こおゆう時ってよ。どいつもロンヤっぽくなっちまうもんなんだよなぁ~」

 ヒロキはかたみつつ、モモタローをからかった。

「そのロンヤがはらすかせて待ってるぞ。モモ、立ち話もなんだからよ。そのひとさえ良けりゃ、みんなそろってめしにしようぜ」

 特に表情を変えず、焙義はいつもの調子で飄々ひょうひょうと中央の広場へと向かう。

「よろしいんですの!? あたくしは全然かまいませんわのコクよっ。むしろ光栄こうえいのコクですわっっ」

 思いもかけていなかった、食事の誘い。

 コラルンジェラは両手を合わせ、嬉しそうに焙儀の後に付いて行った。


 広場では、焙義たち三人と席を取り待っていたロンヤに加え、

 初顔はつがおのコラルンジェラ、そして泥棒男までもが同じテーブルを囲んで座り、

 彼らの晩餐ばんさんは華やぎと陰気いんきくささをそなえたおかしなものとなっていた。

「モモタローさん。本当にありがとうございますのコクですわ。

 モモタローさんがこのかたを止めてくださらなかったら、あたくし今頃どうなっていたことか……」

「それについては……あの……まことにもうわけありませんでした……」

 コラルンジェラの正面しょうめんに位置する泥棒男はうつむいたままで、肩身かたみがせまそうな様子を全身でかもし出している。

「もういいじゃないか。ただし、あんな悪事は二度とやっちゃいけないぞ。いいな?」

 モモタローは横から泥棒男の肩に手をやり、さとすように声をかけた。

「はい……反省しています。これからはまともに生きていくと、モモさんにお約束します……」

「『これからは』って……お前、これまでも盗みはたらいてやがったのかよ?」

「……はい……俺、昔から目がく方なんで……

 身なりや持ちもんだけで大金持ちを瞬時に見分けられるんす。それで……」

 泥棒男はほんの少し顔を上げ、コラルンジェラを上目で見た。

「ええ。確かにあたくしは大金持ちのコクですわ。と申しますより、あたくしの親が大金持ちなのですわ。

 ですからお金を盗まれても普段のあたくしなら困りはしませんのコク。

 ですけど今は別のコクですわ。あたくしは一世いっせい一代いちだいの大冒険をしているんですもの」

「大冒険? なんだよ、それ。面白そうだな。

 コラルンジェラとか言ったっけ。アンタどっから来たんだよ? もしかして俺たちと同じ外国人か?」

 珍しく、ヒロキが興味津々しんしんで聞いた。

「いいえ。あたくしはドリンガデス人のコクですわ。首都ノミモンドから参りましたわのコクよ。

 本当は今頃ウッズガッフェにいるはずでしたのに、乗っていた列車がなぜだかこちらの駅に着いてしまって……運転士さんのミスかしら??」

「いや、アンタが乗り間違えただけだろ」

 焙義は素気すげなくつぶやいた。

「あなた方は外国からいらしたのコクですの? どちらのお国??」

「えっと……その、図本ずほん国から……」

 ロンヤが答えると、全員の視線がロンヤに集中した。

「図本……? 聞いた事がありませんわのコクよ?」

「俺も、初めて聞く国名だな」

 コラルンジェラと泥棒男は、同時に首をひねった。

「バ~カ、ロンヤ。いつもはとろくせえお前がなんでいの一番に返事してんだよ。

 それに図本国って、人間界でお前らが住んでる国だっけか?」

「人間界!?」

 ヒロキが口にした言葉に、コラルンジェラと泥棒男はまたしても同時に、目を丸くした。

「モモさん達、人間界から来たんすかっ? 人間なんすか!?」

「ああ。僕たち四人は、半分は人間なんだよ」

「半分……って事は、ブレンドなんすか?」

「まあっっ。それじゃあマトハーヴェンと一緒のコクですわっっ。

 でもあたくし、人間と魔族のブレンドさんにお会いした事はなかったのコクよっっ」

 コラルンジェラは小鼻を広げ、両手のげんこつを口に当てて興奮こうふん気味に声をおどらせた。

「魔界もずいぶん変わったよな。昔なら、ブレンドと言っただけで露骨ろこつ怪訝けげんそうな表情かおされるのが当たり前だったのに……

 君のような身分の高そうな人なんかは特にね」

 喜ばしい事なのだが、モモタローは過去の苦い出来事をかえりみて複雑な心境しんきょうになっていた。

「モモさん達も、いろいろ苦労してきたんすね。俺もまずしい家庭で育って、生きてくためにさっきみたいな悪事をくり返してきたんすよ。

 言い訳かもしれないけど、どおしようもなくて……」

 泥棒男がしみじみそう言うと、モモタローは同情するより先にすかさず念を押した。

「これからは何があっても盗みはもう絶対にダメだぞ? まっとうに生きていれば、きっとキゴーズ神様が救いの手を差しのべてくださるからなっ」

「は、はあ……(キゴーズ神……?)」

「ああ~、もうその宗教しゅうきょうはいいってばよ、モモ。それよか早いとこ食っちまおうぜ」

 ヒロキは、すでに骨付きチキンにかぶりついているロンヤに負けじと自分もホットドッグにかじりついた。

「そおいや、お前の名前はまだきいてなかったよな。なんてんだ?」

 焙義がだしぬけに泥棒男にきくと、

「え……っ?」

 泥棒男は、このタイミングで今さら名のるのがどうにも気恥ずかしくなり、もじもじしながらほおを赤らめた。

「俺は……ミロ。ミロっていいます」

「ミロ? なんだか可愛らしいお名前のコクね、ドロボーさん。

 あら失礼。ミロさんだったのコクね?」

 コラルンジェラは肩をすくめ、ミロに優しくほほ笑んだ。

「俺のこと、許してくれるんすか? コラルンジェラさん……」

「だって反省しているのコクでしょう?

 トランクも無事に戻ってきましたもの。いつまでもあなたを許さない理由なんてありませんわのコクよ」

「コラルンジェラさん……」

「あなたを衛兵えいへいさんに突き出すのは簡単ですけれど、こうして一緒にお食事するのはもっと簡単で楽しいのコクですもの。

 おなかペコペコのコクですし……さっ、あたくし達もいただきましょっっ」

 泥棒男、ミロの胸がジーンと熱くなる。

 何をやってもうまくいかず、何もかも貧乏びんぼうい立ちのせいにして投げやりの人生を送ってきた。

 真面目に働こうともせず、相手が富裕ふゆうそうなら後ろめたさも半減はんげんすると自分に言い聞かせては盗みを繰り返し、

 いつしか罪を罪とも思わなくなっていた。

 それなのに、自分を泥棒だと知りながらこんなにも親切にしてくれる者たちがいようとは――

「……皆さん、このご恩は一生忘れません……」

 涙をこらえ、声をしぼり出したミロ。

 しかし、誰からも言葉が返ってこない。

 それもそのはず。みな、空腹の腹を満たすべく食べる事だけに熱中し、

 テーブルの上にわんさとあった飲食物はみるみるその数を減らしていっていたのだ。

 クロソメマスマーケットは、時に知らない者同士が肩を並べて飲み食いし、

 大魔神だいまじん偉大いだいさをたたえつつ、それぞれ日頃のストレスを発散する場でもある。

 焙義たちブレンドの四人と、初の一人旅をしている実は王族のコラルンジェラ、そして泥棒のミロ。

 ちょっと変わった出会い方ではあったものの、彼ら六人もきっと今この瞬間、

 不思議なえんに導かれ友のように夕餉ゆうげを共にする一時ひとときを、

 祭りの雰囲気ごと満喫まんきつしているに違いない。

 ―――――――――――――

「うふっ。ステキなブレンドさん達でしたわっ。助けてくださったばかりか、おごちそうまでしてくださって……

 あのような良き方々かたがたとのれ合いが旅の醍醐味だいごみなのかもしれませんわのコクねっ」

 せめてものびにと、ミロが教えてくれて送って来てくれたチョセコポアで最も高級なホテルの特等とくとう室で、コラルンジェラはベッドに寝転がり疲れた身体を休めていた。

「でも次こそは絶対に、ゼスタフェさんとクロソメマスマーケットに参りますわのコクよっっ。もちろんノミモンドで一番の……」

 ゼスタフェを思いながら、コラルンジェラは不意ふいに、さっき知り合ったばかりの焙義の顔を思い浮かべていた。

「あら……? どうしてあのバイギって方のお顔が出てくるのコクかしら?」

 コラルンジェラは人差し指をあごに当てて考えながら、おもむろに身を起こした。

「ああ、そうのコク……似てるんだわ……

 お父様とお母様ほどではないにしてもどことなく、バイギさんとゼスタフェさんて……

 目元めもとは分からないのコクだけれど……」

 片や両目を前髪で、片や右目を髪の流れでおおっている二人。

 そういうところで似ているのだと錯覚さっかくしているだけなのかもしれないが、

 口では説明しがたい漠然ばくぜんとした“何か”が、コラルンジェラの中でゼスタフェと焙義を重ね合わせていた。

「他人の空似そらにのコクよね? あのブレンドさん達、みんなそれなりにハンサムさんでしたわのコクよ?

 のんびり屋のロンヤさんも、メガネをとればきっともっといい感じになるのコクじゃないかしら?

 だけどロンヤさんたら、食べる事に関してはちっとものんびりじゃないんですもの。ビックリしましたわのコクよっ」

 コラルンジェラは上機嫌で、焙義たちと過ごした時間を振り返りクスクスと笑った。

 我が家では、毎日上等じょうとうな食材が一流シェフらの腕により調理され、それらが運ばれた豪勢ごうせいな食卓では使用人たちに包囲ほういされる中、

 日々娘の身を案じてばかりいる二つの同じ顔を前にお行儀ぎょうぎよく食事をするのがごく普通の風景だが……

 今日の夕食は、これまで経験した事のない画期かっき的なものだった。

 年下の、若い男たちのエネルギッシュな気にドキドキしながらも自然と溶けこんだコラルンジェラは、

 出店特製のタレがたっぷりみこんだ肉にナイフも入れずフォークも使わず直接カプリとかみつき、

 口の両端りょうはしに付いたタレの茶色いよごれをしたでペロリとなめてとり、

 人目ひとめも気にせず気どった素振そぶりもせずただがむしゃらに食べて、食べて、食べまくったのだ。

 見た目も味も決して上等とは言えない料理だというのに、いつもの豪華な食事より数倍すうばいもおいしく感じられたのはなぜだろう。

「うふっ。この流れに乗ってもうちょっとだけ、旅行気分を享楽きょうらくしたいのコク……あら??」

 ホテルが建っている裏の通りは、おもてとは真逆まぎゃくで人通りが皆無かいむに等しくひっそりとしている。

 その通りの少し離れた場所にぼんやりとにじむひとつのあかりを、コラルンジェラは部屋の小窓から目にとめた。

「あんな所にポツンと……民家みんかではなさそうのコクだわ。きっとお酒をいただくお店のコクね?

 おもしろそうっ。二、三日こちらに滞在たいざいして、あのバーらしきお店にも行ってみますのコクですわっ」

 すっかりこの街を気に入ったコラルンジェラ。

 ワクワク感を胸にかかえて横になり、目を閉じるなりそのままスーッと、今度は夢の中へと旅に出た。

 ふと目にとめた一軒いっけんの酒場で、身もこおるような恐ろしい出来事が待ち受けていようとは、この時はまだ知るよしもなく――
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