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【9】

「現実は、サスペンスドラマより奇なり」

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 ひゅうひゅうと、うず巻く強風が吹きつける切り立ったがけの上。

 そこに、ほんの数分前、運命的な再会を果たしたばかりの若い男女が向かい合い、見つめ合って立っている。

 女は、ブラッドストーンの石が付いた純金じゅんきん製の鼻ピアスを手の平に乗せ、男にそれを差し出し何やら確認させている。

 男は女の手の平をのぞき込み“何か”を確かめるとみるみる血相けっそうを変え、いきなり女から鼻ピアスを取り上げようとしている。

 しかし、女は男の行動をよんでいたかのごとくピアスを素早くにぎりしめ、サッと手を引っこめる。

 男もすかさずうでき出し女が引っこめた手をつかもうとしたが、女は「死んでも渡すまい」と言わんばかりに大きく後ずさり、身がまえている。

 ――まるで、真犯人と相対あいたいするサスペンスドラマ、クライマックスさながらの緊迫きんぱく感だ。

「それ以上、近寄らないで! 大声出すわよ!」

「フン。こんな場所で大声を出したところで誰にも聞こえぬわ。あきらめて“そいつ”をよこすんだな」

「アンタ自分の立場がまだ分かってないようね。あたしが“コレ”を崖下に投げ捨てるのはとっても簡単なことなのよ?

 いいの? こんな小さな物、どうしたって探し出せやしないわよ?

 いつか別の誰かが“コレ”を拾って記録されてる全てを聞いてしまったら……間違いなくアンタはおしまいよっ」

「ずいぶんと甘くみられたものだな。

 好きにするが良い。

 貴様の手から“そいつ”が離れた瞬間、魔力をもって我が手に奪ってくれようぞ」

「……そうくるとさっしていたわ。

 だったら、あたしが録音のコピーをどこかにかくしていたとしたらどおかしら?」

「な、なに……!?」

「そっちこそあたしを甘くみていたようね。

 保険もかけずにこんな危険な交渉こうしょうに来るはずがないでしょう?」

「ク、クソッ……! このオレンジ小娘めが……!」

 男はギリリと、歯がみした。

「やっと分かったようね、王子さま? ニックネームじゃなくてまさかアンタみたいなのが本当に王子だったとは、にわかには信じられなかったけどぉ~」

 勝ちほこったようにニヤリと笑うこの女は、クオチュアの里の男爵だんしゃく令嬢れいじょう、マリアンヌ=ジョプレールだった。

 そして、女の前で歯をこすり合わせてくやしがる男は、ドリンガデス国の第一王子、ギリザンジェロ=ガフェルズだ。

「小娘……この俺をおどすとはいい度胸どきょうだ……!

 貴様の目的は何だっ。かねかっ?」

「か、金ですって……!?」

「あのような厩舎きゅうしゃごとき自慢じまんしていたばかりか、俺に覚えさせようとまでしていたくらいだからな。よほど金に困っているのであろう。

 小娘よ。このようにさもしい行為こういをせずとも、おとなしく“ソレ”を渡すなら事情次第ではなさけをかけてやらぬでもないぞ」

「お、お金なんかいらないわよっっ!!

 たかだかお金欲しさにこんなヤバイ橋渡ってるワケじゃないわ!!」

「だったら何が目的だ!! じらさずにさっさと申さぬか!!
 
 忌々いまいましいオレンジ小娘が!!」

「小娘小娘うるさいわねっ! あたしはマリアンヌ=ジョプレール! ジョプレール男爵の娘よっっ!!」

「……男爵だと……!?」

 互いに大声を張り上げ言い合っていた二人だが、ギリザンジェロが声をまらせしばらく考えこむと、

「な、なによ……? なに急に黙りこんでんのよ?」

 マリアンヌは拍子ひょうしぬけすると同時に、まどった。

「ちょっと! なんとか答えなさいよ!?」

「いや……男爵とその令嬢にはこれまでさんざんうてきたが、なにゆえ貴様とは面識めんしきがなかったのか……」

「なんだ、そんなこと?

 ……それは、あたし達が地方の貴族だからでしょう?」

 マリアンヌは不愉快ふゆかいそうに、ふくれっつらになりつぶやいた。

下流かりゅう貴族ということか?」

「アンタ達からすればそうなんでしょうね。

 でも言っときますけど、贅沢ぜいたく三昧ざんまいしかのうがないパーティー大好物の下品な上流じょうりゅう貴族なんかより、あたし達田舎いなか貴族の方がよっぽどつつましくて誇り高いのよ?

 少なくともジョプレール家あたしんちはパパを始めみんな熱心な節約せつやくだわ。

 分かる? 節約は立派な美徳びとくなのよ?」

「節約……」

 その単語は、ギリザンジェロの人生には無縁むえんに近いものだった。

「小娘……もとい、マリアンヌよ。

 貴様の目当てが金ではなく、誇り高き男爵令嬢であると申すならますます理解に苦しむわ。

 “そいつ”をたてに俺様を脅し、いったいどうしてほしいのだ」

「公衆の面前めんぜんであたしんちを厩舎だなんてあれだけのはじをかかせたんですもの。

 みんなの前であたしにひざまずきあやまってもらいたいわ。

 と、言いたいところだけれど……

 さすがに天下てんかの第一王子にそこまではさせるのはおそれ多いわね」

王子おれさま脅迫きょうはくする方がよっぽど畏れ多いわっっ!!」

「だから他にむねスカする方法を思案しあんして、ようやく思いついたのよ」

「……それは何だ……?」

 グッと眉根まゆねを寄せるギリザンジェロを見すえ、マリアンヌは再びニヤリと笑った。

 
 ――マリアンヌが手に握りしめている、ブラッドストーンの鼻ピアス。

 それは、キャヴァがギリザンジェロの誕生日プレゼントに購入した物だった。

 あのバースデーパーティーの夜、怒ったキャヴァが彼女の部屋からギリザンジェロを強制退室させた際、

 ラッピングしていた鼻ピアスが荒れ狂うこな吹雪ふぶき猛威もういでむき出しになり巻き上げられ、

 とがったデザインの石の尖端せんたんがギリザンジェロの耳下に深く突きさったのだ。

 それを証拠に、ギリザンジェロの耳の下には小さな小さな穴があとになり今もなおクッキリと残っている。

 むろん、ギリザンジェロは突き刺さった鼻ピアスの存在に全く気づいてはいなかった。

 キャヴァからの贈り物があった事すら……

 知ったのはつい今しがた、マリアンヌに見せられた鼻ピアスのシャフト部分にある、極小ごくしょうの文字を目にした時だった。

 純金のシャフトには、

『未来の王妃より』と、刻まれていたのだ。

 一見いっけん婚約者フィアンセの愛情がたっぷりのプレゼントに思えるが……

 ところが、キャヴァからのこのプレゼントはただの鼻ピアスではなく、恐るべき仕掛けがほどこされていた。

 ――録音機能だ。

 小さすぎる録音機であるためところどころ雑音が入っていたり正常に録音されていない箇所かしょも少なくはないが、この録音機の最も恐ろしい点は異常なまでの優れた耐久たいきゅう性と、はかりしれない録音可能な時間の長さだ。

 もちろん上書きなどではなく、何かのはずみでスイッチがONになった時からのギリザンジェロの話し声やひとごと、いびきやゲップ、にいたるまで、全部すっかり残されている。

 だからこそ、ギリザンジェロは何が何でもこの鼻ピアス……と言うよりは、録音機を手に入れなければならなかった。
 
 ギリザンジェロは城払いれいを受けてからおそらく地下ろうで鼻ピアスを落とすまでの長い日数、数多あまた不逞ふてい愚行ぐこうを続けてきた。

 それらの事実だけでもまずいのだが、それ以上にもっとまずいのは、日々もらしていた父王に対する不平不満やうらごと、こっぴどい悪口の数々が記録されているという最悪の事実だ。

 録音内容が明るみに出れば、マリアンヌの言葉通り間違いなくギリザンジェロは一巻いっかんの終わりなのだ。


「そろそろ本題に入るわね」

 こおりつき直立ちょくりつ不動ふどうになっているギリザンジェロの心情しんじょうなどおかまいなしに、マリアンヌは平然としたまなざしで淡々たんたんと告げた。

「本題だと……? 思いついた胸スカというやつか……?」

「質問するのはあたしよ。

 アンタがまたこの里にやって来たのは、別の男にかっさらわれたシモーネを取り戻すためなんでしょう?

 たしか『欠点けってんだねのオレンジ』とか言ってたわよね?

 そいつの足どりを追おうとしてるんじゃないの?」

「……その通りだ。

 やはり、シモーネはまだ戻ってはいないのか……」

「でね? シモーネを見つけ出すつもりなら、あたしも協力しようって思いついたの」

「協力……? どういった気まぐれだ。貴様はシモーネを嫌っていたはずであろう?」

「嫌いよ。だから気になるの。あの子が今、どこでどうしているのか……

 売り飛ばされて夜の商売にでも身を沈めてくれてれば最高ウケるんだけどね」

「……なるほどな。シモーネのおちぶれた姿をおがみたいというわけか……」

「ま、そんなところかしらね。どお? 軽蔑けいべつした? 別にかまわないわよ?」

「フッ。軽蔑などするものか。この俺も同じ穴のムジナだからな。

 俺の場合シモーネではなく、オレンジ欠点種が破滅はめつする姿をしかと目に焼きつけねばはらの虫がおさまらぬ」

「ふぅ~ん。案外あんがい気が合うじゃない? あたし達。

 ま、どのみちアンタの返事がどうであろうとあたしの言う通りにしてもらうけどね。

 『ク・ソ・お・や・じっ』」

 録音機の中でギリザンジェロが何度も口にしていた、父への悪意ある呼び語。

 マリアンヌは、鼻ピアスをちらつかせながら嘲笑ちょうしょうした。

(こ、こやつめ。俺様の弱みに付けこみ調子に乗りおって……!

 俺がシモーネを選んだことをいつまでに持っているのだ!)

 ギリザンジェロは口角こうかくをピクピク引きつらせ、両手で作ったこぶしふるわせた。

「さてと。あたしは一度屋敷に戻って旅の支度したくをしてくるわ。

 王子さまは? ここには一人で来たの? それともあの丸メガネ……マキシリュだっけ? 忠実ちゅうじつなおともの少年と一緒なの?」

「……一人だ。どうせ電話の着信履歴はマキシリュやつの名でまっているだろうがな」

「だけどビックリしたわ。さっき例の公園でアンタを見つけた時は。

 犯人は犯行現場に戻るって言うけどホントだったのね」

 マリアンヌはギリザンジェロの動きを警戒けいかいしつつ、鼻ピアスをハンカチにくるみ胸元むなもとにしまった。

「誰が犯人だ。録音を聞いたなら俺が無罪だと分かったはずだろう」

「でもこの里の女たちはいまだにアンタが誘拐犯ゆうかいはんだと思いこんでるわ。
 
 サングラスをかけてないくらいではあの時のあやしい男だって見ぬかれるのも時間の問題よ? 通報されて面倒めんどうなことになる前に早いとこ出発した方がいいわ」

「貴様は平気なのか? 年頃の娘が男と旅に出るなど……」

「シモーネもそうだったじゃない」

「そのほうは仮にも名家の子女であろう」

「『仮にも』は余計よ。

 大丈夫。アンタはあたしに手出しなんて出来ないワケだし。

 パパには一人旅だって言えば何の問題もないわ。パパは心配性なとこもあるけれど社会勉強には熱心な人なの。何よりあたしの言いなりなのよ」

「貴様のような娘を育てた男がいかなる愚者ぐしゃか、一度でいいから見てみたいわ」

「それはこっちのセリフよっっ。

 あ、でもそう言えば……アナタのお父上のお声を拝聴はいちょうしたわ。

 アナタが女風呂のぞいて審議しんぎにかけられた時……

 あれが我が国の偉大いだいな王のお声なのよね。すっごくしびれちゃったわ。あまりの威厳いげんに思わずぶるいしたくらいよっっ」

 なぜか父王の話になったとたん、マリアンヌの言葉づかいが極端きょくたん丁寧ていねいになり、ギリザンジェロに対する呼び方も「アンタ」から「アナタ」に昇格しょうかくしている。

 そればかりか、父王の声を思い返すやマリアンヌはやたら熱気ねっきび、片手を胸に当て尊敬の気持ちを現し始めた。

(何なんだ……あのクソ親父とこの俺と、

 扱いに差があり過ぎるではないか……!!)

 ギリザンジェロはますます悪感あっかんいだき、マリアンヌにも父王にも怒りをぶつけられずただただいらちを蓄積ちくせきさせる。

「それじゃあ王子さま。夕方うちの屋敷の裏側まで来てちょうだいね」

 そう言ってマリアンヌは、足どり軽やかに自らの魔馬まばの方へ向かった。

 一人、憤懣ふんまんやるかたないギリザンジェロ。

 今頃になって、耳下の穴に痛みがしょうじてきた。

「おのれ……もっと早くこの痛みが出ていれば……!」

 鼻ピアスの石が刺さっていた痕を手で押さえ、なぜ今の今まで気が付かなかったのかとギリザンジェロはくちしがる。


 それにしても――

 いかに弱点を突きギリザンジェロを劣勢れっせいに追いやっているとはいえ、ガフェルズ王家の王子に対しこれ程まで非礼ひれいにふるまえるマリアンヌは根っからのうつけなのか、

 はたまた根っからの剛胆ごうたんなのか……


 結局、ギリザンジェロはマリアンヌにさからえないまま、彼女をれてシモーネの捜索そうさくに出かけていた。

 煎路せんじとシモーネの行き先は、かすかな残り香をぐギンギンの優秀な鼻と、里一番の権力者、ジョプレール男爵の娘であるマリアンヌの“顔”に頼るよりほかなかった。

 同級生シモーネを心配するふりをしてマリアンヌが衛兵えいへいたずねれば、だいたいの捜査そうさ過程かていを知る事ができたのだ。

 その結果、ギリザンジェロとマリアンヌは北の方角にあるブアイスディの街を目指し、それぞれの魔馬のスピードをぐんぐん上げて進んで行った。


「おい、暗くなってきたぞ。今宵こよいはこの辺で一等級の百星ひゃくぼしホテルを探すとしよう」

 ある街に差しかかるとギリザンジェロはギンギンの足を止め、周りの建物を見回した。

「ホ、ホテルですって!? それも百星のっっ!?」

「ハハッ。このようなド田舎ではせいぜい二十にじゅうぼしホテルが限界だろうがな」

「ダメッ!! そんな贅沢ぜったいダメよ!!」

「は……?」

「これくらいの寒さならまだまだ野宿のじゅくできるレベルだわ。これからうんと北の方へ行った時はイヤでも宿代やどだいが必要になるんだからここは節約しておくべきよっ!」

「の、野宿だとっっ……!?」

「そのためにちゃーんと野宿セット持ってきてあるんだから。寝袋ねぶくろも入ってあるわ。

 安心なさい。アンタの分も持ってきてあげたわよ」

 マリアンヌは、自分の後ろに乗せくくりつけてある大きな荷物をかえりみた。

「ほざけっ! 野宿などせずとも金ならある! この俺に蓑虫みのむしのごときマネをさせるつもりか!!」

「わざわざうちの使用人に用意させたんだからありがたく思いなさいよっ。

 急だったけどアンタのサイズに合うのがひとつだけあったの。良かったわ。

 横領おうりょうが発覚してパパがクビにしたもと執事しつじもんしになってのたれ死にした時に使ってたいわくつきの寝袋なんだけどね」

「のぉぉぉぉぉ――――っっっっ!!!!」

 ギリザンジェロは頭をかかえ、絶叫ぜっきょうした。

 しかし、それでもやはりマリアンヌにはさからえぬまま、街の外れにある雑木ぞうきばやしで彼女と二人、木にもたれかかり座りこんでいた。

 二人で拾い集めた落ち葉や小枝こえだ木片もくへんの小山。

 防寒ぼうかんのためのストールを羽織はおり、マリアンヌはその小山を手でおおうと、魔力で火を起こしてき火をこしらえた。

 葉っぱや木がパチパチと燃える音は、火の暖かさ以上に疲れた身体と心をやしてくれる。

「おなかがすいたわね。今夜はコレをいただきましょう」

 野宿セットの中からかんを二つ取り出し、マリアンヌはひとつの缶をギリザンジェロに渡した。

 中身は非常食ビスケットみたいなものだ。

 貴族でありながら、マリアンヌはどこまでもケチだった。


「……そのほう、なにゆえシモーネを目のかたきにしておるのだ」

「はあ? なによ、唐突とうとつね」

 ギリザンジェロから不意打ふいうちで問われ、マリアンヌは食べようとしていたビスケットを唇に当てたままほんの少し考えた。

「そうねぇ。あのの自信なさそうなモジモジしたところが神経さかでされる感じでかんにさわるのかしら」

「そこがあの者の良いところではないか。俺にとっては新鮮だったぞ。

 それとも何か? シモーネの愛らしさに嫉妬しっとしているのか?」

「バカ言わないでっ。

 昔からシモーネなんかよりあたしの方がずっとモテるんだからっ!」

「そうは思えぬが」

「アンタの趣味が悪いだけよっっ」

 マリアンヌは目角めかどを立て、ビスケットを口の中に放りこんだ。

「今度はあたしがきく番よ。

 ねえ、そもそもアンタをこんな目に合わせたのは誰なの?」

「き、貴様ではないかっっ!!」

「違うわよ。あたしはアンタを録音機で脅しただけ。

 それよりもっとひどいのは録音機を鼻ピアスに仕込んだ奴じゃないの? 心当たりはある?

 『未来の王妃』って何者なのよ」

「文字通り、俺の婚約者フィアンセだ」

「えっ!? アンタなんかに婚約者フィアンセがいたのっ!? かわいそっっ」

可哀想かわいそうとはどっちがだ」

婚約者フィアンセの方に決まってるでしょ?

 あ、だけど……もし録音機を仕込んだのがその女なら、アンタの方が気の毒かもね」

「……疑わしきは婚約者こんやくしゃであるキャヴァを含め、三人いる。

 一人は俺の愚弟ぐてい、そしてもう一人は母上だ」

「どんな家庭環境で育ったのよ、アンタ……」

「愚弟は俺を王位継承けいしょう権から外すことしか脳がない。母は母で俺が他の女になびかぬよう常に目を光らせている。

 母自身が俺の妻とするべく城へ呼び寄せたキャヴァのためにな」

「なんだか複雑なのねぇ~。王家になんて生まれるもんじゃないわよね。

 それはそうと……婚約者の名前『キャヴァ』って言った? 『ラズベリー』じゃなくて??」

「き、貴様っっ!! なぜそれをっっ!!」

 マリアンヌが発したその名前、心を寄せるラズベリーの名を耳にしたギリザンジェロは驚愕きょうがくのあまり、激しい動揺どうようを隠せなかった。

「録音機で聞いたわ。

『おお~、愛しのラズベリー』なんてホント気持ち悪いったら。

 婚約者フィアンセがいながらシモーネだけでなく別の女のことまで毎夜まいよ想うなんて、王子さまもおさかんねぇ」

「……お前という奴は……まこと口の悪い無神経な小娘だ……」

 愛してまないラズベリーへの恋心にれられ、そのうえラズベリーへの純愛をからかわれ、ギリザンジェロはいきどおりながらもショックの方が勝り、これまでのように声を荒げて言い合う気力すら失っていた。

「最後にもうひとつだけいい?

 シモーネを奪ってったブレンドはどおゆう男なの? 

 サトナシさいの魔馬レースを録画で見たわ。あの対抗たいこう魔馬を連れてきたオレンジのたねの男……あいつなんでしょう?」

「……身のほど知らずの下等かとう生物せいぶつ、それだけだ……」

 マリアンヌが話に出した事により、ギリザンジェロは業腹ごうはらきわまりないギンギンと挑戦魔馬のレースを振り返った。

(勝利したものの実に腹立たしいレースであった。

 ブレンドのオレンジといい、今まさに隣りでけたたましくわめき立てるオレンジ小娘といい……

 どうにも俺にはオレンジ色がアンラッキーカラーのようだな。

 しかしつくづくやまれるのは、あのブレンドを人間界で始末しておけば最悪な現状にはいたらなかったという事だ……)

 ギリザンジェロの鬱積うっせきした感情は、人間界で煎路らと初めて会った時にまでさかのぼっていた。

(そういえば……オレンジ野郎には兄弟らしき仲間が二人いたな。

 あの者たちも魔界に来ているのだろうか?

 だとしたら奴らもグルなのか?

 俺とドラジャロシーに刀を飛ばしてきた男はやたらえらそうだった記憶がある。

 あのスカした感じ、誰かに似ていたような……)

 なんとなしに焙義ばいぎの事を思い浮かべていたギリザンジェロだったが――

「ハッ」と、

 何かの気配けはいを感じ取り、先の方に立ち並ぶ木々に視線を送った。

「あ、そうだっ。最後の最後にもうひとつだけっ。あの鼻ピアスって婚約者フィアンセからの贈り物なんでしょう?

 アンタ鼻ピアスなんてするのぉ??」

 何も感じ取っていないマリアンヌは質問を続けるが、ギリザンジェロは沈黙し、若干じゃっかんまゆをひそめて重なり合った木々の向こう側に注意を払った。

「ねえっ。聞いてんのっ? 目ぇあけたまんまで眠っちゃったワケ??」

「……」

 木のかげに複数の人影をとらえ、ギリザンジェロはそこに焦点しょうてんをしぼり無言をつらぬいた。

「なによ、ボォ~ッとして。

 まあいいわ。今日は旅の初日だし疲れてるわよね。

 もう休みましょ。寝袋を出すから待ってなさいよ」

 そばに置いてある荷物を取りに、マリアンヌが腰を上げた時だった。

「うおりゃあぁぁぁぁぁ――――――!!!!」

 突然、木々の陰にしのんでいた男たちが咆哮ほうこうし、刀や剣を手に勢いよく飛び出して来た。

「や、やだっっ!! なにっっ!?」

 四人の見知らぬ男たちが凶器きょうきを振り上げ、ものすごい形相ぎょうそうで走って来る。

 マリアンヌは驚きと恐怖でパニックになり、もたれていた木にとっさに抱きつき身をちぢめた。

 そんなマリアンヌに、先頭せんとうの男がやいばを振り下ろそうとする。

「キャアァァァァァ――――ッッ!!」

 夜空を切り裂くようなマリアンヌの悲鳴が、雑木林にこだました。

 
 ――が、マリアンヌは無事だった。

 逆に、彼女を殺そうとした男はギリザンジェロに首をつかまれ、身体を高々と持ち上げられていた。

「ググ……グ……」

 うめき声と唾液だえきが、男の口から流れ出る。

 そして――

 ゴキッッ!!

 にぶい音がした直後、男は地面に乱暴に落とされ、ピクリとも動かなくなった。

 ギリザンジェロが男の首の骨を折ったのだ。

「ク、クソッ……!!」
「切り刻んでやれ!!」

 残った三人の男たちは仲間の残酷ざんこくな死に様に一瞬たじろぎはしたものの、鋭利えいりな武器を振り回しながらこぞってギリザンジェロに襲いかかる。

「フハハッ。雑魚ざこどもが……」

 ギリザンジェロは薄ら笑い、どの襲撃しゅうげき易々やすやすはねのけるやおのれの剣を出し、

 いっさい手を使わず魔力のみで剣をあやつり男らの急所きゅうしょを次々と容赦ようしゃなくりつけた。

 男たちの血しぶきがスローモーションでちゅうを舞い、彼らの苦痛の叫びが空気をつんざく。

 生々なまなましい悲惨な光景をとても見てはいられず、マリアンヌはギューッと目をつぶり、ますます身を縮めた。


「う、うう……う……」

 血にまみれ、倒れた三人の男たちは息もえに身もだえる。

 彼らの命の灯火ともしびは、すでに消えかかっていた……


「おい、小娘。行くぞ」

 ギリザンジェロは事もなげに、木に抱きついたままガチガチ震えるマリアンヌに声をかけた。

「これでもまだ野宿を継続けいぞくするつもりか」

 手の平から水を吹き出し焚き火の火を消すと、ギリザンジェロは魔馬ギンギンの方へスタスタと歩いて行った。

「ま、待ってよっっ!!」

 マリアンヌは泣き顔になり、ギリザンジェロの後に小走りで付いて行く。

「なんなのよ。なんだっていうのよっっ。アイツら追いはぎなのっっ!?」

賊党ぞくとうは賊党でも、奴らはおそらく人間だろう」

「……人間……?」

「攻撃が単調たんちょうまりょくも出さない。何より、死んでも死にかけでも奴らは誰一人として種を出さなかった」

「だからってなんで人間? 他の異世界人かもしれないじゃない」

「あの匂い、あのオーラは人間だ。

 俺は半分人間野郎の下劣げれつな匂いをすぐそばでぎ、いかがわしきオーラをの当たりにしてきたのだ。見あやまるはずがない」

 絶命ぜつめいし、完全に動かなくなった男たちに背中を向け、二人は魔馬にまたがった。

 あらゆる種類の木と木の間を、ゆっくりと抜けて行く。

「まさかこんな所で人間に襲われるなんて……

 この魔界に人間の数が増えてきてるってうわさ、単なる噂じゃなかったのかしら。

 人間て繁殖はんしょく能力だけは高い生き物なんでしょう?」

「いかに子孫しそんを残し増殖ぞうしょくしようと奴らは無力のゴミだ。

 まあ、魔界ここで生きていくためにゴミはゴミなりに必死なのだろうがな」

「……どうでもいいけどさ。

 連中が人間だって分かっていればあたしだって自分の力で戦えたわよ。

 アンタなんかに助けられなくてもね」

「フン。減らず口が……」

 とことん可愛げのないマリアンヌにあきれ果て、ギリザンジェロがギンギンの足を速め彼女との距離を広げた時だった。

「あ、ほら、見て見てっ」

 マリアンヌは何かを発見し、興奮こうふん気味ぎみに一本の木を指さした。

 その木は、えをしのぐ事ができる葉のしげる木、ウエシノだったのだ。

「この葉があれば、この先もっとちゃんと節約できるわっっ」

 羽織っていたストールをとり、マリアンヌは手を伸ばしてたくさんの葉をむや、さも嬉しそうにストールに包みこむ。

(チッ。節約節約と……

 貧乏びんぼうしょうの田舎貴族がっっ)

 我を忘れて葉をつまみ取るマリアンヌの浅ましさに顔をゆがめ、ギリザンジェロは不快ふかい感をつのらせ舌打ちをした。


 ギリザンジェロと、マリアンヌ。

 対等でもなければ良好でもない関係のこの二人。

 二人の今後を占うとすれば、吉なのか凶なのかは不明である。

 ひとつだけハッキリしている事は、

 ギリザンジェロは鼻ピアスをしないという事だ。

 キャヴァがなぜプレゼントに鼻ピアスを選んだのか。

 それは、キャヴァのみぞ知る、どうでもいいようで何気なにげに大きな謎である――
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