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【9】
「現実は、サスペンスドラマより奇なり」
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ひゅうひゅうと、うず巻く強風が吹きつける切り立った崖の上。
そこに、ほんの数分前、運命的な再会を果たしたばかりの若い男女が向かい合い、見つめ合って立っている。
女は、ブラッドストーンの石が付いた純金製の鼻ピアスを手の平に乗せ、男にそれを差し出し何やら確認させている。
男は女の手の平をのぞき込み“何か”を確かめるとみるみる血相を変え、いきなり女から鼻ピアスを取り上げようとしている。
しかし、女は男の行動をよんでいたかのごとくピアスを素早く握りしめ、サッと手を引っこめる。
男もすかさず腕を突き出し女が引っこめた手をつかもうとしたが、女は「死んでも渡すまい」と言わんばかりに大きく後ずさり、身がまえている。
――まるで、真犯人と相対するサスペンスドラマ、クライマックスさながらの緊迫感だ。
「それ以上、近寄らないで! 大声出すわよ!」
「フン。こんな場所で大声を出したところで誰にも聞こえぬわ。あきらめて“そいつ”をよこすんだな」
「アンタ自分の立場がまだ分かってないようね。あたしが“コレ”を崖下に投げ捨てるのはとっても簡単なことなのよ?
いいの? こんな小さな物、どうしたって探し出せやしないわよ?
いつか別の誰かが“コレ”を拾って記録されてる全てを聞いてしまったら……間違いなくアンタはおしまいよっ」
「ずいぶんと甘くみられたものだな。
好きにするが良い。
貴様の手から“そいつ”が離れた瞬間、魔力をもって我が手に奪ってくれようぞ」
「……そうくると察していたわ。
だったら、あたしが録音のコピーをどこかに隠していたとしたらどおかしら?」
「な、なに……!?」
「そっちこそあたしを甘くみていたようね。
保険もかけずにこんな危険な交渉に来るはずがないでしょう?」
「ク、クソッ……! このオレンジ小娘めが……!」
男はギリリと、歯がみした。
「やっと分かったようね、王子さま? ニックネームじゃなくてまさかアンタみたいなのが本当に王子だったとは、にわかには信じられなかったけどぉ~」
勝ち誇ったようにニヤリと笑うこの女は、クオチュアの里の男爵令嬢、マリアンヌ=ジョプレールだった。
そして、女の前で歯をこすり合わせて悔しがる男は、ドリンガデス国の第一王子、ギリザンジェロ=ガフェルズだ。
「小娘……この俺を脅すとはいい度胸だ……!
貴様の目的は何だっ。金かっ?」
「か、金ですって……!?」
「あのような厩舎ごとき自慢していたばかりか、俺に覚えさせようとまでしていたくらいだからな。よほど金に困っているのであろう。
小娘よ。このようにさもしい行為をせずとも、おとなしく“ソレ”を渡すなら事情次第では情けをかけてやらぬでもないぞ」
「お、お金なんかいらないわよっっ!!
たかだかお金欲しさにこんなヤバイ橋渡ってるワケじゃないわ!!」
「だったら何が目的だ!! じらさずにさっさと申さぬか!!
忌々しいオレンジ小娘が!!」
「小娘小娘うるさいわねっ! あたしはマリアンヌ=ジョプレール! ジョプレール男爵の娘よっっ!!」
「……男爵だと……!?」
互いに大声を張り上げ言い合っていた二人だが、ギリザンジェロが声を詰まらせしばらく考えこむと、
「な、なによ……? なに急に黙りこんでんのよ?」
マリアンヌは拍子ぬけすると同時に、戸惑った。
「ちょっと! なんとか答えなさいよ!?」
「いや……男爵とその令嬢にはこれまでさんざん会うてきたが、なにゆえ貴様とは面識がなかったのか……」
「なんだ、そんなこと?
……それは、あたし達が地方の貴族だからでしょう?」
マリアンヌは不愉快そうに、ふくれっ面になりつぶやいた。
「下流貴族ということか?」
「アンタ達からすればそうなんでしょうね。
でも言っときますけど、贅沢三昧しか能がないパーティー大好物の下品な上流貴族なんかより、あたし達田舎貴族の方がよっぽど慎ましくて誇り高いのよ?
少なくともジョプレール家はパパを始めみんな熱心な節約家だわ。
分かる? 節約は立派な美徳なのよ?」
「節約……」
その単語は、ギリザンジェロの人生には無縁に近いものだった。
「小娘……もとい、マリアンヌよ。
貴様の目当てが金ではなく、誇り高き男爵令嬢であると申すならますます理解に苦しむわ。
“そいつ”を盾に俺様を脅し、いったいどうしてほしいのだ」
「公衆の面前であたしんちを厩舎だなんてあれだけの恥をかかせたんですもの。
みんなの前であたしに跪きあやまってもらいたいわ。
と、言いたいところだけれど……
さすがに天下の第一王子にそこまではさせるのは畏れ多いわね」
「王子を脅迫する方がよっぽど畏れ多いわっっ!!」
「だから他に胸スカする方法を思案して、ようやく思いついたのよ」
「……それは何だ……?」
グッと眉根を寄せるギリザンジェロを見すえ、マリアンヌは再びニヤリと笑った。
――マリアンヌが手に握りしめている、ブラッドストーンの鼻ピアス。
それは、キャヴァがギリザンジェロの誕生日プレゼントに購入した物だった。
あのバースデーパーティーの夜、怒ったキャヴァが彼女の部屋からギリザンジェロを強制退室させた際、
ラッピングしていた鼻ピアスが荒れ狂う粉吹雪の猛威でむき出しになり巻き上げられ、
尖ったデザインの石の尖端がギリザンジェロの耳下に深く突き刺さったのだ。
それを証拠に、ギリザンジェロの耳の下には小さな小さな穴が痕になり今もなおクッキリと残っている。
むろん、ギリザンジェロは突き刺さった鼻ピアスの存在に全く気づいてはいなかった。
キャヴァからの贈り物があった事すら……
知ったのはつい今しがた、マリアンヌに見せられた鼻ピアスのシャフト部分にある、極小の文字を目にした時だった。
純金のシャフトには、
『未来の王妃より』と、刻まれていたのだ。
一見、婚約者の愛情がたっぷりのプレゼントに思えるが……
ところが、キャヴァからのこのプレゼントはただの鼻ピアスではなく、恐るべき仕掛けが施されていた。
――録音機能だ。
小さすぎる録音機であるためところどころ雑音が入っていたり正常に録音されていない箇所も少なくはないが、この録音機の最も恐ろしい点は異常なまでの優れた耐久性と、はかりしれない録音可能な時間の長さだ。
もちろん上書きなどではなく、何かのはずみでスイッチがONになった時からのギリザンジェロの話し声や独り言、いびきやゲップ、屁にいたるまで、全部すっかり残されている。
だからこそ、ギリザンジェロは何が何でもこの鼻ピアス……と言うよりは、録音機を手に入れなければならなかった。
ギリザンジェロは城払い令を受けてからおそらく地下牢で鼻ピアスを落とすまでの長い日数、数多の不逞、愚行を続けてきた。
それらの事実だけでもまずいのだが、それ以上にもっとまずいのは、日々もらしていた父王に対する不平不満や恨み言、こっぴどい悪口の数々が記録されているという最悪の事実だ。
録音内容が明るみに出れば、マリアンヌの言葉通り間違いなくギリザンジェロは一巻の終わりなのだ。
「そろそろ本題に入るわね」
凍りつき直立不動になっているギリザンジェロの心情などおかまいなしに、マリアンヌは平然としたまなざしで淡々と告げた。
「本題だと……? 思いついた胸スカというやつか……?」
「質問するのはあたしよ。
アンタがまたこの里にやって来たのは、別の男にかっさらわれたシモーネを取り戻すためなんでしょう?
たしか『欠点種のオレンジ』とか言ってたわよね?
そいつの足どりを追おうとしてるんじゃないの?」
「……その通りだ。
やはり、シモーネはまだ戻ってはいないのか……」
「でね? シモーネを見つけ出すつもりなら、あたしも協力しようって思いついたの」
「協力……? どういった気まぐれだ。貴様はシモーネを嫌っていたはずであろう?」
「嫌いよ。だから気になるの。あの子が今、どこでどうしているのか……
売り飛ばされて夜の商売にでも身を沈めてくれてれば最高ウケるんだけどね」
「……なるほどな。シモーネのおちぶれた姿を拝みたいという訳か……」
「ま、そんなところかしらね。どお? 軽蔑した? 別にかまわないわよ?」
「フッ。軽蔑などするものか。この俺も同じ穴のムジナだからな。
俺の場合シモーネではなく、オレンジ欠点種が破滅する姿をしかと目に焼きつけねば腹の虫がおさまらぬ」
「ふぅ~ん。案外気が合うじゃない? あたし達。
ま、どのみちアンタの返事がどうであろうとあたしの言う通りにしてもらうけどね。
『ク・ソ・お・や・じっ』」
録音機の中でギリザンジェロが何度も口にしていた、父への悪意ある呼び語。
マリアンヌは、鼻ピアスをちらつかせながら嘲笑した。
(こ、こやつめ。俺様の弱みに付けこみ調子に乗りおって……!
俺がシモーネを選んだことをいつまで根に持っているのだ!)
ギリザンジェロは口角をピクピク引きつらせ、両手で作った拳を震わせた。
「さてと。あたしは一度屋敷に戻って旅の支度をしてくるわ。
王子さまは? ここには一人で来たの? それともあの丸メガネ……マキシリュだっけ? 忠実なお供の少年と一緒なの?」
「……一人だ。どうせ電話の着信履歴はマキシリュの名で埋まっているだろうがな」
「だけどビックリしたわ。さっき例の公園でアンタを見つけた時は。
犯人は犯行現場に戻るって言うけどホントだったのね」
マリアンヌはギリザンジェロの動きを警戒しつつ、鼻ピアスをハンカチにくるみ胸元にしまった。
「誰が犯人だ。録音を聞いたなら俺が無罪だと分かったはずだろう」
「でもこの里の女たちはいまだにアンタが誘拐犯だと思いこんでるわ。
サングラスをかけてないくらいではあの時の怪しい男だって見ぬかれるのも時間の問題よ? 通報されて面倒なことになる前に早いとこ出発した方がいいわ」
「貴様は平気なのか? 年頃の娘が男と旅に出るなど……」
「シモーネもそうだったじゃない」
「その方は仮にも名家の子女であろう」
「『仮にも』は余計よ。
大丈夫。アンタはあたしに手出しなんて出来ないワケだし。
パパには一人旅だって言えば何の問題もないわ。パパは心配性なとこもあるけれど社会勉強には熱心な人なの。何よりあたしの言いなりなのよ」
「貴様のような娘を育てた男がいかなる愚者か、一度でいいから見てみたいわ」
「それはこっちのセリフよっっ。
あ、でもそう言えば……アナタのお父上のお声を拝聴したわ。
アナタが女風呂のぞいて審議にかけられた時……
あれが我が国の偉大な王のお声なのよね。すっごくしびれちゃったわ。あまりの威厳に思わず身震いしたくらいよっっ」
なぜか父王の話になったとたん、マリアンヌの言葉づかいが極端に丁寧になり、ギリザンジェロに対する呼び方も「アンタ」から「アナタ」に昇格している。
そればかりか、父王の声を思い返すやマリアンヌはやたら熱気を帯び、片手を胸に当て尊敬の気持ちを現し始めた。
(何なんだ……あのクソ親父とこの俺と、
扱いに差があり過ぎるではないか……!!)
ギリザンジェロはますます悪感を抱き、マリアンヌにも父王にも怒りをぶつけられずただただ苛立ちを蓄積させる。
「それじゃあ王子さま。夕方うちの屋敷の裏側まで来てちょうだいね」
そう言ってマリアンヌは、足どり軽やかに自らの魔馬の方へ向かった。
一人、憤懣やるかたないギリザンジェロ。
今頃になって、耳下の穴に痛みが生じてきた。
「おのれ……もっと早くこの痛みが出ていれば……!」
鼻ピアスの石が刺さっていた痕を手で押さえ、なぜ今の今まで気が付かなかったのかとギリザンジェロは口惜しがる。
それにしても――
いかに弱点を突きギリザンジェロを劣勢に追いやっているとはいえ、ガフェルズ王家の王子に対しこれ程まで非礼にふるまえるマリアンヌは根っからのうつけなのか、
はたまた根っからの剛胆なのか……
結局、ギリザンジェロはマリアンヌにさからえないまま、彼女を連れてシモーネの捜索に出かけていた。
煎路とシモーネの行き先は、かすかな残り香を嗅ぐギンギンの優秀な鼻と、里一番の権力者、ジョプレール男爵の娘であるマリアンヌの“顔”に頼るよりほかなかった。
同級生を心配するふりをしてマリアンヌが衛兵に尋ねれば、だいたいの捜査過程を知る事ができたのだ。
その結果、ギリザンジェロとマリアンヌは北の方角にあるブアイスディの街を目指し、それぞれの魔馬のスピードをぐんぐん上げて進んで行った。
「おい、暗くなってきたぞ。今宵はこの辺で一等級の百星ホテルを探すとしよう」
ある街に差しかかるとギリザンジェロはギンギンの足を止め、周りの建物を見回した。
「ホ、ホテルですって!? それも百星のっっ!?」
「ハハッ。このようなド田舎ではせいぜい二十星ホテルが限界だろうがな」
「ダメッ!! そんな贅沢ぜったいダメよ!!」
「は……?」
「これくらいの寒さならまだまだ野宿できるレベルだわ。これからうんと北の方へ行った時はイヤでも宿代が必要になるんだからここは節約しておくべきよっ!」
「の、野宿だとっっ……!?」
「そのためにちゃーんと野宿セット持ってきてあるんだから。寝袋も入ってあるわ。
安心なさい。アンタの分も持ってきてあげたわよ」
マリアンヌは、自分の後ろに乗せくくりつけてある大きな荷物を顧みた。
「ほざけっ! 野宿などせずとも金ならある! この俺に蓑虫のごときマネをさせるつもりか!!」
「わざわざうちの使用人に用意させたんだからありがたく思いなさいよっ。
急だったけどアンタのサイズに合うのがひとつだけあったの。良かったわ。
横領が発覚してパパがクビにした元執事が文無しになってのたれ死にした時に使ってたいわくつきの寝袋なんだけどね」
「のぉぉぉぉぉ――――っっっっ!!!!」
ギリザンジェロは頭を抱え、絶叫した。
しかし、それでもやはりマリアンヌにはさからえぬまま、街の外れにある雑木林で彼女と二人、木にもたれかかり座りこんでいた。
二人で拾い集めた落ち葉や小枝、木片の小山。
防寒のためのストールを羽織り、マリアンヌはその小山を手で覆うと、魔力で火を起こして焚き火をこしらえた。
葉っぱや木がパチパチと燃える音は、火の暖かさ以上に疲れた身体と心を癒やしてくれる。
「おなかがすいたわね。今夜はコレをいただきましょう」
野宿セットの中から缶を二つ取り出し、マリアンヌはひとつの缶をギリザンジェロに渡した。
中身は非常食ビスケットみたいなものだ。
貴族でありながら、マリアンヌはどこまでもケチだった。
「……その方、なにゆえシモーネを目の敵にしておるのだ」
「はあ? なによ、唐突ね」
ギリザンジェロから不意打ちで問われ、マリアンヌは食べようとしていたビスケットを唇に当てたままほんの少し考えた。
「そうねぇ。あの娘の自信なさそうなモジモジしたところが神経逆撫でされる感じで癇にさわるのかしら」
「そこがあの者の良いところではないか。俺にとっては新鮮だったぞ。
それとも何か? シモーネの愛らしさに嫉妬しているのか?」
「バカ言わないでっ。
昔からシモーネなんかよりあたしの方がずっとモテるんだからっ!」
「そうは思えぬが」
「アンタの趣味が悪いだけよっっ」
マリアンヌは目角を立て、ビスケットを口の中に放りこんだ。
「今度はあたしがきく番よ。
ねえ、そもそもアンタをこんな目に合わせたのは誰なの?」
「き、貴様ではないかっっ!!」
「違うわよ。あたしはアンタを録音機で脅しただけ。
それよりもっとひどいのは録音機を鼻ピアスに仕込んだ奴じゃないの? 心当たりはある?
『未来の王妃』って何者なのよ」
「文字通り、俺の婚約者だ」
「えっ!? アンタなんかに婚約者がいたのっ!? かわいそっっ」
「可哀想とはどっちがだ」
「婚約者の方に決まってるでしょ?
あ、だけど……もし録音機を仕込んだのがその女なら、アンタの方が気の毒かもね」
「……疑わしきは婚約者であるキャヴァを含め、三人いる。
一人は俺の愚弟、そしてもう一人は母上だ」
「どんな家庭環境で育ったのよ、アンタ……」
「愚弟は俺を王位継承権から外すことしか脳がない。母は母で俺が他の女になびかぬよう常に目を光らせている。
母自身が俺の妻とするべく城へ呼び寄せたキャヴァのためにな」
「なんだか複雑なのねぇ~。王家になんて生まれるもんじゃないわよね。
それはそうと……婚約者の名前『キャヴァ』って言った? 『ラズベリー』じゃなくて??」
「き、貴様っっ!! なぜそれをっっ!!」
マリアンヌが発したその名前、心を寄せるラズベリーの名を耳にしたギリザンジェロは驚愕のあまり、激しい動揺を隠せなかった。
「録音機で聞いたわ。
『おお~、愛しのラズベリー』なんてホント気持ち悪いったら。
婚約者がいながらシモーネだけでなく別の女のことまで毎夜想うなんて、王子さまもお盛んねぇ」
「……お前という奴は……まこと口の悪い無神経な小娘だ……」
愛して止まないラズベリーへの恋心に触れられ、そのうえラズベリーへの純愛をからかわれ、ギリザンジェロは憤りながらもショックの方が勝り、これまでのように声を荒げて言い合う気力すら失っていた。
「最後にもうひとつだけいい?
シモーネを奪ってったブレンドはどおゆう男なの?
サトナシ祭の魔馬レースを録画で見たわ。あの対抗魔馬を連れてきたオレンジの種の男……あいつなんでしょう?」
「……身のほど知らずの下等生物、それだけだ……」
マリアンヌが話に出した事により、ギリザンジェロは業腹きわまりないギンギンと挑戦魔馬のレースを振り返った。
(勝利したものの実に腹立たしいレースであった。
ブレンドのオレンジといい、今まさに隣りでけたたましくわめき立てるオレンジ小娘といい……
どうにも俺にはオレンジ色がアンラッキーカラーのようだな。
しかしつくづく悔やまれるのは、あのブレンドを人間界で始末しておけば最悪な現状には至らなかったという事だ……)
ギリザンジェロの鬱積した感情は、人間界で煎路らと初めて会った時にまでさかのぼっていた。
(そういえば……オレンジ野郎には兄弟らしき仲間が二人いたな。
あの者たちも魔界に来ているのだろうか?
だとしたら奴らもグルなのか?
俺とドラジャロシーに刀を飛ばしてきた男はやたら偉そうだった記憶がある。
あのスカした感じ、誰かに似ていたような……)
なんとなしに焙義の事を思い浮かべていたギリザンジェロだったが――
「ハッ」と、
何かの気配を感じ取り、先の方に立ち並ぶ木々に視線を送った。
「あ、そうだっ。最後の最後にもうひとつだけっ。あの鼻ピアスって婚約者からの贈り物なんでしょう?
アンタ鼻ピアスなんてするのぉ??」
何も感じ取っていないマリアンヌは質問を続けるが、ギリザンジェロは沈黙し、若干眉をひそめて重なり合った木々の向こう側に注意を払った。
「ねえっ。聞いてんのっ? 目ぇあけたまんまで眠っちゃったワケ??」
「……」
木の陰に複数の人影をとらえ、ギリザンジェロはそこに焦点をしぼり無言をつらぬいた。
「なによ、ボォ~ッとして。
まあいいわ。今日は旅の初日だし疲れてるわよね。
もう休みましょ。寝袋を出すから待ってなさいよ」
そばに置いてある荷物を取りに、マリアンヌが腰を上げた時だった。
「うおりゃあぁぁぁぁぁ――――――!!!!」
突然、木々の陰に忍んでいた男たちが咆哮し、刀や剣を手に勢いよく飛び出して来た。
「や、やだっっ!! なにっっ!?」
四人の見知らぬ男たちが凶器を振り上げ、ものすごい形相で走って来る。
マリアンヌは驚きと恐怖でパニックになり、もたれていた木にとっさに抱きつき身を縮めた。
そんなマリアンヌに、先頭の男が刃を振り下ろそうとする。
「キャアァァァァァ――――ッッ!!」
夜空を切り裂くようなマリアンヌの悲鳴が、雑木林にこだました。
――が、マリアンヌは無事だった。
逆に、彼女を殺そうとした男はギリザンジェロに首をつかまれ、身体を高々と持ち上げられていた。
「ググ……グ……」
うめき声と唾液が、男の口から流れ出る。
そして――
ゴキッッ!!
鈍い音がした直後、男は地面に乱暴に落とされ、ピクリとも動かなくなった。
ギリザンジェロが男の首の骨を折ったのだ。
「ク、クソッ……!!」
「切り刻んでやれ!!」
残った三人の男たちは仲間の残酷な死に様に一瞬たじろぎはしたものの、鋭利な武器を振り回しながらこぞってギリザンジェロに襲いかかる。
「フハハッ。雑魚どもが……」
ギリザンジェロは薄ら笑い、どの襲撃も易々はねのけるや己の剣を出し、
いっさい手を使わず魔力のみで剣をあやつり男らの急所を次々と容赦なく斬りつけた。
男たちの血しぶきがスローモーションで宙を舞い、彼らの苦痛の叫びが空気をつんざく。
生々しい悲惨な光景をとても見てはいられず、マリアンヌはギューッと目をつぶり、ますます身を縮めた。
「う、うう……う……」
血にまみれ、倒れた三人の男たちは息も絶え絶えに身もだえる。
彼らの命の灯火は、すでに消えかかっていた……
「おい、小娘。行くぞ」
ギリザンジェロは事もなげに、木に抱きついたままガチガチ震えるマリアンヌに声をかけた。
「これでもまだ野宿を継続するつもりか」
手の平から水を吹き出し焚き火の火を消すと、ギリザンジェロは魔馬ギンギンの方へスタスタと歩いて行った。
「ま、待ってよっっ!!」
マリアンヌは泣き顔になり、ギリザンジェロの後に小走りで付いて行く。
「なんなのよ。なんだっていうのよっっ。アイツら追いはぎなのっっ!?」
「賊党は賊党でも、奴らはおそらく人間だろう」
「……人間……?」
「攻撃が単調で力も出さない。何より、死んでも死にかけでも奴らは誰一人として種を出さなかった」
「だからってなんで人間? 他の異世界人かもしれないじゃない」
「あの匂い、あのオーラは人間だ。
俺は半分人間野郎の下劣な匂いをすぐそばで嗅ぎ、いかがわしきオーラを目の当たりにしてきたのだ。見あやまるはずがない」
絶命し、完全に動かなくなった男たちに背中を向け、二人は魔馬にまたがった。
あらゆる種類の木と木の間を、ゆっくりと抜けて行く。
「まさかこんな所で人間に襲われるなんて……
この魔界に人間の数が増えてきてるって噂、単なる噂じゃなかったのかしら。
人間て繁殖能力だけは高い生き物なんでしょう?」
「いかに子孫を残し増殖しようと奴らは無力のゴミだ。
まあ、魔界で生きていくためにゴミはゴミなりに必死なのだろうがな」
「……どうでもいいけどさ。
連中が人間だって分かっていればあたしだって自分の力で戦えたわよ。
アンタなんかに助けられなくてもね」
「フン。減らず口が……」
とことん可愛げのないマリアンヌにあきれ果て、ギリザンジェロがギンギンの足を速め彼女との距離を広げた時だった。
「あ、ほら、見て見てっ」
マリアンヌは何かを発見し、興奮気味に一本の木を指さした。
その木は、飢えをしのぐ事ができる葉の茂る木、ウエシノ木だったのだ。
「この葉があれば、この先もっとちゃんと節約できるわっっ」
羽織っていたストールをとり、マリアンヌは手を伸ばしてたくさんの葉を摘むや、さも嬉しそうにストールに包みこむ。
(チッ。節約節約と……
貧乏性の田舎貴族がっっ)
我を忘れて葉をつまみ取るマリアンヌの浅ましさに顔をゆがめ、ギリザンジェロは不快感をつのらせ舌打ちをした。
ギリザンジェロと、マリアンヌ。
対等でもなければ良好でもない関係のこの二人。
二人の今後を占うとすれば、吉なのか凶なのかは不明である。
ひとつだけハッキリしている事は、
ギリザンジェロは鼻ピアスをしないという事だ。
キャヴァがなぜプレゼントに鼻ピアスを選んだのか。
それは、キャヴァのみぞ知る、どうでもいいようで何気に大きな謎である――
そこに、ほんの数分前、運命的な再会を果たしたばかりの若い男女が向かい合い、見つめ合って立っている。
女は、ブラッドストーンの石が付いた純金製の鼻ピアスを手の平に乗せ、男にそれを差し出し何やら確認させている。
男は女の手の平をのぞき込み“何か”を確かめるとみるみる血相を変え、いきなり女から鼻ピアスを取り上げようとしている。
しかし、女は男の行動をよんでいたかのごとくピアスを素早く握りしめ、サッと手を引っこめる。
男もすかさず腕を突き出し女が引っこめた手をつかもうとしたが、女は「死んでも渡すまい」と言わんばかりに大きく後ずさり、身がまえている。
――まるで、真犯人と相対するサスペンスドラマ、クライマックスさながらの緊迫感だ。
「それ以上、近寄らないで! 大声出すわよ!」
「フン。こんな場所で大声を出したところで誰にも聞こえぬわ。あきらめて“そいつ”をよこすんだな」
「アンタ自分の立場がまだ分かってないようね。あたしが“コレ”を崖下に投げ捨てるのはとっても簡単なことなのよ?
いいの? こんな小さな物、どうしたって探し出せやしないわよ?
いつか別の誰かが“コレ”を拾って記録されてる全てを聞いてしまったら……間違いなくアンタはおしまいよっ」
「ずいぶんと甘くみられたものだな。
好きにするが良い。
貴様の手から“そいつ”が離れた瞬間、魔力をもって我が手に奪ってくれようぞ」
「……そうくると察していたわ。
だったら、あたしが録音のコピーをどこかに隠していたとしたらどおかしら?」
「な、なに……!?」
「そっちこそあたしを甘くみていたようね。
保険もかけずにこんな危険な交渉に来るはずがないでしょう?」
「ク、クソッ……! このオレンジ小娘めが……!」
男はギリリと、歯がみした。
「やっと分かったようね、王子さま? ニックネームじゃなくてまさかアンタみたいなのが本当に王子だったとは、にわかには信じられなかったけどぉ~」
勝ち誇ったようにニヤリと笑うこの女は、クオチュアの里の男爵令嬢、マリアンヌ=ジョプレールだった。
そして、女の前で歯をこすり合わせて悔しがる男は、ドリンガデス国の第一王子、ギリザンジェロ=ガフェルズだ。
「小娘……この俺を脅すとはいい度胸だ……!
貴様の目的は何だっ。金かっ?」
「か、金ですって……!?」
「あのような厩舎ごとき自慢していたばかりか、俺に覚えさせようとまでしていたくらいだからな。よほど金に困っているのであろう。
小娘よ。このようにさもしい行為をせずとも、おとなしく“ソレ”を渡すなら事情次第では情けをかけてやらぬでもないぞ」
「お、お金なんかいらないわよっっ!!
たかだかお金欲しさにこんなヤバイ橋渡ってるワケじゃないわ!!」
「だったら何が目的だ!! じらさずにさっさと申さぬか!!
忌々しいオレンジ小娘が!!」
「小娘小娘うるさいわねっ! あたしはマリアンヌ=ジョプレール! ジョプレール男爵の娘よっっ!!」
「……男爵だと……!?」
互いに大声を張り上げ言い合っていた二人だが、ギリザンジェロが声を詰まらせしばらく考えこむと、
「な、なによ……? なに急に黙りこんでんのよ?」
マリアンヌは拍子ぬけすると同時に、戸惑った。
「ちょっと! なんとか答えなさいよ!?」
「いや……男爵とその令嬢にはこれまでさんざん会うてきたが、なにゆえ貴様とは面識がなかったのか……」
「なんだ、そんなこと?
……それは、あたし達が地方の貴族だからでしょう?」
マリアンヌは不愉快そうに、ふくれっ面になりつぶやいた。
「下流貴族ということか?」
「アンタ達からすればそうなんでしょうね。
でも言っときますけど、贅沢三昧しか能がないパーティー大好物の下品な上流貴族なんかより、あたし達田舎貴族の方がよっぽど慎ましくて誇り高いのよ?
少なくともジョプレール家はパパを始めみんな熱心な節約家だわ。
分かる? 節約は立派な美徳なのよ?」
「節約……」
その単語は、ギリザンジェロの人生には無縁に近いものだった。
「小娘……もとい、マリアンヌよ。
貴様の目当てが金ではなく、誇り高き男爵令嬢であると申すならますます理解に苦しむわ。
“そいつ”を盾に俺様を脅し、いったいどうしてほしいのだ」
「公衆の面前であたしんちを厩舎だなんてあれだけの恥をかかせたんですもの。
みんなの前であたしに跪きあやまってもらいたいわ。
と、言いたいところだけれど……
さすがに天下の第一王子にそこまではさせるのは畏れ多いわね」
「王子を脅迫する方がよっぽど畏れ多いわっっ!!」
「だから他に胸スカする方法を思案して、ようやく思いついたのよ」
「……それは何だ……?」
グッと眉根を寄せるギリザンジェロを見すえ、マリアンヌは再びニヤリと笑った。
――マリアンヌが手に握りしめている、ブラッドストーンの鼻ピアス。
それは、キャヴァがギリザンジェロの誕生日プレゼントに購入した物だった。
あのバースデーパーティーの夜、怒ったキャヴァが彼女の部屋からギリザンジェロを強制退室させた際、
ラッピングしていた鼻ピアスが荒れ狂う粉吹雪の猛威でむき出しになり巻き上げられ、
尖ったデザインの石の尖端がギリザンジェロの耳下に深く突き刺さったのだ。
それを証拠に、ギリザンジェロの耳の下には小さな小さな穴が痕になり今もなおクッキリと残っている。
むろん、ギリザンジェロは突き刺さった鼻ピアスの存在に全く気づいてはいなかった。
キャヴァからの贈り物があった事すら……
知ったのはつい今しがた、マリアンヌに見せられた鼻ピアスのシャフト部分にある、極小の文字を目にした時だった。
純金のシャフトには、
『未来の王妃より』と、刻まれていたのだ。
一見、婚約者の愛情がたっぷりのプレゼントに思えるが……
ところが、キャヴァからのこのプレゼントはただの鼻ピアスではなく、恐るべき仕掛けが施されていた。
――録音機能だ。
小さすぎる録音機であるためところどころ雑音が入っていたり正常に録音されていない箇所も少なくはないが、この録音機の最も恐ろしい点は異常なまでの優れた耐久性と、はかりしれない録音可能な時間の長さだ。
もちろん上書きなどではなく、何かのはずみでスイッチがONになった時からのギリザンジェロの話し声や独り言、いびきやゲップ、屁にいたるまで、全部すっかり残されている。
だからこそ、ギリザンジェロは何が何でもこの鼻ピアス……と言うよりは、録音機を手に入れなければならなかった。
ギリザンジェロは城払い令を受けてからおそらく地下牢で鼻ピアスを落とすまでの長い日数、数多の不逞、愚行を続けてきた。
それらの事実だけでもまずいのだが、それ以上にもっとまずいのは、日々もらしていた父王に対する不平不満や恨み言、こっぴどい悪口の数々が記録されているという最悪の事実だ。
録音内容が明るみに出れば、マリアンヌの言葉通り間違いなくギリザンジェロは一巻の終わりなのだ。
「そろそろ本題に入るわね」
凍りつき直立不動になっているギリザンジェロの心情などおかまいなしに、マリアンヌは平然としたまなざしで淡々と告げた。
「本題だと……? 思いついた胸スカというやつか……?」
「質問するのはあたしよ。
アンタがまたこの里にやって来たのは、別の男にかっさらわれたシモーネを取り戻すためなんでしょう?
たしか『欠点種のオレンジ』とか言ってたわよね?
そいつの足どりを追おうとしてるんじゃないの?」
「……その通りだ。
やはり、シモーネはまだ戻ってはいないのか……」
「でね? シモーネを見つけ出すつもりなら、あたしも協力しようって思いついたの」
「協力……? どういった気まぐれだ。貴様はシモーネを嫌っていたはずであろう?」
「嫌いよ。だから気になるの。あの子が今、どこでどうしているのか……
売り飛ばされて夜の商売にでも身を沈めてくれてれば最高ウケるんだけどね」
「……なるほどな。シモーネのおちぶれた姿を拝みたいという訳か……」
「ま、そんなところかしらね。どお? 軽蔑した? 別にかまわないわよ?」
「フッ。軽蔑などするものか。この俺も同じ穴のムジナだからな。
俺の場合シモーネではなく、オレンジ欠点種が破滅する姿をしかと目に焼きつけねば腹の虫がおさまらぬ」
「ふぅ~ん。案外気が合うじゃない? あたし達。
ま、どのみちアンタの返事がどうであろうとあたしの言う通りにしてもらうけどね。
『ク・ソ・お・や・じっ』」
録音機の中でギリザンジェロが何度も口にしていた、父への悪意ある呼び語。
マリアンヌは、鼻ピアスをちらつかせながら嘲笑した。
(こ、こやつめ。俺様の弱みに付けこみ調子に乗りおって……!
俺がシモーネを選んだことをいつまで根に持っているのだ!)
ギリザンジェロは口角をピクピク引きつらせ、両手で作った拳を震わせた。
「さてと。あたしは一度屋敷に戻って旅の支度をしてくるわ。
王子さまは? ここには一人で来たの? それともあの丸メガネ……マキシリュだっけ? 忠実なお供の少年と一緒なの?」
「……一人だ。どうせ電話の着信履歴はマキシリュの名で埋まっているだろうがな」
「だけどビックリしたわ。さっき例の公園でアンタを見つけた時は。
犯人は犯行現場に戻るって言うけどホントだったのね」
マリアンヌはギリザンジェロの動きを警戒しつつ、鼻ピアスをハンカチにくるみ胸元にしまった。
「誰が犯人だ。録音を聞いたなら俺が無罪だと分かったはずだろう」
「でもこの里の女たちはいまだにアンタが誘拐犯だと思いこんでるわ。
サングラスをかけてないくらいではあの時の怪しい男だって見ぬかれるのも時間の問題よ? 通報されて面倒なことになる前に早いとこ出発した方がいいわ」
「貴様は平気なのか? 年頃の娘が男と旅に出るなど……」
「シモーネもそうだったじゃない」
「その方は仮にも名家の子女であろう」
「『仮にも』は余計よ。
大丈夫。アンタはあたしに手出しなんて出来ないワケだし。
パパには一人旅だって言えば何の問題もないわ。パパは心配性なとこもあるけれど社会勉強には熱心な人なの。何よりあたしの言いなりなのよ」
「貴様のような娘を育てた男がいかなる愚者か、一度でいいから見てみたいわ」
「それはこっちのセリフよっっ。
あ、でもそう言えば……アナタのお父上のお声を拝聴したわ。
アナタが女風呂のぞいて審議にかけられた時……
あれが我が国の偉大な王のお声なのよね。すっごくしびれちゃったわ。あまりの威厳に思わず身震いしたくらいよっっ」
なぜか父王の話になったとたん、マリアンヌの言葉づかいが極端に丁寧になり、ギリザンジェロに対する呼び方も「アンタ」から「アナタ」に昇格している。
そればかりか、父王の声を思い返すやマリアンヌはやたら熱気を帯び、片手を胸に当て尊敬の気持ちを現し始めた。
(何なんだ……あのクソ親父とこの俺と、
扱いに差があり過ぎるではないか……!!)
ギリザンジェロはますます悪感を抱き、マリアンヌにも父王にも怒りをぶつけられずただただ苛立ちを蓄積させる。
「それじゃあ王子さま。夕方うちの屋敷の裏側まで来てちょうだいね」
そう言ってマリアンヌは、足どり軽やかに自らの魔馬の方へ向かった。
一人、憤懣やるかたないギリザンジェロ。
今頃になって、耳下の穴に痛みが生じてきた。
「おのれ……もっと早くこの痛みが出ていれば……!」
鼻ピアスの石が刺さっていた痕を手で押さえ、なぜ今の今まで気が付かなかったのかとギリザンジェロは口惜しがる。
それにしても――
いかに弱点を突きギリザンジェロを劣勢に追いやっているとはいえ、ガフェルズ王家の王子に対しこれ程まで非礼にふるまえるマリアンヌは根っからのうつけなのか、
はたまた根っからの剛胆なのか……
結局、ギリザンジェロはマリアンヌにさからえないまま、彼女を連れてシモーネの捜索に出かけていた。
煎路とシモーネの行き先は、かすかな残り香を嗅ぐギンギンの優秀な鼻と、里一番の権力者、ジョプレール男爵の娘であるマリアンヌの“顔”に頼るよりほかなかった。
同級生を心配するふりをしてマリアンヌが衛兵に尋ねれば、だいたいの捜査過程を知る事ができたのだ。
その結果、ギリザンジェロとマリアンヌは北の方角にあるブアイスディの街を目指し、それぞれの魔馬のスピードをぐんぐん上げて進んで行った。
「おい、暗くなってきたぞ。今宵はこの辺で一等級の百星ホテルを探すとしよう」
ある街に差しかかるとギリザンジェロはギンギンの足を止め、周りの建物を見回した。
「ホ、ホテルですって!? それも百星のっっ!?」
「ハハッ。このようなド田舎ではせいぜい二十星ホテルが限界だろうがな」
「ダメッ!! そんな贅沢ぜったいダメよ!!」
「は……?」
「これくらいの寒さならまだまだ野宿できるレベルだわ。これからうんと北の方へ行った時はイヤでも宿代が必要になるんだからここは節約しておくべきよっ!」
「の、野宿だとっっ……!?」
「そのためにちゃーんと野宿セット持ってきてあるんだから。寝袋も入ってあるわ。
安心なさい。アンタの分も持ってきてあげたわよ」
マリアンヌは、自分の後ろに乗せくくりつけてある大きな荷物を顧みた。
「ほざけっ! 野宿などせずとも金ならある! この俺に蓑虫のごときマネをさせるつもりか!!」
「わざわざうちの使用人に用意させたんだからありがたく思いなさいよっ。
急だったけどアンタのサイズに合うのがひとつだけあったの。良かったわ。
横領が発覚してパパがクビにした元執事が文無しになってのたれ死にした時に使ってたいわくつきの寝袋なんだけどね」
「のぉぉぉぉぉ――――っっっっ!!!!」
ギリザンジェロは頭を抱え、絶叫した。
しかし、それでもやはりマリアンヌにはさからえぬまま、街の外れにある雑木林で彼女と二人、木にもたれかかり座りこんでいた。
二人で拾い集めた落ち葉や小枝、木片の小山。
防寒のためのストールを羽織り、マリアンヌはその小山を手で覆うと、魔力で火を起こして焚き火をこしらえた。
葉っぱや木がパチパチと燃える音は、火の暖かさ以上に疲れた身体と心を癒やしてくれる。
「おなかがすいたわね。今夜はコレをいただきましょう」
野宿セットの中から缶を二つ取り出し、マリアンヌはひとつの缶をギリザンジェロに渡した。
中身は非常食ビスケットみたいなものだ。
貴族でありながら、マリアンヌはどこまでもケチだった。
「……その方、なにゆえシモーネを目の敵にしておるのだ」
「はあ? なによ、唐突ね」
ギリザンジェロから不意打ちで問われ、マリアンヌは食べようとしていたビスケットを唇に当てたままほんの少し考えた。
「そうねぇ。あの娘の自信なさそうなモジモジしたところが神経逆撫でされる感じで癇にさわるのかしら」
「そこがあの者の良いところではないか。俺にとっては新鮮だったぞ。
それとも何か? シモーネの愛らしさに嫉妬しているのか?」
「バカ言わないでっ。
昔からシモーネなんかよりあたしの方がずっとモテるんだからっ!」
「そうは思えぬが」
「アンタの趣味が悪いだけよっっ」
マリアンヌは目角を立て、ビスケットを口の中に放りこんだ。
「今度はあたしがきく番よ。
ねえ、そもそもアンタをこんな目に合わせたのは誰なの?」
「き、貴様ではないかっっ!!」
「違うわよ。あたしはアンタを録音機で脅しただけ。
それよりもっとひどいのは録音機を鼻ピアスに仕込んだ奴じゃないの? 心当たりはある?
『未来の王妃』って何者なのよ」
「文字通り、俺の婚約者だ」
「えっ!? アンタなんかに婚約者がいたのっ!? かわいそっっ」
「可哀想とはどっちがだ」
「婚約者の方に決まってるでしょ?
あ、だけど……もし録音機を仕込んだのがその女なら、アンタの方が気の毒かもね」
「……疑わしきは婚約者であるキャヴァを含め、三人いる。
一人は俺の愚弟、そしてもう一人は母上だ」
「どんな家庭環境で育ったのよ、アンタ……」
「愚弟は俺を王位継承権から外すことしか脳がない。母は母で俺が他の女になびかぬよう常に目を光らせている。
母自身が俺の妻とするべく城へ呼び寄せたキャヴァのためにな」
「なんだか複雑なのねぇ~。王家になんて生まれるもんじゃないわよね。
それはそうと……婚約者の名前『キャヴァ』って言った? 『ラズベリー』じゃなくて??」
「き、貴様っっ!! なぜそれをっっ!!」
マリアンヌが発したその名前、心を寄せるラズベリーの名を耳にしたギリザンジェロは驚愕のあまり、激しい動揺を隠せなかった。
「録音機で聞いたわ。
『おお~、愛しのラズベリー』なんてホント気持ち悪いったら。
婚約者がいながらシモーネだけでなく別の女のことまで毎夜想うなんて、王子さまもお盛んねぇ」
「……お前という奴は……まこと口の悪い無神経な小娘だ……」
愛して止まないラズベリーへの恋心に触れられ、そのうえラズベリーへの純愛をからかわれ、ギリザンジェロは憤りながらもショックの方が勝り、これまでのように声を荒げて言い合う気力すら失っていた。
「最後にもうひとつだけいい?
シモーネを奪ってったブレンドはどおゆう男なの?
サトナシ祭の魔馬レースを録画で見たわ。あの対抗魔馬を連れてきたオレンジの種の男……あいつなんでしょう?」
「……身のほど知らずの下等生物、それだけだ……」
マリアンヌが話に出した事により、ギリザンジェロは業腹きわまりないギンギンと挑戦魔馬のレースを振り返った。
(勝利したものの実に腹立たしいレースであった。
ブレンドのオレンジといい、今まさに隣りでけたたましくわめき立てるオレンジ小娘といい……
どうにも俺にはオレンジ色がアンラッキーカラーのようだな。
しかしつくづく悔やまれるのは、あのブレンドを人間界で始末しておけば最悪な現状には至らなかったという事だ……)
ギリザンジェロの鬱積した感情は、人間界で煎路らと初めて会った時にまでさかのぼっていた。
(そういえば……オレンジ野郎には兄弟らしき仲間が二人いたな。
あの者たちも魔界に来ているのだろうか?
だとしたら奴らもグルなのか?
俺とドラジャロシーに刀を飛ばしてきた男はやたら偉そうだった記憶がある。
あのスカした感じ、誰かに似ていたような……)
なんとなしに焙義の事を思い浮かべていたギリザンジェロだったが――
「ハッ」と、
何かの気配を感じ取り、先の方に立ち並ぶ木々に視線を送った。
「あ、そうだっ。最後の最後にもうひとつだけっ。あの鼻ピアスって婚約者からの贈り物なんでしょう?
アンタ鼻ピアスなんてするのぉ??」
何も感じ取っていないマリアンヌは質問を続けるが、ギリザンジェロは沈黙し、若干眉をひそめて重なり合った木々の向こう側に注意を払った。
「ねえっ。聞いてんのっ? 目ぇあけたまんまで眠っちゃったワケ??」
「……」
木の陰に複数の人影をとらえ、ギリザンジェロはそこに焦点をしぼり無言をつらぬいた。
「なによ、ボォ~ッとして。
まあいいわ。今日は旅の初日だし疲れてるわよね。
もう休みましょ。寝袋を出すから待ってなさいよ」
そばに置いてある荷物を取りに、マリアンヌが腰を上げた時だった。
「うおりゃあぁぁぁぁぁ――――――!!!!」
突然、木々の陰に忍んでいた男たちが咆哮し、刀や剣を手に勢いよく飛び出して来た。
「や、やだっっ!! なにっっ!?」
四人の見知らぬ男たちが凶器を振り上げ、ものすごい形相で走って来る。
マリアンヌは驚きと恐怖でパニックになり、もたれていた木にとっさに抱きつき身を縮めた。
そんなマリアンヌに、先頭の男が刃を振り下ろそうとする。
「キャアァァァァァ――――ッッ!!」
夜空を切り裂くようなマリアンヌの悲鳴が、雑木林にこだました。
――が、マリアンヌは無事だった。
逆に、彼女を殺そうとした男はギリザンジェロに首をつかまれ、身体を高々と持ち上げられていた。
「ググ……グ……」
うめき声と唾液が、男の口から流れ出る。
そして――
ゴキッッ!!
鈍い音がした直後、男は地面に乱暴に落とされ、ピクリとも動かなくなった。
ギリザンジェロが男の首の骨を折ったのだ。
「ク、クソッ……!!」
「切り刻んでやれ!!」
残った三人の男たちは仲間の残酷な死に様に一瞬たじろぎはしたものの、鋭利な武器を振り回しながらこぞってギリザンジェロに襲いかかる。
「フハハッ。雑魚どもが……」
ギリザンジェロは薄ら笑い、どの襲撃も易々はねのけるや己の剣を出し、
いっさい手を使わず魔力のみで剣をあやつり男らの急所を次々と容赦なく斬りつけた。
男たちの血しぶきがスローモーションで宙を舞い、彼らの苦痛の叫びが空気をつんざく。
生々しい悲惨な光景をとても見てはいられず、マリアンヌはギューッと目をつぶり、ますます身を縮めた。
「う、うう……う……」
血にまみれ、倒れた三人の男たちは息も絶え絶えに身もだえる。
彼らの命の灯火は、すでに消えかかっていた……
「おい、小娘。行くぞ」
ギリザンジェロは事もなげに、木に抱きついたままガチガチ震えるマリアンヌに声をかけた。
「これでもまだ野宿を継続するつもりか」
手の平から水を吹き出し焚き火の火を消すと、ギリザンジェロは魔馬ギンギンの方へスタスタと歩いて行った。
「ま、待ってよっっ!!」
マリアンヌは泣き顔になり、ギリザンジェロの後に小走りで付いて行く。
「なんなのよ。なんだっていうのよっっ。アイツら追いはぎなのっっ!?」
「賊党は賊党でも、奴らはおそらく人間だろう」
「……人間……?」
「攻撃が単調で力も出さない。何より、死んでも死にかけでも奴らは誰一人として種を出さなかった」
「だからってなんで人間? 他の異世界人かもしれないじゃない」
「あの匂い、あのオーラは人間だ。
俺は半分人間野郎の下劣な匂いをすぐそばで嗅ぎ、いかがわしきオーラを目の当たりにしてきたのだ。見あやまるはずがない」
絶命し、完全に動かなくなった男たちに背中を向け、二人は魔馬にまたがった。
あらゆる種類の木と木の間を、ゆっくりと抜けて行く。
「まさかこんな所で人間に襲われるなんて……
この魔界に人間の数が増えてきてるって噂、単なる噂じゃなかったのかしら。
人間て繁殖能力だけは高い生き物なんでしょう?」
「いかに子孫を残し増殖しようと奴らは無力のゴミだ。
まあ、魔界で生きていくためにゴミはゴミなりに必死なのだろうがな」
「……どうでもいいけどさ。
連中が人間だって分かっていればあたしだって自分の力で戦えたわよ。
アンタなんかに助けられなくてもね」
「フン。減らず口が……」
とことん可愛げのないマリアンヌにあきれ果て、ギリザンジェロがギンギンの足を速め彼女との距離を広げた時だった。
「あ、ほら、見て見てっ」
マリアンヌは何かを発見し、興奮気味に一本の木を指さした。
その木は、飢えをしのぐ事ができる葉の茂る木、ウエシノ木だったのだ。
「この葉があれば、この先もっとちゃんと節約できるわっっ」
羽織っていたストールをとり、マリアンヌは手を伸ばしてたくさんの葉を摘むや、さも嬉しそうにストールに包みこむ。
(チッ。節約節約と……
貧乏性の田舎貴族がっっ)
我を忘れて葉をつまみ取るマリアンヌの浅ましさに顔をゆがめ、ギリザンジェロは不快感をつのらせ舌打ちをした。
ギリザンジェロと、マリアンヌ。
対等でもなければ良好でもない関係のこの二人。
二人の今後を占うとすれば、吉なのか凶なのかは不明である。
ひとつだけハッキリしている事は、
ギリザンジェロは鼻ピアスをしないという事だ。
キャヴァがなぜプレゼントに鼻ピアスを選んだのか。
それは、キャヴァのみぞ知る、どうでもいいようで何気に大きな謎である――
応援ありがとうございます!
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