王宮の書類作成補助係

春山ひろ

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56. 他国の王女が義理の姉になった件②

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 マルコの兄、カイトは面食らっていた。
 どうみても書類作成補助係の係員ではない豪華なドレスを着た令嬢が、カウンターの中に立っていたからだ。

 今日、カイトが補助係に来たのは家業についてではなく、商店街の会計としてだった。王宮の王都係に提出する、サマーフェスティバルの最終予算申請の書類の確認にきたのだ。
 夏のサマーフェスティバルは商店街の一大イベントで、ほとんどの加盟店がなんらかのイベントに係っている。その全てのイベントの実費と総予算額の乖離を最小限に抑えること、これが商店街の会長(マルコとカイトらの父)が、息子カイトに下した命題だった。
 商店街のイベントも仕事の一環で真剣勝負。父も若かりし頃、祖父から同じ命題を出され、毎年、クリアしてきたという。こういう積み重ねで父は真の商売人に成長していった。一朝一夕で大陸一の両替商にはなれないのだ。

 だからカイトは、仕事で妥協しない。
 カイトは目の前の令嬢は無視して、その後ろに控えているダダン公爵に声をかけた。
「閣下、これはどんな冗談ですか?初めてカウンターに立った新人補助係というわけではないですよね?」
 普段、温厚な公爵が、さすがに慌てた。
「すまない、カイト」
 その公爵の声を遮ったのは外ならぬ王女だった。
「私はセスピーリオ国の王女、マイセンよ。でも本日は補助係として、そなたの書類を確認してあげてもよい。さあ、我の前に書類を出すがよい!」
 そういうと王女は扇でカウンターを指した。

 カイトは顔色をかえず、王女には見向きもしない。
「閣下、王都係へ提出予定の予算申請書類です。確認をお願します」
 目の前の王女しょうがいぶつを上手に避けて、カイトは後方の公爵に書類を手渡すと、さっさとカウンターから離れてフロアの椅子に座った。この間も、カイトは王女を一顧だにしなかった。

 ちょっと顔立ちの整っている男性とはいえ、所詮は平民。そんな平民が私に対して随分な対応だと王女は怒り心頭!
「なんて失礼な!我は、我はセスピーリオ国の」
「王女としてそこに立っているのであれば、補助係ではない!役にも立たない者に大事な書類の確認など任せられない!補助係をバカにしている!何のためにセスピーリオから、わざわざ視察に来たんですか?」

 カイトは王女の真の目的がレオンとのお見合いで、それを果たすために無理やり視察団に潜り込んだとは知らない。ただ視察目的の核心を突いた。
 王女はただ項垂れるしかなかった。

 カイトは椅子から立ち上がると、カウンターに近づいて王女と向きあい、近くにいた補助係に「なんでもいいので、白紙の書類をください」と声を掛けた。その補助係は王都係に提出する白紙の工事申請書類をくれた。
 カイトは王女の前に書類を出す。
「オリアナの申請書類は、とてもよく出来ているんです。改定に改定を重ね、いかに分かりやすく、そして無駄なく申請できるか!それを考え抜いて、この書式になったんです」

 カイトは王女に書類の説明をし始めた。カイトは長男。弟たちの面倒見もいいのだ。
「最初に書類の左肩を見ます。オリアナ歴788年8月改定版とありますね。必ず改定されているので、この日付が新しいのが最新の書類です。
 次に工事には、新築と改修工事があります。新築なら新築に〇するわけです。改修の場合は改修に〇します。次が…」
「すまぬが、新築とは何か?」
「え?そこから?」
 王女は真っ赤な顔で俯いた。だがカイトはだいぶやわらかい表情になって説明を続けた。

「新築というのは、建物の土台から全部建設する工事のことです。改修工事とは、既に出来ている建物の内部だったり、もしくは外の壁や屋根などの一部を建て直す、つまり改修する工事のことです」
「なるほど」
「新築工事だと、いきなり建設はできませんので、この新築工事の横の矢印を追って、2頁目に移動します。2頁目には地盤調査と基礎工事についての記入欄があり、そこを埋めていくんです」
「なるほど。地盤やらの意味も分からぬが、それを今、聞いてしまうと、余計に煩雑になる。先に進めてくれ」
 王女の物言いは上からだが、それは生まれた時から命令し続けてきたからだろう。同じ王族でもオリアナの王族が、いかに人として出来た人間か、改めてカイトは認識した。とはいえ、こういう物言いの王女に不思議と不快感はなかった。

「次に、建物の住所、建物の大きさ、そして工期を記入します」
「こうき?」
「そうです。いつからいつまでの間に工事をするのかという期間です。この工期は、施主といって建物を作るのにお金を出す人、つまり依頼主の都合になります。そして以下がとても大事な項目です」
 カイトの声が真剣になったので、王女も真剣に何も書いていない申請書類を見た。まるでそこに大事な事が書いてあるように…。

「まず、施主がどこの工務店に建築を頼んだのか。ここに工務店の名前を書きます。そしてその工務店と契約を締結した日を記入します。大事なのは、この契約締結日が工期より前でなければなりません」
「なぜ?」
「工事が始まってから契約を締結するのは、建築法違反になるからです。工事に入る前に、ちゃんと契約締結まで終了しておかなければならないんです」
「なるほど。…そうすると、補助係の係員は、そういうこと、つまり今、そなたがいった事について、理解していなければだめだというわけだな」

 王女は必死に書類を見ているので、カイトには旋毛つむじしか見えない。だけどカイトは、その旋毛に優しげに笑いかけた。
「ええ、そうです。補助係はそういう事までちゃんと理解しています」
「…そうか。私はとんでもない勘違いをしていたのだな。ただ項目欄が埋めてあるかどうかを確認するのが、補助係の仕事だと思っていた。とんでもない間違いだ」
「そうです。契約締結日についてもそうですけど、こちらには建設現場の代理人の氏名を記入する項目があります。この代理人になれるのは現場経験10年以上のベテランで、建築現場施工管理の資格を持っていないとできません。この代理人の横の矢印を辿っていくと、代理人の資格についての記入欄があり、そこをみて施工管理の資格があるかどうか、それの確認も補助係はしています」
「そうか…。すごいな。そうすると、補助係は建築法や戸籍法、貴族法などの知識も求められるんだな」
「そうですよ。補助係は研修でそれら法律についても学んでいるんです」
 カイトはマルコから研修の内容を聞いていたのだ。

「そうか。ちなみに王宮に書類作成補助係というのがあるのはオリアナだけだと聞いた。どうして他国に広がらなかったのだろうか?」
「オリアナで補助係というシステムが構築されたのは、初代オリアナ王の功績です。中でも製紙技術の発達と紙の普及、それに紙で残すという証拠主義からきたのだと思います。他国で広まらなかったのは、まずパルプ原料の紙が手に入らなかったことと、なんでも紙に残す証拠主義に重きを置いてなかったからではないでしょうか」
「そうか。こんなに素晴らしいシステムなら、我が国でも取り入れるよう進言する」
「そうですね。ただ、どんなに素晴らしいシステムでも改良の余地はあるんですよ」
「え?補助係にも?」
「ええ。例えばこの工事の書類ですが、これを提出してしまうと、自分の手元には残りません。だから、全く同じ書類一式を2つ、用意しなければならないんです。
 それが戸籍などの1枚だけの申請書類ならいいですけど、先ほどから説明したように、工事の書類となると、現場代理人の資格についても書かないといけないですし、基礎工事や地盤調査についても記入しないといけないわけで、提出書類が多いでしょう。こんなに多い書類を2セットづつ作るというのは大変なんです。だから、なんとかうまい方法はないかなと思っているんですよね」
 カイトの家業は両替商だが、王宮内に両替ショップを出した際、ショップの建築申請で書類と悪戦苦闘した経験があったのだ。

 王女は「そうか」といったきり、手元の書類に目を落とした。
 こんなに素晴らしい補助係というシステムでも、さらに改良の余地があるという。こうやって常に少しでも良くしていこうという発想、これが前向きな向上心というものなのだろうと、王女は思った。

 王女に生まれ、自国の王宮内ではある意味、無敵だった。
 ただ勉強は怠らなかった。優秀な家庭教師がつき、必要な事を教えてくれた。自分が政略結婚要員であることも分かっている。分かってはいるものの、少しでも見え麗しく、条件の良い相手に嫁げれば良い。それしか思ってなかった。

 目の前の商人は、きっとそんなことは思ったことさえないだろう。

 
 その後、王宮の客間に戻った王女は、窓を開けて空を見た。もう夕暮れになっており、風が出てきた。
 
 女官のパイアが部屋に入るなり、「窓をお閉めいたしましょう」といって、近づいてきた。
「ねえ、パイア、考えて。同じ書類を二つ作成しなければならない。でも出来るだけ手間なく、時短で仕上げる方法があるはず。それを考えて!」
 
 いきなりの王女の命令。だが、こんなことはいつもの事。王女の気まぐれだろうと思ったが、パイアはしばし熟慮。
「よい方法がございます!オリアナではパルプの製紙技術は発達したようですが、複写の技術はないようです!しかしセスピーリオには複写技術がございます!」

 王女は意味が分からなかった。
「複写?複写とは何?」
 パイアは「お待ちを!」といって、一度客間から出た。しばらくして戻った彼女の手には、カーボン紙とパルプの紙があった。
 セスピーリオの収入源は運河の通行料だ。この通行料を徴収する時、二枚重ねた手すきの紙の間にカーボンを挟んで、1枚目に書いた筆圧で2枚目に複写し、通行料の申請書と領収書を同時に作っているのだ。このカーボン紙はセスピーリオ国独自のもので、油や蝋を混ぜて作っていた。
 それをパイアは王女の前で披露した。

「素晴らしい!すごいわ!これなら同じ書類がすぐに出来る!」
「さようでございますね!解決してようございました」

 パイアは「これでおしまい」といって、窓を閉め始めた。
 王女はにっこり笑った。


 そしてその夜、セスピーリオ国の王女が身一つでマルコの実家、金庫のごとき邸宅に亡命した。その際、王女はカイトに言ったという。
「複写技術を教えます。だから私と結婚して!これが商人のWin-Winの関係でしょ!」

 こうしていきなり、義理の姉が出来たマルコ。結婚式に出ると結婚したくなる魔法?が効いたのか、さらにマルコとレオンの仲が進展していく?(たぶん)。
 
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