弟の恋人

春山ひろ

文字の大きさ
12 / 22

12、お白洲

しおりを挟む
 僕ら家族の日課に新たなに加わったものがある。
 それはディーンのジムに通うことだ。

 あの日の翌日、僕はディーンを連れて、姉さんが紹介してくれた超有名ジムに行った。ディーンは、とても驚いていた。
「『金さん』でも、呼んだのか」と、彼がいう。
 僕は、ディーンが「金さん」を気に入ってくれて、自然と笑顔になった。
 
 実際にジムに着くと、姉さんがどんな話をしたのか不明だったけど、引き込まれるようなテンションの、でっかくて、花柄のシャツに黒のスーツ、全ての指にゴールドの太い指輪をした、ぶっとんだファッションの男性が近づいてきた。
 これが会長だった。
 まず、スパークリングしてみてという話になり、僕はジムの端っこで、息をつめてディーンの雄姿を見守った。
 会長の興奮度はマックスまで上がり、すぐに所属が決まった。
 会長は、やたらめったら姉さんのことを聞いてきたので、これはもしかして、もしかするぞと、僕は密かに新たな恋の予感を感じた。
 その帰り、ディーンのアパートに寄って必要なものだけ取り、アパートの解約は翌日行うことにして、うちに一目散に帰ったのだ。
 その後の諸々の解約手続きは、全部、父さんがやってくれた。

 僕は、仕事終わりにジムに行く。すると、そこには父さんだったり、兄さんや姉さんがいるんだ。
 ディーンのかっこいいボクシングを堪能して、誰かが彼と一緒に帰る。
 それが一番多いのが母さんだった。
 母さんの図々しさ、いや順応力はすさまじく、ジムの一角に早々に「母さんのスペース」を作っていた。
 木目の綺麗な、アンティークの机の上に、どこかの市場で買った不思議な置物たち。鍵のかかる頑丈な引出し。座り心地のいい椅子。いつも使う肌触りのいいブランケットと、お気に入りのマグカップ。
 ディーンには、うちから電動自転車でジムに通ってもらうと言っていたけど、それは最初だけで、母さんの送り迎えが当たり前になっていった。
 そして家に帰ると、みんなで食事をとる。

 僕は、その後、弟のパソコンを見て、目当ての証拠、弟が命と引き換えにした、何かを探す。
 その時は、たいていディーンがいて、まるで抱き枕のように後ろから僕を抱き込み、僕の肩に顎(あご)を乗せて、二人でパソコンをチェックする。
 姉さんは、「あー、リビングでイチャイチャしてる~」とからかう。
 でも最近は、どうやらジムの会長と付き合っているらしく、僕らの方がからかっているけど。

 父さんは会社を使って、警察に再捜査を依頼した。すぐに動いてくれたという。僕が「どんな魔法を使ったの」と聞いたら、最新の部品洗浄機器のモニターになってくれといって、ロスの二つの署に無料で設置したと言っていた。
 兄さんと姉さんも、病院出入りの他の製薬会社の営業担当に、A社の情報をさりげなく聞いてくれ、情報を集めていた。
 
 時間は流れる。
 まだ僕は、弟が命を懸けた証拠を見つけられていない。
 僕だけが、まだ進まない。
 何かを見落としているのかもしれない。

 ディーンは、「そういう時は気分転換に『お白洲(しらす)』だ」といって、DVDを用意してくれる。
 最近のディーンのお気に入りは、「大岡越前」だ。「金さん」や「銭形平次」は、実在した人物ではない。あくまでもフィクションだ。
 でも「大岡越前」は、違う。「越前守(えちぜんのかみ)」というのは官名で、本当の名前は忘れたけど、実在した大名だ。町奉行所の役人で、人情味溢れる、それでいて悪党をとっちめた「大岡裁き」が、最大の見どころなんだ。
「実在した」というところが、ディーンのツボだったらしい。
「こんな判事が本当にいたのなら、すごいな」と、ディーンは少し寂しそうにいった。
 僕は彼の手をにぎる。とてもとても大切な手を握るんだ。この手を握れることが、どんなに大きな喜びを僕にもたらしてくれるか、それを伝えるために。
 これまでの彼の14年の人生には、きっと数えきれないほどの理不尽な出来事が襲ってきたのだろう。
 自分の背景だけを見て、正当に人を評価しない人は、たくさんいる。僕は、彼が受けたであろう数々の出来事を、彼が話そうとするまで、けっして聞かないと決めていた。

 その日、兄さんはヘッドフォンを付けて、音楽を聞きながらモバイルを見ていた。
 母さんは、キッチンで明日の食事の仕込み中だ。うちは基本的に日本食だけど、ディーンが来てから、その傾向がさらに強くなった。日本食はヘルシーだから、良質の筋肉を作れるのだと、母さんはいう。
 姉さんもキッチンにいて、みんなにコーヒーを入れている。
 さっきまで僕たちがいた「母さんのスペース」には、今、父さんがいて、僕と交代して弟のパソコンをチェックしていた。

 そして、「大岡越前」のDVDを見ている僕と彼。
 この風景は、うちの日常で、特に珍しくもない通常運転だった。
 ディーンの鋭い洞察力は、日本文化に対しても向けられて「日本人にはプライバシーはないのか?」と、彼は聞いた。
「なんで?」
「だって、鍵もかけられない部屋にいる」
 画面には、大岡越前守の私邸が映っていて、越前守の部屋に障子を開けて、奥方が入ってきたところだった。
「そっか。そう言われると、そうなのかな?昔の障子とか襖は、鍵ないから」
僕の答えにディーンが何も言わないので、ちらっと横を見た。
「…やっぱりここしかないか」
意味の分からない僕は、じっと彼の次の言葉を待った。姉さんの入れるコーヒーのいい香りがした。
 唐突に彼がいった。

「…俺がチャンピオンベルトを取ったら、結婚してくれ」

 姉さんの「アッチ」という声と、ガチャンとカップを落とす音がキッチンから響く。
 パソコンに向かっていた父さんは振り向いて、大爆笑した。
 母さんも大笑いしながら、「ほら、返事!」と、僕に言った。
 音楽を聴いている兄さんだけが、別の世界の住人だ。

 僕は、顔から火が出た。もう、ぼうぼうだった。
「な、な、なんで、ここでいうの?こんな、煌々と明るいリビングで!し、し、しかも家族、家族全員が、い、い、いるのに!」
 僕は、突然のプロポーズに、恥ずかしさが先に立ち、こんなことを言ってしまった。
 ディーンは、お白洲の場面になって、いよいよドラマのクライマックスに突入するTVから、目を離さず、笑いながら言った。

「プロポーズは、ここしかないと思った。こんなにプロポーズにふさわしい場所はないだろ。目の前には時代劇、家族が揃っているリビング。プライバシーのかけらもないシチュエーション。全部、お前の好きなものだ」

 僕は泣きそうだった。
 父さんは相変わらずの大爆笑で、姉さんは「先を越された」と、悔しがり、母さんはお腹を抱えて泣き笑いしながら、「早く!返事!返事しなさい!」と、言い続けた。
 異変に気付いた兄さんが、「何?何?どうした?」と、ヘッドフォンを外しながら言ったけど、みんな笑い過ぎてて、誰も返答できずにいた。

 僕はずっと後になって、彼から聞いた。
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時は心臓がバクバクだったんだ」

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

イケメンに惚れられた俺の話

モブです(病み期)
BL
歌うことが好きな俺三嶋裕人(みしまゆうと)は、匿名動画投稿サイトでユートとして活躍していた。 こんな俺を芸能事務所のお偉いさんがみつけてくれて俺はさらに活動の幅がひろがった。 そんなある日、最近人気の歌い手である大斗(だいと)とユニットを組んでみないかと社長に言われる。 どんなやつかと思い、会ってみると……

処理中です...