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12、お白洲
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僕ら家族の日課に新たなに加わったものがある。
それはディーンのジムに通うことだ。
あの日の翌日、僕はディーンを連れて、姉さんが紹介してくれた超有名ジムに行った。ディーンは、とても驚いていた。
「『金さん』でも、呼んだのか」と、彼がいう。
僕は、ディーンが「金さん」を気に入ってくれて、自然と笑顔になった。
実際にジムに着くと、姉さんがどんな話をしたのか不明だったけど、引き込まれるようなテンションの、でっかくて、花柄のシャツに黒のスーツ、全ての指にゴールドの太い指輪をした、ぶっとんだファッションの男性が近づいてきた。
これが会長だった。
まず、スパークリングしてみてという話になり、僕はジムの端っこで、息をつめてディーンの雄姿を見守った。
会長の興奮度はマックスまで上がり、すぐに所属が決まった。
会長は、やたらめったら姉さんのことを聞いてきたので、これはもしかして、もしかするぞと、僕は密かに新たな恋の予感を感じた。
その帰り、ディーンのアパートに寄って必要なものだけ取り、アパートの解約は翌日行うことにして、うちに一目散に帰ったのだ。
その後の諸々の解約手続きは、全部、父さんがやってくれた。
僕は、仕事終わりにジムに行く。すると、そこには父さんだったり、兄さんや姉さんがいるんだ。
ディーンのかっこいいボクシングを堪能して、誰かが彼と一緒に帰る。
それが一番多いのが母さんだった。
母さんの図々しさ、いや順応力はすさまじく、ジムの一角に早々に「母さんのスペース」を作っていた。
木目の綺麗な、アンティークの机の上に、どこかの市場で買った不思議な置物たち。鍵のかかる頑丈な引出し。座り心地のいい椅子。いつも使う肌触りのいいブランケットと、お気に入りのマグカップ。
ディーンには、うちから電動自転車でジムに通ってもらうと言っていたけど、それは最初だけで、母さんの送り迎えが当たり前になっていった。
そして家に帰ると、みんなで食事をとる。
僕は、その後、弟のパソコンを見て、目当ての証拠、弟が命と引き換えにした、何かを探す。
その時は、たいていディーンがいて、まるで抱き枕のように後ろから僕を抱き込み、僕の肩に顎(あご)を乗せて、二人でパソコンをチェックする。
姉さんは、「あー、リビングでイチャイチャしてる~」とからかう。
でも最近は、どうやらジムの会長と付き合っているらしく、僕らの方がからかっているけど。
父さんは会社を使って、警察に再捜査を依頼した。すぐに動いてくれたという。僕が「どんな魔法を使ったの」と聞いたら、最新の部品洗浄機器のモニターになってくれといって、ロスの二つの署に無料で設置したと言っていた。
兄さんと姉さんも、病院出入りの他の製薬会社の営業担当に、A社の情報をさりげなく聞いてくれ、情報を集めていた。
時間は流れる。
まだ僕は、弟が命を懸けた証拠を見つけられていない。
僕だけが、まだ進まない。
何かを見落としているのかもしれない。
ディーンは、「そういう時は気分転換に『お白洲(しらす)』だ」といって、DVDを用意してくれる。
最近のディーンのお気に入りは、「大岡越前」だ。「金さん」や「銭形平次」は、実在した人物ではない。あくまでもフィクションだ。
でも「大岡越前」は、違う。「越前守(えちぜんのかみ)」というのは官名で、本当の名前は忘れたけど、実在した大名だ。町奉行所の役人で、人情味溢れる、それでいて悪党をとっちめた「大岡裁き」が、最大の見どころなんだ。
「実在した」というところが、ディーンのツボだったらしい。
「こんな判事が本当にいたのなら、すごいな」と、ディーンは少し寂しそうにいった。
僕は彼の手をにぎる。とてもとても大切な手を握るんだ。この手を握れることが、どんなに大きな喜びを僕にもたらしてくれるか、それを伝えるために。
これまでの彼の14年の人生には、きっと数えきれないほどの理不尽な出来事が襲ってきたのだろう。
自分の背景だけを見て、正当に人を評価しない人は、たくさんいる。僕は、彼が受けたであろう数々の出来事を、彼が話そうとするまで、けっして聞かないと決めていた。
その日、兄さんはヘッドフォンを付けて、音楽を聞きながらモバイルを見ていた。
母さんは、キッチンで明日の食事の仕込み中だ。うちは基本的に日本食だけど、ディーンが来てから、その傾向がさらに強くなった。日本食はヘルシーだから、良質の筋肉を作れるのだと、母さんはいう。
姉さんもキッチンにいて、みんなにコーヒーを入れている。
さっきまで僕たちがいた「母さんのスペース」には、今、父さんがいて、僕と交代して弟のパソコンをチェックしていた。
そして、「大岡越前」のDVDを見ている僕と彼。
この風景は、うちの日常で、特に珍しくもない通常運転だった。
ディーンの鋭い洞察力は、日本文化に対しても向けられて「日本人にはプライバシーはないのか?」と、彼は聞いた。
「なんで?」
「だって、鍵もかけられない部屋にいる」
画面には、大岡越前守の私邸が映っていて、越前守の部屋に障子を開けて、奥方が入ってきたところだった。
「そっか。そう言われると、そうなのかな?昔の障子とか襖は、鍵ないから」
僕の答えにディーンが何も言わないので、ちらっと横を見た。
「…やっぱりここしかないか」
意味の分からない僕は、じっと彼の次の言葉を待った。姉さんの入れるコーヒーのいい香りがした。
唐突に彼がいった。
「…俺がチャンピオンベルトを取ったら、結婚してくれ」
姉さんの「アッチ」という声と、ガチャンとカップを落とす音がキッチンから響く。
パソコンに向かっていた父さんは振り向いて、大爆笑した。
母さんも大笑いしながら、「ほら、返事!」と、僕に言った。
音楽を聴いている兄さんだけが、別の世界の住人だ。
僕は、顔から火が出た。もう、ぼうぼうだった。
「な、な、なんで、ここでいうの?こんな、煌々と明るいリビングで!し、し、しかも家族、家族全員が、い、い、いるのに!」
僕は、突然のプロポーズに、恥ずかしさが先に立ち、こんなことを言ってしまった。
ディーンは、お白洲の場面になって、いよいよドラマのクライマックスに突入するTVから、目を離さず、笑いながら言った。
「プロポーズは、ここしかないと思った。こんなにプロポーズにふさわしい場所はないだろ。目の前には時代劇、家族が揃っているリビング。プライバシーのかけらもないシチュエーション。全部、お前の好きなものだ」
僕は泣きそうだった。
父さんは相変わらずの大爆笑で、姉さんは「先を越された」と、悔しがり、母さんはお腹を抱えて泣き笑いしながら、「早く!返事!返事しなさい!」と、言い続けた。
異変に気付いた兄さんが、「何?何?どうした?」と、ヘッドフォンを外しながら言ったけど、みんな笑い過ぎてて、誰も返答できずにいた。
僕はずっと後になって、彼から聞いた。
「信じてもらえないかもしれないけど、あの時は心臓がバクバクだったんだ」
それはディーンのジムに通うことだ。
あの日の翌日、僕はディーンを連れて、姉さんが紹介してくれた超有名ジムに行った。ディーンは、とても驚いていた。
「『金さん』でも、呼んだのか」と、彼がいう。
僕は、ディーンが「金さん」を気に入ってくれて、自然と笑顔になった。
実際にジムに着くと、姉さんがどんな話をしたのか不明だったけど、引き込まれるようなテンションの、でっかくて、花柄のシャツに黒のスーツ、全ての指にゴールドの太い指輪をした、ぶっとんだファッションの男性が近づいてきた。
これが会長だった。
まず、スパークリングしてみてという話になり、僕はジムの端っこで、息をつめてディーンの雄姿を見守った。
会長の興奮度はマックスまで上がり、すぐに所属が決まった。
会長は、やたらめったら姉さんのことを聞いてきたので、これはもしかして、もしかするぞと、僕は密かに新たな恋の予感を感じた。
その帰り、ディーンのアパートに寄って必要なものだけ取り、アパートの解約は翌日行うことにして、うちに一目散に帰ったのだ。
その後の諸々の解約手続きは、全部、父さんがやってくれた。
僕は、仕事終わりにジムに行く。すると、そこには父さんだったり、兄さんや姉さんがいるんだ。
ディーンのかっこいいボクシングを堪能して、誰かが彼と一緒に帰る。
それが一番多いのが母さんだった。
母さんの図々しさ、いや順応力はすさまじく、ジムの一角に早々に「母さんのスペース」を作っていた。
木目の綺麗な、アンティークの机の上に、どこかの市場で買った不思議な置物たち。鍵のかかる頑丈な引出し。座り心地のいい椅子。いつも使う肌触りのいいブランケットと、お気に入りのマグカップ。
ディーンには、うちから電動自転車でジムに通ってもらうと言っていたけど、それは最初だけで、母さんの送り迎えが当たり前になっていった。
そして家に帰ると、みんなで食事をとる。
僕は、その後、弟のパソコンを見て、目当ての証拠、弟が命と引き換えにした、何かを探す。
その時は、たいていディーンがいて、まるで抱き枕のように後ろから僕を抱き込み、僕の肩に顎(あご)を乗せて、二人でパソコンをチェックする。
姉さんは、「あー、リビングでイチャイチャしてる~」とからかう。
でも最近は、どうやらジムの会長と付き合っているらしく、僕らの方がからかっているけど。
父さんは会社を使って、警察に再捜査を依頼した。すぐに動いてくれたという。僕が「どんな魔法を使ったの」と聞いたら、最新の部品洗浄機器のモニターになってくれといって、ロスの二つの署に無料で設置したと言っていた。
兄さんと姉さんも、病院出入りの他の製薬会社の営業担当に、A社の情報をさりげなく聞いてくれ、情報を集めていた。
時間は流れる。
まだ僕は、弟が命を懸けた証拠を見つけられていない。
僕だけが、まだ進まない。
何かを見落としているのかもしれない。
ディーンは、「そういう時は気分転換に『お白洲(しらす)』だ」といって、DVDを用意してくれる。
最近のディーンのお気に入りは、「大岡越前」だ。「金さん」や「銭形平次」は、実在した人物ではない。あくまでもフィクションだ。
でも「大岡越前」は、違う。「越前守(えちぜんのかみ)」というのは官名で、本当の名前は忘れたけど、実在した大名だ。町奉行所の役人で、人情味溢れる、それでいて悪党をとっちめた「大岡裁き」が、最大の見どころなんだ。
「実在した」というところが、ディーンのツボだったらしい。
「こんな判事が本当にいたのなら、すごいな」と、ディーンは少し寂しそうにいった。
僕は彼の手をにぎる。とてもとても大切な手を握るんだ。この手を握れることが、どんなに大きな喜びを僕にもたらしてくれるか、それを伝えるために。
これまでの彼の14年の人生には、きっと数えきれないほどの理不尽な出来事が襲ってきたのだろう。
自分の背景だけを見て、正当に人を評価しない人は、たくさんいる。僕は、彼が受けたであろう数々の出来事を、彼が話そうとするまで、けっして聞かないと決めていた。
その日、兄さんはヘッドフォンを付けて、音楽を聞きながらモバイルを見ていた。
母さんは、キッチンで明日の食事の仕込み中だ。うちは基本的に日本食だけど、ディーンが来てから、その傾向がさらに強くなった。日本食はヘルシーだから、良質の筋肉を作れるのだと、母さんはいう。
姉さんもキッチンにいて、みんなにコーヒーを入れている。
さっきまで僕たちがいた「母さんのスペース」には、今、父さんがいて、僕と交代して弟のパソコンをチェックしていた。
そして、「大岡越前」のDVDを見ている僕と彼。
この風景は、うちの日常で、特に珍しくもない通常運転だった。
ディーンの鋭い洞察力は、日本文化に対しても向けられて「日本人にはプライバシーはないのか?」と、彼は聞いた。
「なんで?」
「だって、鍵もかけられない部屋にいる」
画面には、大岡越前守の私邸が映っていて、越前守の部屋に障子を開けて、奥方が入ってきたところだった。
「そっか。そう言われると、そうなのかな?昔の障子とか襖は、鍵ないから」
僕の答えにディーンが何も言わないので、ちらっと横を見た。
「…やっぱりここしかないか」
意味の分からない僕は、じっと彼の次の言葉を待った。姉さんの入れるコーヒーのいい香りがした。
唐突に彼がいった。
「…俺がチャンピオンベルトを取ったら、結婚してくれ」
姉さんの「アッチ」という声と、ガチャンとカップを落とす音がキッチンから響く。
パソコンに向かっていた父さんは振り向いて、大爆笑した。
母さんも大笑いしながら、「ほら、返事!」と、僕に言った。
音楽を聴いている兄さんだけが、別の世界の住人だ。
僕は、顔から火が出た。もう、ぼうぼうだった。
「な、な、なんで、ここでいうの?こんな、煌々と明るいリビングで!し、し、しかも家族、家族全員が、い、い、いるのに!」
僕は、突然のプロポーズに、恥ずかしさが先に立ち、こんなことを言ってしまった。
ディーンは、お白洲の場面になって、いよいよドラマのクライマックスに突入するTVから、目を離さず、笑いながら言った。
「プロポーズは、ここしかないと思った。こんなにプロポーズにふさわしい場所はないだろ。目の前には時代劇、家族が揃っているリビング。プライバシーのかけらもないシチュエーション。全部、お前の好きなものだ」
僕は泣きそうだった。
父さんは相変わらずの大爆笑で、姉さんは「先を越された」と、悔しがり、母さんはお腹を抱えて泣き笑いしながら、「早く!返事!返事しなさい!」と、言い続けた。
異変に気付いた兄さんが、「何?何?どうした?」と、ヘッドフォンを外しながら言ったけど、みんな笑い過ぎてて、誰も返答できずにいた。
僕はずっと後になって、彼から聞いた。
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