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1章
1-10 鬼畜ぅぅぅぅぅ!
しおりを挟む「――すみません! リリウムさんは!」
「やぁ、ライリー。待っていたよ」
クレソンさんと入れ違いに部屋に飛び込んできたのは、第一王位継承者であるカサブランカ様の側近の一人――ライリーさんだった。
彼女は肩までのくすんだ金色の髪を振り乱し、金色の釣り目がちの瞳に焦りを滲ませている。
管理局の中でも珍しい、精術師。その上、精術師が第一王子の側近になるという偉業を成し遂げた人物だ。
彼女が精術師である証拠に、制服の襟元には蕾のバッヂがついている。その隣には、彼女が十二枚の管理官であることを示す階級章。胸元のネクタイには、タイピン型にしている精霊石。
この全てが、管理局内でも稀有な存在である事を表していた。
「待っていたよ、じゃないですよ! あんたって人は!」
「いやー、こっちに手伝いに行く、って言ってたでしょ?」
「はいはい、言っていました。言っていましたよ!」
双子で側近をしているが、彼女の性格はどちらかと言えば短気。それゆえか、ちょっと怒っているように見える。
「で、君はカサブランカ様に追加の手伝い要因として派遣された」
「はいはい、そうです。そうなんですけど」
二人のやりとりをしり目に、俺は書類に手を付けた。椅子はリリウムさんに占拠されているので、立ちながら机の上に書き物をする。
「貴方が具体的にどのあたりに手伝いに行っているのかが伝えられていなかったので、焦りましたよ」
「あはは、迷いそうだったの?」
「それ、精術師に聞きます?」
ネモフィラ様が「あの」とか「えっと」とか言っているが、しばらくは戸惑ったままフリーズしていて欲しい。
「どこにいるかの調べは、ヴニヴェルズムに頼んだので大丈夫でしたよ」
「それじゃあ、どうして焦ったのかな?」
「んなもん、決まってるじゃないですか」
口調はあまり丁寧ではないが、女性にしては少し低い声は、落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
「焦ったのは、急いでいたからです! ブラン様ったら、三分以内に見付けて手伝ってこい、はい、ダッシュ! って言ったんですよ! 鬼畜!」
中々大変そうだ。
「まぁまぁ。とりあえずこの書類を普通課に戻してきてよ」
「鬼畜ぅぅぅぅぅ!」
今走ってきた人にそれを言うか。しかも、一応今は上司だろう。
だがライリーさんは一度抗議の声を上げると、リリウムさんに差し出された書類をさくっと確認すると「十分で戻ります」と言い残して、今走って来たばかりの道を戻って行った。
「さて、ここの椅子はもっと必要そうだね」
リリウムさんはライリーさんを見送ってから、俺の格好を見る。いや、誰のせいだと……。
「ネモフィラ様、椅子を取りに行きましょう」
「何故わたくしが」
「そりゃあ、他の仕事を任せるわけにはいかないレベルで使えないからですよ」
ネモフィラ様は「まぁ!」と憤慨している。
が、事実は事実。言われても仕方がない。普通は相手の立場を考えて、言わないが。
やはりこういった行動が、カサブランカ様の異母兄弟説をより強固なものにしているのだろう。
「だーって、書類を別ける事すらまともに出来てなかったじゃないですか」
リリウムさんはにっこりとほほ笑むと、これを皮切りに「他にも、書類がどこから来たものかも確認出来てなかったみたいだし」だの、「騒いでばっかりで」だの、そりゃあもう、嫌味のオンパレードを浴びせられた。
俺は聞いてないふりをして書類を進める。
見て見ぬふりは申し訳ないが、助け船を出せる部分は無い。残念ながら、リリウムさんの嫌味は全て正論だったのだ。
「行きます! 行きますわ!」
やがて音を上げたのは、ネモフィラ様だった。
「いやー、分かってくれてよかったよ。僕も手伝ってあげるね」
リリウムさんは席を立つと、ネモフィラ様の手をぎゅっと握った。
おいおい、その人、婚約者のいる身だぞ……。
「この邪魔なお姫様は一回引き受けるから、君は僕たちへ何を指示するか考えておいて。今はジス君に従う」
「いや、しかし」
「だーって、忙しい忙しいとピーピー騒ぐだけの人の手伝いなんて、したって無駄でしょ? この分だと、しわ寄せのほとんどは君と、君の同僚及び部下にあるようだし」
ぐうの音も出ない。
「いやー、ジス君が優秀すぎるが故だね。例えば君がナスタチウム君の仕事を全てこなせないのだとすれば、周りもピーピー言っているだけじゃあ済まなかった筈なんだけど」
「私は決して全て出来ている訳では」
「でも、出来る」
リリウムさんは断言する。隣でネモフィラ様に「離して下さいまし」と抗議をされながら。そっちに関しては、離してやれよ。
「この判断は、君のお父上に当たるバンクシアさんが下した。そして僕もね」
「……ありがとうございます」
やはり、バンクシアさんの存在は大きい。あの人は何を考えて、一局員であった俺にこんな大役を与えたのだろう。リリウムさんも、俺を信じられると感じたのは一体どんな部分だったのか。
特別な事をした記憶がない為、少し理解が追いつかない。
「んじゃ、ちょっと考える時間をあげるから、どうするか決めて。ライリーが帰って来たら好きに使ってもいいから」
「離して下さいまし!」
「はいはーい。行くよー」
二人は手を繋いだまま、執務室を出て行った。手、離してやればいいのに。
俺が何故こんな役割を担っているのか、俺に一体何を期待しているのかは分からないが……とにかく今は、やるしかない。
書類の山にざっと目を通しながら、誰に何をさせるのかを考えていく。
リリウムさんとライリーさんには、大体の仕事をお願い出来るだろう。
俺の同僚や部下にも、負担を強いる事になるが、頼める事は多い。
問題はネモフィラ様だ。管理局に託児所があればいいのに。
暫く考えていると、大きなため息が出た。
「あれ、ジス君、一人ですか?」
ため息を吐いた瞬間、ドアが開いた。ライリーさんが帰ってきたのだ。
ため息、聞かれたかな。
「リリウムさんは?」
「ネモフィラ様と椅子を取りに行きました」
「あー……」
彼女はきょろきょろと部屋の中を見回したが、俺の説明に合点がいったとばかりに、困ったようにヘラっと笑った。
「探してきますか?」
彼女を使ってもいいとは言われていたが、そこは本人の意思を尊重したい。
「迷う所ですが……」
彼女は宙に視線をさまよわせる。
「ヴニヴェルズム。リリウムさんは今どこにいるの?」
そうか、あの辺に精霊がいるのか。出来る事なら俺も見たい。
が、残念ながら精術師ではない為、姿を認識する事は出来ない。
「じゃ、問題無いね。変な動きがあったらすぐに知らせて。お願い」
「……ライリーさん」
「はい?」
精霊と話し終えたであろうタイミングで彼女の名を呼べば、彼女はヘラっとした笑みのまま首を傾げた。
ライリーさんも、その兄のウィリアムさんも、基本の表情はこのヘラっとした笑顔だ。あまり崩れることは無い……と、言いたい所だが、残念ながらたまに崩れる。
それこそ、最初にこの部屋に飛び込んできた時のように、焦りだか急ぎだかを孕んだ表情であったり。
「ヴニヴェルズムは、どんな精霊なんですか?」
「おや、調書を見た事がありませんか?」
彼女は精術師だ。当然、彼女の調書には、精霊や武器についての記述もある。
「ありますが、気になって」
俺はライリーさんに渡す分の書類をとりわけながら続けた。
精霊についての記述は、あくまで書かれているだけ。本物を知る人の話を聞いてみたいと思うのは、当然の事だろう。
いや、当然でもないか。
案外精術師を馬鹿にする者は多いのだから。
「ふーむ」
ライリーさんは、俺から書類を受取りながら少し考えた。
が、やがて受け取った書類を机の隅に置くと、俺の手を取る。
「えっと?」
「ヴニヴェルズムの形状は、鶏にトカゲのしっぽがついている感じです」
困惑する俺を余所に、彼女は俺の手袋を外し、自らの胸ポケットからペンを取りだした。
そして、むき出しの俺の手の甲に、ふにゃっとした鳥ににょろっとした尾がついている生物の絵を描いた。
「具体的にはこんな感じです」
「個性的ですね」
「ありがとうございます」
絵が描きあがると、俺の手は解放された。
描かれた絵は可愛いので、わざわざ今洗って消さなくてもいいだろう。俺は絵が描かれた手に手袋をはめ直した。
「さ、もうすぐリリウムさんが帰って来るようですよ。お仕事しましょ」
「はい」
ちょっと脱線はあったものの、俺とライリーさんは仕事を再開したのだった。
***
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