蝶の標本

二ノ宮明季

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蝶の標本

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 怪我をしたその青年――北山は、とてつもなく美しい男だ。

 彼を家に連れ帰り、怪我の手当てをしたのは、美しいものを愛する南条としては、ごく自然の事だっただろう。今までも、そして、きっとこれからも。

「痛っ……」

「大丈夫かい?」

「大丈夫ではねーよ。見ての通り、傷口は深いし、手当したって痛みが無くなるわけじゃねーんだから」

 学生の頃からの友人関係だが、南条からはよこしまな感情を向けていた。

 筋の通った鼻に、切れ長の瞳。いつ見てもさらさらと流れるような色素の薄い髪。どこか中性的な外見に似合わぬ、乱暴な口調。それら全てが美しく、そして気高く、穢れなどある筈もなく、触れて良いものにも思えない。

 そんな北山を見ていると、美しいものを手元に置いておきたいコレクターとしての気持ちが昂るのだ。

「相変わらず、お前の部屋って不気味だな」

 北山は、今しがた南条に手当をして貰った怪我をさすりながら、ぐるりと部屋を見回す。

 南条の部屋には、おびただしい程の蝶の標本が飾られているのだ。

「そうかな? 僕はただ、美しいものに囲まれて生きていたいだけだよ」

「だから、お前は俺を好きなんだ?」

 問われ、ぎくりとする。その話をした事は、一度も無かったはずだ。

「図星って顔してるぞ」

「そ、そう、かな?」

「今度は取り繕った」

 北山はにやりと笑うと、立ち上がる。そうして、この部屋の主が座る事のみを想定しておかれた一人がけのソファに腰かけた。

 北山の怪我の手当てをしていた南条は、手当てをしていた時のまま座布団に座っている。つまり、北山の足元に居るのだ。

「おい、俺が何にも知らず、何にも気付かない馬鹿だとでも思ってなかったか?」

 長い脚が組まれる。

「俺は人よりも美しい。つまり、人よりも悪意にさらされるんだよ」

 ふんぞり返って、見下す視線。

「ただ、まぁ、お前のそれは悪意じゃねぇ。それに、学生時代から俺に危害を加える様子すら見られねぇし」

 はは、と笑うと、北山は「で?」と尋ねる。

「で、とは?」

 意図が全く読めずに、南条は曖昧に首を傾げた。

「俺は愛玩人形じゃねーぞ」

「知っているよ」

 戸惑いながらも、南条は登場の近くで姿勢を正す。丁度、王の御膳で跪く人のように。

「お前の大好きな蝶でもねぇ。蝶のように羽ばたけもしねーしな」

「蝶は好きだけど、羽ばたかれたくはない、かな」

「あー、そうなのか?」

 北山はヘラっと笑うと、南条に「何で?」と高圧的に尋ねた。

「綺麗な物は、綺麗な姿のままで、手元に置いておきたいんだ」

「んじゃ、俺はその対象ってわけだ」

「……そう、なるね」

 「ははは」と大きな笑い声が部屋に響く。北山は笑って笑って、腹を抱えて転げるように笑って、やがて真顔になってふんぞり返って吐き捨てた。

「冗談じゃねーよ」

 と。

 吐き捨てた北山は、そのまま苛立った様子で南条の頭を足で踏みつけた。

「俺は俺だ。お前のペットになってたまるか」

 舌打ちをして、何度も南条の頭のてっぺんを執拗に踏む。

「何? お前、俺を保護して気分良くなってんの?」

「そ、そんな事は」

「ふぅん?」

 今度は踏みつけた足を退かし、そのまま足で北山の顎をあげさせる。

 そうすると、彼は今までの苛立ちが消え去ったかの様に、ニヤっと笑みを刻んだ。

「むしろ、気分を良くしているのは今か。こんな事されて、テント張っちゃうとはなぁ」

 視線は今、南条の下肢へと向かっている。

 服越しでもはっきりと、南条のそれが自己主張している事に気が付いたのだ。勿論、指摘された南条も。

 尤も、彼に関しては自分の肉体の事。踏まれている間に、むくむくとソレも、興奮も膨れ上がっていた事には気が付いていた。

「おいおい、興奮する相手は女にしておけばいいだろ? 何で男相手に勃起してるんだよ」

 けらけらと笑う声は、酷く屈辱的で、何故か情欲をそそる。

「女に勃起しねーの?」

「し、した事、無い」

「綺麗な女にも?」

「君よりも美しい人なんて……」

 南条がもごもごと答えると、北山は「ふぅん?」と少し考えて、足を降ろした。

 そろえられた二本の足。内一本は、怪我の手当てをした為に靴下を履いてはいない。

 靴下を履いた足が降ろされ、履いていない足と二本並ぶと、彼の色白さが際立つ。ごくり、と生唾を飲み込んだ。

「だーい好きな蝶にも?」

「それは、君に出会う前まで」

「わーお、筋金入り」

 ははっ、と笑う。機嫌がいいのか悪いのか。今日の北山は良く笑っていた。

「そ、それで、何が言いたいのかな?」

 恐る恐る尋ねると、北山は目を丸くする。少し子供っぽく、今までの雰囲気とは違うそれが、より興奮した。

 もはや南条にとって、全てが興奮剤となっている。

「おいおい、何もしてねーのに息が上がってるぞ? 俺を抱きたい? 抱かれたい?」

「だ、抱きたい」

「ひゃー、言うねー」

 北山は、また怪我をしていない方の足で南条の顎をあげた。

「その前にさー、いう事、あるんじゃねーの?」

「な、何?」

「俺、で? って言ったじゃん」

「言ったね」

 あげられた格好では頷けもしない。

「言ったね、じゃねーよ」

 あげられた顎は蹴られ、北山の足は再び二本、地についた。

 顎が蹴り上げられた事で、クラクラする頭を押さえ、南条が彼を見上げた。一人がけのソファにふんぞり返って座る彼には、王者の風格が備わっている。

「ヤりてぇんなら、先に言う事があるだろ、って言ってんの」

「だ、抱かせて下さい」

「違う」

 頭を振られた。

「えっと、抱いて下さい?」

「そういう問題じゃねーよ。馬鹿」

 北山は吐き捨てる。

「蝶を、飛び立たないようにする方法、あるだろ」

「気絶させてからピンでとめる」

「こえーよ。猟奇的かよ。しかも違うし」

 南条も、そろそろなんとなく意図に思い当たった。だが、まさか、そんな訳はない。

 北山は雲の上の存在なのだから。

「比・喩・表現、なんですけど?」

「ま、まさか……」

 これは、いよいよもって、正解だろうか。ごくり、と喉がなった。この短時間に、二回目だ。

「蝶のように飛び立っちまうぞ。いいのか?」

「よ、よくない!」

 瞬間的に大きな声を出す。

「す、好きだ! こ、恋人として傍に居ては貰えないか!」

「恋人、だなんて対等に思うなよ」

 答えは、ははっ、と、機嫌の良さそうな声で紡がれた。

「俺はお前のご主人様だ。ずっと愛玩してくれたお礼を、これからたっぷりとしてやる」

 北山は立ち上がり、跪く南条を見下ろす。

「もしもお前が、俺以外の美しいものに惑わされてみろ」

 そうして、怪我をした足で南条の胸を軽く蹴った。軽い筈なのに、南条は酷く簡単に仰向けに倒れる。

「その時は、本当に気絶させてピンでとめてやるよ。蝶のように、な」

 胸に足が乗せられる。

 蝶のように思っていた相手は――。いや、今は止めておこう。

 この美しい男による、美しい余韻に酔いしれていたいと、切に願ってしまったのだから。もうどうしようもない。蝶のように、ピンでとめられたのは……果たして。
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