1 / 4
其の一.或る公僕と女学生の逢瀬
しおりを挟む
二人の逢瀬に確約はない。
水曜日、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く――。
◇◇◇◇◇
無人になったオフィスの中心から全体を見回し、私は八方へ手刀を切るように消灯確認をして、かけている眼鏡の位置を軽く直した。
エレベーターホールから続く出入口から、突き当たりの壁まで長く伸びる二列のカウンターによって広いオフィスは二つの区画に分かれている。
カウンターに一定の間隔を空けて置かれた、『本日の業務は終了しました』細長い三角の札立て。
その真上の天井から、部署名を記した白いプラスチックのプレートがぶら下がっている。
入って左の区画は市民課、右は保険年金課。
住民記録係、マイナンバー相談係、払込窓口、給付資格係、徴収係、保険・年金給付係。
日々変わり映えしない通路を、これまた日々変わり映えしない量販店で買ったグレーのスーツを着た姿で歩く。
ジャケットに同じパンツが二本セットで売っているものだ。首回りがいまひとつ合っていない既製の薄いブルーのシャツに、紺地のネクタイ。ぱっと見さしたる変化はないだろうが柄は一応日替わりである。
勤め始めて五年が経つというのに、正規の職員で私は下っ端のまま。
九時五時なんていつの時代の話なのか。担当業務外の雑務に忙殺されて、大抵この階を最後に出る者は私であった。
ウォォォオン、と恨みがましい呻き声ような不気味な音をモーターが立てるエレベータで、三階から一階へ。
「お疲れ様です」
避難経路を示す緑色の光だけが目立つ、薄暗い廊下を曲がったところで警備員の制服を着た初老の男に声を掛けられた。
シルバー採用の嘱託職員。
もし彼が出くわしたのが私ではなく、よからぬ目的で侵入した暴漢であったなら、この非力な警備員に一体どんな対処が出来るのか。
「お疲れ様です」
警備という言葉の意味に対して挑戦的ですらある。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、掛けられた言葉と同じ言葉を返して職員玄関から外に出る。すっかり真っ暗だ。
腕時計を見れば七時四十分を回ったところだった。
職員専用駐車場に停めてある、車検を一度通した車のキーを開け乗り込む。
車体にステッカーを貼ればそのまま役所の公用車になりそうな、白いハイブリットの小型乗用車。
私の名は、小寺荘司。
保険年金課徴収係の市役所職員。二十七歳・独身。
職場から自宅までの間、金曜夜に週末の買い出しをする以外に寄り道もほとんどしないが、三ヶ月程前から週に一度の頻度で立ち寄る場所が増えている。
町のメインストリート沿い、『Daily』という赤紫のネオン看板を掲げ、中途半端にレンガを埋め込んだ白壁が特徴の、個人経営のファミリーレストラン。
「別に律儀に通う義理もないのだが……」
街灯は一つだけ。無駄に広くがらんと人気のない薄暗い駐車場の、入ってすぐの場所に車を止めてエンジンを切り、運転席でため息を一つ吐いて車を降りる。
まだ夕飯時の時間帯から外れてはいないというのに、今日も客入はいまひとつのようだ。
ピロリロピロ~ン。
人を小馬鹿にしているような電子音の鳴る自動ドアを通って店に入り、左奥の隅、偽物の観葉植物の鉢の影に隠れるボックス席まで足を向ける。
途中、やる気のないアルバイトの青年から「らっしゃいませ~」とやる気のない歓迎を受けた。
店はそこそこ広いのだが、この青年とオーナー店長らしき中年男しか店員の姿を見かけたことがない。
そういうシフトなのかもしれない。
「おー、小寺さーん!」
クリームソーダのグラスを手にした少女の大声に、反射的にぴくりと頬が引き攣った。
黒髪おかっぱストレート。紺のリボンとラインが古風な白いセーラー服は、この町で、お嬢様学校とされるチャペルがある私立女子校の制服である。
西山之丘高等女学院、二年生、八月一日十和。
部活は演劇部、大道具担当であるらしいが、声がでかいっ。
「大声で人の名前を呼ぶのは止めてもらえませんか、十和さん」
「ふぁんで?」
おそらく「なんで?」と言ったのだろう。
クリームソーダのクリームを頬張って首をかしげる少女に、世間体というものがあるのでと答える。
役所勤めの二十七歳独身男が、夜のファミレス店の一画で明らかに赤の他人な女子高生と逢引きなどと。
どう考えても誤解しか生まない。
「だから世間てーってなんで?」
「なんでもです」
掛けている眼鏡を持ち上げるように眉間をほぐしながら、私は彼女の正面の席に腰を下ろした。
二人の逢瀬に確約はない。
水曜日、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く。
ただ、それだけである。
水曜日、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く――。
◇◇◇◇◇
無人になったオフィスの中心から全体を見回し、私は八方へ手刀を切るように消灯確認をして、かけている眼鏡の位置を軽く直した。
エレベーターホールから続く出入口から、突き当たりの壁まで長く伸びる二列のカウンターによって広いオフィスは二つの区画に分かれている。
カウンターに一定の間隔を空けて置かれた、『本日の業務は終了しました』細長い三角の札立て。
その真上の天井から、部署名を記した白いプラスチックのプレートがぶら下がっている。
入って左の区画は市民課、右は保険年金課。
住民記録係、マイナンバー相談係、払込窓口、給付資格係、徴収係、保険・年金給付係。
日々変わり映えしない通路を、これまた日々変わり映えしない量販店で買ったグレーのスーツを着た姿で歩く。
ジャケットに同じパンツが二本セットで売っているものだ。首回りがいまひとつ合っていない既製の薄いブルーのシャツに、紺地のネクタイ。ぱっと見さしたる変化はないだろうが柄は一応日替わりである。
勤め始めて五年が経つというのに、正規の職員で私は下っ端のまま。
九時五時なんていつの時代の話なのか。担当業務外の雑務に忙殺されて、大抵この階を最後に出る者は私であった。
ウォォォオン、と恨みがましい呻き声ような不気味な音をモーターが立てるエレベータで、三階から一階へ。
「お疲れ様です」
避難経路を示す緑色の光だけが目立つ、薄暗い廊下を曲がったところで警備員の制服を着た初老の男に声を掛けられた。
シルバー採用の嘱託職員。
もし彼が出くわしたのが私ではなく、よからぬ目的で侵入した暴漢であったなら、この非力な警備員に一体どんな対処が出来るのか。
「お疲れ様です」
警備という言葉の意味に対して挑戦的ですらある。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、掛けられた言葉と同じ言葉を返して職員玄関から外に出る。すっかり真っ暗だ。
腕時計を見れば七時四十分を回ったところだった。
職員専用駐車場に停めてある、車検を一度通した車のキーを開け乗り込む。
車体にステッカーを貼ればそのまま役所の公用車になりそうな、白いハイブリットの小型乗用車。
私の名は、小寺荘司。
保険年金課徴収係の市役所職員。二十七歳・独身。
職場から自宅までの間、金曜夜に週末の買い出しをする以外に寄り道もほとんどしないが、三ヶ月程前から週に一度の頻度で立ち寄る場所が増えている。
町のメインストリート沿い、『Daily』という赤紫のネオン看板を掲げ、中途半端にレンガを埋め込んだ白壁が特徴の、個人経営のファミリーレストラン。
「別に律儀に通う義理もないのだが……」
街灯は一つだけ。無駄に広くがらんと人気のない薄暗い駐車場の、入ってすぐの場所に車を止めてエンジンを切り、運転席でため息を一つ吐いて車を降りる。
まだ夕飯時の時間帯から外れてはいないというのに、今日も客入はいまひとつのようだ。
ピロリロピロ~ン。
人を小馬鹿にしているような電子音の鳴る自動ドアを通って店に入り、左奥の隅、偽物の観葉植物の鉢の影に隠れるボックス席まで足を向ける。
途中、やる気のないアルバイトの青年から「らっしゃいませ~」とやる気のない歓迎を受けた。
店はそこそこ広いのだが、この青年とオーナー店長らしき中年男しか店員の姿を見かけたことがない。
そういうシフトなのかもしれない。
「おー、小寺さーん!」
クリームソーダのグラスを手にした少女の大声に、反射的にぴくりと頬が引き攣った。
黒髪おかっぱストレート。紺のリボンとラインが古風な白いセーラー服は、この町で、お嬢様学校とされるチャペルがある私立女子校の制服である。
西山之丘高等女学院、二年生、八月一日十和。
部活は演劇部、大道具担当であるらしいが、声がでかいっ。
「大声で人の名前を呼ぶのは止めてもらえませんか、十和さん」
「ふぁんで?」
おそらく「なんで?」と言ったのだろう。
クリームソーダのクリームを頬張って首をかしげる少女に、世間体というものがあるのでと答える。
役所勤めの二十七歳独身男が、夜のファミレス店の一画で明らかに赤の他人な女子高生と逢引きなどと。
どう考えても誤解しか生まない。
「だから世間てーってなんで?」
「なんでもです」
掛けている眼鏡を持ち上げるように眉間をほぐしながら、私は彼女の正面の席に腰を下ろした。
二人の逢瀬に確約はない。
水曜日、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く。
ただ、それだけである。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
雪嶺後宮と、狼王の花嫁
由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。
巫女として献上された少女セツナは、
封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。
人と妖、政と信仰の狭間で、
彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。
雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
後宮薬師は名を持たない
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)
MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。
しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。
母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。
その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。
純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。
交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる