峽の剣

Shikuu

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第二章 悪党と娘

第二章 悪党と娘(2)

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 まだ、陽は高い。
 清太達四人ならば、夜更けには当初の目的地である洛北大原まで辿り着けるはずだが、意識を失ったままの娘を伏見街道の路傍に放置することもできない。
 気を失ったままの娘を弥蔵が背負い、一行は亥介が探してきた無住寺に入る。
 弥蔵は娘の身の回りの道具を求めるため、また、亥介達は夕食を手配するため、清太と娘を残して、一旦、無住寺を離れる。
 清太は意識を失ったまま本堂の床に横たえられた娘の顔立ちをそっと確認する。娘の肌は透き通るように白い。形の整った卵形の顔立ちに小作りな目鼻、ふっくらとした唇が印象的で、容姿から想像すると、年頃は清太よりも少し下と思われる。
 粗雑な麻袋に閉じ込められていたため、着物の所々に汚れが見えるが、その身形からは比較的裕福な町家の娘を想像させる。
 清太は悪党達に立ち向かった時に感じた、
―吉凶を占う筮竹。
という神聖性を改めて娘の清楚の中に感じつつ、その感情とは別趣の微かな胸の高なりを覚え、娘から視線を外して本堂の内部を見回す。正面には開いたままの御厨が見えるが、残置されているのは外枠のみで、内部の仏像は無造作に毟り取られている。
―仏寺でさえもこのありさま、これこそ乱世だ。
 清太は娘の身の上に降り掛かった不幸な出来事と、無住寺の荒廃を重ね合わせながら、胸中で呟き、本堂の中に小さく響く娘の息遣いから気を逸らすため、意識的に浅い微睡みに落ちていく。

 破れた雨戸から茜色の光芒が浅い角度で薄暗い本堂に射し込む。
 娘の唇から言葉らしき小さな音色が零れる。
 暫くののち、娘はゆっくり瞼を開く。直後、跳ね起き、叫び声を上げる。娘の興奮は次第に激昂へと、言葉は罵倒へと変化する。
 娘の体内を怒濤のように恐怖の嵐が駆け巡る。
 娘は体力を使い果たすまで叫び続けたあと、本堂の隅に蹲り、周囲に憎悪の視線を清太達に撒き散らす。清太達は、悪党に拐かされたままと思い込んでいる娘自身が縄縛から解き放たれたことを自認し、精神の平衡を取り戻すまで、根気強く待つ。娘は錯乱した自分を静かに見守る清太達の温厚で柔和な態度を肌で感じ、徐々に落ち着き始める。
 弥蔵が頃合いを見て、穏やかな口調で娘に名前を尋ねる。娘は小さく顎を上げ、何かを探すように空中に視線を泳がせる。しかし、次の瞬間、娘は再び険しい表情に戻り、沈黙とともに顔を伏せた。清太は次々に感情が転変していく娘に掛ける言葉を見つけることができない。
 弥蔵が再び娘に優しく問い掛ける。
「何も思い出せません。」
 娘が泣き崩れる。
 娘はそのまま夜半まで泣き続け、泣き疲れて、浅い眠りに落ちていた。
 
 翌未明、出立の支度を整える清太達の気配を察した娘が、静かに泣き腫らした瞼を開く。
 昨夜、清太達四人は眠りに落ちた娘を本堂に置き、月下、今後の方途について話し合った。
―娘を置き去りにはできぬ。
という点については、仁義を重んじる峡衆として一致したが、清太以外の三人は、
―娘の身柄は正式に京都所司代に預けた方がよい。
と提案するのに対して、清太はこれを受け入れず、
―娘を自分の保護下に置いておくべき。
と頑なに主張し続けた。とは言え、初めて俗世に下りた清太に娘を庇護するための具体的な方策がある訳ではない。
―なぜ、そこまで…。
 弥蔵は清太の執拗な態度に疑問を抱き、幾度も真意を尋ねる。しかし、清太自身も弥蔵を納得させるだけの明確な根拠を持ち合わせておらず、
「娘を助けたことは神仏のご意思であるという直感だ。」
としか説明できない。三人としても、これまで峡において清太の予言めいた言葉が的中してきたという実績に配慮しつつも、
―娘は足手まといに過ぎる。しかも、下手に関わり合いを持てば、予想外の面倒に巻き込まれぬとも限らぬ。
という常識的な懸念がある。それでも強く執着する清太に、妥協策として、弥蔵が
―まずは娘を当初の目的地である洛北大原に同道する。
ことを提案し、最終的に清太がそれを受け入れた。

 夜明け前、清太達に娘を合わせた一行五人は人目を避けるようにして無住寺を出立する。
 昨日、悪党との乱闘を見た旅人や近隣の住人は少なくないはずであり、清太達が娘を連れて近辺を歩けば、何かの騒ぎになりかねない。そういう配慮もあり、体力を使い果たした娘には酷ではあったが、人目のない早朝に伏見を離れる。亥介と総馬が念のため悪党達の襲撃を警戒しつつ先行し、若干の距離を置いて、清太と弥蔵、そして、馬上の娘が進む。
 陽が昇るにつれて、路上の往来が増加する。伏見からは離れたが、木地師一行が馬を曳き、さらに、その馬上に若い娘が座っているという絵姿は道行く人々の興味を惹く。
 娘は一晩眠ったことで、
―清太達が悪人ではない。
ということを認識し、落ち着きを取り戻した様子だが、未だに暗い表情のまま、衆目を避けるように俯き加減で弥蔵が調達した菅笠を目深に被り、馬に揺られている。
 清太と弥蔵は、記憶を失い不安が充満しているはずの娘の琴線に触れぬよう、二人で周囲の草花や風景などについてとりとめのない会話を続ける。
 亥介と総馬の姿は視界からいつの間にか消えている。
 弥蔵は、娘に配慮して、織田氏の支配下で殷賑を取り戻した洛中を避け、郊外の道を取る。郊外といえども、往来は少なくない。
 都の空気を初めて味わいながら進む清太が、ふと娘を見上げたが、娘の様子に変化や動揺は見えない。
―町には慣れているのかな。
 清太は京近辺の地理に関する弥蔵の説明を聞きながら、頭の片隅で娘の素性を推測した。
 京から離れるに従い、往来は減少する。好奇の視線を避けるように俯いていた娘が伏し目がちではあるが、馬上から街道の両側に広がる水田を眺めている。
 一行は洛北八瀬の小盆地を抜け、鬱蒼とした樹林の底にひっそりと沈む細い山径を進む。樹林を抜けると、洛北大原の小さな田園風景が広がり、街道の右手に広がる山腹に由緒ありげな寺院が点在する。
 弥蔵が大きな屋敷の門前で立ち止まる。
「阿波国峡の弥蔵です。嘉平さんはご在宅ですか。」
 弥蔵の声を聞いて、門前に痩身の翁が現れる。
「これは、弥蔵さん、お久しぶりです。」
 翁の日焼けした顔に刻まれた深い皺が相応の年齢を感じさせる。しかし、声音は見た目に比べて若々しい。
「そこの若様と娘さんは初対面ですな。わたしは京界隈で薬草などを商っております嘉平と申します。」
「峡の清太です。お見知りおき下さい。」
 清太が挨拶したあと、娘は無言のまま丁寧に会釈した。娘に興味を持った嘉平が商人らしい親しみのある笑顔を浮かべて娘を見つめる。
「清太様は清吾様の嫡男です。」
 弥蔵が嘉平の関心を娘から逸らすため、話題を転じると、嘉平も娘を気遣うような微妙な空気を察して、弥蔵の提供した話題に乗り換える。
「御父君もよくこの屋敷にいらっしゃいましたが、先年、お亡くなりになったそうで…。良き御父君でしたから、誠に残念です。しかし、こんな立派な御嫡男がいらっしゃるなら、清吾さんもお浄土で安心していることでしょう。それにしても清太さんは御父君に良く似ていらっしゃる。」
「父がご恩を賜り、改めてお礼申し上げます。」
 嘉平は、深々と頭を下げた清太の沈着な挙措言動に感心しながら、一行を屋敷の玄関へと導く。
「於(お)彩(さい)。」
 嘉平が屋敷の奥にいる家刀自を呼ぶ。
 於彩が小走りで玄関に現れ、三人に乾いた手拭いを渡していく。
 弥蔵が娘と少し距離を取ったところを見計らって、嘉平が小声で尋ねる。
「木地師の御一行に駿馬と妙齢の娘御とは珍しい組み合わせですな。」
「事情は後刻お話する。あとで、仲間二人も合流するので、娘を含めて五人になりますが、数日間、お宿をお借りしたい。」
 弥蔵が娘を憚りながら答えると、嘉平は理由を尋ねることなく承諾した。
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