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第八章 暗夜行
第八章 暗夜行(2)
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清太は伝輔を先導にして馬に乗り、越前北之庄へ向かう。
―大原の嘉平屋敷に立ち寄って、最新の情勢を頭に入れておきたい。
そう考えた清太の脳裏に、一瞬、よしのの面影がよぎり、鼓動が微かに高鳴る。しかし、疾駆する馬の揺動がそれをすぐに掻き消す。
清太達は陽の高いうちに大原に着くと、於彩が入れた冷たい焙じ茶を旅装のまま一気に飲み干し、井戸水に浸した手拭いで顔と手足に付着した砂埃と汗を拭き取る。その間に、於彩が屋敷を出て、嘉平を畑から呼び戻す。
清太は離れ屋にある縁側に腰を下ろして、嘉平から直近の情勢を聞く。
「既に織田勢の先陣は越前北之庄を進発し、能登七尾城の救援に向かったと聞きます。織田勢と上杉勢の衝突は間近でしょう。」
嘉平から北陸方面を中心に情勢を一通り聴取した清太は、自身の認識と事実の間に大きな乖離がないことを確認した。逆に言えば、
―北陸では久秀の決起を促すような材料は見当たらない。
ということになる。
清太は嘉平との面談を終えると、乗馬を嘉平に預け、旅装を解くことなく、伝輔とともに慌ただしく大原を出立する。
―夜道は騎行よりも脚走がよい。
二人は人影の消えた洛北街道を自分の脚で駆ける。清太の前方にはまだ円形に近い十八夜月に照らされた伝輔の背中が白く浮かぶ。二人は近江大津を経て、琵琶湖東岸の北国街道を北上し、深更を過ぎて比叡の山並みに月が沈んだあとも、夜空に明滅する星々だけを頼りに、速力を落とさず、超人的な体力で漆黒の夜道を馳駆する。
未明、二人の前方、朝靄の向こう側に薄墨で刷いたように滲む北之庄城の輪郭とその周囲に揺らぎを含みつつ点在する篝火が浮かぶ。北陸への出陣を命じられ、北之庄城下に参集した織田軍の屯営である。屯営と言っても、敵兵と直接接していないため、遠目で見ても灯火の勢いに強い緊張は感じられない。
「今からでも侵入できぬことはないが…。」
清太は伝輔の意見を求める。
「不測の事態が起こらぬとは言えません。夜明けも近いので、ここで一旦休止して、明朝、改めて出立しては如何でしょうか。」
伝輔は冷静に自分達の疲労を計量して、方途を示す。日頃から重治の薫陶を受けている伝輔の判断には無理がない。甲丞を継承する立場にある清太にとって、伝輔の思考方法には見習うべき点が多い。
二人は郊外にある小さな廃寺の破れかけた本堂に潜り込み、黴臭い畳の上に横たわる。僅かに微睡んだあと、肌を優しく撫でる柔らかな陽光を感じた二人は、ほぼ同時に目覚める。
伝輔が身形を整えながら、
「清太殿、さすが疲労が見えませぬな。」
と、冗談半分に持ち上げる。そう言う伝輔にも疲労の色はない。若い二人の肉体は短時間の睡眠で疲労から回復している。
「夜道を踏み外さぬように先導してきた伝輔殿の疲れはわたしの比ではないでしょう。」
清太は親しみのある笑顔を浮かべて、一晩中、先駆けを務めた伝輔を慰労しながら、その言葉の内側で伝輔の技倆を称賛する。
―良い表情をなされる。
伝輔は清太が生来持っている人間的な魅力を強く感じた。
清太と伝輔は北之庄城下へ向かう。戦時下の陣営内で無用に駆け回ることは将兵の疑心暗鬼に繋がることがあり、厳に慎まなければならないため、二人は早足で歩く。
歩きながら、自然な会話が流れで、清太が伝輔の出自に触れる。
「津々浦々を旅する傀儡師の一族でした。」
伝輔が語り始める。
美濃山中で同族十人余りと旅の途中、山賊達に襲撃され、乱戦になった。一族の長老がまだ表情に幼さを残していた伝輔に、
「助勢を乞え。」
と必死の形相で命じ、伝輔を戦場から引き剥がすようにして離脱させた。伝輔は全力で山中を駆け、偶然にも菩提山城に行き当たり、門前で必死に叫んだ。伝輔の叫声に反応して大手門に参集した城兵達に、伝輔は早口で切迫した状況を説明し、竹中家中の助勢を得て、戦場に駆け戻った。しかし、時既に遅く、山賊達は伝輔の一族を殺傷した上で、金品を略奪し、逃げ去っていた。一族の大半が落命し、辛うじて命を拾った数名も再び旅の空を眺めることができぬ重傷を負った。顛末を知った重治は死者を手厚く弔い、生き残った数名を菩提山城に引き取った。その後、伝輔は重治に出仕し、生来の俊足を活かして偵調や使者として重治に近侍する中で、重治の明晰な頭脳と篤実な人柄、さらには、崇高な理念に親炙していく。そして、
―重治様とともに、「治国平天下」を目指さん。
と、駿足を研磨し、さらに、独学で体術を習得した。
語り終えた伝輔の横顔には、山賊の魔手から一族を救えなかったことへの慚愧の念が浮かんでいるようにも見える。
―伝輔殿も、よしのさんと同じ戦国乱世に翻弄された被害者か。その想いが重治様の理念と同調して、伝輔殿を突き動かす原動力になっているのだろう。
清太は喉元に苦い想いが込み上げるのを感じながら、その苦味をまるごと飲み込み、しっかりと心中に収めて、自分の目指すべき理想と重ね合わせた。
清太と伝輔は北之庄城下に入ったが、羽柴勢は既に能登へ進発しており、再び馬を駆って街道を北進し、進軍する羽柴勢に追い付き、近習を通じて重治に来着を知らせる。
重治は、二人がこの場所に来た意味を即座に察して、行軍の縦列を外れて、道端の木陰で二人と対面する。
報告を聞き終えた重治は、徹夜で街道を貫走した二人を労い、近習に休息の場所と食事の用意を命じた上で、秀吉への報告のため、この場を離れる。
清太達は重治の近習が探してきた農家の一室で湯漬けと漬物を掻き込むと、次の行動に備えて睡眠を取る。
―大原の嘉平屋敷に立ち寄って、最新の情勢を頭に入れておきたい。
そう考えた清太の脳裏に、一瞬、よしのの面影がよぎり、鼓動が微かに高鳴る。しかし、疾駆する馬の揺動がそれをすぐに掻き消す。
清太達は陽の高いうちに大原に着くと、於彩が入れた冷たい焙じ茶を旅装のまま一気に飲み干し、井戸水に浸した手拭いで顔と手足に付着した砂埃と汗を拭き取る。その間に、於彩が屋敷を出て、嘉平を畑から呼び戻す。
清太は離れ屋にある縁側に腰を下ろして、嘉平から直近の情勢を聞く。
「既に織田勢の先陣は越前北之庄を進発し、能登七尾城の救援に向かったと聞きます。織田勢と上杉勢の衝突は間近でしょう。」
嘉平から北陸方面を中心に情勢を一通り聴取した清太は、自身の認識と事実の間に大きな乖離がないことを確認した。逆に言えば、
―北陸では久秀の決起を促すような材料は見当たらない。
ということになる。
清太は嘉平との面談を終えると、乗馬を嘉平に預け、旅装を解くことなく、伝輔とともに慌ただしく大原を出立する。
―夜道は騎行よりも脚走がよい。
二人は人影の消えた洛北街道を自分の脚で駆ける。清太の前方にはまだ円形に近い十八夜月に照らされた伝輔の背中が白く浮かぶ。二人は近江大津を経て、琵琶湖東岸の北国街道を北上し、深更を過ぎて比叡の山並みに月が沈んだあとも、夜空に明滅する星々だけを頼りに、速力を落とさず、超人的な体力で漆黒の夜道を馳駆する。
未明、二人の前方、朝靄の向こう側に薄墨で刷いたように滲む北之庄城の輪郭とその周囲に揺らぎを含みつつ点在する篝火が浮かぶ。北陸への出陣を命じられ、北之庄城下に参集した織田軍の屯営である。屯営と言っても、敵兵と直接接していないため、遠目で見ても灯火の勢いに強い緊張は感じられない。
「今からでも侵入できぬことはないが…。」
清太は伝輔の意見を求める。
「不測の事態が起こらぬとは言えません。夜明けも近いので、ここで一旦休止して、明朝、改めて出立しては如何でしょうか。」
伝輔は冷静に自分達の疲労を計量して、方途を示す。日頃から重治の薫陶を受けている伝輔の判断には無理がない。甲丞を継承する立場にある清太にとって、伝輔の思考方法には見習うべき点が多い。
二人は郊外にある小さな廃寺の破れかけた本堂に潜り込み、黴臭い畳の上に横たわる。僅かに微睡んだあと、肌を優しく撫でる柔らかな陽光を感じた二人は、ほぼ同時に目覚める。
伝輔が身形を整えながら、
「清太殿、さすが疲労が見えませぬな。」
と、冗談半分に持ち上げる。そう言う伝輔にも疲労の色はない。若い二人の肉体は短時間の睡眠で疲労から回復している。
「夜道を踏み外さぬように先導してきた伝輔殿の疲れはわたしの比ではないでしょう。」
清太は親しみのある笑顔を浮かべて、一晩中、先駆けを務めた伝輔を慰労しながら、その言葉の内側で伝輔の技倆を称賛する。
―良い表情をなされる。
伝輔は清太が生来持っている人間的な魅力を強く感じた。
清太と伝輔は北之庄城下へ向かう。戦時下の陣営内で無用に駆け回ることは将兵の疑心暗鬼に繋がることがあり、厳に慎まなければならないため、二人は早足で歩く。
歩きながら、自然な会話が流れで、清太が伝輔の出自に触れる。
「津々浦々を旅する傀儡師の一族でした。」
伝輔が語り始める。
美濃山中で同族十人余りと旅の途中、山賊達に襲撃され、乱戦になった。一族の長老がまだ表情に幼さを残していた伝輔に、
「助勢を乞え。」
と必死の形相で命じ、伝輔を戦場から引き剥がすようにして離脱させた。伝輔は全力で山中を駆け、偶然にも菩提山城に行き当たり、門前で必死に叫んだ。伝輔の叫声に反応して大手門に参集した城兵達に、伝輔は早口で切迫した状況を説明し、竹中家中の助勢を得て、戦場に駆け戻った。しかし、時既に遅く、山賊達は伝輔の一族を殺傷した上で、金品を略奪し、逃げ去っていた。一族の大半が落命し、辛うじて命を拾った数名も再び旅の空を眺めることができぬ重傷を負った。顛末を知った重治は死者を手厚く弔い、生き残った数名を菩提山城に引き取った。その後、伝輔は重治に出仕し、生来の俊足を活かして偵調や使者として重治に近侍する中で、重治の明晰な頭脳と篤実な人柄、さらには、崇高な理念に親炙していく。そして、
―重治様とともに、「治国平天下」を目指さん。
と、駿足を研磨し、さらに、独学で体術を習得した。
語り終えた伝輔の横顔には、山賊の魔手から一族を救えなかったことへの慚愧の念が浮かんでいるようにも見える。
―伝輔殿も、よしのさんと同じ戦国乱世に翻弄された被害者か。その想いが重治様の理念と同調して、伝輔殿を突き動かす原動力になっているのだろう。
清太は喉元に苦い想いが込み上げるのを感じながら、その苦味をまるごと飲み込み、しっかりと心中に収めて、自分の目指すべき理想と重ね合わせた。
清太と伝輔は北之庄城下に入ったが、羽柴勢は既に能登へ進発しており、再び馬を駆って街道を北進し、進軍する羽柴勢に追い付き、近習を通じて重治に来着を知らせる。
重治は、二人がこの場所に来た意味を即座に察して、行軍の縦列を外れて、道端の木陰で二人と対面する。
報告を聞き終えた重治は、徹夜で街道を貫走した二人を労い、近習に休息の場所と食事の用意を命じた上で、秀吉への報告のため、この場を離れる。
清太達は重治の近習が探してきた農家の一室で湯漬けと漬物を掻き込むと、次の行動に備えて睡眠を取る。
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