25歳の誕生日のプレゼントは場末の地下物件でした

シンリーベクトル

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最終話

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夜の「彩」。
セミナーを終えた三人が戻ると、店内にはいつもの温かな灯りが戻っていた。
カウンターにはすでにグラスと皿が並び、白鳥、山本、高橋、理沙らが待ち構えている。

「おかえりー!」
理沙が声を上げる。
「ニュース出てたよ。“居酒屋発行動理論、丸の内で発表”って!」

広中が苦笑いを浮かべた。
「見出しだけ聞くと、完全にネタだな。」

涼子がグラスを受け取り、軽く掲げる。
「でも、ちゃんと伝わってたわ。――“彩”の夜が、外に出た日よ。」

その瞬間、厨房から「お待たせしましたー!」という声。
茜が大きな皿を抱えて現れた。

「今日の打ち上げスイーツです!」
皿の上には、落ち着いたベージュ色のケーキ。
上にはかぼちゃの種、ひまわりの種、クコの実が散りばめられている。
華やかさもデコレーションもない、どこか素朴な姿だった。

白鳥が首を傾げる。
「……ずいぶん“茜らしくない”な。」

佐伯が笑う。
「いつもの“完璧スイーツ”じゃないね。」

茜は少し照れくさそうに言った。
「今日のセミナー見てて思ったんです。“実”より“種”の方が今日っぽいなって。」

涼子が聞き返す。
「“種”?」

「はい。かぼちゃの“実”は一度きりの完成形だけど、“種”は、まだ何にもなっていないエネルギー。
理論も、今日が“実”じゃなく“種”の日なんだと思って。」

一瞬、静寂。
山本が感心したように笑う。
「おいおい、詩人だな。」

西村がフォークを入れて一口。
「ナッツみたいに香ばしくて、ほんのり甘い。不思議なバランス。まるで今日そのものね。」

高橋が冗談めかして言う。
「ひまわりの種とクコの実、栄養的にも最高だぞ。」

一同が笑う中、武田が静かにグラスを上げた。
「“種”か。悪くない。芽が出るかどうかは――今日の熱が本物だったか次第だな。」

カウンターの奥で山城がぼそりと呟く。
「……こりゃもう、スイーツは俺の出番なくなったな。」

涼子は微笑み、グラスを掲げた。
「じゃあ――“彩発、第一世代の種”に、乾杯。」



打ち上げの熱が静まり、カウンターの上には飲みかけのグラスが並んでいた。
氷が、ひとつ、またひとつ、音を立てて沈む。
その響きが、まるで時間の終わりを告げる鐘のように、ゆっくりと遠のいていく。

時計の秒針が、壁の向こうで微かに刻む。
――チッ、チッ、チッ。

世界が、それに合わせて呼吸をやめた。
店の灯りも、街の喧騒も、誰の声も。

ただ、止まった。

朝比奈が息を吸おうとした瞬間、
白鳥が、ゆっくりと顔を上げた。

「……時が来た。」

その声は低く、穏やかで、
まるで静寂の中に落とされた一滴の水のように、店の空気を揺らした。

隣の西村が、微笑を浮かべて頷く。
「ええ……思い出した。ようやく、全部。」

涼子が不安そうに首をかしげる。
「なに? どういう意味?」

白鳥は笑みを浮かべ、窓の外を見た。
夜空には、青白い光がかすかに瞬いている。

「この星に来て……もう、25年か。」

「観察と干渉のギリギリの間で、私たちはここまで来た。」
西村が静かに続ける。
「理論を形にし、“ベクトル”を人間の中に根づかせること――それが、私たちにできる唯一の手段だったの。」

一同の顔が凍りついた。
高橋が笑いながらも声を震わせる。
「ちょ、ちょっと待って……冗談だろ? 西村が宇宙人とか、ないない。」

白鳥はグラスの氷を指で回しながら、淡々と告げる。
「いや、ほんとなんだ。俺たちは“崩壊”を止めるためにこの星に来た。
でも、手で直すことはできない。だから――“種”を植えた。」

静寂が店を包む。
カウンターの端に残った“かぼちゃの種ケーキ”が、まるで合図のように見えた。

西村が微笑む。
「この星の人たちは、きっといつか気づくわ。
行動は争いじゃなく、重なりで進むってことに。
私たちは、それを“力学”で示しただけ。」

涼子が立ち上がり、声を震わせる。
「帰るの? そんな……急に……。」

白鳥は静かに頷く。
「約束の25年。今日で、終わりだ。」

西村は寂しげに笑い、
「私たちは……やり切れたのだろうか?」と呟いた。

白鳥が隣で小さく笑う。
「結果は、もう人間の手に委ねよう。」

その言葉とともに、二人の体が淡い光を帯び始める。

茜が涙をこらえきれず、叫んだ。
「そんなの……ずるいよ! まだ伝えたいこと、たくさんあるのに!」

山本は拳を握りしめる。
「おい……冗談だろ、白鳥。戻ってこいよ!」

高橋が声を詰まらせる。
「お前ら……この25年、なんだったんだよ……!」

西村は微笑んだまま、みんなを見渡した。
「この店で出会えたこと――それが答えよ。」

白鳥は、これまでに見せたことのない屈託のない笑顔で言った。
「じゃあな。――また、“どこかのベクトル”で会おう。」

光がゆっくりと収束し、二人の姿は消えた。
カウンターには、残されたグラスの水滴が一筋、光を反射していた。



朝が来た。
夜を越えた「彩」には、静かな余韻だけが残っていた。
空のグラス、冷めたコーヒー、誰もいないカウンター。

扉を開けると、柔らかな朝の風が吹き込み、
グラスが小さく触れ合う音を立てた。
街はいつものように始まり――
しかしその空気の奥に、確かな脈動があった。

外の植え込みに、ひとつの芽。
それは、クローバーだった。

「……あら。」
涼子はしゃがみ込み、そっと微笑んだ。
「別の命が、呼ばれたのね。」

高橋が後ろから覗き込む。
「風に運ばれたんだろうな。でも……導かれたみたいだ。」

山本が静かに呟く。
「“芽は出ないはずの種”が、別の命を呼ぶ……まるで、あの理論みたいだ。」

理沙が涙を拭いながら笑う。
「いいじゃない。白鳥らしい奇跡だよ。」

涼子はクローバーの芽に指先を添え、
「きっと、あの二人が植えた“矢印”が芽吹いたのね。」と呟いた。

空を見上げると、五つの光の筋が交差していた。
まるでベクトルが合力を成し、空を割るように。
光はやがて一点に集まり、静かに消えていった。

涼子はその方向に微笑む。
「西村、白鳥……ありがとう。
私たち、ちゃんとこの星で続けるから。」

背後で武田が低く呟いた。
「人はようやく、“理論”じゃなく“自分”を信じ始めた。
その瞬間――理論は、宇宙になった。」

「彩」の看板が朝日に照らされ、
その影が一本のベクトルとなって地面に伸びていく。
クローバーの葉が、光を反射して揺れた。

それはもう、ただの植物ではなかった。
25年の想いと理論が繋いだ、“再生の矢印”だった。

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