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第二章 失って得たもの

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 顔色を悪くして壁に寄りかかったままの僕を心配して、先程の老人の精霊が覗き込んできた。僕の具合が悪いと思ったのか、辺りを忙しなく見回して慌てている。大丈夫、と声を掛けたが焦るあまり聞こえていないようで、右往左往した挙句、手にした葉を大きく振り回した。途端に再び疾風が巻き起こった。今度は台風のように四方八方に吹き抜ける猛烈な勢いの風で、テーブルの上の皿やジョッキが吹き飛ばされる。立っていた客の何人かは、たたらを踏んで尻餅をついた。

「いけない、落ち着いて!」

 完全に混乱して再び葉の団扇を振りかぶる精霊を両掌で優しく包んで覆った。どうか落ち着いてくれるように、鎮まってくれるようにと祈る。すると次第に風の力は弱まり、最後に爽やかなそよ風を残して完全に止んだ。酒場は酷い有様で客達も何事かと騒然となったが、誰かが「この季節は突風が吹きやすいものだ」と言ってからは、若干の困惑を残しながらもまた賑やかに酒盛りを始めていた。流石は冒険者達と言うべきで、皆多少のことには動じないらしい。
 僕はほっと息を吐いて、手の平を開いて見た。すると、そこにいたのは老人の精霊ではなく、最初に見た団扇を抱えた雪だるまだった。
 僕ははっとして、そうか、と声を漏らした。加護の力を高められるのなら、昔マルクにしたように力を抑えることもできるのかもしれない。思案しながら手の内を見つめていると、精霊は僕の視線に恥じ入るように身動いでパッと姿を消した。
 視線を酒場に向ける。客の肩や中空に時折現れては消える精霊がいくつかいる。僕は指を組んで彼らを見つめると、ここにいる全ての精霊に向けて祈りを込めた。

 友人達を守りたい。だから、僕が強めてしまった君達の力を抑えてくれないだろうか。

 心の中で語りかけるようにそう祈ると、姿を表していた精霊達が一斉にこちらを振り返った。形も色も様々だったけれど、少しの間驚いたように僕を見つめて、それから了承を示すように頷いたり尻尾を振ったりと反応を示した。見る間に彼らの姿は小さくなり、色も形もぼんやりとして、姿を消してしまった者もいた。

 できた……。
 精霊の力を、加護の力を、抑えることができた!

 酒に目がない冒険者達は、自分の加護精霊達が姿を変えているのにも気付かずに赤ら顔で変わらず杯を空けている。酒場はいつもと変わらぬ様子だった。
 僕は知らず浅くなっていた呼吸に気付いて、思い切り息を吸い込んで吐き出した。強張っていた体から力が抜け、冷やりと背筋に突きつけられていた氷の刃が溶けていくようだった。良かった。これで一応は元通りのはずだ。怪しい集団の動向には変わらず注意しなければいけないけれど、魔物の脅威についてはひとまず安心だろう。精霊の持ち主達は急に加護の力が以前のように弱まって戸惑うかもしれないが、その分危険からは遠ざかるのだから諦めてもらう他ない。

 あとは、クリストフにこの一連の出来事をどう告げるべきかだ。僕が知らず知らずに客の加護の力を強めていたこと、けれどそれを抑えることもできたこと、僕のこの能力について僕自身は何も分からないこと。考えれば考えるほど説得力のない話だと思う。酒場を一瞥すると、先程の雪だるまの精霊がまるで白い綿毛のような姿になってふわふわと浮いているのが見えた。
 この精霊達の姿を見れば、誰しもが加護の力が弱まっていると気付くだろう。ならば、クリストフには僕の能力のことは黙っていてもいいのではないかと、弱気な僕の心が唆す。魔物の襲撃という脅威がなくなっただけで、静かな集団が果たして何を企んでいるのか、そもそも本当に彼らが悪者なのかは分かっていない。クリストフの調査任務はこれからも続くのだろう。ただ宿の客の加護の力は元に戻ったという、その事実さえクリストフが気付いていれば問題はないのではないか。全てが片付いてから、機を見て打ち明けても良いのではないだろうか。

 これは自分に都合の良いように作り出した言い訳だという自覚はある。それでも、僕はやはり怖かった。優しいけれど忠義に篤いクリストフが、その冷静な瞳で僕をどう見るのかを確かめる勇気が持てなかった。彼の厭う精霊王の御技にも近い僕のこの能力を、どう感じるか、どう受け取るか、それを知るのが怖かった。

 身勝手な考えで秘密を抱えた後ろめたさのせいだろう、僕の胸の内はもやもやと重い空気を抱えたように息苦しくなった。息をいくら吐き出してもその胸の支えは一向に止まず、僕は背を丸めて空咳を一つ零した。


 しかし、この時すぐにクリストフに打ち明けていればあんなことにはならなかったと、僕は後に後悔することになるのだった。
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