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第二章 失って得たもの
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「起こしてしまったかな。久しぶりに顔を出したら君が寝込んでいると聞いて、居ても立っても居られず……すまない」
囁くように小さな声で、申し訳なさそうにクリストフは言った。肘をつきながら慎重に上体を起こして、僕は微笑みを返した。
「ちょうど目が覚めたところだったんだ。埃っぽいけど、良かったらどうぞ」
いつまでもドアの僅かな隙間から顔を半分覗かせたままのクリストフに僕が入室を促すと、彼は静かな足取りでベッドに近付いてそこに腰掛けた。部屋の中を見回して、少し眉を顰めているようだった。
「酒場の方は皆帰った?」
「あぁ、今最後の客を部屋まで運んだ所だ。まったく、どうして懲りもせずにあんな飲み方をするんだろうね。理解に苦しむよ」
クリストフの軽口に、僕は笑った。その時に吸い込んだ息に軽く噎せて、クリストフが僕の背中を優しくさする。
僕は呼吸を落ち着けてから、溜息を零した。脆弱な自分の体が情けなく思える。
「親父さん、怒ってなかった? 迷惑掛けちゃったな」
「宿の亭主かい? あれだけの数の冒険者に囲まれ凄まれたら、怒るも何もないだろうね。迷惑なんて君の方が毎日亭主に掛けられているじゃないか。これくらい数の内にも入らないさ」
いつもよりも随分軽妙な口振りのクリストフは、すっかり気落ちしている僕を慰めてくれているのだろう。優しい人だ。
「亭主は客達に、アンリの体調が戻るまで無理はさせないと約束させられていたから、安心して休むといい。……全く、君は客にとても愛されているようだね。やはりもう少し頻繁にこちらにも来るようにしよう。君の体調もだが、色々心配だ」
言いながら、クリストフはローブのフードを落とした。赤い髪が月明かりのみの暗闇に浮かぶ。同じく赤い瞳には、こちらの安否を気遣う色がありありと浮かんでいた。
クリストフは以前は連日のように酒場に訪れていたが、最近は数日に一度しか顔を出さなくなった。はっきりとは教えてくれなかったが、どうやらこの酒場以外の場所で何か動きがあったらしく対応に追われているようだ。その“動き”が原因なのかは分からないが、酒場に集まる怪しい静かな集団も最近はぱったりと訪れなくなり、たまに来たとしても一人二人の集団とも呼べない数で、それもすぐに帰って行く。
怪しい人々が集まらなくなり、他の客達の加護の力も元通りになった現在、この店が直面していた危険は何もなくなったことになる。本来なら城下の治安一切を取り仕切る近衛騎士のクリストフが、任務と関係なくなったこの店に入り浸る訳にはいかないのだろう。暇を見つけて様子を見に来てはくれるが、前のように二人でのんびりと時間を過ごすことはなくなってしまった。寂しくはあるが、客やクリストフが危険から遠ざけられたのだから喜ぶべきことなのだろう。
顔を合わせる機会が減ったのもあり、結局僕は加護の力に干渉できる自分の不思議な能力について、今もクリストフに伝えられないままだ。何度も話そうとは思ったのだが、客達の加護の力が急に弱まったことに気付いたクリストフは、同時期に姿を見せなくなった怪しい集団が何かしたのだと判断したようだった。そう判断するに足る“動き”が、騎士団内であったのかもしれない。酒場の危険が去ったことを喜び、これで外の任務に集中できると忙しそうに店を後にするクリストフに、僕は真実を言い出せなかった。
けれどどこかで安心もしていた。このまま、僕の能力を知らせずに全てのことが収まるかもしれない。ずるく、卑怯な考えだとは思うが、クリストフの反応がどうしても怖かった。
僕は後ろめたさに薄く微笑を浮かべて、クリストフと同じようにフードを取り、帽子を脱いだ。いつ誰が来てもいいように、部屋の中でも寝る時以外はいつも被っているが、この時間ならば大丈夫だろう。籠っていた熱が少し解放された気がしてほっと息を吐く。汗で張り付いた髪を解くように、軽く頭を振った。
その時、クリストフが赤い目を大きく見開きこちらを見た。
「アンリ、君……いや、そんなはずは……」
クリストフの反応に僕の方が驚いて瞬きを繰り返していると、失礼、と呟いたクリストフが恐る恐るといった様子で僕の首筋、耳の後ろ辺りに顔を近付けてきた。
「んっ……」
触れられた訳でもないのに肌が粟立つような感覚があって、ぴくりと体を震わせてしまった。熱のせいか、どうにも最近肌が過敏になっている気がする。
顔を離したクリストフは、徐にベッドから立ち上がった。僕はぽかんとしてクリストフを見上げたが、その眉間には深い皺が刻まれている。僕の指先を軽く握ってすぐに離し、全身を確かめるように見回すと、口元に手を遣って思案しているようだった。
「君の体調不良はいつからだ。妙に体が熱いのではないか? それを誰かに相談したかい」
「う、うん。胸の辺りがすごく熱くて……一月前くらいからかな。店のお客さんに気付かれて、土の加護の癒しを施してもらったけど治らなかったんだ」
「……なるほど」
僕のこの病が何なのかを知っているとしか思えない言葉つきに、僕は縋るようにクリストフを見つめた。
「何か悪い病気なの? 僕、このまま治らないのかな」
「いや。病ではない……しかしそんなことが……」
クリストフはしばらく言い淀んでから口元に置いた手を外して、僕をひたと見つめ返して言った。
「これは、加護溜まりの症状だ」
囁くように小さな声で、申し訳なさそうにクリストフは言った。肘をつきながら慎重に上体を起こして、僕は微笑みを返した。
「ちょうど目が覚めたところだったんだ。埃っぽいけど、良かったらどうぞ」
いつまでもドアの僅かな隙間から顔を半分覗かせたままのクリストフに僕が入室を促すと、彼は静かな足取りでベッドに近付いてそこに腰掛けた。部屋の中を見回して、少し眉を顰めているようだった。
「酒場の方は皆帰った?」
「あぁ、今最後の客を部屋まで運んだ所だ。まったく、どうして懲りもせずにあんな飲み方をするんだろうね。理解に苦しむよ」
クリストフの軽口に、僕は笑った。その時に吸い込んだ息に軽く噎せて、クリストフが僕の背中を優しくさする。
僕は呼吸を落ち着けてから、溜息を零した。脆弱な自分の体が情けなく思える。
「親父さん、怒ってなかった? 迷惑掛けちゃったな」
「宿の亭主かい? あれだけの数の冒険者に囲まれ凄まれたら、怒るも何もないだろうね。迷惑なんて君の方が毎日亭主に掛けられているじゃないか。これくらい数の内にも入らないさ」
いつもよりも随分軽妙な口振りのクリストフは、すっかり気落ちしている僕を慰めてくれているのだろう。優しい人だ。
「亭主は客達に、アンリの体調が戻るまで無理はさせないと約束させられていたから、安心して休むといい。……全く、君は客にとても愛されているようだね。やはりもう少し頻繁にこちらにも来るようにしよう。君の体調もだが、色々心配だ」
言いながら、クリストフはローブのフードを落とした。赤い髪が月明かりのみの暗闇に浮かぶ。同じく赤い瞳には、こちらの安否を気遣う色がありありと浮かんでいた。
クリストフは以前は連日のように酒場に訪れていたが、最近は数日に一度しか顔を出さなくなった。はっきりとは教えてくれなかったが、どうやらこの酒場以外の場所で何か動きがあったらしく対応に追われているようだ。その“動き”が原因なのかは分からないが、酒場に集まる怪しい静かな集団も最近はぱったりと訪れなくなり、たまに来たとしても一人二人の集団とも呼べない数で、それもすぐに帰って行く。
怪しい人々が集まらなくなり、他の客達の加護の力も元通りになった現在、この店が直面していた危険は何もなくなったことになる。本来なら城下の治安一切を取り仕切る近衛騎士のクリストフが、任務と関係なくなったこの店に入り浸る訳にはいかないのだろう。暇を見つけて様子を見に来てはくれるが、前のように二人でのんびりと時間を過ごすことはなくなってしまった。寂しくはあるが、客やクリストフが危険から遠ざけられたのだから喜ぶべきことなのだろう。
顔を合わせる機会が減ったのもあり、結局僕は加護の力に干渉できる自分の不思議な能力について、今もクリストフに伝えられないままだ。何度も話そうとは思ったのだが、客達の加護の力が急に弱まったことに気付いたクリストフは、同時期に姿を見せなくなった怪しい集団が何かしたのだと判断したようだった。そう判断するに足る“動き”が、騎士団内であったのかもしれない。酒場の危険が去ったことを喜び、これで外の任務に集中できると忙しそうに店を後にするクリストフに、僕は真実を言い出せなかった。
けれどどこかで安心もしていた。このまま、僕の能力を知らせずに全てのことが収まるかもしれない。ずるく、卑怯な考えだとは思うが、クリストフの反応がどうしても怖かった。
僕は後ろめたさに薄く微笑を浮かべて、クリストフと同じようにフードを取り、帽子を脱いだ。いつ誰が来てもいいように、部屋の中でも寝る時以外はいつも被っているが、この時間ならば大丈夫だろう。籠っていた熱が少し解放された気がしてほっと息を吐く。汗で張り付いた髪を解くように、軽く頭を振った。
その時、クリストフが赤い目を大きく見開きこちらを見た。
「アンリ、君……いや、そんなはずは……」
クリストフの反応に僕の方が驚いて瞬きを繰り返していると、失礼、と呟いたクリストフが恐る恐るといった様子で僕の首筋、耳の後ろ辺りに顔を近付けてきた。
「んっ……」
触れられた訳でもないのに肌が粟立つような感覚があって、ぴくりと体を震わせてしまった。熱のせいか、どうにも最近肌が過敏になっている気がする。
顔を離したクリストフは、徐にベッドから立ち上がった。僕はぽかんとしてクリストフを見上げたが、その眉間には深い皺が刻まれている。僕の指先を軽く握ってすぐに離し、全身を確かめるように見回すと、口元に手を遣って思案しているようだった。
「君の体調不良はいつからだ。妙に体が熱いのではないか? それを誰かに相談したかい」
「う、うん。胸の辺りがすごく熱くて……一月前くらいからかな。店のお客さんに気付かれて、土の加護の癒しを施してもらったけど治らなかったんだ」
「……なるほど」
僕のこの病が何なのかを知っているとしか思えない言葉つきに、僕は縋るようにクリストフを見つめた。
「何か悪い病気なの? 僕、このまま治らないのかな」
「いや。病ではない……しかしそんなことが……」
クリストフはしばらく言い淀んでから口元に置いた手を外して、僕をひたと見つめ返して言った。
「これは、加護溜まりの症状だ」
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